へ来て車夫になって、東京の客を当込んで、車引《くるまひき》の峯松と是まで化けて居るのも、実は手前に逢いたいばっかりで彼方此方《あちこち》とまごついて居たが、碌な仕事もする訳じゃアねえ、と思ううちに宜《い》い塩梅に今度霊岸島川口町の御用達だてえ橋本と云う野郎を乗せた処が、己を正直者だとか律義者だとか惚込んで次の間へ置くばかりに、すっかり彼奴《あいつ》の腹へ這入っちまったからたんまり[#「たんまり」に傍点]した仕事が出来ようかと思って居ると、隣室《となり》に居た女が其奴《そいつ》に岡惚をした様子だから、些《ちっ》とばかり好《い》い仕事を為《し》ようと思うと、こいつア失策《どじ》をくんだが、伊香保へ残した荷物を取りに往《い》く証拠の手紙が有るから、是れを持って往けば先方《むこう》でも雑物《ぞうもつ》を渡すに違《ちげ》えねえと思うんだ、少しばかりの仕事だけれども、これを纒《まと》めてドロンと決めようと思うんだが、往掛《いきが》けの駄賃に幸三郎が金を持って居るから跡を躡《つ》けて此処まで来たが、首尾好く座敷へ忍び込んだが、枕元に鞄がねえから其処に有合せた煙草入や時計を引《ひ》っ浚《さら》って表へ出ようとする途端に、手前に出会《でっくわ》したのよ」
りゅう「私も宇都宮で少し失策《どじ》を組んだから此方《こっち》へ来たんだがね、此の鈴木屋へ身を落着け、色気の客があったらと思う処へ泊った奴はお前の話の幸三郎、此奴《こいつ》を欺《だま》して旗下のお嬢様だと出鱈目な言《こと》を云って隠れて居るのさ、始めて橋本に逢ったのに舌の長いことを云うから、生空《なまぞら》ア遣《つか》って泣いて見せてとう/\……關善には内証だよ、鈴木屋さんに知れても悪いから黙ってゝおくれよと尽底《すっかり》騙《だま》して口留《くちどめ》を為《し》たが、夜半《よなか》に最う一遍|根締《ねじめ》を見ようと思って往ったのだが、ちょうど宜《い》い処で出会ったね、実はね關善か鈴木屋か二人の中《うち》誰でも宜いから金を受取り、私の身を渡したと云う請判《うけはん》が有れば宜いんだがね……三文判でも構やアしないが、男の手でなければいけないの、おりゅうの身の上に付いて……マお聞きよ、今私はおりゅうと云う名前になって居るんだよ、金子《かね》五十両|慥《たし》かに、受取り、おりゅうの身の上を宜しくお引渡し申しますって、お前は其様《そん》な事を拵《こしら》えるのは上手だから、本当らしく巧く書付を拵え、金子《かね》で先方《むこう》へ妾にでも往《い》く積りにして、宜いかえ、兎も角もそうしておくれよ、お互に別れ/\になっても隠れ場所があれば、時々出て逢えるような事がなくっちゃア私も苦労をする甲斐がないよ、私だって身を切られるほど厭だけれども、表向き明るい処をのそ/\歩かれる身の上じゃないから」
松「ウン斯様《こん》な書付じゃア何うだえ」
 と硯箱を借りましたが、松五郎はもと旗下の用人の忰で、少しく書付が堅ましく出来ました処へ有合わした三文判を押して、おりゅうの名前の下には爪印を捺《お》し、これを懐に入れて橋本幸三郎より五十両の金を取り、松五郎を越後の浅貝《あさがい》の間道《ぬけみち》を逃がそうと云う企《たくみ》でございます。此方《こちら》では夜が明けると大騒ぎでございます。
幸「枕元に置いた金側の時計と煙草入がない……」
由「私《わし》の烟草入もない」
 と是から關善を呼んで派出所へ訴えに成りましたから、早速警察官が御出張に相成り、段々取調べましたが、少しも当りが附かない、随分湯場は稼ぎ賊が多いものでございます。

        四十八

 翌朝《あけ》に成ると皆々打寄り届書《とゞけがき》を書いたり、是から原町《はらまち》の警察署へ訴える手続が宜かろうかなどとゴタ/″\致して居りまする処へ這入って来ましたのは、年頃三十八九に成る色の浅黒いでっぷりとした丈《せい》の高い大きな男でございます。長四畳の方の襖を開けまして、
男「はい御免なさい……」
由「はい、お出でなさい何方《どなた》です」
男「はい、え、二三日前から伊香保の……ナニ彼《あ》の伊香保の木暮八郎ン処《とっ》から此方《こちら》へ湯治にお入《い》でなさった橋本幸三郎さんてエのは貴方でございますか」
幸「はい、橋本幸三郎は手前《てまい》でございますが、何方でげすか」
男「私《わし》ア市城村の市四郎という筏乗ですが、お初にお目にかゝります、少しお訊ね申してえ事が有って出やした、え此処で直《すぐ》にお話をしても宜うがすかな」
幸「はい、左様《そう》でございますか……只今|種々《いろ/\》取込が有りまして、是から少々山の派出所まで参らんければならんでげすが何御用でげす」
市「なに別の事でも御座えませんが、貴方が伊香保から此方《こっち》へおいでなすった供に峯松てえ車夫《くるまひき》が有りやすか」
幸「はい峯松と申すものはございますが、伊香保へ残して私共は此方《こっち》へ参りましたが、何か御用でげすか」
市「その峯松を隠さずに此処へ出してお貰え申してえ」
幸「左様《さよう》でございます、何う云うなんでげすか……おい由さん引込《ひっこ》んでちゃいけねえよ、此処へ来て掛合っておくれなお前」
 といわれて由兵衞が其処へ出て参り
由「へえおいでなさいまし」
市「お前は何んだ」
由「へえ手前《てまい》は此の旦那のお供をして参りました由兵衞と申すものでございますが、貴方は何んの御用で入らっしゃいました、峯松と申す車夫《くるまひき》は伊香保へ残して置き、旦那と私だけ先へ此方《こっち》へ参りまして、二週間ばかり見物かた/″\湯治に参ったのでげすが、へえ」
市「其様《そん》な事は何うでも宜《い》いから、早く其の峯松てえ奴を此処へ出してくれ」
由「へえ…早く此処へ出せと仰しゃっても只今|申上《もうしあげ》る通り当人が居りませんので」
市「居ねえたって貴下方《あなたがた》の供だから出さねばなんねえ訳じゃアねえか」
由「何んでげす、何う云う訳なんですか存じませんが、居らんものを出せと仰しゃっちゃ困ります」
市「その野郎を此処へ出しておくんなさらなけりゃア、私《わし》イハア、お前さんがたをたゞア置かねえぞ、首でも引ん捻《ねじ》って押《おさ》めえて、本当に原町の警察署へしょぴいてッて、私イハア屹度それだけの処分《さばき》を附けねばなんねえ」
由「驚きやしたな、無闇に首を捻るなどと仰しゃっても、私共《わたくしども》は生きて居る人間だから、捻るたって黙って貴方に首を捻られるものでも有りませんが、タヾ峯松は居ねえが此処へ出せと無闇に御立腹に成って仰しゃっては分りませんので、へえ」
市「分らねえ事はねえ、其方《そっち》に悪い廉《かど》が有るから参ったゞ、人を殺して物を奪《と》る奴ア盗賊《どろぼう》に違《ちが》えねえから、警察署へしょぴいて往《い》くのに何も不思議はねえ、当然《あたりめえ》の話しだ」
由「へえー、彼奴《あいつ》が人を殺しましたか」
市「ムムーしらばっくれるな野郎、汝《うぬ》らも峯松の同類に違《ちげ》えねえ、伊香保の木暮八郎ン処《とこ》にお前方《めえがた》逗留して居る時分、己《おら》ア知んねえけれども、何だか御用達の旦那さまだとか金持だとかなま虚言《ぞら》を吐《つ》いて、漸々《だん/″\》隣座敷の者と親しく成った其の上で、巧《うま》く欺《だま》してよ、此様《こん》な山ン中へ連れ出して来て刃物三昧を為《し》やアがって、女を斬殺《きりころ》して、その死骸を河ん中へ打込《ぶちこ》んで、えれエ奴だ、汝《われ》が言附けてさせたに違《ちげ》えねえ、二人ながら同類だろう、己ア逃《にが》さねえぞ」
 と掴《つか》みつきそうな勢《いきおい》で有りますから。

        四十九

 由兵衞は市四郎をなだめまして、
由「マヽ静かにして下さいまし、私共を同類だの盗賊《どろぼう》だのと仰しゃっちゃア困りますが、何う云う訳でげす」
市「私《わし》ア筏乗ゆえ上仕事《うわしごと》に時々参るんだ、すると、昨夜《ゆうべ》山田川の崖の藤蔓へ引懸ってキイ/\泣《ね》えてる女が有るだから、私も驚いて漸《ようや》く助け、段々様子を聞くと、その女の云うには、伊香保の木暮八郎方に逗留している中《うち》に、隣座敷に居た橋本幸三郎さんてえ人が、此方《こっち》の温泉《ゆ》は利《きゝ》が宜《い》い、案内しようといわれて、跡から供の峯松と云う奴の車に乗って参る途《みち》で、その峯松てえ奴が刃物三昧をして供の下婢《おんな》は斬殺《きりころ》され、私は逃げようとして足を蹈みはずして崖から下へ落ちましたが、幸いにして藤蔓へ引懸って危《あやう》い命を助かりましたが、アヽー口惜しい、欺《だま》されたって泣いてるだ、湯場稼ぎの有る事は聞いてるが、貴方《あんた》の供の為《し》た事だから、仮令《たとえ》貴方らは手を下《おろ》して殺さねえでも、大概同類に違《ちげ》えねえ事は分るだ、御領主様と縁繋がりの御内室《ごしんぞう》さまだし、お前方も掛り合《えゝ》だから私《わし》と一緒に警察まで往《い》きなせえ」
由「何う致しまして私共《わたくしども》は決して同類などではございません」
市「いや同類でねえたって掛り合いだ」
由「これは驚きましたな」
幸「是は何うも思い掛けねえ事で、あの車夫《しゃふ》の峯松と云うものは私《わたくし》の供じゃア有りません、雇人《やといにん》でもないので、実は渋川の達磨茶屋で私共《わたくしども》が昼食《ちゅうじき》を致して居りますと、車夫が多勢《おおぜい》来て供を為《し》ようと勧めました其の中《うち》で、江戸ッ子で気の利いた様子の好《い》い奴だと思いましたから、彼《あれ》を雇って来ますと、至って正直者のように思いましたから目を掛けて遣りましたが、そんなら彼奴《あいつ》がお藤さまを連れ出して無慙《むざん》にも殺しましたかえ」
市「殺したって殺さねえってとぼけてもいかねえ、さア警察署へ一緒に往《い》きなせえ」
幸「まア/\静かにして下さいまし、私《わたくし》も籍のないもんじゃアありませんから、決して逃げ隠れは致しません、私は全く橋本幸三郎と申して少々ばかり御用を達《た》す身の上でございまして…この岡村由兵衞と申すものは奉公人てえ訳ではない、日頃宅へ出入りを致すもので、木挽町に居ります何も胡乱《うろん》の者では有りません、全く私が連れて参った供でないと云う証拠の有るのは、伊香保の木暮八郎方でお聞きなすっても、渋川の達磨茶屋で聞きましても分りますが、私共へ縄を掛けて引くと仰しゃるのは誠に迷惑致しますが、其の代り出る所へ出て申訳は致しましょう」
市「さア早く出る所へ出なさい」
幸「それではお藤さまには誠にお気の毒でげしたが、何《なん》にしてもお怪我は有りませんでしたか」
市「怪我はないだってよ、藤蔓の間へぶら下って居たから宜《い》いようなものゝ、下へ落れば巨《おお》きな岩が幾つも有るから身体は微塵に打《ぶ》っ砕けるだが、幸い私《わし》が下に居たから助けて上げたけれども、二人の車夫は人を殺し鞄と荷物を引っ浚《さら》って何処かへ逃げやがったのだ」
幸「へえ、成程、私《わたし》の方でも昨夜賊難に遇《あ》いまして、是から其の届けを致そうと存じ、騒ぎをやってるのでげすが、兎に角斯う致しましょう、ねえ由さん、此処から使《つかい》を遣って伊香保の木暮八郎の手代と渋川の達磨茶屋の主人を呼びましょう、幾ら金がかゝっても仕方がないから」
由「然《そ》うでございますとも」
 と直《すぐ》に手紙を認《したゝ》め、早速来てくれるようにと申して遣ると、木暮八郎方の番頭も参り、達磨茶屋の亭主も来ましたから、打連れ立って原町の警察署へ参りまして、段々調べになりますと、全く車夫の峯松と杢八という渋川から従《つ》いて参った処の悪車夫二人にて人を殺し、鞄と荷物を引っ浚って逃げたに相違ない事が判然いたしました。されども其の者|等《ら》の行方は未だ知れませんが、全く知らん車夫ゆえ橋本幸三郎は宜《い》い塩梅に身遁《みのが》れは出来ましたが、是がために二週間ばかりと云うもの
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