康などを問題にするほど頭の下等な人ではないことを信じている。ドストエフスキーは癲癇《てんかん》と痔と肺病をもっていたのである。そのうち、呼ばれたので私は暗室の中へはいった。学校を出たばかりと思われる若い医者は、
「どうしたのですか」とまだ私が椅子《いす》にもつかないうちにいった。
「いや、ちょっと充血したものですから」
「そう。どれどれ。ふうむ、大分使い過ぎましたね」瞼をひっくり返し、レンズをかざして覗《のぞ》き込みながらいった。「少し休むんですね。疲れていますよ」
私は洗眼をしてもらい、眼薬をさしてもらって外へ出た。出がけに医者は白いガーゼと眼帯をくれた。私はその足ですぐ受付により、硼酸水と罨法《あんぽう》鍋とを交付してもらって帰った。
私は生まれて初めての眼帯を掛けると、友だちを巡って訪ねた。
誰でもこの病院へ来たばかりのころは、周囲の者がみなどこか一ヶ所は繃帯を巻いているので、自分に繃帯のないことがなんとなく肩身の狭いような感じがして、たいして神経痛もしないのにぐるぐると腕に巻いてみたり足に巻いてみたりして得意になる。奇妙なところで肩身が狭くなるものだ。まるきり院外
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