で非業に殺しましたと、へえー彼奴《あいつ》ア幾人《いくたり》人を殺したか知れねえ」
 と話をして居ますと、唐突《だしぬけ》に隔ての襖をガラリ引開け這入って来たは大きな男で、
男「はい御免なせえ」
幸「はい」
 と何者かと首を擡《あ》げて見ると、筏乗市四郎でございます。

        六十三

 幸三郎も由兵衞も驚きました。
市「えゝ老爺《おじい》さん、お前さんに又此処でお目に懸るてえのは誠に深《ふけ》え御縁かと思ってるのよ……貴方《あんた》は慥《たし》か四万の關善でお目に懸った橋本幸三郎さんてえお方でげしょう、裁判沙汰になって警察へも毎度出ましたが、毎《いつ》もまアお達者で」
幸「これは思い掛けない、親方で、由さんソレ筏乗の市四郎さんだよ」
由「これは何うも御機嫌宜しゅう……先刻《さっき》もちょいとお噂を致しましたが、是れは何うも……今度は首|捻《ねじ》りじゃアないのでしょう」
市「いや貴方《あんた》は由兵衞さんとか仰しゃったね……あの折は永《なげ》え間お目に懸り、また帰り際には飛んだ御馳走になりまして、何んとハアお手当をね沢山に遣ってくれろと云って下すったが、彼《あ》のお藤さまと云う御新造が堅い人だもんだから中々受けませんだったが、彼の後《のち》私《わし》も時々参りますがね、何時でもハア貴方のお噂ばかり致して居りやすだ」
幸「いや何うも誠に思い掛けない事で、そして親方は何方《どちら》へ」
市「なに関宿まで参りやしたが野田の祭を見ようと思って往《い》くと、此の老爺《じい》さんが此の子に意見しているのを私《わし》が隣座敷で聞くと、此の子が、田宮坊太郎の講釈を聞いてから急に敵が討ちたくなったから、お祖父《じい》さん暇《ひま》を取っておくんなせえと云うと、此の老爺《じい》さんが今の世の中には敵討は無《ね》え事だ、其様《そん》な事をすると汝《われ》が御処刑《おしおき》を受ける、駄目だから止せてえと、御処刑を受けても殺されても、己《おら》ア死んだ両親の恨みを晴らさねえば子の道が済まぬと云うのを聞いて、私は隣座敷で胸が一杯になって涙を飜《こぼ》しながら聞いて居やした、それから汽船へ乗ると船で会い、また此処で一緒に成るとは何とまア深《ふけ》え御縁かと思ってるだ、併《しか》し其の相手の村上松五郎てえ奴は、旧《もと》ア侍《さむれえ》だと聞いてるから、此様《こん》な小せえ子に敵の討てる訳もなしするから、若《も》し剣術でも習いてえなら、私の御主人筋の人が剣術が偉《えれ》えから其処《そけ》へ往って稽古をさせてよ、自分で敵を討たねえまでも剣術が習いたくば其の人に頼んで、お前《めえ》の志を話したら、あゝ感心な訳だ、己《おら》ア家《うち》に置いて剣術を教えてくれべえと云って、引取ってやろうと仰しゃるに違《ちげ》えねえから、己《おら》アお前《まえ》を其家《そこ》へお連れ申そうと思って、入らざる事だが、十二や十三で親の敵を討とうてえ心が感心だから、愈々《いよ/\》てえ時にア頼まれやしねえが己《おれ》も助太刀に出て、その松五郎てえ奴の首でも捻ってやろうと思うんだ」
由「ヘエヽ昨日《きのう》野田の太田屋でソレ申し貴方、隣座敷に居たのは老爺《じい》さんと此の子でございますか、それを聞いて此の市四郎さんが御親切な親方ゆえ……首捻《くびねじ》りは恐入りましたが、お力がありますからね、そう云う奴の首は捻《ひね》っても宜《い》いんでげすからね」
幸「へえー成程妙な訳で」
市「私《わし》も是れから帰り掛けにちょっくら顔を出さねえばなんねえが、此の瑞穂野村《みずほのむら》てえ処に万福寺《まんぷくじ》と云うお寺があるんだ、其処にもと九段坂上に居た久留島修理《くるしましゅり》さまてえ方が田地を買って、有福《ゆうふく》に隠居をなすって在《い》らっしゃる。其処にね橋本さん貴方《あんた》が伊香保で世話アして上げたお藤さまが女隠居になって居るだ」
幸「へえー、そりゃア何うも思い掛けない事で……何んでげすか、一時は谷中の団子坂下に入らっしゃる事を聞きましたが、それじゃア此の頃では田舎へ引込《ひきこ》んで入らっしゃるのですか」
市「久留島さまと少々|御縁引《ごえんびき》であるから、己《おら》ア方《ほう》へ来るが宜《え》えと引取られてるんだそうだが、御亭主も妹も去年お死去《なくな》りなすって、久留島さまが引取って、小せえ家《うち》へ這入《へい》り、田地を買って楽にしてお在《いで》なさるが、私《わし》も久留島さまへ出入《では》いるから、彼《あ》れが御縁になって時々お藤さまを訪ねると、先方《むこう》さまでもやれこれ仰しゃって下さるから、私もハア時々機嫌聞きに往《い》くと、種々《いろ/\》結構な物を戴きやすが、其の度《たび》に伊香保で癪を起して種々お世話になったが、彼《あ》の橋本さんの御恩は忘れられねえって貴方《あんた》の事ばかり云ってますぜ……どうせ館林へ出て足利まで往《ゆ》くのなら、瑞穂野へは通り道で遠くもねえから、私と一緒においでなさらねえか」

        六十四

由「へえー何うも是れは思い掛けない事で、矢張《やっぱり》これは御縁があるのでげす、彼《あ》の時から岡惚れをして居たので、いまだに忘れないで居て、貴方が会うとまた尚お惚れますぜ」
幸「止しねえな」
由「親方是非是れはお供を願いたいもので、此の旦那は大変な御親切な方で、彼《あ》の御新造がお癪を起した時などは大骨折りで、御介抱をなすって寝ずに撫《さす》って上げなすった位で」
幸「其様《そん》な事はありゃアしない」
由「なに……此の坊ちゃんの剣術習いや何《なん》かもありますから私共も共々に往って願いましょう」
幸「余計な事を云いなさんな……私《わたくし》も誠に久し振でお目に懸りとう存じますから、何うか御案内を願いたいもので」
市「えゝ参りましょうが今夜は最う遅いから明日《あす》の事に致しましょう」
 と是れから酒を酌交《くみかわ》せ、橋本幸三郎が彼《か》の老人にも御馳走を致し、翌日|腕車《くるま》で瑞穂野村なる万福寺へ参って見ると、樹木繁茂致し、また一面に田畑も見晴しの好《よ》い処で、生垣にてちょっとした門形《もんがた》の処《とこ》を這入りまして、
市「はい御免なさい、御免なせえ、何んとか云ったっけお女中……」
女中「はい……おやおいでなさい……旦那、彼《あ》の筏乗の市さんと云う方が参りましたよ」
修「然《そ》うか……おゝ能く出て来たなア、堅いから時々訪ずれてくれて誠に忝《かたじ》けない……さア此方《こっち》へお出で」
市「これは殿さま、其の後《のち》は誠に御無沙汰を致しやした、ちょいと上らねえばなんねえが、遂々《つい/\》御無沙汰になりまして相済みません」
修「此の間は結構な茸をくれて大層旨かったが、今は初ものだのう」
市「然うかね」
修「今日は何処へ」
市「なに関宿まで参《めえ》りやして、野田へ廻ったり何かして、蒸汽で川俣まで[#「川俣まで」は底本では「川俟まで」]参りまして雨に降られやしたが、でけえ雷鳴《かみなり》で驚きやした、今朝は腕車《くるま》で此処まで参りました」
修「道理で大層早いと思った」
市「えゝ殿さま、今日|私《わし》イ貴方《あんた》に折入って願《ねげ》えがあって参《めえ》りやしたが、貴方何うかお庭で剣術ウ教えて下せえな」
修「何んだえ、唐突《だしぬけ》に剣術を教えてくれてえのは」
市「へえ……お前《めえ》さまマア此方《こっち》へ這入んなせえ……旦那さま此の子でござえますが、まア年齢《としイ》いかねえけれども剣術を習いてえと云うだ」
修「はい/\、さア/\此方《こちら》へお這入り、おゝ大分《だいぶ》人柄な可愛らしい児《こ》だが、今の世の中で武芸を習ったって廃《すた》れもので無駄だが、マア何う云う訳で」
市「何でもハア嗜《すき》で習いてえので」
修「ムヽー……何処の者だえ」
市「おい老爺《おじい》さん此方《こっち》へ這入んなせえ」
老「はい御免下さい、えゝお初にお目に懸ります、手前は足利在江川村と申します処に住み、微かに暮す奧木佐十郎と申す者であります、お見知り置かれまして己後《いご》御別懇に願います…えゝ此の子は私《わたくし》の孫でございますが、武芸を習いたいと云う心掛けで、実は是れまで商家へ奉公させて置きましたが、強《た》って武芸を習いたいと申すので、主人方の暇を取り連れ戻る途中において、不図《ふと》した事にて此の親方にお目に懸りました処、これ/\の殿さまが当時御隠居なすって在《いら》っしゃるから、剣術を教えて下さるように願ってやろう、と此方《こなた》の勧めに任せて御無理を願いに参りましたが、何卒《どうぞ》お手許《てもと》へお置き遊ばして、お役にも立ちますまいが、使い早間にお使い下され、お暇の節には剣術を教えて下さるように願いとう存じます」
修「是れはお前の子か」
佐「いえ孫でございます」
修「左様か、妙だなア剣術を習いたいというのは……老爺《おじい》さんは矢張《やっぱ》り商人かえ」

        六十五

佐「へえ只今では機屋を致して居りますが、前々《ぜん/″\》はヘヽヽ戸田釆女匠《とだうねめのしょう》家来で」
修「あゝ足利の、左様かえ……矢張《やっぱり》武士の家に生れた子供だけあって、剣術を習いたいと云うは妙だな」
市「へえ妙でござえます、尤も是には種々《いろ/\》訳もありますが、パッとなっちゃア此の子の望《のぞみ》も叶わねえ訳でごすから申しませんが、まアお手許へ置いて使って下せえまし、流石《さすが》の私《わし》も魂消《たまげ》て泣《ね》えたねえ」
修「はアー……其方《そなた》が泣いた」
市「へえ、後日《あと》で分りますが、さアと云う訳になって、アヽ然《そ》うかてえば貴方《あんた》も泣かねえばなんねえ」
修「はてね、何う云う理由《わけ》で私《わし》が泣かなければならんか」
市「何う云う訳って……云えばなア老爺《じい》さま……訳は云えねえが置いて下すって無闇に剣術を教えて下せえまし……お前《めえ》も遠慮しちゃア駄目だから、旦那さまのお暇の時には一本|願《ねげ》えますって、宜《い》いか、私《わし》も筏乗で力業《ちからわざ》ア嗜《すき》だから時々来て一緒にやる事もあるから……旦那さま実に此の子ぐれえ感心な者はありませんよ、私イハア胸え一杯《いっぺえ》になりやしたが、貴方《あんた》も屹度泣くよ……それからアノ御隠居さまは相変らず御機嫌宜しゅうござえますかえ」
修「ウン藤か、ハヽヽ藤や、ちょっと此処へおいで、市四郎が来たから」
 と云われてお藤は奥より出て参り、
藤「おやまア能く出ておいでだ、毎度尋ねておくれで誠に有難う」
市「はい御機嫌宜しゅう……何時もお若いね御器量の善《い》いてえものは違ったもんで、今日は貴方《あんた》の大嗜《だいすき》な人を連れて来ましたよ」
藤「妾《わたし》の大嗜な……兼吉《かねきち》という百姓かい」
市「あ、なに……さア貴方《あんた》此方《こっち》へお這入りなせえましよ」
幸「是は何うもお懐かしゅうございます…」
藤「おやまア…何うも……由兵衞さんも」
由「へえ、マ有難い事で、是まで貴方のお噂たら/″\でげすが、斯う云う処にいらっしゃろうとは些《ちっ》とも知りませんで、昨夜《ゆうべ》も今日も先刻《さきほど》までも貴方のお噂が漸々《よう/\》重なって、ポンと衝突《ぶッつ》かって此処でお目にかゝるなんてえのは誠に不思議でげすが、些ともお変りがありませんな」
市「へえ、なに是には種々《いろ/\》深い訳もありますけれども、其様《そん》な事は構わないで……昨日《きのう》図らず一緒になって、貴方《あなた》の話をしたら何うかお目にかゝりたいと仰しゃって、どうせ足利まで往らっしゃるから通り路の事ゆえ、私《わし》が御案内をしてお連れ申して来やした」
藤「さア何卒《どうぞ》此方《こちら》へ……あなた、何時もお話を致しますお方で」
修「ウン、成程伊香保で御懇命《ごこんめい》を蒙《こうむ》った……是は始めて御意得ます、予々《かね/″\》此の者からお噂ばかり聞いて居りますが、此者《これ》は私
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