尾田は黙った。佐柄木も黙った。歔欷きがまた聞こえて来た。
 「ああ、もう夜が明けかけましたね」
 外を見ながら佐柄木が言った。黝《くろ》ずんだ林のかなたが、白く明るんでいた。
 「ここ二、三日調子が良くて、あの白さが見えますよ。珍しいことなんです」
 「一緒に散歩でもしましょうか」
 尾田が話題を更《か》えて持ち出すと、
 「そうしましょう」
とすぐ佐柄木は立ち上がった。
 冷たい外気に触れると、二人は生き復《かえ》ったように自ずと気持が若やいで来た。並んで歩きながら尾田は、ときどき背後を振り返って病棟を眺めずにはいられなかった。生涯忘れることのできない記憶となるであろう一夜を振り返る思いであった。
 「盲目になるのはわかりきっていても、尾田さん、やはり僕は書きますよ。盲目になればなったで、またきっと生きる道はあるはずです。あなたも新しい生活を始めてください。癩者に成りきって、さらに進む道を発見してください。僕は書けなくなるまで努力します」
 その言葉には、初めて会った時の不敵な佐柄木が復っていた。
 「苦悩、それは死ぬまでつきまとって来るでしょう。でも誰かが言ったではありませんか、苦
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