公の方へ郵便を上げよう、え解ったかい、え治平殿、就《つい》ては治平殿貴公へちと予が難儀な事を云い掛けるようじゃがな、此の女が僕の処《とこ》へ縁付いて参る折に千円の持参金を持って参ったから、此の者を実家へ帰す折には、何うしても一旦|廉《かど》なく公然《おもてむき》離縁をするンじゃに依って、此者《これ》が実兄《あに》深川佐賀町の岩延《いわのべ》という者の処《ところ》へ、千円の持参金に箪笥長持衣類手道具|等《とう》残らず附けて帰さなければ成らん、処で今此処に僕は千円の持合せがないし、東京《とうけい》へ帰っても至急才覚も出来んのじゃ、就ては貴公誠に迷惑じゃろうが、其の千円の持参金の処を才覚して、一|時《じ》僕に渡してくれんか」
治「へえ千……これは少し驚きましたな、私が千円なんてえ金を中々持っては居りません、えゝ只今手許には二百金程ありますが、ヘヽ二百金で何うか一つ御内々に願いたいもので」
成「いやさ千円取ったって僕が取切る訳じゃアない、一旦佐賀町の岩延方へ渡し、此者《これ》がまた貴公の処《とこ》へ嫁す時に、其の千円の持参を持って往《ゆ》くのじゃ、些《ちっ》とも出すのじゃアない、詰り貴公の懐へ這入るじゃが、然うせんければ事|穏《おだや》かに治まらん、内分沙汰に致すのだから一旦然うして、直《じき》にまた其の金《きん》を持って貴公の処《とこ》へ嫁せば宜《い》いじゃアないか」
治「へえ……併《しか》し何うも千円と申しては大金で、何《ど》の様に美人だって、千円出して囲いますような贅沢な事は滅多にございませんからな」
成「いや出せんければ宜しい、無理に出して呉れろとは云わん、僕も君の手から只取るのじゃアない、君は此の女子《おなご》を愛して首へ手を掛けて引寄せるくらいに思うて居《お》るから、一旦君が千円出して遣れば、其の金《きん》を附けて実兄の処《とこ》へ帰すて……のうお高、お前も其の金《かね》を持参としてから治平殿の処《とこ》へ行《ゆ》きなさい、然うすれば宜《い》いじゃアないか」
高「はい……じゃア斯うして下さいまし、貴方《あんた》には済みませんが、若《も》し此処で千円出して下されば、仮令《たとえ》兄が千円出さんと申しましても、私は衣類櫛|笄《こうがい》手道具から指輪のような物までも売払い、其の他《た》是まで心掛けて少しは貯えもありますから、貴方お厭でも、マ然うなすって下さいませんか、今になって若し否《いや》だなんと仰しゃいますと私は生きては居《お》られませんから、死にますよ」
成「これは呆れたもんだ……左程まで貴公を想うて」
治「へえ……それでは只今手許にはございませんゆえ、永井喜八郎から用達《ようだ》てゝ貰って参りましょう、毎年《まいねん》参って顔も知って居りますから」
と云捨て立ちにかゝるを引止め、
成「アこれ何処へ往《い》かっしゃる」
治「へえ、鞄を取りに」
成「いや往かんでも宜しい、硯箱もあるから手紙を書きなされ、鞄の中に千円くらい這入って居ろう……いや隠したっていかん」
治「でも懐中に印形がありませんから」
成「なければ喜八郎を此処へ呼びなさい、下婢《おんな》を呼びにやりましょうから、貴公の手で手紙を書きなさい」
と硯箱を突付けられ、
治「へえ、宜しゅうございます」
と治平は手紙を認《したゝ》めて女中に持たして遣りました。
七十二
治平が手紙を書いて女中に持たして遣ると、直ぐに永井喜八郎に預けて置いた千四百円這入りました重たい鞄を女中が提げて参りまして、慄えながら怖々に治平の背後《うしろ》から出すを受取り、中より千円|取纒《とりまと》めて差出し、
治「えゝ仰せに従い千円の処《とこ》は差出しますが、金は慥《たし》かに受取った、女の処は相違なく貴殿方へ嫁にやると云う確《しか》と致した書付を一本戴きませんでは、何分大金でございますから、ヘイ」
成「お前は分らん事を云う人だな、其様《そん》な証書を取って公然《おもてむき》にする気かい、僕も恥じゃから公然には出来ないし、お前も之を公然にすれば何うしたってそれだけの処分につかなければなるまいから、証書も何も要る話じゃアない、どうせ此の女が金を持って貴公の処《とこ》へ嫁《ゆ》くのじゃアないか、強《し》いて分らん事を云えば公然に為《し》ようか」
治「へえ、成程……詰り私の方へ廻って参りますかな……左様なら何卒《どうか》確《しか》とお受取りを願います」
成「金額に違算《いさん》もあるまいがお前受取るが宜《い》い、早く勘定をしなさい、面倒でも十円札だから造作もない、ちょっと勘定を為《し》なさい」
高「はい」
と積上げたる札を数えまして、
高「千円慥かにございます」
成「然《そ》んなら鞄へ入れて置きなさい……永う此処に居て、万一他の者の耳へ這入ってもならんし、此の下女も堅い奴と思ったに、斯う云う不始末に及んだが、此の者の口も確と止めなければ相成らん、何にしても何処《こゝ》[#「何処」はママ]に居ては事面倒だから、至急前橋か高崎まで下《さが》るが、貴公此の女を見捨てずに生涯女房にして遣んなさい……またお前も治平殿方へ嫁付《かたづ》いたら、もう斯様《こん》な浮気を為《し》ちゃアならんぜ、己後《いご》斯う云う事をしたらいかんぞ、治平殿から千金と云う大した金を出して貰った位だから、仮令《たとえ》治平殿の方へ再び返るにもせよ、それ程に思って下さる治平殿に不実があってはならんぜ、此の上は心掛けを正しゅうして、能く女子《おなご》の道を守らんければ済みませんよ」
高「今度は何様《どん》な事がありましても、見捨てられても治平さんの処《とこ》は出ません、私は深川の宅《たく》へ帰れば、直《すぐ》に貴方《あんた》の方へ手紙を出しますから、きっと貰って下さいましよ」
治「深川の何う云うお宅《うち》か、ちょっとお書付を願いたいもので」
高「あの、深川佐賀町二十二番地で岩延|傳衞《つたえ》と申します」
治「へえ」
とすら/\ 書いて[#「すら/\ 書いて」はママ]、
治「確《しか》とです、間違うといけませんよ」
高「お前さんの方でこそ間違うと肯《き》きませんよ」
と是は最う別れだと思うのか、お高は[#「お高は」は底本では「お瀧は」]治平の膝へ手を突いて、もたつきながら涙を拭きます様子を見て、谷澤成瀬も心悪しく思いましたか、苦々しく顔を反向《そむ》けて居りましたが、
成「サ往《い》こうじゃアないか」
と立上る途端にガラリと障子を開けて這入って来ましたのは、例の筏乗市四郎が今年十五歳になる彼《か》の布卷吉を連れて参り、
市「少し此処に待っておいで……はい御免なせえ、少々お待ちなせえましい」
成「何んじゃ其の方は」
市「私《わし》ア市城村の市四郎てえ筏乗でがすが、貴方《あんた》は村上松五郎さんでございますね」
成「え……イヤそれは人違いだ、僕は谷澤成瀬と申すものじゃ、人違いだろう」
市「いやお前さんは元渋川で腕車《くるま》を挽《ひ》いて居なすった峯松さんと云う車夫だアね」
成「なに……これは怪しからん事を云う、失敬な……車夫とは何んだ、苟《いやし》くも官職を帯びて居《お》る者を……大方人違いだろう」
市「人違《ひとちが》えじゃアねえ……此の奥さんみたような人は慥《たし》か旧《もと》猿若町の芸者で小瀧と云って、中頃前橋の藤本へ来て、芸者に出て居た小瀧さんだアね」
高「な何んですと……まア呆れますね、怪しからん人違いで」
市「いや人違えじゃアねえ、見知り人があるだ……さア此方《こちら》へ皆《みん》なお這入んなすって下せえ」
「御免」
と云いながら這入って来ましたのは橋本幸三郎で、お瀧も松五郎も見て恟《びっく》り致し、顔の色を変えました。
七十三
橋本幸三郎の跡から続いて這入って来ましたのは岡村由兵衞と云う、前々《ぜん/″\》橋本の取巻で来ました男で、皆是が見知《みしり》と成って這入って来たのを見ると、お瀧も松五郎も面体《めんてい》土気色に成り、最早|遁《のが》れる路《みち》なく、ぶる/\手先が慄え出しました。
市「さ旦那さま此方《こちら》へお這入んなすって下せえまし」
幸「はい親方|此間《こないだ》ア……やい斯うなったらもうお前方は知らねえと云う訳には往《ゆ》くめえ」
市「どうせ駄目な話だから白状して仕舞った方が宜かろうぜ、もう遁れる路はないから逃途《にげど》はない」
幸「やい盗人《ぬすびと》峯松、其方《そち》は何うも大《ふてえ》え[#「大《ふてえ》え」はママ]奴だなア、七年以前に此の伊香保へ湯治に来た時、渋川の達磨茶屋で、私《わっち》ア江戸ッ子でござえます、江戸のお客を乗せれば此様《こん》な嬉しい事はありませんて……ね此の由さんが鞄を忘れたら態々《わざ/\》持って来て見せやアがったから、私《わし》も正道《しょうとう》の人間だと思って目を掛けて、次の間へ寐《ね》かす位にまで為《し》てやったのに、何んだヤイ悪党、鼻の下へ附髭《つけひげ》か何だか知らねえが生《はや》かして、洋服などを着て東京《とうけい》近い此の伊香保へ来て居るとは、本当に呆れちまったな」
由「これは驚きやしたな……おい/\もういけないよ/\、酷《ひど》いじゃアありませんか、お隣座敷に在《い》らしったお藤さまと、お岩さまてえお附の女中まで引張り出して、私達が先へ四万へ往ってると、後《あと》からお連れ申すって取持がった事を云って、折田の山ン中まで連れ出して、お二人を殺したと思っても、お附のお岩さんは殺されたろうが、お藤さまは神が附いてますよ、谷へ落《おっ》こちたって、ちゃんとお助け申す人があって御無事で在らっしゃるんだ」
市「イヤ何うだ、彼《あ》の時に私《わし》が筏の上荷拵《うわにごしら》えをして居た処へ、山の上から打《ぶ》ち落ちて来た婦人が藤蔓の間へ引懸って髪の毛エ搦《から》み附いて、吊下《ぶらさが》って居た危《あぶね》え処《とこ》を助けて、身内に怪我はねえかと漸々《だん/″\》様子を聞くと、私が元三の倉に居た時分、御領主小栗上野さまのお妾腹《てかけばら》のお嬢さまと分ったので、私も旧弊なア人間だから、まア宜《い》い塩梅に助かったって、婆《ばゞあ》とも相談のう打《ぶ》って、然《そ》うして久留島さんまで送り届けて、直《すぐ》に四万へ追掛《おっか》けて往って掛合をしたが、其の時此の野郎を踏捕《ふんづか》めえれば宜かったアだが……汝《うぬ》此処へ来やアがって何んだえ化けやアがって、官員さまのお姓名《なめえ》を騙《かた》って太《ふて》え野郎だ……これ此処にござる布卷吉さんと云うのは、年イ未だ十五だが、偉《えれ》えお人だ、忘れたか、両人《ふたり》共によく見ろ、此のお子が七歳の時|汝《われ》が前橋の藤本に抱えられて小瀧と云ってる時分、茂之助さんが大金を出して身請えすると、松五郎てえ悪足《わるあし》が有って、拠《よんどこ》ろなく縁を切ったものゝ、あゝ口惜《くちおし》いと男の未練で、お瀧を殺すべえと云って茂之助さんが脇差イ持って往《ゆ》くと、物の間違てえものは情《なさけ》ねえもので、汝を殺すべえと思ったのが、闇の夜とは云いながら、此の布卷吉さんのお母《っか》さんを殺した処から、茂之助さんも顛倒《てんどう》してしまって、あゝ済まねえと思ったか、梁へ紐を下げて首を吊って死ぬくれえ非業な真似エしたのも、皆《みん》な汝から起った事だから、何うかして松五郎お瀧の二人を捜し出し、両親《ふたおや》の仇《あだ》、妹の敵《かたき》を討ちてえと、十三の時から心掛けなすった其の時に、私も入らざる事だが助太刀を為《し》ようと云ったのが縁となって、汝を捜しに来たら、丁度橋本さんにお目に懸ったのだ、サ最う斯うぼく[#「ぼく」に傍点]が割れたら駄目な話だ」
治「へえー実に驚きました、此のお子は茂之助さんの子かい、へえ……道理で此の女は何処かで見たようだと始まりから思ったが、私《わし》も斯う係蹄《わな》に掛るとは知らず、真実私に心があるのかと、男の己惚《うぬぼれ》で手出《てだ》[#ルビの「てだ」はママ]をしたが、お瀧でがんすか、其の時分には眉毛を附けて島
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