すが、昔は幽霊が出るのは祟《たゝ》りがあるからだ怨《うらみ》の一念|三世《さんぜ》に伝わると申す因縁話を度々《たび/″\》承まわりました事がございます。豊志賀は実に執念深い女で、前《まえ》申上げた通り皆川宗悦の惣領娘でございます。此処《こゝ》に食客《いそうろう》に参っていて夫婦同様になって居た新吉と云うのは、深見新左衞門の二男、是も敵《かたき》同士の因縁で斯様《かよう》なる事に相成ります。豊志賀は深く新吉を怨んで相果てましたから、其の書遺《かきのこ》した一通を新吉が一人で開いて見ますると、病人のことで筆も思う様には廻りませんから、慄《ふる》える手で漸々《よう/\》書きましたと見え、その文には『心得違いにも、弟か息子の様な年下の男と深い中になり、是まで親切を尽したが、其の男に実意が有ればの事、私が大病で看病人も無いものを振捨てゝ出る様なる不実意な新吉と知らずに、是まで亭主と思い真実を尽したのは、実に口惜しいから、仮令《たとえ》此の儘死ねばとて、この怨は新吉の身体に纒《まつわ》って、此の後《ご》女房を持てば七人まではきっと取殺すから然《そ》う思え』と云う書置で、新吉は是を見てゾッとする程驚きましたが、斯様《かよう》な書置を他人に見せる事も出来ません、さればと申して、懐へ入れて居ても何《なん》だか怖くって気味が悪いし、何《ど》うする事も出来ませんから、湯灌の時に窃《そっ》とごまかして棺桶の中へ入れて、小石川|戸崎町《とさきまち》清松院《せいしょういん》と云う寺へ葬りました。伯父は、何《なん》でも法事供養をよく為《し》なければいかないから、墓参りに往《い》けよ/\と云うけれども、新吉は墓所《はかしょ》へ行《ゆ》くのは怖いから、成《なる》たけ昼間|往《ゆ》こうと思って、昼ばかり墓参りに往《ゆ》きます。八月二十六日が丁度|三七日《みなのか》で、其の日には都合が悪く墓参りが遅くなり、申刻《なゝつ》下《さが》りに墓参りをするものでないと其の頃申しましたが、其の日は空が少し曇って居るから、急ぎ足で参ったのは、只今の三時少し廻った時刻、寺の前でお花を買って、あの辺は井戸が深いから、漸《ようや》くの事で二つの手桶へ水を汲んで、両方の手に提《さ》げ、お花を抱えて石坂を上《あが》って、豊志賀の墓場へ来ると、誰《たれ》か先に一人拝んで居る者が在《あ》るから誰《たれ》かと思ってヒョイと見ると、羽生屋の娘お久、
 久「おや/\新吉さん」
 新「おや/\お久さん、誠に何《ど》うも、何うしてお出でなすった、恟《びっく》りしました」
 久「私はね、アノお師匠さんのお墓参りをして上げたいと心に掛けて、間《ま》さえあれば七日/\には屹度《きっと》参ります」
 新「そうですか、それは御親切に有難う」
 久「お師匠さんは可哀相な事でして、其の後《のち》お目に掛りませんが、貴方は嘸《さぞ》お力落しでございましょう」
 新「ヘエ、もう何《ど》うも落胆《がっかり》しました、是は大層結構なお花を有難う、何うも弱りましたよお久さん」
 久「アノお前さん此の間蓮見鮨の二階で、私を置放《おきっぱな》しにして帰ってお仕まいなすって」
 新「えゝナニ急に用が出来ましてそれから私が慌《あわ》てゝ帰ったので、つい御挨拶もしないで」
 久「何《なん》だか私は恟りしましたよ、私をポンと突飛ばして二階からドン/\駈下《かけお》りて、私はまア何《ど》うなすったかと思って居りましたら、それ切《ぎ》りでお帰りも無し、私は本当に鮨屋へ間《ま》が悪うございますから、急に御用が出来て帰ったと云いましたが、それから一人ですから、お鮨が出来て来たのを折《おり》へ入れて提げて帰りました」
 新「それは誠にお気の毒様で、然《そ》う見えたので……気の故《せい》で見えたのだね……眼に付いて居て眼の前に見えたのだナ彼《あれ》は……斯《こ》んな綺麗な顔を」
 久「何を」
 新「エヽ何サ宜《よ》うございます」
 久「新吉さんいゝ処でお目に掛りました、私は疾《とう》からお前さんにお話をしようと思って居りましたが、私の処のお母《っか》さんは継母《まゝはゝ》でございますから、お前さんと私と、何《なん》でも訳があるように云って責折檻《せめせっかん》をします、何でも屹度《きっと》新吉さんと訳が有るだろう、何《なん》にも訳がなくって、お師匠さんが彼様《あんな》に悋気《りんき》らしい事を云って死ぬ気遣いは無い、屹度訳があるのだろうから云えと云うから、いゝえお母さんそんな事があっては済みませんから、決して然《そ》う云う事はありませんと云うのも聴かずに、此の頃はぶち打擲《ちょうちゃく》するので、私は誠に辛いから、いっそ家を駈出して、淵川《ふちかわ》へでも身を沈めて、死のうと思う事が度々《たび/″\》ございますが、それも余《あんま》り無分別だから、下総の伯父さんの処へ逃げて行きたいが、まさかに女一人で行かれもしませんからね」

        二十二

 新「それじゃア下総へ一緒に行きましょうか」
 と又怖いのも忘れて行《ゆ》く気になると、
 久「新吉さん本当に私を連れて行って下さるなら、私は何様《どのよう》にも致します、屹度、お前さん末《すえ》始終|然《そ》う云う心なら、彼方《あっち》へ行けば、伯父さんに頼んで、お前さん一人位|何《ど》うにでも致しますから、何卒《どうぞ》連れて行って」
 と若い同士とは云いながら、そんなら逃げよう、と直《すぐ》に墓場から駈落《かけおち》をして、其の晩は遅いから松戸《まつど》へ泊り、翌日宿屋を立って、あれから古賀崎《こがざき》の堤《どて》へかゝり、流山から花輪村《はなわむら》鰭ヶ崎《ひれがさき》へ出て、鰭ヶ崎の渡《わたし》を越えて水街道《みずかいどう》へかゝり、少し遅くはなりましたが、もう直《じき》に羽生村だと云う事だから、行《ゆ》くことにしよう、併《しか》し彼方《あちら》で直《すぐ》に御飯をたべるも極りが悪いから、此方《こゝ》で夜食をして行《い》こうと云うので、麹屋《こうじや》と云う家で夜食をして道を聞くと、これ/\で渡しを渡れば羽生村だ、土手に付いて行《ゆ》くと近いと云うので親切に教えてくれたから、お久の手を引いて此処《こゝ》を出ましたのが八月二十七日の晩で、鼻を撮《つま》まれるのも知れませんと云う真の闇、殊《こと》に風が吹いて、顔へポツリと雨がかゝります。あの辺は筑波山《つくばやま》から雲が出ますので、是からダラ/\と河原へ下《お》りまして、渡しを渡って横曾根村《よこぞねむら》へ着き、土手伝いに廻って行《ゆ》くと羽生村へ出ますが、其所《そこ》は只今|以《もっ》て累ヶ淵と申します。何《ど》う云う訳かと彼方《あちら》で聞きましたら、累が殺された所で、與右衞門《よえもん》が鎌で殺したのだと申しますが、それはうそだと云う事、全くは麁朶《そだ》を沢山《どっさり》脊負《しょ》わして置いて、累を突飛ばし、砂の中へ顔の滅込《めりこ》むようにして、上から與右衞門が乗掛って、砂で息を窒《と》めて殺したと云うが本説だと申す事、また祐天和尚《ゆうてんおしょう》が其の頃|脩行中《しゅぎょうちゅう》の事でございますから、頼まれて、累が淵へ莚《むしろ》を敷いて鉦《かね》を叩いて念仏供養を致した、其の功力《くりき》に依《よ》って累が成仏|得脱《とくだつ》したと云う、累が死んで後《のち》絶えず絹川の辺《ほとり》には鉦の音が聞えたと云う事でございますが、これは祐天和尚がカン/\/\/\叩いて居たのでございましょう。それから土手伝いで参ると、左りへ下りるダラ/\下り口があって、此処《こゝ》に用水があり、其の用水|辺《べり》にボサッカと云うものがあります。是は何《ど》う云う訳か、田舎ではボサッカと云って、樹《き》か草か分りません物が生えて何《なん》だかボサッカ/\致して居る。其所《そこ》は入合《いりあい》になって居る。丁度土手伝いにダラ/\下《お》りに掛ると、雨はポツリ/\降って来て、少したつとハラ/\/\と烈しく降出しそうな気色《けしき》でございます。すると遠くでゴロ/\と云う雷鳴で、ピカリ/\と時々|電光《いなびかり》が致します。
 久「新吉さん/\」
 新「えゝ」
 久「怖いじゃアないか、雷様が鳴ってね」
 新「ナニ先刻《さっき》聞いたには、土手を廻って下りさえすれば直《すぐ》に羽生村だと云うから、早く行って伯父さんに能《よ》く話をしてね」
 久「行きさえすれば大丈夫、伯父さんに話をするから宜《い》いが、暗くって怖くって些《ちっ》とも歩けやしません」
 新「サ此方《こっち》だよ」
 久「はい」
 と下りようとすると、土手の上からツル/\と滑って、お久が膝を突くと、
 久「ア痛タヽヽ」
 新「何《ど》うした」
 久「新吉さん、今石の上か何かへ膝を突いて痛いから早く見ておくんなさいよ」
 新「どう/″\、おゝ/\大層血が出る、何《ど》うしたんだ、何《なん》の上へ転んだ、石かえ」
 と手を遣《や》ると草苅鎌。田舎では、草苅に小さい子や何かゞ秣《まぐさ》を苅りに出て、帰り掛《がけ》に草の中へ標《しるし》に鎌を突込《つっこ》んで置いて帰り、翌日来て、其処《そこ》から其の鎌を出して草を苅る事があるもので、大かた草苅が置いて行った鎌でございましょう。お久は其の上へ転んで、ズブリ膝の下へ鎌の先が這入ったから、夥《おびたゞ》しく血が流れる。

        二十三

 新「こりゃア、困ったものですね、今お待ち手拭で縛るから」
 久「何《ど》うも痛くって耐《たま》らないこと」
 新「痛いたって真暗《まっくら》で些《ちっ》とも分らない、まアお待ち、此の手拭で縛って上げるから又一つ斯《こ》う縛るから」
 久「あゝ大きに痛みも去った様でございますよ」
 新「我慢してお出でよ、私が負《おぶ》い度《た》いが、包を脊負《しょ》ってるから負《おぶ》う事が出来ないが、私の肩へ確《しっか》り攫《つか》まってお出でな」
 と、びっこ引きながら、
 久「あい有難う、新吉さん、私はまア本当に願いが届いて、お前さんと二人で斯《こ》う遣《や》って斯んな田舎へ逃げて来ましたが、是から世帯《しょたい》を持って夫婦|中能《なかよ》く暮せれば、是程嬉しい事はないけれども、お前さんは男振《おとこぶり》は好《よ》し、浮気者と云う事も知って居るから、ひょっとして外《ほか》の女と浮気をして、お前さんが私に愛想が尽きて見捨てられたら其の時は何《ど》うしようと思うと、今から苦労でなりませんわ」
 新「何《なん》だね、見捨てるの見捨てないのと、昨夜《ゆうべ》初めて松戸へ泊ったばかりで、見捨てるも何も無いじゃアないか、訝《おか》しく疑るね」
 久「いゝえ貴方は見捨てるよ、見捨てるような人だもの」
 新「何《なん》でそんな、お前の伯父さんを便《たよ》って厄介になろうと云うのだから、決して見捨てる気遣《きづかい》はないわね、見捨てれば此方《こっち》が困るからね」
 久「旨く云って、見捨てるよ」
 新「何故そう思うんだね」
 久「何故だって、新吉さん私は斯《こ》んな顔になったよ」
 新「えゝ」
 と新吉が見ると、お久の綺麗な顔の、眼の下にポツリと一つの腫物《しゅもつ》が出来たかと思うと、忽《たちま》ち腫れ上ってまるで死んだ豊志賀の通りの顔になり、膝に手を突いて居る所が、鼻を撮《つま》まれるも知れない真の闇に、顔ばかりあり/\と見えた時は、新吉は怖い三眛《ざんまい》、一生懸命無茶苦茶に鎌で打《ぶ》ちましたが、はずみとは云いながら、逃げに掛りましたお久の咽喉《のどぶえ》へ掛りましたから、
 久「あっ」
 と前へのめる途端に、研澄《とぎす》ました鎌で咽喉を斬られたことでございますから、お久は前へのめって、草を掴んで七転八倒の苦しみ、
 久「うゝン恨めしい」
 と云う一声《ひとこえ》で息は絶えました。新吉は鎌を持ったなり
 新「南無阿弥陀仏/\/\」
 と一生懸命に口の中《うち》で念仏を唱えまする途端に、ドウ/\と云う車軸を流すような大雨、ガラ/\/\/\/\と云う雷鳴|頻《しき》りに轟《とゞろ》き渡るから
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