まだまだほんの表面なんですよ。この病院の内部には、一般社会の人の到底想像すらも及ばない異常な人間の姿が、生活が描かれ築かれているのですよ」
と言葉を切ると、佐柄木もバットを一本抜き火をつけるのだった。潰れた鼻の孔から、佐柄木はもくもくと煙を出しながら、
「あれをあなたはどう思いますか」
指さす方を眺めると同時に、はっと胸を打って来る何ものかを尾田は強く感じた。彼の気付かぬうちに右端に寝ていた男が起き上がって、じいっと端坐しているのだった。もちろん全身に繃帯を巻いているのだったが、どんよりと曇った室内に浮き出た姿は、何故とはなく心打つ厳粛さがあった。男はしばらく身動きもしなかったが、やがて静かにだがひどく嗄《しわが》れた声で、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と唱えるのであった。
「あの人の咽喉《のど》をごらんなさい」
見ると、二、三歳の小児のような涎掛《よだれか》けが頸部にぶら下がって、男は片手をあげてそれを押えているのだった。
「あの人の咽喉には穴が空いているのですよ。その穴から呼吸をしているのです。喉頭癩と言いますか、あそこへ穴を空けて、それでもう五年も生き伸びているのです」
尾
前へ
次へ
全51ページ中44ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
北条 民雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング