んから、ガラ/\/\と雷が烈しく鳴って参り、二三ヶ所へ落雷致しましたので立つ事も出来ず、ぐず/\して居ます中《うち》に、午後の四時半時分に成ると、フーと雲が切れましたから幸三郎も由兵衞もホッと息を吐《つ》きました。
幸「是から立つてえのも遅いから今夜は此処へ泊ろうじゃアねえか」
 と皆泊りも多うございますから宿屋でも気を利かして湯を立ってくれました。
由「旦那|私《わたくし》は雷にゃア驚きましたが、お湯へ入《い》れただけは当処《こゝ》も中々気が利いてますね」
幸「ウン此処の家《うち》は宜く手当が行届《ゆきとゞ》くねえ」
由「大届きでげすとも、併《しか》し私《わたくし》は雷は大嫌いだね、甚《ひど》く怖うございました、尤も雷が怖いてえ顔付でもありませんが、今の雷と昨夜《ゆうべ》の段鼻の大年増には実に驚きました、貴方の様子の好《い》い処《とこ》からちょいと横目でキョト/\見たりして、本当に嫌《いや》でございましたな、のべつに喋ってさ」
幸「然《そ》うさ、併し雷と云えば四万で一遍|大雷鳴《おおがみなり》に遭って驚いたっけな」
由「左様さ、宿屋の裏の口へ落た時には驚きましたね」
幸「此の頃では雷避《かみなりよけ》が出来たので安心だが、日光へ往った時に霧降《きりふり》の滝へ往《ゆ》く途中で大雨大雷鳴に出会い、甚く困ったが、あの時を思えば霧降の滝壺まで下りたっけねえ」
由「それは何んですが、伊香保でお癪を起した御新造ね、彼《あ》のくらいまた人柄の善《よ》い御新造も沢山《たんと》はありませんね、お可愛そうに世の中の事を御存じないのだから驚きましたろう、峰松と云う車夫《くるまひき》が騙《だま》して引摺り出して、折田村で正直そうな彼奴《あいつ》がやったてえのでげすが、彼奴が鞄が残ってあったと云い持って来たのが手で、お金は入りません、車に残ったものをお届け申すのは当然《あたりまえ》の事だてえのでげすから、誰《たれ》も一杯喰おうじゃアありませんか、つい正直者と思って次の間へ置きました、どっちりお金の這入って居た大鞄は木暮の方へ預けて置いたから宜うございましたが、然《そ》うでないと何様《どん》な目に遭ったかも知れません、何しろ暇を潰した上に四万では大《おお》御散財でげしたが、關善へ大きな男が談判に来た時にゃア私《わたくし》は本当に怖うございましたよ、首を捻《ねじ》るなんて親切ものだから、烈しく掛合われた時には本当に驚きました」
幸「彼《あ》の時は怖かったな、彼の時に種々《いろ/\》災難の重なったのも詰りお母《っか》さんが止せと仰しゃったのを無理に出たから悪かったが、鈴木屋に働いていた彼のおりゅうには驚いた」
由「えゝ彼奴には喰ったね、ポロ/\涙を零《こぼ》して、えゝ何とか云いましたっけ、私は瀧川左京のお嬢さまでございますって身の上話を並べたから、此方《こっち》もホロリと来て、あゝお気の毒だって、貴方はお慈悲深《なさけぶか》いもんだから五十円で身の代《しろ》をくぎって、東京《とうけい》へ連れて来て権妻になすって、目を掛けておやんなすったが、実に怖いな、漸々《だん/″\》様子を聞けば芝居町の芸者で小瀧と云う奴だそうで」
幸「私《わし》が東京へ連れて来ると芝居を観《み》るのも厭だ、物見遊山は嫌いだ、外へ出るのは厭だと神妙らしく云ってたのは、本当に出嫌いのではなくって、実はお尋ねものゝ日向見《ひなたみ》お瀧と云う奴で、真実|温順《おとな》しいのではない、何処へも出て歩く事が出来ねえんだ」
由「亭主は村上何んとか……ウン松五郎てえ肩書の有る旅稼ぎだそうでげすが、得て湯場などには然う云う奴がありますね」

        六十一

幸「おい/\此処でうっかりお尋ねもんだなんて、彼奴《あいつ》の事ア喋られませんよ」
由「へえ…彼女《きゃつ》もあゝ云う目に遭ったのは罰《ばち》でげすね、だが橋場の御別荘へ押込の這入った時には私は驚いて腰が脱けちまいました、あゝ血が流れて居るのを見たが、実に何うも彼様《あん》な忌《いや》な心持はありませんね、何んとか云うお女中が其方《そっち》から這入っちゃアいけません、此方《こっち》へ往《ゆ》くと其処に泥坊が居りますよと云われた時にゃア私《わっち》アとっちたね、併《しか》しまア彼《あ》の女は天罰で賊に斬殺《きりころ》され、桟橋から投《ほう》り込まれたのでげすが、彼《あれ》も矢張《やっぱり》悪事の罰《ばち》だろうね」
幸「ウン彼奴《きゃつ》も窃盗《ぬすッとう》をする奴だが、お瀧も矢張《やっぱ》りお尋ねものの悪党だから殺されたって却って私《わし》は好《い》い気味ぐらいに思って居《お》るが、彼《あ》のお駒と云う小女は誠に可愛そうな事をしたね」
由「そう/\お母《っか》さんが来ておい/\泣いて居た時には、流石《さすが》の私《わっち》も気の毒に思いましたが、おたきの死骸は未《いま》だに知れませんかえ」
幸「まだ知れねえが、多分海へ流されて、天罰だから何処かの岸へ打揚げられ、烏に喙《つッつ》かれるぐらいの事は何うしたってなければならないよ」
 と話をして居ると、唐突《だしぬけ》に一人の老爺《おやじ》が後《うしろ》の襖を開けて這入って参りまして、
老「はい御免下さい」
由「はい……おや旦那、何処かの老爺《おじい》さんが這入って来ましたよ」
老「はい御免下さい……えゝ只今隣の席で承わりましたが、何かソノ村上松五郎と申すものにお瀧と申す者が盗賊に殺されて、川へ投り込まれ、死骸が知れんとか云う事をちょっと承わりましたが、貴方がたは其の松五郎と申すものゝ行方や何か精《くわ》しく御存じの御様子で」
 と問われて両人は恟《びっく》りして互に顔を見合わせ、小声にて
幸「だから無闇に喋舌《しゃべ》っちゃアいけねえてんだ、掛合《かゝりあい》に成るよ、此の事に付いて一昨年《おとゝし》大変に難儀をした者があるんだよ」
 由兵衞は胸は早鐘、どぎまぎしながら此方《こちら》に向い両手を突き、
由「へえ入らっしゃいまし、私共《わたくしども》は何も知って居《お》る訳じゃアありませんが……ちょいと只今……へえ人の噂を聞きまして、ちょいとおちゃッぴい[#「おちゃッぴい」に傍点]を致しましたので、精しく知ってると云う訳じゃアありません、只人の噂を聞きましただけの事で」
老「それでも何かお瀧と云うものを尊宅《あなた》へお連れ帰りなすって、目を掛けお使いなすった処が、其の者が案外|盗賊《どろぼう》で、これこれいうお尋ね者ゆえ、あゝ云う死様《しによう》をするのも天罰だと仰しゃったが、貴方は何方《どちら》のお方さまか知りませんが、お瀧を奉公人にでもしてお使いなすった事でございましょうが、仰しゃって下さいませんと、私《わたくし》の方に些《ちっ》と困る事がありまするので、何卒《どうぞ》お隠しなさらず仰せ聞けられて下さい」
由「これは驚きましたなア……」
幸「お前は余りペラ/\喋るからいけないんだ、旅だアな、此様《こん》な処で探偵にでも捕まって調べられると日数《ひかず》がかゝるよ、四万でも二週間程余計に逗留したじゃアねえか」
由「へえ……貴方ソノ何んでげすソノ……ヘエ何んで」
幸「何を云ってるんだ」
由「実はソノ何んでげす、此の旦那が彼《あ》のお瀧という女を正直者だと思召して、田舎から東京《とうけい》へ連れて来て、少しばかり雇人《やといにん》のようにしてお使いなすって居らっしゃると、盗賊《とうぞく》が這入りまして斬殺《きりころ》され、未だに死骸が知れませんのでげすが、貴方もお掛合いてえ訳でございますか」
老「いや掛合と云う訳ではございませんが、少し調べんければならぬ事が有ると云うは、其の村上松五郎と申すものゝ事で」
由「へえ/\/\」
老「何卒《どうぞ》細かに仰せ聞けられて下さい、若《も》し隠し立をなさると何処までもお附き申して質《たゞ》さねばならん事があります」
由「へえ、これは恐れ入りましたなア旦那」

        六十二

幸「お前本当に困るじゃねえか、余計な事を云うからいけねえんだ……何卒《どうぞ》御勘弁なすって」
老「いや貴方が何も私《わし》に謝る訳はないが、ちょっとお姓名《なまえ》だけを承わって置きましょうか」
幸「へえ……」
老「いやさ御姓名《ごせいめい》を一寸《ちょっと》認《と》めて置きたいから」
幸「へえ……真平《まっぴら》御免なすって」
老「何も謝る事はありませんよ、御姓名だけを」
幸「へえ、何う云う何ですか掛合なれば仕方もありませんが、私《わたくし》も彼《あれ》を正道《しょうどう》な女と存じまして、お屋敷ものが零落《おちぶ》れて斯様に難儀をして居るとはお気の毒な事だ、あゝ不憫だと思いまして、多分の金子を出して彼の身請を致し、東京へ連帰って私の妾《てかけ》にして、橋場の別荘へ置きました処が、盗賊が這入りまして斬殺《きりころ》され、いまだに死骸が知れませんので、尤も其の筋へお届けには成って居りますが、お再調《さいしら》べに成りましても当人は助かって居りますか助かって居りませんか、其処は分りませんので、へえ」
老「ムヽー貴方は何と云うお姓名《なまえ》だ」
幸「えゝ私は橋本幸三郎と申します」
老「ムー橋本幸三郎」
 と手帳へ認《したゝ》め、
老「お宿所は」
幸「霊岸島河口町四十八番地で」
老「ウン……貴方は」
由「えゝ私《わたくし》……あの、ヘヽヽ私が何もソノ妾《てかけ》にしたと云う訳でも何でもないので、私は只此の旦那の家《うち》へ時々出這入って御用事を伺うだけの事でげすから、ヘヽヽ」
老「いや精《くわ》しい事を御存じだろうから、仰しゃらんなら私《わたくし》と一緒に同道していらっしゃい、御姓名ぐらい伺うのは当然《あたりまえ》の事だ」
由「へえ……えゝ私《わたくし》は木挽町で」
老「木挽町……」
由「三十六番地で、へえ」
老「御姓名《おなまえ》は」
由「岡村由兵衞」
老「お神楽《かぐら》」
由「お神楽じゃアありません、幾らひょっとこ見たような顔でも……岡村由兵衞」
老「ウン……そこで村上松五郎と申すものゝ行方は慥《たしか》に知れませんか、更に心当りもございませんか」
由「へえ、それは素《もと》より知らん奴でございますから」
老「で、そのお瀧と申すものは慥に賊に斬殺《きりころ》され川の中へ陥《はま》りまして、いまだに死骸も知れませんか」
由「へえ死骸も知れないのでございます」
老「愈々《いよ/\》知れませんか」
由「へい知れませんのでございます」
 と云切ると、襖の蔭で何者か知れませんがワーッと声を揚げて泣出しましたから、由兵衞は驚きましたの驚かないなんて顔色を変えて、
由「あゝー誰か泣きました」
 というと、彼《か》の老人は静かに後《うしろ》を顧《みかえ》[#ルビの「みかえ」は底本では「みりかえ」]り、
老「泣くな/\泣いたって致し方がないから此処へ出ろ、泣いたって何うなるものか、見《みっ》ともない、声を出して泣くなんて男らしくもない、何んだ」
由「旦那、まだ誰か居るんで、此の人は年寄だから何んでげすけれども、若い人が出て来ると大きに怖いような訳ですが……誰《たれ》かいらっしゃいますので」
 と云って居る処へ泣きながら出て参りましたのは、今年十三に成りまする布卷吉と云う小僧だから大きに安心を致しました。
由「子供なら安心を致しました……が何ういう訳でお泣きなすった」
老「はい……此者《これ》は私《わたくし》の秘蔵《ひそう》な孫でございますが、松五郎お瀧の行方を探して居《お》る身の上で、此者が両親と申すものは其のお瀧松五郎ゆえに非業な死を遂げましたのは、此者が七歳の折でございますが、何うかして両親の敵を討ちたいと子心にも心掛け、奉公中|暇《いとま》を取って立帰り、其の者を取押えて、手に合わんときにはお上のお手を借りても親の仇《あだ》を討ちたいと心掛けて居ります、処が敵と狙うお瀧めが今お話の通り死骸も知れんように成ったと承わり、残念に存じまして此者が泣きましたので」
由「へえー御両人は野田の太田屋で隣座敷に居たお方でございますね、此のお子のお父《とっ》さんお母《っか》さんま
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