》覚えましたが、重次郎さんの扮装《なり》てえのは恰《まる》で角兵衛獅子でございますね、白の着物に赤い袴で萌黄色《もえぎいろ》のきれの附いている物を頭部《あたま》に冠《かぶ》って、あれで獅子が附いてれば角兵衛獅子だが、彼《あれ》は蛙だから重次郎蛙です、只々重次郎さんの出て来る処が不思議でげすが、彼様《あん》な事は開化の今日《こんにち》は種切れに成りそうなもんだが、代々重次郎さんてえものが出るのが訝《おか》しいね、彼《あれ》で乗り損《そこな》って死んじまうと、ツクの下へ死骸を埋《うめ》るのが法だと云いますが妙でげすねえ」
幸「おい/\汽笛が聞えるようだぜ、汽船《ふね》が来たんじゃアないか」
由「然《そ》うでげすな……おッ旦那月が登《あが》って来ました、好《よ》うがすなア、月の光で川の様子を見ながら参りますと退屈|凌《しの》ぎになりますよ……あ来ました/\お前さん此の鞄を持ってゝ下さい」
下女「笛が聞えたって彼《あれ》でまアだ半道程も先だアから、緩《ゆっ》くり支度をしておいでなせえましよ」
由「でも、ピイー/\と川へ響けて大層聞えますね……何だか私《わっし》ア気が急《せ》きますから、旦那|徐々《そろ/\》支度をなさいな…大きに姉さんお世話さま、お茶代は此処へ置きましたよ」
下女「これは有難うございます、まア御緩《ごゆっ》くりおいでなせえましよ、滅多に汽船《ふね》は来ませんから」
由「来《き》なくっても先へ出て居た方が宜しい、へゝゝゝゝ呑気でございますね」
幸「田舎は是だけが宜《い》いのう」
五十八
由「姉さん桟橋が何処にかありませんかい」
下女「はい、今度出来るてえ事ですが、まだ無《ね》えだから、堤《どて》の草へ掴《つか》まって下りるだアね」
由「草へ掴まって…危《あぶね》えなア、早く桟橋を拵《こせ》えたら宜さそうなものだ……辷《すべ》りゃアしないかい」
下女「大丈夫でござえますよ、慣れてるものは船へ飛込むだが、岸の方は水が来ねえから泥が深くなってますよ」
由「深い……困ったねえ、ずぶりと這入っちゃア大変でげすから、船が来たら板か何か向《むこう》へ渡して貰いましょう」
下女「慣れた人は皆|跨《また》いで船へ打飛《ぶっと》んで這入りますよ」
由「此方《こっち》は慣れねえから打飛べねえよ」
と云って居る中《うち》にシャ/\/\/\と汽船《きせん》が忽《たちま》ちに走って参りました。其の頃には通運丸《つううんまる》と永島丸《ながしままる》とありまして、永島の方は競争して大勉強でございます。
幸「さア/\お前先へ這入んなよ」
由「宜うございますから、荷物は後からとして……上等の方は何方《どっち》だえ、なに此方《こっち》だ、大変だなア……これは危い、ちょいと貴方此の鞄を持ってゝ頂戴……両手でなければ迚《とて》もいけません、ズブ/\と這入っちゃア大変でげすからナ…へえ御免なさい/\……これは/\何うも旦那|御覧《ごろう》じろ、恰《まる》で鮪を転がしたように皆《みん》なゴロ/\寝ていますが、上等の方でさえ是れでげすもの、下等の方はゴタゴタして大変なもんですぜ……此の通り実はすいて居るのだが皆な寝ているので幅を取っちまいますが、仕方もありません、併《しか》しね旦那、此処に包や何か整然《ちゃあん》と掛ける処が出来てるのは流石《さすが》に手当が届いて居ますね……蝙蝠傘などを窃取《どろぼう》されるといかねえから此処へ斯う纒《まと》めて置いて……貴方最う少し其方《そっち》へお寄んなさいな、此処を広くしていましょう……貴方|寝耋《ねぼ》けて居ますか、アハヽヽヽ野田に遊んでたので何んだか百姓ばかり乗ってるような心持が致しますね……おいボーイさん、火を持って来ておくれな……なにマチが這入って居ると、マチはあっても宜《い》いから火を一つ持ってお出《いで》な……淋《さみ》しくっていけねえから……なに夜は火はない、虚言《うそ》ばかり吐いて居る、面倒だもんだから彼様《あん》な事を云ってる」
とマチで火を擦付《すりつ》け、煙草に移し一口吸い、
由「フー……これで何んでげすね、今夜一晩船の中では何うで寝られませんな、東京《とうけい》からスイと来て上州の川俣村まで[#「川俣村まで」は底本では「川俟村まで」]往《い》くにゃア随分退屈は退屈でげすな……おッ是は大変に蚊が居ますね、傍《そば》から/\這入って来ます事、是は恐入りましたなア……永島さん早く船を出す訳には参りませんか」
水夫「荷が悉皆《みんな》這入らねえじゃア出しません」
由「荷てえば大層|転《ころが》ってますね」
と見ますると、傍に居ましたのは年の頃二十七八にも成りましょうか、大丸髷の婦人で、色の黒い処へベルモットでも飲んだような顔付で、鼻が忌《いや》アに段鼻になって、眼の小さな口の大きい方《ほう》で、服装《なり》は木綿縮《もめんちゞみ》の浅黄地に能模様丸紋手《のうもようまるもんて》の単物《ひとえもの》に唐繻子《とうじゅす》の帯を〆《し》め、丸髷には浅黄鹿《あさぎが》の子《こ》の手柄を掛けて居ます、朱縮緬の帯止をこて/\巻付けて、仕入物の蒔絵《まきえ》の櫛に鍍金足《めっきあし》に土佐玉の簪《かんざし》で、何処ともなく厭味の女が、慣れ/\しく、
女「貴方|此方《こちら》へ入らっしゃいまし、御緩《ごゆる》りお坐りなさい」
由「へえ有難うございます、誠にお邪魔さまで」
女「お婆さん其の包みを脊負《しょ》っておいでよ…貴方方は東京《とうけい》でいらっしゃいますか」
由「えゝ東京で」
女「東京のお方と聞くとお懐かしゅうございますこと」
由「貴方も東京でございますか」
女「はい私《わたくし》は足利の方の親類共に厄介に成って居りまして、時々博覧会や何か有りますと東京へ参りますが、上野はまた別でございますね」
由「へえ左様です」
女「今度の博覧会は立派な事でございますね」
由「えゝ盛大な事でございます」
女「大して人が出ますね」
由「えゝ出品|物《もの》も余程多い事でございます」
五十九
女「私もそれから彼方此方《あっちこっち》と見物も致しましたが、私は此の様に肥《ふと》ってますもんですから、股が縮《すく》むようで何だかがっかり致しますので、それから何でございますね、弁天から上野の辺が誠に綺麗に成りましたこと、それに松源《まつげん》鳥八十《とりやそ》などと云う料理茶屋も立派に普請が出来ましたね」
由「えゝ大層……立派に普請が出来ました」
女「それに花火の仕掛ものなどは昔とは全然《すっかり》違ってしまいました」
由「えゝ大した勉強な事で」
女「是までの東京《とうけい》の玉屋鍵屋などで拵える仕掛とは違いまして、ポッポと赤い火や青い火が燃えまして誠に不思議で、あの水の中をチュ/\/\と走って歩くのは彼《あれ》ア何てえのでございましょう」
由「へえ何てえますか私は知りません」
女「貴方は新富町《しんとみちょう》へいらっしゃいましたか」
由「えゝ参りました」
女「大層|巧《よ》く演《いた》しますね、今度の狂言は中々大入で、私が参りましたら一杯で、尤も土曜日でございましたが、ぎっしりでございましたよ」
由「へえ、土曜日曜は大入で」
女「團十郎《なりたや》は何うも巧《うま》いもんでございますね、渋い事をさせては彼《あ》の位の役者はございませんね、他《ほか》の役者とは違いますね、むずかしい事を致しますが、実に巧いもんで」
由「えゝ堀越《ほりこし》は別でございます」
女「それに菊五郎は上手なことで、左團次さんも巧いものですが、菊五郎と左團次と一対揃って巧いものでございますね」
由「へえ彼《あれ》は中々巧いもので」
女「小團次《こだんじ》は大層役者を上げましたね、それに私は福助《しんこま》の人気の有るには本当に驚きましたよ、往来《そと》を福助《ふくすけ》が通ると私共のような者まで駈出して見る気になりますのは別で、また娘なぞに成ると実に綺麗でございますね」
由「えゝ誠に綺麗で……(小さな声で)これは延べつだ」
女「大層綺麗で人気の有ることは別でございますから、何うかして身体を快《よ》くして遣りとう存じまして、私も心配致して居りますが、何う云うものでございましょう、癒《なお》りましょうかね」
由「へえ癒るかも知れません、松本先生などがお骨折ですから癒りましょう」
女「それに家橘《かきつ》が大層渋く成りましたのに、松助《まつすけ》が大層上手に成りましたことね、それに榮之助《えいのすけ》に源之助《げんのすけ》が綺麗でございますね」
由「えゝ彼《あれ》は誠に綺麗な事で……これは堪らん、旦那少し代って下さいまし、私《わたくし》は小便に往《ゆ》きますから」
女「お手水は其方《そちら》じゃアいけません此方《こちら》でございますよ」
由「へえ種々《いろ/\》御親切に有難う存じます」
と由兵衞はこそ/\逃出しました跡で、彼《か》の女は橋本幸三郎に向いまして、
女「貴方も東京のお方で」
幸「へえ」
女「彼《あ》の方と何方《どちら》へいらっしゃいますの」
幸「私《わたくし》は足利まで参りますので」
女「おやまアお嬉しいこと私も足利へ参りますの、私は足利町五丁目の親類共に居りまする吉田屋《よしだや》のふみと云うもので、何うか些《ちっ》とお訪ね下さいまし」
幸「左様でございますか」
女「貴方は足利は何方でございます」
幸「ヘヽヽ極く外れの野暮な処へ参りますが、何《いず》れまたお訪ね申しましょう」
女「何卒《どうぞ》入らしって下さいましよ」
幸「有難うございます」
女「私は五丁目に居りますので、右側の何でございますよ、貴方は」
幸「へい栄町の変な処《とこ》を這入って桐生の方へ参る道でございますよ」
女「へえ左様でございますか」
幸「由さん早く来ておくれよ」
由「まだ話が途切れませんか、是は驚きましたな」
と云って居《お》る中《うち》に船が出ました。また寳珠鼻《ほうしゅばな》へ着くと乗込むものも有り、是から関宿《せきやど》へ着きますと荷物が這入るので余程手間がかゝり、堺へ参りますと此処にて乗替え、栗橋《くりはし》へ参り、旭《ひ》が昇って川に映り、よい景色でございます。栗橋から上州の川俣という処へ船が着きますと、かれこれ十時、宜《い》い塩梅に天気もよく皆々客は上りましたから一同大きに安心致しました。是から幸三郎由兵衞も上ることに成りますと、いゝ塩梅に彼《か》の段鼻の大年増も居なく成ったから、二人はホット息を吐《つ》きました。
六十
由「旦那何うでございました」
幸「何うも本当に驚いちまった」
由「吉川屋《よしかわや》てえ料理屋は此処でげす、昨夜《ゆうべ》彼《あ》の女にのべつに喋《しゃ》[#ルビの「しゃ」はママ]られたので私ア胸が一杯に成りました……さア這入りましょう」
下女「此方《こっち》へお掛けなさいまし……此方へお上りなさいまし」
由「何処か斯う景色の好《い》い、見晴しの有る、風通《かざとお》しの好い、しんとした、乙に賑やかな処《とこ》がありませんか」
幸「そんなむずかしい処《とこ》があるものかアね」
女「此方《こちら》へ入らっしゃいまし」
由「昨夜《ゆうべ》は些《ちっ》とも寝られませんでしたから、此処で昼寝をして顔を洗ってから、何か誂《あつら》い物を致しましょう……姉さん何が出来るかい」
女「鯉こくに玉子焼|鰌《どじょう》でがんす」
由「結構、じゃアその鯉こくに玉子焼でお酒の好いのを、と云った処《ところ》が別に好いのもあるまいが、成たけ気を附けておくれ、兎に角顔を洗って参りましょう」
女「お顔をお洗いなさるなら此方《こっち》へ入らっしゃいまし」
と下婢《おんな》の案内に従って顔を洗って参り、
幸「浴衣が湿《じめ》ついたから」
と着物を着換え、酒も飲み、御飯《ごぜん》も喫《た》べてから昼寝をしようかと思いますと、折悪《おりあしゅ》うドードッと車軸を流すばかりの強雨《おおぶり》と成りましたから立つ事が出来ません、其の中《うち》に彼《あ》の辺は筑波は近し、赤城山《あかぎさん》へも左のみ遠くありませ
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