の姪筋《めいすじ》に当る者でござるが、不幸にして男縁がなく、許嫁《いいなずけ》見たようなものもありましたが、不縁になったり、其の者が死にましたり、種々《いろ/\》理由《わけ》がありまして、年若の者を女隠居とするも不憫なれども、再縁致す了簡がないと申して独身《ひとり》で居りますが、常々貴方のお噂ばかりで……成程橋本さんは大分|好《い》い男で」
幸「ヘヽヽ恐入ります……」
由「いえ是は旦那さま、橋本さんの男の好いのは東京中の評判で大変なもんでげす、昨晩の段鼻の女などは此の旦那に何《ど》のくらい惚れたか知れません、跡を附けて来るてえ処《とこ》を宜《い》い塩梅に遁《のが》れて来ましたが、へばり附いてゝ弱りましたっけ」
修「幸三郎さんは慥《たし》か霊岸島辺にお在《いで》になって、其の頃はお独身《ひとかた》のよう承わりましたが、只今では御妻君をお迎えになりましたか」
幸「へえ未だ縁なくして独身《どくしん》で居ります」
修「ムヽー……私の姪に当る此のお藤ねえ、日頃貴方の事ばかり誉めて居ますが、少し年は取って居りますけれども、貴方|此娘《これ》を貰ってくれませんか」
幸「ヘヽヽ御冗談ばかり仰しゃって、恐入ります」

        六十六

修「いえ若いのに未《いま》だ男の味知らず、是なりに隠居をさせるのも惜いもので、文明開化の世の中だのに昔気質《むかしかたぎ》に後家を立て通すの、尼に成るのと馬鹿なことを申すから、旧弊な私でさえ開けぬ女だと意見を云うて居る位で、尤も別に支度はない、貧乏士族だから心に任せんが、少しは田地を買って持って居ます」
幸「へえ、然《そ》うなれば私《わたくし》も嬉しゅうございますが、余りお手軽で殿さま御冗談ばかり仰しゃって、私のような町人|風情《ふぜい》へ」
由「旦那ア遠慮をしちゃアいけませんよ、是は自然にちゃんと斯う云う事に出来て居るんでげす……、え、由兵衞申上げますが、これは出雲の神さまが御縁を八重に結んで、伊香保結び四万結びこま結びてえ事になってるんでげすから、是は是非願いましょうじゃアありませんか」
修「今直ぐと云う訳ではない、貴方も旅の事だから何《いず》れ又改めて私《わし》がお話に出るで、是は只ほんの下話《したばなし》だけで」
由「いえ下話より上話《うわばなし》に願いたいもので、是は何うか」
修「然うなれば誠に芽出度い」
 と云われると、お藤は慕う人の事ゆえ真赤になりましてモジ/\為《し》ながら、
藤「私のような不束者を其の様な事を仰しゃって橋本さん…」
 と云う中《うち》に自然と情の深い処が顕《あら》われます。此方《こっち》も貰いたいから話も早くおッ附きました。
修「何れ改めて私《わし》が出る」
 と其の晩は此家《こゝ》へ一泊致し、翌日|一方《かた/\》は足利へ立ちましたが、これも奇縁でございまして、改めて久留島修理殿が東京《とうけい》へ出て参り、橋本幸三郎の母に会って右の縁談を申入れると、
母「それは幸いな事で、何うか願います」
 と幸三郎の母も異議なく承知を致しました。
 さてお話別れまして、伊香保に永井喜八郎と云う大屋がございます、夏季《なつ》は相変らず極《ごく》忙がしい処《とこ》でございます。此方《こっち》の三階はずーッと長く続《つな》[#ルビの「つな」は底本では「つなが」]がって、新座敷が玄関の上の正面に出来て居ますが、普請は中々上等で、永井喜八郎の宅《うち》の湯殿も綺麗で機械にて水を吹出して居ます。入浴した後《あと》で水にかゝり、風を引かんようにまた入浴致します方法を、加賀病院の岡先生が覚えてから湯殿も新しく出来、誠に繁昌な家《うち》でございます。此家《こゝ》の三階の角座敷に来て居りますのは前橋の商人で、桑原治平と云う男で、年齢《とし》四十五に相成り、早く女房に別れ、独身者で、年中|間《ま》さえあれば馴染も有りますから冬でも寒湯治《かんとうじ》と云うて参ります、独身で鞄を提げて参り、暫く保養して、また横浜へ往《ゆ》き、儲かると[#「儲かると」は底本では「儲かるとは」]伊香保へ参り、芸者も買い飽き二階に寝転んで頻《しき》りと新聞を読んで居りますと、ガラ/\と向《むこう》の二階の障子が開きましたから、ふと見ると、年頃廿六七にも成りましょうか色のくっきりと白い、鼻梁《はなすじ》の通りました口元の可愛らしい、目許《めもと》に愛のある、ふさ/\と眉毛の濃い好《よ》い女で、何《いず》れの権妻か奥さんか如何にも品のある方で、日に三度着物を着替るが、浴衣によって上へ引掛《ひっか》ける羽織が違うと云うので、色の黒い下婢《おんな》が一人《いちにん》附いて居ります。年は三十一二で其の下婢が万事|切盛《きりもり》を致して居ります。
治「あゝ好《い》い女だな」
 と治平は起上り、頻りと彼《か》の女の顔を見て居りますと、女の方でもジッと治平の顔を見詰めて傍《かたえ》を振向き、下婢に何かコソ/\話を致して居りますから、治平も何うも見たような女だと思いながら、また見て居りますと、見られると見返すもので、情が通ずるか先方《むこう》でも頻りと治平の顔を見たり何か致して居ります。

        六十七

 湯場の習慣《くせ》で、運動などを致して居《お》る時には知らん人でも挨拶を致します。
治「お早うございます、好《い》いお天気に成りましたが御運動でげすか……」
 なんて瞞《ごま》かし込み、宜《い》い程に挨拶を致し、終《しまい》には何かお遣物《つかいもの》をしよう、何を遣ったら宜かろう、八崎《はっさき》から幸い好《よ》い鮎が来たから贈りたいものだと云うので、是から大皿へ鮎を入れて二十疋ばかり贈りました。すると先方《むこう》の女からお礼が参りました。葡萄酒の瓶を三本に東京から来た菓子折を持って、
下婢「御免下さいまし」
治「これは入らっしゃいまし、さア此方《こちら》へお這入んなさい」
下婢「先程は結構なものを沢山に有難う存じました、誠に大悦びでございまして、大層お珍らしい美事な鮎で、大層子がありまして塩焼にして召上りましたが、お嗜《すき》でございますから三度も続けて召上る位で、誠に大悦びで在《いら》っしゃいました……此品《これ》は誠に詰らんものでございますが、此のお菓子は東京《とうけい》から参りましたから何卒《どうぞ》召上って」
治「いや是は恐れ入りましたな、斯様な何うも頂戴致すような訳なのではありません、多分に何うも…是では却って鰕《えび》で鯛を釣るような訳で、恐れ入りましたな」
下婢「いえ詰らんお菓子で」
治「お茶を一つ」
下婢「有難う存じます……貴方は何んですか久しく此処に湯治をして在っしゃいますか」
治「ヘヽ僕は間《ひま》さえ有れば、近《ちこ》う御座いますから、来たくなるとスイと参ったり、別に用もない時は大概来て居ります」
下婢「だからお馴染が多いので、皆さんとお話をなさる御様子が……併《しか》し永井の家《いえ》は誠に手当が宜うございますね」
治「えゝ中々|好《よ》い家《うち》で、永井一郎という俳諧師で武芸も上手なり、鉄砲も打ったりして有名の人だったが、故人になり、その家内は今の母親《おふくろ》で、今の主人も堅い人でお客を大事に致しますから、此の通り繁昌でげすが、貴方の在っしゃるお二階は結構に出来ましたな」
下婢「本当に当家《こゝ》は客を大切にするが、此の位に致しませんではお客が殖えますまい……貴方はお一方《ひとかた》ですが、御新造をお連れなさいませんのですか」
治「ヘヽヽ私には其様《そん》なものはないので、独身者でございます」
下婢「おや然《そ》うでございますか」
治「ヘー……お宅《うち》は」
下婢「極く野暮な処でございますよ、青山で」
治「へえー東京《とうけい》の青山と申すと四谷の方でございますか」
下婢「四谷とも違いますが、信濃殿町《しなんどのまち》と申しまするので奥さまは未だお若うございますが、御運が悪くって殿さまが御逝去《おかくれ》になりまして、今年で丁度四年の間お一方でいらっしゃいますが、何も御不自由のないお身の上でありますから、お寒い中《うち》は大概熱海の藤屋へ往っていらっしゃいますが、今度は伊香保へ来たいと仰しゃって、箱根へ往らしったり何《なん》かなさいますけれども、箱根のお湯は遊山には宜しゅうございますが、お血の道には当地の方が宜《い》いと云うので、いらっしゃいましたのですよ」
治「へえ、殿様はお逝去に……官員さまで在らっしゃいましたか、何処《どれ》へお勤めなさいましたので」
下婢「何とか云いましたっけえ、お寺見たような名で、アノー元老院とか云う」
治「えゝー成程、左様でございますか、それじゃア上等の官員さまで」
下婢「お実家《さと》はお兄《あにい》さまは銀行の頭取をなすって居らっしゃいますので」
治「銀行、ヘエー前橋にも支店が有りまして御懇意の方もありますが、ヘエー左様でございますか、成程深川でいらっしゃいますかお実家《さと》は」
下婢「あの今晩は月が宜しゅうございますので、裏の方を見ますと流れが見えて、誠に景色が宜しゅうございますから、別段何もございませんが、頂戴の鮎で一口上げたいが、知らない人ばかりでいけないと思ってますと、貴方のお身の上を承わりまするのに、彼《あれ》は前橋の斯う云う身の上のお方だと承知致しまして、彼《あ》のお方なればって、奥さまも御退屈ですから何卒《どうぞ》入らしって下さいまし」
治「それは誠に有難う……ヘエ是非出ます、屹度参ります」
下婢「屹度お待ち申して居ります、左様なら」
 と云い捨てゝ出て往《ゆ》きました。

        六十八

 桑原治平は嬉しいので逆《のぼ》せ上りました。別嬪に一|献《こん》差上げたいから来て下さいと云われたのでありますから、治平は是から急に髪を刈込み、髯《ひげ》を剃り、お湯に這入り、着物を着替え、大装飾《おおめかし》で正面の新座敷へ参り、次の間から、
治「へえ御免下さいまし」
下婢「おや入らっしゃいまし」
女「まア宜く入らっしって下さいました、先程は結構な物を沢山頂戴致しまして、何ともお礼の申上げようがございません」
治「何う致しまして、却って詰らんものを上げ、結構なものを戴きましたから、私《わたくし》は徳を致したような勘定で相済みません」
女「さ、座布団へ」
治「オヤお構いなすってはいけません、私《わたくし》はヘヽ前橋の田舎者《いなかもん》でございますから、東京《とうけい》のお菓子は大層結構で」
女「いえ、何ういたしまして……今日は何もございませんが、当地の名物だと申しますから、瓜揉《うりもみ》と胡麻豆腐だけを取りましたから、さア一口召上って」
 と酌をする。
治「これは恐れ入りましてございます、向山の名物で……先程お女中から種々《いろ/\》お話でございましたが、殿様は飛んだ事でございました」
女「いえ最う過去《すぎさ》りました事で、今はもう諦めて仕舞いました、ト申すと何か不実なようでございますが、去る者日々に疎しとやらで、漸々《よう/\》忘れてしまいましたが、深川の方に少々身寄が有りますので」
治「左様でございますか、併《しか》し未だお若いのにお独身《ひとり》で在《いら》っしゃるのは惜《おし》い事で、まだ殿様は四十代でいらっしゃいましょう……へえ頂戴致します」
女「誠に失敬ですが、何うぞお喫《あが》り下さいまし」
 と献《さ》いつ酬《おさ》えつ酒を飲んで居る中《うち》に、互に酔《えい》が発して参りました。彼《か》の女は目の縁《ふち》をボッと桜色にして、何とも云えない自堕落な姿《なり》に成りましたが、治平はちゃんとして居ります。
女「大層|畏《かしこ》まって在《い》らっしゃいますこと、何卒《どうぞ》お膝をお崩し遊ばして」
治「いえ大層酔いました」
下婢「宜《い》いじゃアありませんか、まア御緩《ごゆっく》りなすっていらっしゃいましよ…奥さん私はお湯に這入るのを忘れましたから、ちょいとお湯に這入って参りますから」
女「じゃア文《ふみ》や這入っておいで、其処に石鹸《しゃぼん》があるから持っておいで、それは私の使いかけで入らぬから」
下婢
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