を打附《ぶッつ》けました、木齋《もくさい》に此の角を円くさせて置いて下さいな」
幸「お前後生だから外へ出て一寸《ちょっと》派出所へ届けるか、其処らに巡査さんが歩いて居たら御出張を願って来てくれねえか」
由「へえ……私《わたくし》は巡査は極《ごく》いけねえんで、へえ何うも私は巡査さんを見ると何となく怖いので」
幸「お前は盗賊《どろぼう》じゃあるめえし」
由「ないが何処ともなく巡査さんは凛々《りゝ》しくって怖味《こわみ》がありますから、私《わたくし》が届けちゃいけますまい、何卒《どうぞ》是は一つお女中に願いましょう」
幸「チョッ……意気地《いくじ》がねえなア」
 と云いながら倉前へ来て見ますと、緋《ひ》の縮緬の扱《しご》きが一本、傍《そば》に浴衣が有りまして、ポタリ/\と血が垂れて居ますを見て由兵衞は慄え上り、
由「あゝ、血が、タ垂れて居ます、南無阿弥陀仏/\血と聞いたらまた腰が脱《ぬけ》ッちまいました」
幸「えゝ、此方《こっち》へ来な」
 と漸々《だん/″\》庭伝いに来て見ますと、庭に櫛だの簪《かんざし》が落ちてあって、向うを見ると桟橋の木戸が開いて居ます。
幸「ムヽ、……此処が開いて居るからにゃア此処からでも這入ったか知ら」
 と呟《つぶや》きながら桟橋へ出て見ますと血が垂れて、其処におりゅうの寝衣《ねまき》浴衣と扱きが落ちてあったのを取上げ透《すか》し見て、
幸「ムヽ、是はおりゅうの寐衣と帯だが……おい由さん、何を為《し》て居るんだ、私《わし》は此処に居るよ」
由「へえ……私《わたくし》はとても其処までは参られませんよ、へえ」
幸「チョッ……困るなア」
 と云ったが浮《うっ》かり倉の方へ這入り、盗賊《どろぼう》に長い刀《もの》を提《ひっさ》げて出られちゃア堪りませんし、由兵衞はぶる/\して役に立ちませんから、幸三郎が自身に駈出して参ると、丁度巡行の査公《さこう》に出会いました。

        五十三

幸「只今|私宅《わたくしかた》へ強盗が押入りまして、家中《うちじゅう》に血が垂れて居りますから、直《すぐ》に御出張を願います」
巡「ウン承知致した」
 と云ったが、一人では万一賊の方が多勢《おおぜい》ではいけませんから派出所へ立帰り、呼子《よびこ》にて同僚を集め、四人ばかりにて其の場へ駈附け、裏口台所口桟橋の出口へ一人《いちにん》ずつ立番をして居り、一人《いちにん》が表口からズーッと這入り、段々取調べると、
幸「今年十六才になりますお駒と云う少女《むすめ》が見えません、尤も同人の寝衣、扱き等《とう》が倉前に落ちて居りますから、賊が倉の中に隠れて居りまするかも知れません」
 と申しますので、是から段々取調べました処何処にも居りませんが、大した品物を盗んで参りました。
巡「大方妾のおりゅうとお駒と申す少女《むすめ》を辱かしめたる上に斬殺《きりころ》し、死骸は河の中へ投《ほう》り込んで、舟で逃げたものだろう」
 と取調べ、探偵は入替《いりかわ》り/\四五名|来《きた》り、名刺《てふだ》を置いて帰りました。是から先ず其の筋へ訴えなければなりませんから大した騒ぎでございます。斯うなっては幸三郎も母に明さん訳には参りませんから、母にも明し、是から番頭を呼んで来まして、隈《くま》なく取調べた上、訴書《うったえしょ》を認《したゝ》めさせました。
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盗難御届《とうなんおんとゞけ》
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[#地から7字上げ]京橋霊岸島川口町四十八番地
[#地から3字上げ]橋本幸三郎
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明治八年九月四日午前一時頃我等別荘浅草区橋場町一丁目十三番地留守居の者共|夫々《それ/″\》取締致し打伏し居り候処河岸船付桟橋より強盗忍び入り候《そろ》ものと相見え裏口より雨戸を押開け面体《めんてい》を匿《かく》し抜刀を携え二|人《にん》とも奥の方へ押入り召使りゅう雇女駒と申す者を切害《せつがい》致し右死体は河中へ投込候ものと相見え今以て行方相知れ不申候《もうさずそろ》又土蔵へ忍入りしや私《わたくし》所持の衣類金銀とも悉《ことごと》く盗取り逃去り候跡へ我等|参合《まいりあわ》せきよと申す下婢《かひ》に相尋ね候処驚怖の余り己《おのれ》の部屋に匿れ潜み居《おり》候えば賊の申候言葉|並《ならび》に孰《いずれ》へ逃去候|哉《や》慥《しか》と不相分《あいわからず》由|申出候《もうしいでそろ》然《しか》るに一応家内取調申候処|庭前《ていぜん》所々《しょ/\》に鮮血の点滴|有之《これあり》殊に駒の緋絹縮《ひぎぬちゞみ》下〆帯《したじめおび》りゅうの単物《ひとえもの》血に染み居候まゝ打棄《うちすて》有之候間此段御訴申上候
 右盗取られ候金高品数|左《さ》之通りに御座候
一金二千円 内訳金千円十円札、金千円五円札○一金三百円内訳金百円二円札、金二百円一円札○一金側時計一個|但《たゞし》金鎖附此代金二百円○一同一個但銀鎖附此代金百円○一掛時計二個此代金五十円○一衣類二十七品此代金五百円○一|玉《ぎょく》置物一個此代金二百円○一|古銅《こどう》花瓶一個此代金百五十円、合計金高三千五百円也
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 さて右の書面を以て其の筋へ訴えましたゆえ、探偵の方が段々調べました処、後に致ってお駒の死骸が中洲《なかず》に掛って居て是が揚りました。尚厳重に調べに成りましたが、何うしても盗賊の行方が分りません。此の後明治十一年七月十日、千葉県下|下総国《しもふさのくに》野田宿《のだのしゅく》なる太田屋《おおたや》という宿屋へ泊り合せて、図らずも橋本幸三郎が奧木佐十郎と云う前申上げました足利江川村の機織屋《はたや》が、孫の布卷吉を連れて亀甲万《きっこうまん》という醤油問屋《しょうゆどいや》へ参るに出会い、敵《かたき》の手掛りを得《う》ると云うお話でございます。

        五十四

 明治十一年七月十日野田に祇園会《ぎおんえ》と云う事がございますが、豪商の居ます処ゆえ御祭礼は中々立派に出来ます。両側へずーっと地口行灯《じぐちあんどう》を掲《かゝ》げ、絹張に致して、良い画工《えかき》に種々《さま/″\》の絵を描《か》かせ、上には花傘を附けまして両側へ数十本|立列《たちつら》ね、造り花や飾物が出来ます。水菓子屋或は飴菓子団子氷水を商う店が所々《しょ/\》に出まして、中々賑やかな事でございます。近郷のものが皆参詣に出ます。鎮守は愛宕《あたご》でございます。彼地《あちら》へ往らっしったお方は御案内でいらっしゃいますが、社殿は槻《けやき》の総彫《そうぼり》で、花鳥雲竜《かちょううんりょう》が彫って極《ごく》名作でございます。是は先代の茂木佐平治《もぎさへいじ》氏《し》が建立致したのでございます。境内には松杉|銀杏《いちょう》の大樹が繁茂して余程広うございます(寳暦《ほうれき》の年号が彫ってあります)牝狗《あまいぬ》牡狗《こまいぬ》の小さいのが左右にあり、碑が立って居て、之に慥《たし》か鐵翁《てつおう》の句がございまして、句「三光《さんこう》の他は桜の花あかり」句「声かぎり啼け杜鵑《ほとゝぎす》神の森」これは先代茂木佐平治の句で、他に眞顏《まがお》の碑が建って居ります「あらそはぬ風の柳の糸にこそ堪忍袋縫ふべかりけれ」という狂歌が彫ってあります。大門《だいもん》を出ると、角に尾張屋《おわりや》と云う三階の料理茶屋があります。日の暮から村の若い衆《しゅ》や女中がぞめき半分で見物に出掛けますが、妙な扮装《なり》で若い衆は頬冠りを致しますが、全体頬冠りは顔を隠そう為に深く致しますが、彼地《あちら》の若い衆は顔を出して皆|後方《うしろ》へ冠ります、成《なる》たけ顔を見せるように致しますから、髷の先と月代《さかやき》とが出て居ります。手織の糸織縮《いとおりちゞみ》を広袖にして紫縮緬呉羅《むらさきちりめんごろう》の袖口が附いて居ます、男子《おとこ》の着物には可笑しいようで、ずいと前を広げても白縮緬か緋縮緬の褌《ふんどし》をしめるのではありません、矢張|晒木綿《さらしもめん》の褌で、表附ののめり[#「のめり」に傍点]の下駄を履《は》いて団扇を持って出ますが、女も其の通り華美《はで》な扮装《なり》を為《し》て出ます。矢張女も手拭を冠って居ります。彼地《あちら》では女が、誠に済みませんが手拭も冠りませんで御挨拶を致します、と云う処を見れば手拭を冠るのが礼になって居る事と見えます。実に非常の群集で、其処にツクノリ[#「ツクノリ」に傍点]と云う事があります、何う云う事かと聞きましたら、是は蟇目《ひきめ》の法だと云う。宵《よい》から夜中に掛けてツク[#「ツク」に傍点]を乗りますが、是は不思議なもので、代々近村の重次郎《じゅうじろう》と云う人がツク乗りを致します、其の扮装《なり》が誠に可笑しゅうございます。白木綿の着物を着て、茜木綿《あかねもめん》のたッつけ[#「たッつけ」に傍点]を穿《は》き、蝦蟇《がま》の形をいたして居《お》るものを頭に冠り、裳《すそ》の処に萌黄木綿《もえぎもめん》のきれが附いて居ますから、角兵衛獅子形《かくべえじしがたち》で、此の者を、町内の寄合場所へ村の世話人が附いて招待《しょうだい》致し、屏風を立廻し馳走を致して居ます。年番《ねんばん》に当った家《うち》の前にツク[#「ツク」に傍点]と云うものを建てますが、丸太で長さ十二間もありまして白布で巻き、上に醤油樽が白木綿で包んで乗せてあります。それを綱で張ってありますが、若《も》し乗損《のりそくな》って落ちて死んだ時には、ツクの下へ其の死骸を埋《うめ》るのが彼《か》の祭の法だと云いますが、危険《けんのん》な業《わざ》であります。なれども慣れて上手なものでございます。下に囃子《はやし》を為《し》て居ます。弥々《いよ/\》重次郎さんが来る時には早めて囃子を致します。笛が二管、〆太皷が二挺ある切りで囃子が極って居ます、テレツク/\スッテンテン、テレツク/\スッテンテンと叩きます。重次郎さんを送って参ります時の囃子が可笑しゅうございます、唄のような節を附けて「ツークの重次郎どんがツークへ登ってヤレエーヘンヨ、テレツク/\スッテンテン」他に何も文句は云いません。処の風と云うものは妙なもので、充溢《いっぱい》の人立ちでございます。太田屋という旅宿《やどや》がございまして、其の家に泊って居りますのは橋本幸三郎に岡村由兵衞でございます。

        五十五

幸「おい何うだえ此処の祭てえのは」
由「何うも驚きやした、是は何うも実に驚きました、是程の騒ぎじゃアないと思いましたが、狭い処にしちゃア珍らしゅうございますね」
幸「僅か離れた所でも大層風俗の変ったものだね」
由「変ったって何だって何うも大変り、女が皆《み》な粉《こ》の吹いたように白粉《おしろい》を付けて、黒い足へ紺天《こんてん》の亜米利加の怪しい鼻緒のすがったのを突掛《つッか》けて何処から出て来るんだか宜《い》いね、唐縮緬《とうちりめん》の蹴出《けだし》をしめて、何うしても緋縮緬と見えない、土器色《かわらけいろ》になった、お祖母《ばあ》さんの時代に買ったのを取出してチョク/\しめるんでしょう、実に面白うげす……此の家《うち》の※[#「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2−92−68]《あん》ころ餅が旨いから私《わたくし》は七つ食べましたら少し溜飲《りゅういん》に障《こた》えました」
幸「手塚屋は古河の在手塚村の者が出て売始め、今では上等の菓子屋に成ったてえが、今お前に御馳走だと云うのは、亀甲万の醤油蔵は何うだえ」
由「何うも大きなもんですねえ、一年に何の位造るんでしょう」
幸「大して造るてえ事だ、何でも一ヶ年に並亀甲万が七万樽以上に、上等のが七万樽で、両方で合計十四五万樽も出るてえことだなア」
由「へえ沢山の桶が並んで居ましたが、醤油蔵が二十三間あって此方《こっち》が十八間あるてえましたね」
幸「桶の高さが七尺五寸から八尺ぐらいで、彼《あ》の中へ落ちて死んだものがあると云うが、あの石を附けて絞る様子などは大したものだね」
由「へえ何うも実に驚
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