だい》にして其上《そのうへ》へ又《また》一工夫《ひとくふう》いたした人がある「何《ど》うも是《これ》は耳へ附《つ》けて聴《き》くのに、ギン/\と微《かす》かに聴《きこ》えて判然《はつきり》解《わか》らぬやうだが、何《ど》うか斯《か》う耳へ当《あて》ずに器械《きかい》をギユーと捩《ねぢ》ると、判然《はつきり》音色《おんしよく》が席中《せきぢう》一|抔《ぱい》に大音《だいおん》に聴《きこ》えるやうに仕《し》たいものだ。日本人種《にほんじんしゆ》といふものは却々《なか/\》器用《きよう》でござりますから、忽《たちま》ち一つの発明《はつめい》をいたし、器械《きかい》が出来《でき》て見ると、之《これ》に就《つ》いて一つの新商法《しんしやうはふ》の目論見《もくろみ》を起《おこ》しました。「見渡《みわた》すに現今《いま》の世界は交際流行《かうさいばやり》で、何《ど》うも此《この》世辞《せじ》は要《い》らぬ事だと云《い》ふけれど、是《これ》も言葉の愛で何《ど》うしても無ければならぬものだ、世辞《せじ》に疎《うと》い性来《せいらい》の者は、何様《どんな》に不自由を感じて居《ゐ》るかも知れぬから、種々《い
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