ろりと寝ようとすると、
豐「新吉さん/\」
と揺《ゆ》り起すから新吉が眼を覚《さま》すと、ヒョイと起上って胸倉《むなぐら》を取って、
豐「新吉さん、お前は私が死ぬとねえ」
と云うから、新吉は二十一二で何を見ても怖がって尻餅をつくと云う臆病な性《たち》でございますから、是は不人情のようだが迚《とて》も此処《こゝ》には居られない、大門町へ行って伯父と相談をして、いっその事下総の羽生村に知って居る者があるから、其処《そこ》へ行ってしまおうかと、種々《いろ/\》考えて居る中《うち》に、師匠は寝付いた様子だから、その間《ま》に新吉はふらりと戸外《そと》へ出ましたが、若い時分には気の変りやすいもので、茅町《かやちょう》へ出て片側町《かたかわまち》までかゝると、向《むこう》から提灯を点《つ》けて来たのは羽生屋の娘お久と云う別嬪《べっぴん》、
久「おや新吉さん」
十八
新「これはお久さん何処《どこ》へ」
久「あの日野屋へ買物に」
新「思いがけない処でお目にかゝりましたね」
久「新吉さん何方《どちら》へ」
新「私は一寸大門町まで」
久「お師匠さんは」
新「誠にいけません、此の間はお気の毒でね、あんな事を云って何《ど》うもお前さんにはお気の毒様で」
久「何う致しまして、丁度|好《よい》処でお目に掛って嬉しいこと」
新「お久さん何処へ」
久「日野屋へ買物に」
新「本当にあんな事を云われると厭《いや》なものでね、私は男だから構いませんが、お前さんは嘸《さぞ》腹が立ったろうが、お母《っか》さんには黙って」
久「何ういたしまして、私の方ではあゝ云われると、冥加《みょうが》に余って嬉しいと思いますが、お前さんの方で、外聞がわるかろうと思って、誠にお気の毒様」
新「うまく云って、お久さん何処へ」
久「日野屋へ買物に」
新「あの師匠の枕元でお飯《まんま》を喫《たべ》ると、おち/\咽喉《のど》へ通りませんから、何処かへ徃《い》ってお飯を喫べようと思うが、一人では極りが悪いから一緒に往っておくんなさいませんか」
久「私の様な者をおつれなさると外聞が悪うございますよ」
新「まア宜《い》いからお出でなさい、蓮見鮨《はすみずし》へ参りましょう」
久「ようございますか」
新「宜いからお出でなさい」
と下心があると見え、お久の手を取って五目鮨《ごもくずし》へ引張《ひっぱ》り込むと、鮨屋でもさし[#「さし」に傍点]で来たから訝《おか》しいと思って、
鮨「いらっしゃい、お二階へ/\、あの四畳半がいゝよ」
と云うのでとん/\/\/\と上《あが》って見ると、天井が低くって立っては歩かれません。
新「何《なん》だか極りが悪うございますね」
久「私は何《ど》うも思いません、お前さんと差向いでお茶を一つ頂く事も出来ぬと思って居ましたが、今夜は嬉しゅうございますよ」
新「調子のいゝことを」
女「誠に今日《こんにち》はお生憎《あいにく》様、握鮓《にぎり》ばかりで何《なん》にも出来ません、お吸物も、なんでございます、詰らない種でございますから、海苔《のり》でも焼いて上げましょうか」
新「あゝ海苔で、吸物は何か一寸|見計《みはから》って、あとは握鮓がいゝ、おい/\、お酒は、お前いけないねえ、しかし極りが悪いから、沢山は飲みませんが、五勺《ごしゃく》ばかり味醂《みりん》でも何でも」
女「畏《かしこ》まりました、御用がありましたらお呼びなすって、此処《こゝ》は誠に暗うございますが」
新「何ようございます、其処《そこ》をぴったり〆《し》めて」
女「ハイ御用があったらお手を、此の開きは内から鎖鑰《かきがね》が掛りますから」
新「お前さんとさし[#「さし」に傍点]で来たから、女がおかしいと思って内から鎖鑰が掛るなんて、一寸*たかいね、お久さん何処へ」
*「たかい目が高いの略」
久「日野屋へ来たの」
新「あ然《そ》う/\、此の間はお気の毒様で、お母《っか》さんのお耳へ這入ったら嘸《さぞ》怒りなさりやアしないかと思って大変心配しましたが、師匠は彼《あ》の通り仕様がないので」
久「何《ど》うも私共の母なども然《そ》う云っておりますよ、お師匠さんがあんな御病気になるのも、やっぱり新吉さん故だから、新吉さんも仕方がない、何様《どんな》にも看病しなければならないが、若いから嘸お厭《いや》だろうけれども、まアお年に比《あわ》しては能《よ》く看病なさるってお母《っか》さんも誉めて居ますよ」
新「此方《こっち》も一生懸命ですがね、只煩って看病するばかりならいゝけれども、何うも夜中に胸倉を取って、醜《いや》な顔で変な事を云うには困ります、私は寝惚《ねぼけ》て度々《たび/\》恟《びっく》りしますから、誠に済まないがね、思い切って斯《こ》うふい[#「ふい」に傍点]と何処《どこ》かへ行って仕舞《しまお》うかと思って、それには下総に些《すこし》の知己《しるべ》が有りますから其処《そこ》へ行《ゆ》こうかと思うので」
久「おやお前さんの田舎はあの下総なの」
新「下総と云う訳じゃアないが些《ちっ》と知って居る……伯母さんがあるので」
久「おやまあ。私の田舎も下総ですよ」
新「ヘエお前さんの田舎は下総ですか、世には似た事があるものですね、然《そ》う云えば成程お前さんの処の屋号《いえな》は羽生屋と云うが、それじゃア羽生村ですか」
久「私の伯父さんは三藏《さんぞう》と云うので、親父は三九郎と云いますが、伯父さんが下総に行って居るの、私は意気地《いくじ》なしだから迚《とて》も継母の気に入る事は出来ないけれども、余《あんま》りぶち打擲《ちょうちゃく》されると腹が立つから、私が伯父さんの処《とこ》へ手紙を出したら、そんな処に居らんでも下総へ来てしまえと云うから、私は事によったら下総へ参りたいと思います」
新「ヘエ然《そ》うでございますか、本当に二人が情夫《いろ》か何かなれば、ずうっと行くが、何《なん》でもなくっては然《そ》うはいきませんが、下総と云えば、何《な》んですね、累《かさね》の出た処を羽生村と云うが、家《うち》の師匠などはまるで累も同様で、私をこづいたり腕を持って引張《ひっぱ》ったりして余程変ですよ、それに二人の中は色でも何《なん》でもないのに、色の様に云うのだから困ります、何《ど》うせ云われるくらいなれば色になって、然《そ》うしてずうっと、二人で下総へ逃《にげ》ると云うような粋《いき》な世界なら、何《なん》と云われても云われ甲斐がありますが」
久「うまく仰しゃる、新吉さんは実《じつ》があるから、お師匠さんを可愛いと思うからこそ辛い看病も出来るが、私のような意気地なしの者をつれて下総へ行《ゆ》きたいなんと、冗談にも然《そ》う仰しゃってはお師匠さんに済みませんよ」
新「済まないのは知ってるが、迚《とて》も家《うち》には居られませんもの」
久「居られなくっても貴方が下総へ行ってしまうとお師匠さんの看病人がありません、家《うち》のお母《っか》さんでも近所でも然《そ》う云って居りますよ、あの新吉さんが逃出して、看病人が無ければ、お師匠さんは野倒死《のたれじに》になると云って居ります、それを知ってお師匠さんを置いて行っては義理が済みません」
新「そりゃア義理は済みませんがね、お前さんが逃げると云えば、義理にも何《なん》にも構わず無茶苦茶に逃げるね」
久「えゝ、新吉さん、お前さんほんとうに然《そ》う云って下さるの」
新「ほんとうとも」
久「じゃアほんとうにお師匠さんが野倒死をしても私を連れて逃げて下さいますか」
新「お前が行《ゆ》くと云えば野倒死は平気だから」
久「本当に豊志賀さんが野倒死になってもお前さん私を連れて行《い》きますか」
新「本当に連れて行きます」
久「えゝ、お前さんと云う方は不実な方ですねえ」
と胸倉を取られたから、フト見詰めて居ると、綺麗な此の娘の眼の下にポツリと一つ腫物《できもの》が出来たかと思うと、見る間《ま》に紫立って膨《は》れ上り、斯《こ》う新吉の胸倉を取った時には、新吉が怖いとも怖くないともグッと息が止《とま》るようで、唯《た》だ無茶苦茶に三尺の開戸《ひらきど》を打毀《うちこわ》して駈出したが、階子段《はしごだん》を下りたのか転がり落《おち》たのか些《ちっ》とも分りません。夢中で鮨屋を駈出し、トットと大門町の伯父の処へ来て見ると、ぴったり閉《しま》って居るからトン/\/\/\、
新「伯父さん/\/\」
十九
勘「オイ騒々しいなア、新吉か」
新「えゝ一寸早く明けて、早く明けておくんなさい」
勘「今明ける、戸が毀《こわ》れるワ、篦棒《べらぼう》な、少し待ちな、えゝ仕様がねえ、さあ這入んな」
新「跡をピッタリ締めて、南無阿弥陀仏/\」
勘「何《なん》だって己《おれ》を拝む」
新「お前さんを拝むのではない、ハア何《ど》うも驚きましたネ」
勘「お前のように子供みたいにあどけなくっちゃア困るね、えゝ、オイ何故師匠が彼程《あれほど》の大病で居るのを一人置いて、ヒョコ/\看病人が外へ出て歩くよ、済まねえじゃアないか」
新「済まねえが迚《とて》も家《うち》には居られねえ、お前さんは知らぬからだが其の様子を見せたいや」
勘「様子だって、何《ど》んな事があっても、己《おれ》が貧乏して居るのに、汝《てめえ》は師匠の家《うち》へ手伝いに往《い》ってから、羽織でも着る様になって、新吉さん/\と云われるのは皆《みんな》豊志賀さんのお蔭だ、その恩義を忘れて、看病をするお前がヒョコ/\出歩いては師匠に気の毒で仕様がねえ、全体師匠の云う事はよく筋がわかっているよ、伯父さん誠に面目ないが、打明けてお話を致しまするが、新吉さんと去年から訝《おか》しなわけになって、何《なん》だか私も何《ど》う云う縁だか新吉さんが可愛いから、それで詰らん事に気を揉みまして、斯《こ》んな煩《わずら》いになりました、就《つい》ては段々弟子も無くなり、座敷も無くなって、実《ほんと》にこんな貧乏になりましたも皆《みんな》私の心柄で、新吉さんも嘸《さぞ》こんな姿で悋気《りんき》らしい事を云われたら厭《いや》でございましょう、それで新吉さんが駈出してしまったのでございますから、私はもうプッヽリ新吉さんの事は思い切りまして、元の通り、尼になった心持で堅気の師匠を遣《や》りさえすれば、お弟子も捩《より》を戻して来てくれましょうから、新吉さんには何《ど》んな処へでも世帯《しょたい》を持たせて、自分の好《す》いた女房を持たせ、それには沢山のことも出来ませんが、病気が癒《なお》れば世帯を持つだけは手伝いをする積り、又新吉さんが煙草屋をして居ては足りなかろうから、月々二両や三両位はすけるから、何卒《どうぞ》伯父さん立会《たちあい》の上、話合《はなしあい》で、表向《おもてむき》プッヽリと縁を切る様にしたいから何卒《どうか》願います、と云うのだが、気の毒でならねえ、あの利かねえ身体で、*四つ手校注に乗って広袖《どてら》を着て、きっとお前が此家《こゝ》に居ると思って、奥に先刻《さっき》から師匠は来て待って居るから、行って逢いな、気の毒だあナ」
*「四つ手かごの略。戸はまれに引戸ものあれど多くは垂れなり。」
新「冗談云っちゃアいけない、伯父さんからかっちゃアいけません」
勘「からかいも何もしねえ、師匠、今新吉が来ましたよ」
豐「おやマア大層遅く何処《どこ》へ行っておいでだった」
勘「新吉、此方《こっち》へ来なよ」
新「ヘエ、逢っちゃアいけねえ」
と怖々《こわ/″\》奥の障子を明けると、寝衣《ねまき》の上へ広袖を羽織ったなり、片手を突いて坐って居て、
豐「新吉さんお出《いで》なすったの」
新「エヽド何《ど》うして来た」
豐「何うして来たってね、私が眼を覚《さま》して見るとお前がいないから、是は新吉さんは愛想が尽きて、私が種々《いろ/\》な事を云って困らせるから、お前が逃げたのだと思って気が付くと、ホッと夢の覚め
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