》けべき器械《きかい》を口へ着《つ》けてやつたからだといふ。夫《それ》では聴《きこ》えないから解《わか》らない筈《はづ》です、夫《それ》から又《また》蓄音器《ちくおんき》といふものが始めて舶来《はくらい》になりました時は、吾人共《われひととも》に西洋人《せいやうじん》の機械学《きかいがく》の長《た》けたる事には驚《おどろ》きました。実《じつ》に此《この》音色《ねいろ》を蓄《たくは》へて置《お》く等《など》といふは、不思議《ふしぎ》と申《まう》すも余《あまり》あることでござりまする。殊《こと》に親、良人《をつと》、誰《たれ》に拘《かゝは》らず遺言《ゆゐごん》抔《など》を蓄《たくは》へて置《お》いたら妙《めう》でござりませう。幾度《いくど》掛《か》けてもチヤンと、存生中《ぞんしやうちゆう》に物言《ものい》ふ通《とほ》り、音色《おんしよく》が発《はつ》するのだから其人《そのひと》が再《ふたゝ》び蘇生《よみかへつ》て対話《たいわ》でもするやうな心持《こゝろもち》になるのだから、大《おほ》きに是《これ》は追善《つゐぜん》の為《ため》に宜《よ》からうと考へられまする。
 此器械《このきかい》を台《
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