衞さんがお出《い》でなすったから早くお目にかゝれと申して……また昨日は有難うございます」
幸「どう致して」
やま「あんなにお茶代を頂き済まないと申して、お茶代なぞ頂く了簡ではないと申して」
由「貴方そう思召しますからいけないのです、茶見世を出したら茶代は沢山《たんと》取る方が宜しゅうございます、料理屋なら料理を無闇に売るのが徳で、由兵衞なぞは莨入《たばこいれ》なら少々ぐらい破れて居ても売って仕舞います、それが商売で………これはお隣りの座敷においでの方で」
やま「おや何方様《どなたさま》も……」
女「誠に……おや思いがけない、お前やまじゃアないか」
やま「おやお嬢様……お岩さまがお供でございますか」
由「おや、これは/\御存じで」
やま「御存じだってお少《ちい》さい時分お乳を上げたのでございますもの」
幸「不思議でげすねえ、これはどうも、へえー」
やま「誠に御無沙汰申上げましたが、もう実にお見違い申すようにおなり遊ばして、只今ではお尋ね申すことも出来ませんで……左様で、小石川へ入らしったと承わりました……お岩様誠に貴方いつもお変りもなく」
岩「誠に久しくお目にかゝりませんで、つい/\ねえ貴方|種々《いろ/\》な事があって、申すにも申されぬことがございまして、小石川へお引込《ひっこみ》になって、何も彼《か》も御存じでありましょうが、此の節のお身の上、実においとしい事でございますが、お少さい時分御案内の通り彼《あ》の事が決りませんで、私《わたくし》が只一人でじゃ/\張ってお側にお附き申して居りますから、お心丈夫に入らっしゃいと申して、種々深い理由《わけ》があって今度は当地へ湯治が宜かろうと仰しゃるので、三週間のお暇を頂き、私もお蔭様で保養いたしますが、実にどうもねえ、貴方にお目に懸ろうとは思いませんでした」
やま「お嬉しゅうございますわ、私《わたくし》も此の橋本にお目に懸ったのですが、昔のことを仰しゃると面目次第もない、どうもねえ……娘《これ》が芸妓《げいしゃ》をして、娘は貴方それ七歳《なゝつ》の時に御覧なすった峰と申す娘で、誠にこれが芸妓をして私は誠にもう面目ない葭簀張《よしずっぱり》の茶見世を出して、お茶を売るまでに零落《おちぶ》れました、それから見ればお岩様なぞは此方様《こなたさま》のお側だから何も御不足はないので、まア/\結構でございます」
岩「はい実に苦労しても貴方お屋敷と違ってね、それに殿様があゝ云う訳にお成りなすったから、何うすることも出来ませんで、思いがけないまた外に苦労がございまして」
由「これは妙でげす貴方、此方《こなた》は」
やま「はい此方さまは駿河台のソレ胸突坂に入らっしゃった殿様のお二方目《ふたかため》のお嬢さまでございます」
二十八
幸「どうも思い掛けない、不思議な御縁付で」
やま「御縁付はまだお極りにはなりませんので」
岩「へ、まだ御婚礼は済まないので、誠に生涯お一人で暮したいなぞと心細い事を仰しゃるから、私《わたくし》がお附き申しては居りますが、そんならって御姉妹《ごきょうだい》でありますので、宅《うち》の方の極りが着けば何うでも斯うでも此方様《こなたさま》はお姉《あねえ》さまの事ですから、極りが着こうと思って、只今はお一方《ひとかた》で入らっしゃるので」
由「不思議でげすねえ……だから私《わたくし》が申したので、御様子が違うてえので……お屋敷はやはり駿河台の胸突坂で、旧幕時代二千五百石もお取り遊ばしたのでげす……違いますなア……え、お癪の起し振もどうも違います、二千五百石だけのお癪をお起しなさる……これはどうも」
やま「何しろお嬢様にお目に懸りますのは尽きせぬ御縁と申すもので」
由「ごまをするというので瓜揉を一つ頂戴」
と由兵衞が頻《しき》りに喋って居ると、向うの四畳半の離れに二人連の客、一人は土岐《とき》様の藩中でございまして岡山五長太《おかやまごちょうだ》と云う士族さん、酒の上の悪い人、此の人は三十七八になり未《いま》だ道楽も止まぬと見える。今一人は三十六七で小粋な人でございますなれども、田舎の通り者、桑原|治兵衞《じへえ》と云う渋川の糸商人《いとあきんど》でございますが、折々此の地へ参って遊んでばかり居ります。頻りにポン/\手を敲きますが、余り返辞を致しません。人が出て来ませんのは、沢山奉公人も居りませんから出ないと、癇癪を起して国会の演説が始まった様にピシャ/\手を敲きます。
岡山「誰《たれ》も来ねえのか、これ/\」
男「へえ/\」
と黄色い声で、
男「此方《こちら》様で」
とチョコ/\と来た者は妙な男で、もと東京の向両国《むこうりょうごく》の軍※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]屋《しゃもや》の重吉《じゅうきち》と云う、体躯《なり》の小さい人でございます。身の丈は二尺五寸しかないが、首は大人程ありまして、小さいたって彼《あ》の位小さい人はありますまい。形《なり》に応じて手足の節々も短かい。まるで子供のようであります。反物を一反買いますと、自分の着物に、半纒《はんてん》に、女房の前掛に、子供のちゃん/\が取れるというのでございます、三布蒲団《みのぶとん》を横に着て足の方へあんか[#「あんか」に傍点]を入れて、まだ二寸ばかりたれているというから、余程小さい男であります。割合に肥《ふと》って居て頭が大きいから、駈けると蹌《よろ》けて転覆《ひっくりかえ》る事がありますが、一寸《ちょっと》見ると写し画《え》の口上云い見たいで、なんだか化物屋敷へ出る一ツ目小僧の茶給仕のようでありますが、妙に気が利いて居て、なか/\発明な人であります。
重「へえ、お呼びなすったのは此方《こちら》でげすか」
というを見ると二人は驚きました。
岡山「なんだ化物か、アヽ何んだ」
重「お呼びなすったから参《めえ》りました」
岡山「何んだ、エ何んだ」
重「エヘ、お手が鳴りましたから参《めえ》りました」
岡山「お手が鳴ったって、何んだ、ウン……亭主は居らんか、総体当家ではなんだ僕たちを愚弄して居《お》るな、なんだ胆《きも》を潰す薄暗い処へピョコと出て驚く、真人間をよこせ、五体|不具《かたわ》なる者を挨拶に出すべきものでない、退《さが》って普通《なみ》の人間を出せ、なんだ」
重「へえ五体|不具《ふぐ》、かたわ[#「かたわ」に傍点]と仰しゃるは甚だ失敬で、何処が不具《かたわ》で、足も二本手も二本眼も二つあります」
岡山「それで一つ眼なら全《まる》で化物だ、こんな山の中で猟人《かりゅうど》が居るから追掛けるぞ、そんな姿《なり》でピョコ/\やって来るな、亭主を呼べ」
重「亭主は前橋へ往って居りませんから私《わたくし》が代りに出たので」
岡山「じゃア家内が居るだろう、家内を呼べ……これ先刻《さっき》小峯に口をかけた処が、小峯は病気で出られぬと其の方が申した、其の小峯がどう云う理由《わけ》で向うの座敷へ参って居《お》るか、さアそれを聞こう」
重「えい、病気で居たのでございますが、旧来《ながらく》のお馴染で、お客様へ一寸《ちょっと》御挨拶と云うので参《めえ》ったので」
岡山「なに馴染だと、これ僕等は馴染でないから大病であるか、立聞はせんが誠に静かであれば、馴染の客であれば忽《たちま》ち大病が全快すると申すか、口をかけても偽病《にせやまい》を起して参らぬのは何う云う理由《わけ》か、さアそれを聞こうと云うのだ、来なければ来ないでよい、早く申せば旨くもねえものをこんなに数々とりはせぬぞ、長居をして時間《とき》を費《ついや》し、食いたくもない物を取り、むだな飲食《のみくい》をしたゆえ代は払わんぞ」
二十九
重「誠にどうも仕様がございません、向うは馴染で御挨拶だけで」
岡山「挨拶だけという事があるか……」
桑原「まア/\君、待ちたまえ、僕も度々《たび/\》来ては厄介になるけれども、能く考えて見ろ、此の旦那様を此処へ連れて来て、芸妓《げいしゃ》を呼ばっても来ず、その小峯が向うへ来て此処へ来ねえで見れば、己が呼ぶたんびに祝儀でも遣らぬようで、朋友に対しても外聞の至り赤面の至りじゃアねえか、来《き》ねえば来《き》ねえで宜《よ》いが、どうも此方《こゝ》へは病気で参《めえ》られませんと云うて向うに居るのは奇怪《きっかい》じゃアねえか、どう云う次第であるか、胸を聞こう、向うへ挨拶なら此方《こゝ》へも挨拶だけ来て貰わねえばなんねえ」
重「あれはお母《っか》さんが堅いから出しません」
岡山「愚弄いたすな、来《き》なければ来《こ》んで宜《よ》い、此の方の酒食いたした代価は払わぬから左様心得ろ」
重「それは困ります」
岡山「困るたって、何故べん/\と待たした、来るか/\と思って要らんものまで取った」
重「貴方が召上ったので」
岡山「それは出たから些《ちっ》とは食う、食ったけれども代は払わぬ……」
桑原「いや、それは代は払っても宜《よ》いが、能く積っても見なんし、どう考えてもいやに釣られて、小峯が来るか/\と思って、長い間時間を費し、それ/″\要用《ようよう》のある身の上、どう云う理由《わけ》か我々どもを人力車夫《くるまや》同様に取扱われては迷惑だから、親方を此方《こちら》へ呼ばって貰おう、どれほど此の家に借りでもあるか、芸妓《げいしゃ》に祝儀でも遣らぬ事があるか、どう云う次第か、さアそれを聞こう、呼ばって来い」
重「前橋へ往って居ないと申しますのに」
岡山「前橋へ往った……帰るまで待とう」
重「何時《いつ》帰るかどうも知れません」
岡山「帰るまで泊って居《い》る」
と云いながら突然《いきなり》重吉の頭をポカン。
重「おや何で打《ぶ》つのです」
岡山「打《ぶ》ったがどうした、大きな頭を敲き込んで遣ろうと思って打った」
重「無暗《むやみ》に打って失敬ではございませんか」
岡山「何がどうした、コレなんだ、化物見たいなものを遣《よこ》しやアがって」
と云いながら其処にありましたヌタの皿を把《と》って投《ほう》りましたから、皿小鉢は粉々になりましたが、他に若い衆《しゅ》が居ないから中へ這入る人もない。すると上《あが》り端《はな》に腰を掛けて居たのは、吾妻郡《あがつまごおり》で市城村《いちしろむら》と云う処の、これは筏乗《いかだのり》で市四郎《いちしろう》と云う誠に田舎者で骨太な人でございますが、弱い者は何処までも助けようと云う天稟《うまれつき》の気象で、三《さん》の倉《くら》の産《うまれ》で、今は市城村に世帯《しょたい》を持って筏乗をして母を養う実銘《じつめい》な人。此の人は力がある尤も筏乗は力がなければ材木を取扱いますから出来ません。市四郎は侠客《おとこだて》の気質でございます故見兼ねて中へ飛込み、
市「貴方《あなた》待ってくんなせえ、困った人だ皿を投《ほう》っちゃア困りますよ、弱《よえ》え者|虐《いじ》めして貴方《あんた》困るじゃアねえか、大概《ていげえ》にしてくんなせえ、此家《こゝ》な連藏《れんぞう》さんは居ねえが、内儀《かみさん》は料理して居る、奉公人は少ねえに皿小鉢を打投《ぶっぽう》って毀《こわ》れます、三百や四百で買える物じゃアねえ、大概《てえげえ》にするが宜《よ》い」
岡山「手前《てめえ》何んだ」
市「己《おら》ア此処へ用が有って来合せていたのだ」
岡山「手前《てめえ》仲へ這入るなら僕らの顔を立てるのが仲裁の当前《あたりまえ》だ」
市「お前方の顔を立てゝ上げてえが立てようががんしなえ、相手が悪いならば、あんた方の顔も立てゝ上げやしょうが、弱《よえ》え者いじめをするにも程がある、此様《こん》なかたはナニ子供のような重さんの頭をぶちなぐる事はハアねえだ」
岡山「そんな不具者《かたわもん》の顔を立てんでも宜《よ》い、拙者どもは芸妓《げいしゃ》小峯を呼びに遣わしたる処、病気と欺き参らんのみか、向うへ来て居るのは甚だ奇怪《きっかい》に心得るから申すのだ」
市「それが奇怪だって、そりゃ無理だ、芸妓だっても厭な処《とこ》へは来《き》なえ、貴方《あんた》の方は厭だから来なえのだろう」
岡山「コレ甚だ失敬な事申
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