一月の初旬《はじめ》、兼松を引連れ、湯治のため相州湯河原の温泉へ出立いたしました。
六
湯河原の温泉は、相州足柄下郡|宮上村《みやかみむら》と申す処にございまして、当今は土肥次郎實平《どいじろうさねひら》の出た処というので土肥村と改まりまして、城堀村《しろほりむら》にある實平の城山は、真鶴港《まなづるみなと》から上陸して、吉浜《よしはま》を四五丁まいると向うに見えます。吉浜から宮上村まで此の間は爪先上りの路《みち》で一里四丁ほどです。温泉宿は湯屋(加藤廣吉《かとうひろきち》)藤屋(加藤文左衛門《かとうぶんざえもん》)藤田屋(加藤林平《かとうりんぺい》)上野屋(渡邊定吉《わたなべさだきち》)伊豆屋(八龜藤吉《やかめとうきち》)などで、当今は伊藤周造に天野《あまの》某《なにがし》などいう立派な宿も出来まして、何《いず》れも繁昌いたしますが、文政の頃は藤屋が盛んでしたから、長二と兼松は此の藤屋へ宿を取りました。温泉は川岸から湧出《わきだ》しまして、石垣で積上げてある所を惣湯《そうゆ》と申しますが、追々|開《ひら》けて、当今は河中《かわなか》の湯、河下《かわしも》の湯、儘
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