柑の木だ。粛条《しょうじょう》と雨の降る夕暮れである。いつの間にか菅笠《すげがさ》を被《かぶ》っている。白い着物を着て脚絆《きゃはん》をつけて草鞋《ぞうり》を穿《は》いているのだ。追っ手は遠くで鯨波をあげている。また近寄って来るらしいのだ。蜜柑の根もとに跼《かが》んで息を殺す、とたんに頭上でげらげらと笑う声がする。はっと見上げると佐柄木がいる。恐ろしく巨きな佐柄木だ。いつもの二倍もあるようだ。樹から見下している。癩病が治ってばかに美しい貌なのだ。二本の眉毛も逞《たくま》しく濃い。尾田は思わず自分の眉毛に触ってはっとする。残っているはずの片方も今は無いのだ。驚いて幾度も撫《な》でてみるがやっぱり無い。つるつるになっているのだ。どっと悲しみが突き出て来てぼろぼろと涙が出る。佐柄木はにたりにたりと笑っている。
「お前はまだ癩病だな」
樹上から彼は言うのだ。
「佐柄木さんは、もう癩病がお癒りになられたのですか」
恐る怖る聴いてみる。
「癒ったさ、癩病なんかいつでも癒るね」
「それでは私も癒りましょうか」
「癒らんね。君は。癒らんね。お気の毒じゃよ」
「どうしたら癒るのでしょうか
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