でに耻をかいて居《い》るぞ、畜生め、此の位の事は当然《あたりまえ》だ……松五郎は居るか」
 と探したが他に人も居りません。
茂「松五郎は居ないか口惜《くやし》い」
 とガタ/\慄《ふる》えながら血だらけの脇差を提げて探りながら、柄杓《ひしゃく》で水を一杯飲みました。

        十八

 茂之助が柄杓で水を飲んで居るうち、夕立も霽《は》れて忽《たちま》ちに雲が切れると、十七日の月影が在々《あり/\》と映《さ》します。
茂「畜生め、能くも己に耻をかゝせやアがったな」
 と髻《たぶさ》を把《と》って引起し、窓から映します月影にて見ると、我が女房おくのでございますから茂之助は恟《びっく》りして、これは己の家《うち》じゃアないか知らんと四辺《あたり》をキョト/\見て死骸へ眼を着けると、おくのが子供を負《おぶ》ったなりに死んで居ります。あゝ、おさだ迄かと思うとペタ/\と臀餅《しりもち》を搗《つ》いて、ただ夢のような心持で、呆然《ぼんやり》として四辺を見まわし、頓《やが》て気が付いたと見えて、
茂「おくの……堪忍してくんねえよ……アヽ何うしてお前は此処へ来た……間違いだよ、お前を殺すのじゃアない、お瀧松五郎の畜生を二人諸共殺そうと思って来たに、何うしてお前此処に居たのか、お前を殺そうと思ったのじゃアない……あゝ済まねえ、腹一杯苦労をさせて、お前を殺して済まねえ、己は罰《ばち》があたって此様《こん》な事になったのだ……あゝお前ばかり殺しやアしねえ……おくの確《しっ》かりして呉れ、おくの/\」
 と呼ぶ声が耳へ這入ったか、我に回《かえ》って片手を漸々《よう/\》出して茂之助の手へ縋《すが》って、
くの「茂之助さん間違いだろうね」
茂「ウーム間違えだ、お瀧を殺そうと思ってお前を殺したのだ、堪忍してくれよ」
くの「はい然《そ》うだろうと思って……知って居りやす、私《わし》はもう迚《とて》も助からぬ、こんな事もあろうかと思ったから、私は此家《こけ》え間違の出来《でか》さねえように頼みに来ただけれども、最早仕様がねえが、おさだが可愛相だよ……お父さんの身を貴方《あんた》、心にかけて大切《でえじ》にしなんしよ」
茂「あゝ己も生きては居ない……堪忍してくれ、あゝ済まねえ事をした」
 と云っている内におくのは絶命《ことき》れましたから、茂之助は只|呆然《ぼんやり》して暫く考えて居ましたが、ふら/\ッと起上《たちあが》って、自分の帯を解いて竈《へっつい》の角《かど》から釜の蓋へ足を掛けて、梁《はり》へ二つ三つ巻きつけ、頸《くび》へかけて向うへポンと飛んで遂《つい》に縊《くび》れて死にました。誠に情ないことで。処へ提灯を点けて松五郎とお瀧は雨も止みましたから帰って来て見ると此の始末。さア何うしたのだろう鮮血淋漓《ちみどりちがい》、一人は吊下《ぶらさが》って居るから驚きまして、隣と云っても遠うございますから駈出して人を聚《あつ》めて来ましたが、此の儘に棄て置く訳にも往《い》きません、此の段を直ぐ訴えて宜かろうと云うので、それから警察署へ訴える事に相成りまして、検死の査官が来られてお調べになりまして、直ぐ奧木佐十郎の処へお呼出しでございます。佐十郎も一通りならん驚きで、布卷吉を連れて飛んで参りまして、段々お調べになって、尚お松五郎夫婦の者を調べると、茂之助が軽躁《かるはずみ》な事を為《し》はしないかと案じて来たから、どうか其様《そん》な事のないようにと存じて頼まれても、一存で挨拶も出来ませんから、夫を福井町へ呼びに往《い》きますると、大雨に雷鳴《かみなり》、是々の間手間を取って帰って見ますると、留守中に斯様な次第と云う。段々調べると、成程店受の処に居りました時間もありますし、江川村から出た時間もありますから全く間違えて女房を殺し、転倒《てんどう》して縊《くび》れて死んだ事であると分ったので事果てましたから、死骸はまず佐十郎方へ引取らせて、野辺送りをいたしました。初めは少しむずかしかったが、松五郎お瀧も別に処分もありませんで、それなりに事済みになりましたが、松五郎お瀧は此の辺の村の者に憎まれて居《い》られませんから、早々|世帯《しょたい》を仕舞って、信州へと云うので旅立ちました。

        十九

 お話二つに分れまして、これは明治七年六月の末のお話でござります。夏になると湯治場が流行《はや》りますが、明治七年あたりは湯治場がまだそろ/\是から流行って来ようと云う端緒《こぐち》でございました。熱海《あたみ》、修善寺《しゅぜんじ》、箱根《はこね》などは古い温泉場でございますが、近年は流行《りゅうこう》いたして、また塩原《しおばら》の温泉が出来、或《あるい》は湯河原《ゆがわら》でございますの、又は上州に名高い草津《くさつ》の温泉などがございます。先達《せんだっ》て私《わたくし》は或るお方のお供をいたして、堀越《ほりこし》團《だん》十|郎《ろう》と二人で草津へ参って、彼《か》の温泉に居りましたが、彼処《あすこ》は山へ登《あが》るので車が利きません。矢張り昔のように開けません、近郷の人が入浴に参りますが、当今は外国人が大分参りまして入浴いたします。温泉場でもやり尽しまして、斯うしたらお客様の御意に入るか、斯う云う風に家を建てようかなどと心配いたして、追々開けて参る様子でございます、其の中《うち》にも丁度近くって伊香保と云う処は宜《よ》い処で、海面から二千五百尺高いと云う、空気は誠によく流通いたして、それから湯が諸病に利くと云う宜しい処で、脚気《かっけ》に宜しく、産前産後血の道に宜しく、子宮病に宜しく、肺病に宜しく、僂麻質斯《りょうまちす》は素《もと》よりの事、これは私《わたくし》が申す訳ではございません、独逸《どいつ》のお医者様が仰しゃったので、日本温泉論にありますそうで、随分大臣方がお出向になります。何う云うものか俚諺《ところことば》に、旅籠屋《はたごや》のことを大屋《おおや》/\と申します。此の大屋の勢いは大したもので、伊香保には結構なのが沢山ございますが、中にも名高いのは木暮金太夫《こぐれきんだゆう》、木暮|武太夫《ぶだゆう》、永井《ながい》喜《き》八|郎《ろう》、木暮八|郎《ろう》と云うのが一等宜いと彼地《あちら》で申します。木暮八郎の三階へ参って居ます客は、霊岸島川口町《れいがんじまかわぐちちょう》で橋本《はしもと》幸《こう》三|郎《ろう》と申して、お邸《やしき》へお出入を致して、昔からお大名の旗下《はたもと》の御用を達《た》したもので、只今でも御用を達す処もござりますが、まア下質《したじち》を取って金貸と云うのだから金満家でございます。お父《とっ》さんは亡《なくな》って、当人は相続人になりました。只《たっ》た一人のお母《っか》さんがありまして、幸三郎に嫁を貰った処が、三年目に肺病に罹《かゝ》りまして、佐藤《さとう》先生と橋本《はしもと》先生にも診《み》て貰ったが、思うようでなく、到頭|死去《みまか》りました。今は独身《ひとりみ》で嫁を探して居《お》る身体、まだ年が三十七と云うので盛んでございまする。箱根へ湯治に行ったが面白くない、今度は伊香保へ行って見よう、一人では淋しい、連れをと云うので、是れは木挽町《こびきちょう》三丁目の岡村由兵衞《おかむらよしべえ》と云う袋物商《ふくろものや》と云うと体《てい》が宜しいが、仲買をしてお出入先から何品《なにしな》をと云うと、直《じき》に宮川《みやがわ》へ駈付けるという幇間《おたいこ》半分で面白い人で、また一人は伴廻《ともまわ》り、これは渋川の車夫で、車に乗って来た処が、正直で能く働き、気の利いた男で、しまいには馴染になって、正直者だから次の間に居れ、帰途《かえり》は又乗ると云う、此方《こちら》も居得《いどく》だから小用《こよう》を達して茶をいれたり何かする。年はまだ二十八だが、車夫には似合わぬ好《よ》い男でございます。今日は昼飯を食ってから少し運動をしようとぶら/\出かけました。

        二十

 只今では彼処《あすこ》は変りまして湯本へ行《ゆ》きます道がつき、あれから二《ふた》ツ嶽《だけ》の方へ参る新道も出来ましたが、其の頃はそう云う処はありませんから、まず伊香保神社へ行《ゆ》くより外に道はございません。石坂を上《あが》って行《ゆ》くと二軒茶屋があります、遠眼鏡が出て居りますが曇ってゝ些《ちっ》とも見えません、却《かえ》って只見る方が見えるくらいで、ほんの景気に並んで居るのでございます。お婆さんが茶を売って居る処へ三人連で浴衣に兵子帯《へこおび》の形姿《なり》で這入ろうとすると、何を思ったか掛茶屋の方を見て、車夫の峯松が石坂をトン/\駈下りました。
幸「おい……峯公何うしたのだ、駈下りたじゃアねえか」
由「其処《そこ》まで来て駈下りましたが、何か忘れ物でもしたのでしょう、貴方がカバンを提げて居らっしゃるとキョト/\して居ます、初めて伊香保へ来たから華族さんや官員さんの奥様や、お嬢さん達の衣装が綺麗で、日に二三度も着替えて御運動だから、彼奴《あいつ》は安物買が勧業場《かんこうば》へ来たようにキョト/\して、危い石坂を駈下りたりなにかするので、今は何で行ったか分りませんが、時々能く物を買って食う男で、随分意地の穢《きたな》い男で」
幸「何しろ何処《どこ》かへ休もうじゃアねえか」
 と傍《かたわら》の茶見世へ這入ると、其処に四十八九になる婦人が居ります。髪は小さい丸髷に結い、姿《なり》も堅い拵《こしら》えで柔和《おとな》しい内儀《かみ》さんでございます、尾張焼の湯呑の怪しいのへ桜を入れて汲んで出す。其のお盆は伊香保で出来ます括盆《くりぼん》で。
女「此方《こちら》へお掛けなさいまし」
幸「好《い》い景色だな、ちょうど今頃は好い景色に向う時だ」
女「はい、御緩《ごゆる》りとお休みなさいまし……おや、貴方《あんた》は橋本の幸《こう》さんじゃアございませんか」
幸「おや、これは御新造《ごしんぞ》さん……何うして貴方《あなた》が此処に」
女「誠にどうもお珍らしいたって久しくお目に懸りませんが、まア御承知の通りお上《かみ》も亡《なく》なりまして、私も此様《こん》な処で、お茶を売るまでに零落《おちぶ》れましたが貴方《あなた》はまア大層お立派におなりなすって、見違いますようで……おや由兵衞さん」
由「これは御新造《ごしんぞ》さん……これはどうも村上の御新造《ごしんぞう》さん、此処でお茶を売って居らっしゃるとは何様《どんな》探報者《たんぽうしゃ》でも気が付きません……どうしてまア」
女「どうもお恥かしくって……実は貴方《あんた》さんも御存じの通り、旦那様も彼《あ》ア云う訳になりましてねえ、仕方なく私ももう段々身体も悪し、微禄《よわり》まして[#「微禄《よわり》まして」は底本では「微碌《よわり》まして」]しまったから、何を内職にするにも身体が本《もと》だから、其様《そんな》にくよ/\せずに湯治に行ったら宜かろうと勧めてくれる者もありまして、此方《こっち》の方に縁の家来筋の者が居りましたから、これへ参って湯治をすると、湯中《ゆあたり》がしてドッと悪くなり、五週間ばかり居るうちにお恥かしいお話でございますが、金を使い果してしまい、何うする事も出来なくなったのを、木暮武太夫と申す大家さまが真実な人で、種々《いろ/\》云ってくれましたから、お前さん此処へ参ると、望月《もちづき》と云う書画なぞの世話をする人が在《あ》って、其の人に道具を東京で買ってもらい、此処へ茶見世を出して居りますのも、大家さん方に願ってお話をして、とうとうまア此の五月の末からこんな事をして居りますが、ほんの湯治かた/″\やって居りますので、初めは間が悪くって知った方に逢いますと顔から火が出るようで、茶を汲んで出す事も出来ませんでしたが漸く此の頃は馴れて参りました……お懐しい東京の方を見ると、思い出して、東京のようすも大層違ったろうと思いますが、浅草の観音様は相変らず彼処《あすこ》にありましょうねえ」
由「えゝ、ありますとも、外《ほか》に地面があ
前へ 次へ
全29ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング