て来る、足がもつれる。幾度も転びそうになるのだ。追手の鯨波《とき》はもう間近まで寄せて来た。早くどこかへ隠れてしまおう。前を見てあっと棒立ちに竦んでしまう。柊の垣があるのだ。進退全く谷《きわ》まった、喚声はもう耳もとで聞こえる。ふと見ると小さな小川が足もとにある、水のない堀割りだ、夢中で飛び込むと足がずるずると吸い込まれる。しまったと足を抜こうとするとまたずるりと吸い入れられる。はや腰までは沼の中だ。藻掻《もが》く、引っ掻く、だが沼は腰から腹、腹から胸へと上って来る一方だ。底のない泥沼だ、身動きもできなくなる。しびれたように足が利かない。眼を白くろさせて喘《あえ》ぐばかりだ。うわああと喚声が頭上でする。あの野郎死んでるくせに逃げ出しやがった。畜生もう逃さんぞ。逃すものか。火炙《あぶ》りだ。捕まえろ。捕まえろ。入り乱れて聞こえて来るのだ。どすどすと凄《すご》い足音が地鳴りのように響いて来る。ぞうんと身の毛がよだって脊髄までが凍ってしまうようである。――殺される、殺される。熱い塊が胸の中でごろごろ転がるが一滴の涙も枯れ果ててしまっている。ふと気付くと蜜柑の木の下に立っている。見覚えのある蜜
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