云えんそうでございますが実に慣れないでは云えるものではない、乞食が慣れて来ると段々貰いが多くなるそうで、只今では無いが浪人者が親子連れで「永々の浪人|御憐愍《ごれんみん》を」と扇へ受けまして、有難う存じます、と扇を左の手に受けて一文貰うと右の手に取って袂《たもと》へ入れる、其の間に余程手間が取れるから往々貰い損《そこな》います、少し馴《なれ》て来ると、有難う存じますと直《すぐ》に扇から掌《てのひら》へお銭《あし》を取る様に成る、もう一歩慣れたら何《ど》うなりますか、併《しか》し乞食などは余り慣れないでも宜《よ》いが、有難う存じますと扇を持って居る掌へ辷込《すべりこ》ませると申しますが、慣れない事は仕様のない者で中々その初めの中《うち》は云えん者だが明日《みょうにち》御飯《おまんま》を喰べる事が出来ないと云う境界《きょうがい》でございますから一生懸命であります、殊に命を助けて呉れた大恩のあるお父《とっ》さんに御心配をかけては御病気にも障る事で何分にも他に何を致そうと思っても手放す事が出来ず、暗夜《やみよ》の事だから人に顔を見られなければ親の恥にも成るまいと思い、もう一生懸命で怖いも何も忘
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