たようであゝ悪い事をして嘸《さぞ》新吉さんも困ったろう、厭《いや》だったろうと思って、それから伯父さんにね、打明けて話をして、私も今迄の心得違いは伯父さんに種々|詫言《わびこと》をしたが、お前とは年も違うし、お弟子は下《さが》り、世間の評判になってお座敷もなくなり、仮令《たとえ》二人で中よくして居ても食方《くいかた》に困るから、お前はお前で年頃の女房を持てば、私は妹だと思って月々|沢山《たんと》は出来ないが、元の様に二両や三両ずつはすける積り、伯父さんの前でフッヽリ縁を切るつもりで私が来たんだよ、利かない身体で漸《やっ》と来たのでございます、何卒《どうぞ》私が今まで了簡違いをした事は、お前腹も立つだろうが堪忍して、元の通りあかの他人とも、又|姉弟《きょうだい》とも思って、末長くねえ、私も別に血縁《たより》がないから、塩梅の悪い時はお前と、お前のお内儀《かみ》さんが出来たら、夫婦で看病でもしておくれ、死水《しにみず》だけは取って貰いたいと思って」
勘「師匠、此の通り誠に子供同様で、私も誠に心配して居る、またお前さんに恩になった事は私が知って居る、おい新吉冗談じゃアねえ、お師匠さんに義理が悪いよ、本当にお前《めえ》には困るナ」
新「なアニ師匠お前が種々な事を云いさえしなければいゝけれども…お前|先刻《さっき》何処《どこ》かの二階へ来やアしないかえ」
豐「何処へ」
新「鮨屋の二階へ」
豐「いゝえ」
新「なんだ、そうすると矢張《やっぱ》りあれは気のせえかしらん」
勘「何をぐず/\云うのだ、お前《めえ》附いて早く送って行きな、ね、師匠そこはお前さんの病気が癒《なお》ってからの話合だ、今其の塩梅の悪い中で別れると云ったって仕様がねえ、私も見舞に行きたいが、一人の身体で、つまらねえ店でも斯《こ》うして張ってるから、店を明ける事も出来ねえから、病気の癒る間新吉を上げて置くから、ゆっくり養生して、全快の上で何《ど》うとも話合をする事にね、師匠……ナニお前《めえ》送って行きねえ、師匠、お前さん四つ手でお出《いで》なすったが、彼《あれ》じゃア乗りにくいと思って今*あんぽつをそう言ったから、あんぽつ[#「あんぽつ」に傍点]でお帰りなさいよ、エ、何《なん》だい」
*「町人の用うるかごの一種四つ手より上等にして戸は引戸」
駕籠屋「此方《こっち》から這入りますか駕籠屋でげすが」
勘「ア駕籠屋さんか、アノ裏へ廻って、二軒目だよ、其の材木が立掛けて有る処から漬物屋の裏へ這入って、右へ附いて井戸端を廻ってネ、少し…二|間《けん》ばかり真直《まっすぐ》に這入ると、己《おれ》の家《うち》の裏口へ出るから、エ、なに、知れるよ、あんぽつ[#「あんぽつ」に傍点]ぐらいは這入るよ」
駕「ヘエ」
勘「じゃア師匠、私が送りたいが今云う通り明ける事が出来ないから、新吉が附いて帰るから、ね、師匠、新吉の届かねえ処は、年もいかねえから勘弁して、ね、私が附いてるからもう不実な事はさせません、今迄の事は私が詫《わ》びるから……冗談じゃアねえ……新吉、お送り申しな、オイ今|明《あけ》るよ、裏口へ駕籠屋が来たから明けて遣《や》りな、おい御苦労、さア師匠、広袖を羽織っていゝかえ」
豐「ハイ伯父さんとんだ事をお耳に入れて誠に」
勘「宜《い》いからさア掴《つか》まって、いゝかえ、おい若衆《わかいしゅ》お頼申すよ、病人だから静かに上げておくれ、いゝかえ緩《ゆっ》くりと、此の引戸を立てるからね、いいかえ」
と云うので引戸を〆《し》めてしまうと、
新「じゃア伯父さん提灯を一つ貸して下さいな、弓張でもぶら[#「ぶら」に傍点]でも何《なん》でも宜《い》いから、え、蝋燭《ろうそく》が無けりゃア三ツばかりつないで、え、箸を入れてはいけませんよ、焙《あぶ》ればようございます」
男「御免なさい」
トン/\。
勘「ヘエ、何方《どなた》でげす」
男「新吉さんは此方《こちら》ですか、新吉さんの声の様ですね、え、新吉さんかえ」
勘「ヘエ何方でげすえ、ヘエ…ねえ新吉、誰かお前の名を云って逢いたいと云ってるから明けねえ」
新「おやお出でなさい」
男「おやお出でじゃアねえ、新吉さん困りますね、病人を置いて出て歩いては困りますね、本当に何様《どんな》に捜したか知れない、時にお気の毒様なこと、お前さんの留守に師匠はおめでたくなってしまったが、何《ど》うも質《すじ》の悪い腫物《できもの》だねえ」
二十
新「何を詰らない事を、善六さん極《きま》りを云ってらア」
善「極りじゃアねえ」
新「そんな冗談云って、いやに気味が悪いなア」
善「冗談じゃアねえ、家内がお見舞に徃った処が、お師匠さんが寝てえると思って呼んで見ても答がねえので、驚いて知らせて来たから私も行《ゆ》き彦六さんも皆《みんな》来て、何《ど》う斯《こ》うと云った処が何うしても仕ようがねえ、新吉さん、お前《めえ》が肝腎の当人だから漸《ようや》く捜して来たんだが、あのくらいな大病人《たいびょうにん》を置いて出歩いちゃアいけませんぜ」
新「ウー、ナン、伯父さん/\」
勘「何《なん》だよお前《めえ》、御挨拶もしねえで、お茶でも上げな」
新「お茶どころじゃアねえ、師匠が死んだって長屋の善六さんが知らせに来てくれたんだ」
勘「何を馬鹿な事を云うのだ、師匠は来て居るじゃアねえか」
新「あのね、御冗談仰しゃっちゃアいけません、師匠は先刻《さっき》から此方《こっち》へ来て居て、是から私が送って帰ろうとする処、何《なん》の間違いでげしょう」
善「冗談を云っちゃアいけません」
彦「是は何《なん》だぜ、善六さんの前だが、師匠が新吉さんの跡を慕って来たかも知れないよ、南無阿弥陀仏/\」
新「そんな念仏などを云っちゃアいけないやねえ」
善「じゃアね新吉さん、彦六さんの云う通りお前《めえ》の跡を慕って師匠が来たかも知れねえ」
新「伯父さん/\」
勘「うるさいな、ナニ稀代《きたい》だって、師匠は来てえるに違《ちげ》えねえ、今連れて行くんじゃアねえか」
と云いながらも、なんだか訝《おか》しいと思うから裏へ廻って、
勘「若衆《わかいしゅ》少し待っておくんなさい」
新「長屋の彦六さんがからかうのだから」
勘「師匠/\」
新「伯父さん/\」
勘「えゝよく呼ぶな、何《なん》だえ」
新「若衆少し待っておくれ、師匠/\」
と云いながら駕籠の引戸を明けて見ると、今乗ったばかりの豊志賀の姿が見えないので、新吉はゾッと肩から水を掛けられる様な心持で、ブル/\慄《ふる》えながら引戸をバタリと立てゝ台所へ這上《はいあが》りました。
勘「何《な》んて真似をして居るのだ、ぐず/\して何《なん》だ」
新「伯父さん、駕籠の中に師匠は居ないよ」
勘「エヽ居ねえか本当か」
新「今明けて見たら居ねえ、南無阿弥陀仏/\」
勘「厭《いや》だな、本当に涙をこぼして師匠が己《おれ》に頼んだが、お前《めえ》が家《うち》を出なければ斯《こ》んな事にはならねえ、お前《めえ》が出て歩くから斯んな事に、オイ表に人が待って居るじゃアねいか己《お》れが出よう」
と云うので店へ出て参りまして、
勘「お長屋の衆、大きに御苦労様で、実は新吉は、私に拠《よんどころ》ない用事があって、此方《こちら》へ参って居る留守中に師匠が亡なりまして、皆さん方が態々《わざ/\》知らして下すって有難うございます、生憎《あいにく》死目《しにめ》に逢いませんで、貴方がたも誠にお困《こまり》でございましょう、実に新吉も残惜《のこりお》しく思います、何《いず》れ只今私も新吉と同道で参りますから、ヘエ有難う、誠に御苦労様で」
長屋の者「左様で、じゃアお早くお出《い》でなすって」
勘「只今私が連れて参ります、誠に御苦労様、馬鹿」
新「其様《そんな》に叱っちゃアいけません、怖い中で叱られて堪《たま》るものか」
勘「己《おれ》だって怖いや、若衆大きに御苦労だったが、待賃《まちちん》は上げるがもう宜しいから帰っておくんなさい」
駕籠屋「ヘエ、何方《どなた》かお乗りなすったが、駕籠は何処《どこ》へ参ります」
勘「駕籠はもう宜しいからお帰りよ」
駕「でも何方かお女中が一人お召しなすったが」
勘「エヽナニ乗ったと見せてそれで乗らぬのだ、種々《いろ/\》訳があるから帰っておくれ」
駕「左様でげすか、ナ、オイ駕籠はもう宜《い》いと仰しゃるぜ」
駕「いゝったって今明けてお這入んなすった様だった、女中がネ、然《そ》うでないのですか、何《なん》だか訝《おか》しいな、じゃア行《ゆ》こうよ」
と駕籠を上げに掛ると、
駕「若《も》し/\、お女中が中に這入って居るに違いございません、駕籠が重うございますから」
新「エヽ、南無阿弥陀仏/\」
勘「オイ駕籠屋さん、戸を明けて見な」
駕「左様《そう》でげすか、オヤ/\/\成程居ない、気の故《せえ》で重《おも》てえと思ったと見える、成程|何方《どなた》も入らっしゃいません、左様《さよう》なら」
勘「これ新吉、表を締めなよ手前《てめえ》のお蔭で本当に此の年になって初めて斯《こ》んな怖い目に遇《あ》った、家《うち》は閉めて行《ゆ》くから一緒に行《い》きな」
新「伯父さん/\」
勘「何《なん》だよ、いやに続けて呼ぶな、跡の始末を附けなければならねえ」
と云うので是から家《うち》の戸締りをして弓張を点《つ》けて隣へ頼んで置いて大門町から出かけて行《ゆ》きます。新吉は小さくなって慄《ふる》えながら仕方なしに提灯を持って行《ゆ》く、
勘「さア新吉、然《そ》う後《あと》へ退《さが》っては暗くって仕様がねえ、提灯持は先へ出なよ」
新「伯父さん/\」
勘「なぜ然う続けて呼ぶよ」
新「伯父さん、師匠は全く私を怨んで来たのに違いございませんね」
勘「怨んで出るとも、手前《てめえ》考えて見ろ、彼《あれ》までお前《めえ》が世話になって、表向《おもてむき》亭主ではねえが、大事にしてくれたから、どんな無理な事があっても看病しなければならねえ、それをお前が置いて出りゃア、口惜《くやし》いと思って死んだから、其の念が来たのだ、死んで念の来る事は昔から幾らも聞いている」
新「伯父さん私は師匠が死んだとは思いません、先刻《さっき》逢ったら、矢張《やっぱり》平常《ふだん》着て居る小紋の寝衣《ねまき》を着て、涙をボロ/\翻《こぼ》して、私が悪いのだから元の様に綺麗さっぱりとあかの他人になって交際《つきあ》います、又月々幾ら送りますから姉だと思ってくれと、師匠が膝へ手を突いて云ったぜ、ワア」
勘「ア、何《なん》だ/\、エヽ胆《きも》を潰した」
新「ナニ白犬が飛出しました」
勘「アヽ胆を潰した、其の声は何だ、本当に魂消《たまげ》るね、胸が痛くなる」
と慄《ふる》えながら新吉は伯父と同道で七軒町へ帰りまして、是《こ》れから先《ま》ず早桶を誂《あつら》え湯灌《ゆかん》をする事になって、蒲団を上げ様とすると、蒲団の間に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《はさ》んであったのは豊志賀の書置《かきおき》で、此の書置を見て新吉は身の毛もよだつ程驚きましたが、此の書置は事細かに書遺《かきのこ》しました一通で是には何《なん》と書いてございますか、此の次に申し上げます。
二十一
ちと模様違いの怪談話を筆記致しまする事になりまして、怪談話には取わけ小相《こあい》さんがよかろうと云うのでございますが、傍聴筆記でも、怪談のお話は早く致しますと大きに不都合でもあり、又怪談はネンバリ/\と、静かにお話をすると、却《かえ》って怖いものでございますが、話を早く致しますと、怖みを消すと云う事を仰しゃる方がございます。処が私《わたくし》は至って不弁で、ネト/\話を致す所から、怪談話がよかろうと云う社中のお思い付でございます。只今では大抵の事は神経病と云ってしまって少しも怪しい事はござりません。明《あきら》かな世の中でございま
前へ
次へ
全52ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング