田だったが、へえー、何うもずうずうしい奴で……私|彼《あ》の時|貴方《あんた》のお父《とっ》さんに然《そ》う云っただよ、彼の女を持ってゝは駄目だ、夜々《よゝ》斯う云う奴が這入って、斯う云う訳があるって、貴方のお父さんに意見を云っただが、何うも是は、何うも魂消《たまげ》たね、へえー」

        七十四

幸「やいお瀧、汝《てめえ》四万に居やアがった時に何と云った、瀧川左京と云う旗下の嬢《むすめ》でございますが、兄に欺《だま》されてと涙を落《こぼ》したを真《ま》に受けて、私《わし》は五十円と云う金を出し、汝を身請して橋場の別荘へ連れてッて、妾にして置くと、何んだ、しおらしく外へ出たくない、芝居へ往《ゆ》くのは勿体ない、旨い物は喰べませんと云ったのは其の筈だ、汝はお尋ねもので外へ出る事が出来ねえ、日向見《ひなたみ》のお瀧と云う日蔭の身の上とも知らず、欺されて橋場へ置く中《うち》に強盗《おしこみ》に殺されたと思ったら……由さん何うだえ、ずう/\しく此処に居るたア」
由「開化に成っては幽霊が生きて種々《いろ/\》なものに化けるんでげしょう、彼《あ》の時桟橋に血が流れて居ましたから、旦那も私も必然《てっきり》盗賊《どろぼう》に殺されて川ン中へ投《ほう》り込まれたものと思って居ましたが、ずう/\しく大丸髷で此処に居ても最ういけないよ、早く正体|顕《あら》わしておしまい、逃げたって騒いだッて開化の世の中、ビン/\と電信と云う器械がある、恐ろしい鉄砲時世に成ってるのに、昔|流行《はや》ったつゝもたせ[#「つゝもたせ」に傍点]、其様《そん》な事をしても役には立たねえぜ」
市「さアぐず/\したっていけねえ、何うだ、返答しろ、どうせ駄目だから、年齢《とし》の往《い》かねえ布卷吉さんが親の敵を討とうてえが、刃物で斬合うような事ア出来ねえから、尋常に縄に掛って、派出も近《ちか》えから引かれて往《い》くが宜《い》い、然《そ》うして是まで犯した悪事を自訴するが宜いわ、若《も》しじたばたすれば汝《うぬ》腕を引ン捻るぞ」
 と逃げもすれば殴飛《はりとば》す勢いで、市四郎は拳を固めて扣《ひか》えて居ます。松五郎お瀧の両人は多勢に云い捲《まく》られ、何も云わず差俯向《さしうつむ》いて居ました処へ、
山「少々御免下さいまし」
 と這入って来ましたのはお山、年齢《とし》五十五でございますが、昔気質《むかしかたぎ》の武家に生れ、御新造と云われた身の上だけに何処か様子が違います。娘小峰年齢二十五歳で、最う分別も附いて居ります。母と娘は摺寄りまして、
やま「皆さん御免くださいまし」
小峰「お母さん、もっと先へ出てお云いなさいよ」
やま「あい……さ松五郎、此処へ出ろ」
松「ヤお母《っか》アか……これは何うも面目ねえ、何うして此処《こけ》へ来た」
やま「なに……これ人非人《にんぴにん》……その形姿《なり》は何んだ、能くもずう/\しく其様《そん》な真似をして此処へ来て、まだ性懲《しょうこり》もなく悪事をするな……皆さま何ともお恥かしくって申そうようはございませんけれども、此の者はね貴方……少《ちい》さい時分から碌でなしの根性で、放蕩無頼で、何う云う訳か他人《ひと》さまの物を盗み取りましたり、親の物を引浚《ひっさら》って逃げますような悪い癖がございましたから勘当致しましたが、御維新|己来《このかた》汝《そち》の行方ばかり捜して居たが、東京《とうけい》には居らんから、大方函館へでも行ったろうと他人さまが仰しゃったが、三の倉で旦那さまが彼《あ》の騒動の時、汝は賭博打《ばくちうち》と組んでよくも旦那さまへ刃向い立てを為《し》たな、知らないと思って居《い》るか、そればかりじゃアない、今承われば殿さまのお胤《たね》のお藤さまを欺して、汝は折田村で殺そうと掛ったそうだが……まアどうも狗《いぬ》とも畜生とも云いようのない此様《こん》な悪人を……私はマア沢山もない子でございますが、惣領と生れ、跡目に成る奴が此様な恐ろしい根性な奴でございますとは、ハア何たる事の因縁かと存じまして、私は此の娘と二人で、毎度松五郎の事を申しては泣暮して居りますが、此の奴に引替えて此の娘は柔《やさ》しくして、芸者になっても精出して能く稼いで呉れますから、何うやら斯うやら致して居ります」

        七十五

やま「実に何うも松五郎のような不孝不義な奴はございません、お父さまの御命日に、お墓参りでも為《し》た事があるかと、偶《たま》に東京《とうけい》へ出てお寺へ往って、これ/\のもので年頃はこれ/\でございますが、塔婆《とうば》の一本も供《あ》げてお墓参りには参りませんかと、方丈さまや寺男に聞くのも、少しは悪をしながらも、親の有難いも主人の大切な事ぐらいは分りそうなものだと思って居るのに、つい墓参りをした事もない、尤も然《そ》う云う心があれば此様《こん》な悪い事も出来ませんが……どうせ遁《のが》れる道はないから、私は年を老《と》って何うなろうとも、小峰の掛合《かゝりあい》にならんよう立派に名乗り出て、自分だけの罪を被《き》るが宜《い》い……誠に何うも皆様に面目次第もございません」
 と泣き沈むを見て流石《さすが》の悪人松五郎も心に感じ、
松「橋本の旦那え、私《わっち》ア何う云う訳で此様《こん》な悪い事をしたかと思ってね、今夢の寤《さ》めたような心持で……その布卷吉さんは茂之さんの子たア知らねえ、年の往《ゆ》かねえで親の敵を討とうと云う其の孝心を考え、今まで此方《こっち》の作った悪事と不孝を思い合せれば、同じ人間に生れても迷えば此様なにも悪の出来るものかと、我ながら実に先非を悔いて改心致しました、もう何うせ遁れる道もありませんから、斯う云う親孝行な兄《にい》さんの手に掛って死にゃア本望で、昔なら腹ア切る処《とこ》でござえやすが、此の家を血で汚《けが》しちゃア客商売の事ゆえ永井の家に気の毒だから、向山へ引摺ってって思う存分に斬ってしまって下せえ、決して手出しは致しやせん、それとも縄に掛け派出へ引いてって、親の敵を捕まえましたといって処分に附けて下されば、私の罪も消えます、兄さん早く引張って往って、貴方のお手柄になすって下さい……サお瀧、お前《めえ》も此処らが死処《しにどころ》だ、成程考えるとなア茂之さんがお前を殺そうと思って裏口から這入って来た時、お前は己ん処《とけ》へ知せに来ていて、茂之さんのお内儀《かみ》さんが一人で留守居をして居ると、大夕立|大雷鳴《おおがみなり》の真暗《まっくら》の処《とけ》へ這入って、女房|児《こ》を殺した時の心持は何うだったろうと、悪事をする中《うち》にも時々思い出すと、余《あんま》り好《い》い心持じゃアありません……ナアお瀧、手前も時々|魘《うな》された事もあったな、手前も死処だぜ」
瀧「あゝ何うも面目次第もございません……私どもに縄を掛けて、布卷吉さんお前さんの思う存分胸の晴れるようにしてお呉んなさいまし」
松「決して手出しは為《し》ませんから引摺ってって下せえまし」
市「ウン能く覚悟をした、私《わし》ア縛る役じゃアねえけれども、逃げ隠れを為ようたって、捕めえたら動かさねえぞ、お役人の手数《てかず》を掛けるより私が引張って往《ゆ》く、無闇に人を縛っちゃア済まねえから、私が手前《てめえ》を捕めえて往《い》こう」
やま「能く其方《そち》は覚悟をして縄に掛り、名乗り出る心になった、人は心から悪いものではない、一念の迷いから悪い事をすると聞く、何も彼《か》も知って居ながら此様《こん》な事をして…其方は暴れ者《もん》だが、親方さんのような力の強いお方に捕まって逃げ隠れを為ようとして怪我でもするといけないから、尋常に名乗って出ろ」
小峰「本当に憖《なま》じ逃げようなぞとして怪我アしてはいけませんから、おとなしく名乗って出て下さいよ」

        七十六

松「大丈夫だよ、どうせ己は無《ね》え命だ……あゝ是まで母親《おふくろ》には腹一杯《はらいっぺい》痩せる程苦労を掛けて置いたから、手前《てめえ》己の無え後《あと》は二人|前《めえ》の孝行を尽してくれ、あゝ実に面目なくって何も云えません……何卒《どうぞ》直《すぐ》にお引きなすって下せえまし」
 というので、是から市四郎が松五郎の手を捕《と》って二階を下りましたから、永井喜八郎は驚きました。是より引張って往《ゆ》き、派出へ此の旨を届けて申立てますと、警部公が一々お書取りに成り、渋川の警察署へ引かれましたが、桑原治平とお瀧との関係は相対密夫《あいたいまおとこ》でございますから、詐欺|取財《しゅざい》未遂犯と云うので処分は決って居りますが、何分にも謀殺を致した廉《かど》がございますので、松五郎は天命遁れ難く遂に死刑に処せられ、復讐と云う事は尤もない事でございますから、松五郎は此の儘死刑となり、お瀧は悪事を倶《とも》にしただけでございますが、人殺しがございますので重禁錮に処せられて、悪人は悉《こと/″\》く罰せられる事になり、お文は構いなし。跡で只嬉しいのは桑原治平で、千円取られるのを助かったのでございますから、
治「何共《なんとも》お礼の為《し》ようがない」
 と、吝嗇《けち》な人で女の事でなければ銭を使わん人でありますが、其の時は余程嬉しかったと見え、二百円出して、
治「何うか市四郎さん二百円だけで……」
市「いや私《わっち》ア金を取る訳はねえ」
治「それではせめて此のお子に」
市「此のお子にたって、布卷吉さんも此の金を受ける訳はないから、何うしても受けられやせん、松五郎が名乗って出たんで此方《こっち》の恨みは晴れたが、此の母親《おふくろ》さんや妹が可愛そうだから、小峯さんを請出して遣ったら、首を斬られた松五郎へ追善にもなり、母親さんも安心だし、親子のものが助かる訳だから、左様《そう》なすったら何うです」
幸「これは宜うがす、お請出しなさい……峯ちゃんが得心なら、縛られて出たお瀧ね、お瀧より少し器量は少し悪いからお気に入らんか知らんが、小峯を貴方の女房にして遣っては下さいませんか、此の橋本幸三郎がお媒妁《なこうど》を致しましょう」
治「へえ、有難う……お幾歳《いくつ》で」
幸「二十五で」
治「ヘヽヽそれは有難い事で、女が好《よ》くったって悪党は驚きます、生血《いきち》を吸われますからな、何うもそれは有難い事で、幸三郎さん何うか願いたいもので」
 というので、是から橋本幸三郎が媒妁《なこうど》で、小峯を桑原治平方へ世話をする事に決し、前橋竪町へ母お山もろともに縁付きました。此方《こなた》は予《かね》て約束もありますから、橋本幸三郎方へお藤を縁付けたいと云う事で、彼《か》の川口町の橋本幸三郎と云う御用達の家へ縁付けました。此の時の媒妁は桑原治平が宜かろうと云うので桑原治平が媒妁になって、お藤は橋本方へ縁付く事になりました、芽出たく事納まって後、布卷吉は祖父佐十郎を永い間介抱して見送りました後、奧木佐十郎の跡を継ぎまして、桑原治平は生糸《いと》商人だから糸を送り、橋本幸三郎が金を出して呉れましたから、立派に機屋を出して大層栄えました、末お芽出度いお話でございます。又筏乗の市四郎は、只今では長野県へ参りまして、材木屋を致して居《お》ると云うことを、五町田の百姓から私《わたくし》が聞いて参りました、其の儘取纒めた愚作でございますが、此のお話はこれで読切りに相成ります。へい御退屈さま。
[#地から2字上げ](拠酒井昇造速記)



底本:「圓朝全集 巻の三」近代文芸資料複刻叢書、世界文庫
   1963(昭和38)年8月10日発行
底本の親本:「圓朝全集巻の三」春陽堂
   1927(昭和2)年1月28日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号は原則としてそのまま用いました。誤用と思われる箇所も底本の通りとしました。
また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。
底本中ではばらばらに用いられてい
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