此処へ来い、御膳を食べさせると云うと整然《ちゃん》とお膳が出て居るので、御心配ない……此方《こっち》も感じてホロリと来ますねえ」
女「有難うございます、私《わたくし》は夢のような心持で」
由「旦那……お手水《ちょうず》ですか、直《じ》き突当って右の方です……だがね姉《ねえ》さん、彼《あ》の旦那様と云うものは御新造様が無いのですよ……アレサ実は御新造さんは三年|前《あと》に亡《なく》なってお独身《ひとり》でおいでだが、貴方|善《よ》いたって金満家でありますから、貴方がお出でなさるような事があればお母様ぐるみ引取って、生涯安楽でげすが、何うです」
女「其様《そん》な事は」
由「其様な事だって、それが肝腎なので、ウンと仰しゃい、男が好《よ》くって、ちょいと錆声で一中節が出来る、それで揉むのが上手でお灸を点《す》えたり何かするので……」
女「私は実に夢のようでございます」
由「夢見たいですが、是れがさめない夢です……後からまた夢が来るので……今夜はねえ何うかして此処へ入らっしゃいまし、寝就《ねつ》いた処へ私が周旋致しますから」
女「夜出ますと叱られます」
由「誰《たれ》に」
女「あの大屋さんに知れると悪うございます、橋の際《きわ》の瓦斯《がす》が消えますと宿屋の女が座敷《つぼ》へ参るは厳《やかま》しゅうございます」
由「壺ッてえのは此処ですか、厳《やかま》しいなんて生意気な事を云いますね、いゝじゃア御座いませんか、貴方を身請して往《い》くのですから、大屋が何んたって構やアしません、大屋が云っても差配人が苦情を鳴らしても何うでもしますから宜しいではありませんか、貴方心配はございませんお出でなさい、ちょいと、まんざら醜《わる》い男でもございますまい、ようがしょう様子が、お厭かえ……ハア/\これは恐れ入りました」
といってる処へ幸三郎が便所から帰って参り、
幸「何を掛合って居るんだ」
由「フハア……掛合筋があって誠にハヤ貴方、手水を長くして居らっしゃると好《い》いのに」
女「あの私は又参ります」
幸「貴方又入らっしゃい、証拠でも何でも上げる、決して虚言《うそ》は吐《つ》きませんよ」
女「有難う存じます、御機嫌宜しゅう」
と嬉しそうな様子で帰りました。
由「どうも御機嫌宜しゅうと云って、手をついて小笠原流で、出這入に御機嫌宜しゅうなんてえ様子は無いねえ、此処の女中などは、ガラリピシャ用はねえかなんてえ山家《やまが》の者で面白《おもしれ》えが、彼女《あれ》ア旦那何処へも往《ゆ》き処がないので、可愛相で、彼女はちょいと様子が好《い》い、貴方の傍へ置いて権妻《ごんさい》と云っても奥様と云ったっても決して恥かしくございませんね」
幸「そんな事を云ったって年が違わア」
由「年が違うたって何も構やアしません、此の間も六十七になる老人《としより》が十七になる女房を貰ったが、世の中が開けたから構やアしません、貴方は堅過ぎるから」
幸「馬鹿を云え、可愛そうだからよ」
由「其処をなんして一寸《ちょっと》可愛がって、貴方の手生《ていけ》の花にしてお遣りなさい」
幸「馬鹿ア云うな」
と是から機《はず》んでお酒を飲んで寝ましたが、さてお話|後《あと》へ返りまして。
四十三
丁度其の日に峯松が万事都合好く話を致して、彼《か》のお藤と云う隣座敷のお客を車に乗せて引出しまして、伊香保の降り口から一挺車を雇いまして、女中を乗せて渋川へ下りて、金子《かねこ》へ出まして、金子から橋を渡り北牧《きたもく》へ出まして、角屋《かどや》で昼食《ひるしょく》をして、余程|後《おく》れました。それから、男子村《おのこむら》へ出まして村上《むらかみ》へかゝりまして、市城《いちしろ》から青山伊勢町《あおやまいせまち》中の条へ掛ると日は暮れかゝりまして、木村屋《きむらや》で小休みに成りますから十分手当をして遣り、車夫も疲れた様子だから車を取換えようと云うが、是非四万まで往《ゆ》きますと云うも十分手当をして遣りましたからでございます。酒の機嫌で遅くはなったが十時までには屹度《きっと》引張《ひっぱ》るからと、峯松も疲れては居るが親切者、早く往って逢わせようとガラ/″\/″\/″\車を挽《ひ》いて折田村まで一里ばかりも参りますと、どっぷり日は暮れて、木《こ》の間《ま》隠れに田舎家の灯《ひ》がちら/\見えまして、幽《かす》かに右の方は五段田《ごたんだ》の山続き、左は吾妻山、向うは草津から四万の筆山、中を流るゝ山田川の水勢は急でございまして、皀莢瀑《さいかちだき》と字《あざな》いたします、本名は花園《はなぞの》の瀑《たき》と云う巾の七八間もある大瀑《おおだき》がドーッドッと岩に当って砕けちる水音。林の蔭に付いて下《さが》る道があります。気味の悪い処にさいかち橋が架けてあります。これを渡ると直ぐ山田村、近道で其の小坂の処に庚申塚《こうしんづか》があります。そこまで来ると車を下《おろ》して、
峯「若衆《わかいしゅ》大きに御苦労だのう、骨が折れても急いで遣ってくんねえな、十時までに中の立場《たてば》まで往《い》こうじゃアねえか」
車夫「何しろ昨日《きのう》沢渡までの仕事で、甚《えら》くバアーテル[#「バアーテル」に傍点]から、女客《おんな》でも何うもとても挽けねえよ」
峯「挽けねえたってお前どうするんだ」
車夫「此処で若衆《わけえしゅ》暇ア貰いてえものだ」
峯「戯《ふざ》けちゃアいけねえじゃアねえか、此処まで来て、此処じゃア立場も無《ね》え、下沢渡へ別れ道の小口《こぐち》まで往《い》きねえな、彼処《あすこ》へ往《い》けば又一人や二人帰り車も居るだろうから、此処じゃア何うもしようがねえやな」
車「どうもしようがねえたって、挽けねえものア仕かたがねえ、今朝から渋川の達磨茶屋で疲れて寝て居たんだ、其処を帰《けえ》って又来たが、身体がバーテル[#「バーテル」に傍点]でどうも……」
峯「馬鹿にしちゃアいけねえ、そんなら何故中の条の木村屋で左様《そう》云わねえ、木村屋で挽けませんと云えば他の車を頼もうじゃアねえか、からかっちゃアいけねえぜ、東京者だって東京ばかりの車を挽くんじゃアねえ、此地《こけ》え来て渋川で一円に一升の仲間入をして居る峯松だ、大概《てえげえ》にしやアがれ、馬鹿にするな」
車「何だ峯松だか荒神松だか知んねえが、怖くもおっかなくもねえ、挽けねえんだ、何を云やアがる、撲《なぐ》るぜ」
峯「なに撲って見ろえ……」
岩「まア峯さんお待ちよ、私ア歩くよ……怪《け》しからんよ、こんなものに構っては損だからお止しよ」
峯「構うたって、そんなら中の条で云やア何うにでもなるに、人を馬鹿にしやアがって、女連だと思って脚元《あしもと》を見やアがって」
岩「まア/\好《よ》いよ、鞄を此方《こっち》へ下してね」
峯「挽けなけりゃアそうと早く云えば好《い》いに……」
岩「そんな事を云わずに、私が困るからよ……挽けなけりゃアさっさとお出で」
車「おゝ往《い》かねえで何うする」
峯「なに、生意気な事を云やアがる」
車「何が生意気だ」
峯「なに」
岩「お止しよ、峰さん/\」
と云う中《うち》に彼《か》の車夫は折田《おりた》の方へガラ/″\/″\/″\と引返しましたが、道中には悪い車夫《くるまや》が居ります。
車「容《ざま》ア見やアがれ」
峯「なに」
岩「お前おからかいでないよ」
峯「面ア覚えて置け」
岩「まア/\お止しよ」
峯「詰らねえ事を云やアがって、脚元を見やアがって、此処まで来て挽けねえなんて、酒え飲まして置いて手当も遣って居るので、中の条だけの賃は遣りましたが、それから先の賃は遣りません、彼奴《あいつ》も無駄挽《むだっぴき》をしやアがって……どうも済みません」
岩「私だけは歩くから好《よ》いよ……お前さまはさぞお厭でございましたろう」
藤「私は恟《びっく》りして、怖いから何うしたら宜かろうかと思ったが、岩や、お前歩けるかえ」
岩「えゝ私はもう宜しゅうございます、二里や三里は歩けますからお前様さえお乗せ申せば宜しゅうございます」
藤「山道だよ」
岩「いゝえ宜しゅうございます、歩けますから」
藤「お前疲れると」
岩「いえ大丈夫で」
峯「まア一服遣りましょうから、もう是からは遠くもねえ道でござえますから」
藤「峯松さん、さぞお疲れで私のような者二人を連れて来てお厭でしょう」
峯「私《わっち》は心配な事はありませんが、まア早くお連れ申して旦那にお会わせ申そうと思って、私も骨を折るのでどうか…へえ」
マッチを摺ってパクリ/\と火をうつし烟草を喫《の》んで居ながら、
峯「実はねえ草臥《くたぶ》れました」
岩「さぞお疲れだったろう、貴方にも種々《いろ/\》お世話になったから、どのようにもお前様に願ってお礼も致します、誠に御親切なお方だと云ってお喜びで」
峯「いえ、もうお礼も何も入りません、旦那も待ってるものだから早くお会わせ申してえと思って何したので……えゝ、貴方、もしお岩様え、礼を為《し》ようと仰しゃるなら…」
岩「はい」
峯「私《わっち》は、あの誠に申し兼ねましたが、折入って願いたい事があります」
四十四
岩「どんな事か知らないが、草臥《くたび》れたらまた後《あと》へ戻って車夫を雇っても宜しいよ」
峯「いえ、そんな事じゃアございません、私《わし》は誠にねえ身分に合わねえような事を申すようでがすが、伊香保にお在《いで》なさる時分から、お藤さまと云う此の奥様に属根《ぞっこん》惚れて居るのでがす、どうか□□□□□云う事を聴いてお貰《もら》え申したい」
と云われてお藤は恟《びっく》りして後《うしろ》の方へ下りますと、お岩と云う女中は顔色を変えて、
岩「な、何を云うのだえ」
峯「えゝ正直なお話でございますが、此方《こっち》ア高が車挽《くるまひき》で、元は天下のお旗下《はたもと》御身分のあるお嬢様に何うの斯うのと云ったって叶わねえ事と知っては居りやすがね、貴方も武士のお嬢さまで身性《みのじょう》の正しい女なら又諦めもつけやすけれども、橋本幸三郎と云う人に逢いてえと思えばこそ、夜道を掛けて四万村まで、此の物すごい山の中をお出でなさるからにゃア満更色気の無《ね》えお方でもごぜえやすめえ、□□□□□□□□□□、其の美くしいお嬢さまを□□□□□□□楽しみに此の山道を来たのです、□□□□□□□□□□□□□、もしお岩さん、取持っておくんなせえな」
岩「まア呆れた事をいう奴じゃ、女と侮《あなど》り身分も弁《わきま》えないで、仮令《たとい》御新造様はお弱くても私が付いて居るからは……汝《てまえ》たちに指でもさゝせる気遣い無い、兎やこうすると許さんから左様心得ろ」
とて懐より把《と》り出したは、旧弊《きゅうへい》であります故小さい合口を隠し持って居ますから、柄へ手を掛けて懐から抜きにかゝると、
峯「ナニ何をしやアがる、刃物三昧をするからア元は旗下の嬢様とかお附の女中とか、長刀《なぎなた》の一手《ひとて》ぐらいは知っても居ようが、高の知れた女の痩腕、汝等《うぬら》に斬られてたまるものか、今まで上手を使って居たが、こう云い出したからは己も男だ、□□□□□□□□□□□□□」
岩「どうも呆れた奴、手込《てごみ》にすれば許さんぞ」
峯「どうでもしやアがれ」
岩「どうでも」
と合口を抜いて飛付くと、車夫の峰松はよけながら後《あと》へトン/\/\と下りると、後《うしろ》からズーッと出た奴は以前の車夫であります。これは渋川の杢《もく》八と云う奴で、元より峰松と馴合って居りますから脱《はず》したので、車を林の陰《かげ》に置き、先へ廻って忍んで居りましたがゴソ/″\と籔蔭《やぶかげ》から出て、突然お岩の髻《たぶさ》を把《と》って仰向《あおむけ》に引摺り倒しました。
岩「あれー何をする」
と飛付いて参った時、これを見て驚きまして彼《か》のお藤は
「あれー」
といって逃げにかゝる。
峯「逃がすものか」
と飛付こうとするを見て、お藤は逃げるも真暗《まっくら》がり、思わず崖を蹈外《ふみはず》してガラ/″\/″\と五六丈も
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