上ったのでございます。是が真《まこと》に怪我の功名と申すものかと存じます。文政《ぶんせい》の頃江戸の東両国|大徳院《だいとくいん》前に清兵衛と申す指物の名人がござりました。是は京都で指物の名人と呼ばれた利齋《りさい》の一番弟子で、江戸にまいって一時《いちじ》に名を揚げ、箱清《はこせい》といえば誰《たれ》知らぬ者もないほどの名人で、当今にても箱清の指した物は好事《こうず》の人が珍重いたすことで、文政十年の十一月五日に八十三歳で歿しました。墓は深川|亀住町《かめずみちょう》閻魔堂《えんまどう》地中《じちゅう》の不動院に遺《のこ》って、戒名を參清自空信士《さんせいじくうしんし》と申します。この清兵衛が追々年を取り、六十を越して思うように仕事も出来ず、女房が歿《なくな》りましたので、弟子の恒太郎《つねたろう》という器用な柔順《おとな》しい若者を養子にして、娘のお政《まさ》を娶《めあ》わせましたが、恒太の伎倆《うでまえ》はまだ鈍うございますから、念入の仕事やむずかしい注文を受けた時は、皆《みん》な長二にさせます。長二は其の頃両親とも亡《なくな》りましたので、煮焚《にたき》をさせる雇婆《やといばあ
前へ 次へ
全165ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング