りましたが、誠に不幸の人で再び大難に遇《あ》う条《くだり》一寸《ちょっと》一息つきまして。

        五[#「五」は底本では「四」と誤記]

 えゝ、米倉屋孫右衞門の家では、二月の十日が娘の三十五日で谷中|静雲寺《せいうんじ》に於《おい》て、水死致した娘の事で有りますから、猶更|懇《ねんご》ろに法事供養を致しました。すると其の年の八月此の米倉屋孫右衞門の家内おゆうが四十七歳で死去《みまかり》ました、重ね/″\の不幸のみならず、娘の入水致した時などは、余程入費も費《ついや》しました事で、引続いて種々《いろ/\》の物入《ものいり》のございましたので、身代も余程衰えて来た処へ、其の年の十一月二十九日の日《ひ》に籾倉《もみぐら》の脇から出火で福井町から茅町《かやちょう》二丁目を焼き払った時に土蔵を落して丸焼に成り、米倉孫右衞門、神田三河町に立退きまして商売替を致し、米商売を始めました処、案外の損を致しました、然《しか》るに又宝暦の六年は御案内の年代記にも出て居りますが、江戸の大火で再び焼失致しましたから遂に身代限りを致し、何《ど》うも致方《いたしかた》がないから僅《わずか》の金を借りて
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