真景累ヶ淵
三遊亭圓朝
鈴木行三校訂編纂

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)今日《こんにち》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)現在|開《ひら》けた

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「くさかんむり/切」、第3水準1−90−71]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)イヤ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」

*:注釈記号
 (底本では、直後の文字の右横に、ルビのように付く)
(例)*※[#「操のつくり」、第4水準2−4−19]掻
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        一

 今日《こんにち》より怪談のお話を申上げまするが、怪談ばなしと申すは近来大きに廃《すた》りまして、余り寄席《せき》で致す者もございません、と申すものは、幽霊と云うものは無い、全く神経病だと云うことになりましたから、怪談は開化先生方はお嫌いなさる事でございます。それ故に久しく廃って居りましたが、今日になって見ると、却《かえ》って古めかしい方が、耳新しい様に思われます。これはもとより信じてお聞き遊ばす事ではございませんから、或《あるい》は流《りゅう》違いの怪談ばなしがよかろうと云うお勧めにつきまして、名題を真景累ヶ淵と申し、下総国《しもふさのくに》羽生村《はにゅうむら》と申す処の、累《かさね》の後日のお話でございまするが、これは幽霊が引続いて出まする、気味のわるいお話でございます。なれども是はその昔、幽霊というものが有ると私共《わたくしども》も存じておりましたから、何か不意に怪しい物を見ると、おゝ怖い、変な物、ありゃア幽霊じゃアないかと驚きましたが、只今では幽霊がないものと諦めましたから、頓《とん》と怖い事はございません。狐にばかされるという事は有る訳のものでないから、神経病、又天狗に攫《さら》われるという事も無いからやっぱり神経病と申して、何《なん》でも怖いものは皆神経病におっつけてしまいますが、現在|開《ひら》けたえらい方で、幽霊は必ず無いものと定めても、鼻の先へ怪しいものが出ればアッと云って臀餅《しりもち》をつくのは、やっぱり神経が些《ち》と怪しいのでございましょう。ところが或る物識《ものしり》の方は、「イヤ/\西洋にも幽霊がある、決して無いとは云われぬ、必ず有るに違いない」と仰しゃるから、私共は「ヘエ然《そ》うでございますか、幽霊は矢張《やっぱり》有りますかな」と云うと、又外の物識の方は、「ナニ決して無い、幽霊なんというは有る訳のものではない」と仰しゃるから、「ヘエ左様でございますか、無いという方が本当でげしょう」と何方《どちら》へも寄らず障らず、只云うなり次第に、無いといえば無い、有るといえば有る、と云って居れば済みまするが、極《ごく》大昔に断見《だんけん》の論というが有って、是は今申す哲学という様なもので、此の派の論師の論には、眼に見え無い物は無いに違いない、何《ど》んな物でも眼の前に有る物で無ければ有るとは云わせぬ、仮令《たとえ》何んな理論が有っても、眼に見えぬ物は無いに違いないという事を説きました。すると其処《そこ》へ釈迦が出て、お前の云うのは間違っている、それに一体無いという方が迷っているのだ、と云い出したから、益々分らなくなりまして、「ヘエ、それでは有るのが無いので、無いのが有るのですか」と云うと、「イヤ然《そ》うでも無い」と云うので、詰り何方《どちら》か慥《たし》かに分りません。釈迦と云ういたずら者が世に出《いで》て多くの人を迷わする哉《かな》、と申す狂歌も有りまする事で、私共は何方へでも智慧のある方《かた》が仰しゃる方《ほう》へ附いて参りまするが、詰り悪い事をせぬ方《かた》には幽霊という物は決してございませんが、人を殺して物を取るというような悪事をする者には必ず幽霊が有りまする。是が即ち神経病と云って、自分の幽霊を脊負《しょ》って居《い》るような事を致します。例えば彼奴《あいつ》を殺した時に斯《こ》ういう顔付をして睨《にら》んだが、若《も》しや己《おれ》を怨《うら》んで居やアしないか、と云う事が一つ胸に有って胸に幽霊をこしらえたら、何を見ても絶えず怪しい姿に見えます。又その執念の深い人は、生きて居ながら幽霊になる事がございます。勿論死んでから出ると定《き》まっているが、私《わたくし》は見た事もございませんが、随分生きながら出る幽霊がございます。彼《か》の執念深いと申すのは恐しいもので、よく婦人が、嫉妬のために、散《ちら》し髪で仲人の処へ駈けて行《ゆ》く途中で、巡査《おまわり》に出会《でっくわ》しても、少しも巡査が目に入りませんから、突当るはずみに、巡査の顔にかぶり付くような事もございます。又金を溜めて大事にすると念が残るという事もあり、金を取る者へ念が取付いたなんという事も、よくある話でございます。
 只今の事ではありませんが、昔|根津《ねづ》の七軒町《しちけんちょう》に皆川宗悦《みながわそうえつ》と申す針医がございまして、この皆川宗悦が、ポツ/\と鼠が巣を造るように蓄めた金で、高利貸を初めたのが病みつきで、段々少しずつ溜るに従っていよ/\面白くなりますから、大《たい》した金ではありませんが、諸方へ高い利息で貸し付けてございます。ところが宗悦は五十の坂を越してから女房に別れ、娘が二人有って、姉は志賀と申して十九歳、妹は園と申して十七歳でございますから、其の二人を楽《たのし》みに、夜中《やちゅう》の寒いのも厭《いと》わず療治をしては僅《わず》かの金を取って参り、其の中から半分は除《の》けて置いて、少し溜ると是を五両一分で貸そうというのが楽みでございます。安永《あんえい》二年十二月二十日の事で、空は雪催しで一体に曇り、日光おろしの風は身に染《し》みて寒い日、すると宗悦は何か考えて居りましたが、
 宗「姉《あんね》えや、姉えや」
 志「あい……もっと火を入れて上げようかえ」
 宗「ナニ火はもういゝが、追々押詰るから、小日向《こびなた》の方へ催促に行こうと思うのだが、又出て行《ゆ》くのはおっくう[#「おっくう」に傍点]だから、牛込《うしごめ》の方へ行って由兵衞《よしべえ》さんの処《とこ》へも顔を出したいし、それから小日向のお屋敷へ行ったり四ツ谷へも廻ったりするから、泊り掛《がけ》で五六軒|遣《や》って来ようと思う、牛込は少し面倒で、今から行っちゃア遅いから明日《あした》行く事にしようと思うが、小日向のはずるいから早く行かないとなあ」
 志「でもお父《とっ》さん本当に寒いよ、若《も》し降って来るといけないから明日早くお出でなさいな」
 宗「いや然《そ》うでない、雪は催して居てもなか/\降らぬから、雪催しで些《ちっ》と寒いが、降らぬ中《うち》に早く行って来よう、何を出してくんな、綿の沢山はいった半纒《はんてん》を、あれを引掛《ひっか》けて然うして奴《やっこ》蛇の目の傘を持って、傘は紐を付けて斜《はす》に脊負《しょ》って行くようにしてくんな、ひょっと降ると困るから、なに頭巾をかぶれば寒くないよ」
 志「だけれども今日は大層遅いから」
 宗「いゝえそうでは無い」
 と云うと妹のお園が、
 園「お父《とっ》さん早く帰っておくれ、本当に寒いから、遅いと心配だから」
 宗「なに心配はない、お土産《みや》を買って来る」
 と云って出ますると、所謂《いわゆる》虫が知らせると云うのか、宗悦の後影《うしろかげ》を見送ります。宗悦は前鼻緒《まえばなお》のゆるんだ下駄を穿《は》いてガラ/\出て参りまして、牛込の懇意の家《うち》へ一二軒寄って、すこし遅くはなりましたが、小日向|服部坂上《はっとりさかうえ》の深見新左衞門《ふかみしんざえもん》と申すお屋敷へ廻って参ります。この深見新左衞門というのは、小普請組《こぶしんぐみ》で、奉公人も少ない、至って貧乏なお屋敷で、殿様は毎日御酒ばかりあがって居るから、畳などは縁《へり》がズタ/\になって居《お》り、畳はたゞみ[#「み」に傍点]ばかりでたた[#「たた」に傍点]は無いような訳でございます。
 宗「お頼み申します/\」
 新「おい誰《たれ》か取次が有りますぜ、奥方、取次がありますよ」
 奥「どうれ」
 と云うので、奉公人が少ないから奥様が取次をなさる。

        二

 奥「おや、よくお出でだ、さア上《あが》んな、久しくお出でゞなかったねえ」
 宗「ヘエこれは奥様お出向いで恐れ入ります」
 奥「さアお上り、丁度殿様もお在宅《いで》で、今御酒をあがってる、さア通りな、燈光《あかり》を出しても無駄だから手を取ろう、さア」
 宗「これは恐入ります、何か足に引掛《ひっかゝ》りましたから一寸《ちょっと》」
 奥「なにね畳がズタ/\になってるから足に引掛るのだよ……殿様宗悦が」
 新「いや是は何《ど》うも珍らしい、よく来た、誠に久しく逢わなかったな、この寒いのによく尋ねてくれた」
 宗「ヘエ殿様御機嫌|好《よ》う、誠に其の後《のち》は御無沙汰を致しましてございます、何うも追々|月迫《げっぱく》致しまして、お寒さが強うございますが何もお変りもございませんで、宗悦身に取りまして恐悦に存じます」
 新「先頃は折角尋ねてくれた処が生憎《あいにく》不在で逢わなかったが何うも遠いからのう、なか/\尋ねるたって容易でない、よくそれでも心に掛けて尋ねてくれた、余り寒いから今一人で一杯始めて相手欲しやと思って居た処、遠慮は入らぬ、別懇《べっこん》の間ださア」
 宗「ヘエ有難い事で、家内のお兼《かね》が御奉公を致した縁合《えんあい》で、盲人が上りましても、直々《じき/\》殿様がお逢い遊ばして下さると云うのは、誠に有難いことでございますが、ヘエ、なに何う致しまして」
 奥「宗悦やお茶を此処《こゝ》に置くよ」
 宗「ヘエ是は何うも恐れ入ります」
 新「奥方宗悦が久振《ひさしぶり》で来たから何《なん》でも有合《ありあい》で一つ、随分飲めるから飲まして遣《や》りましょう、エヽ奥方|勘藏《かんぞう》は居らぬかえ、エ、ナニ何か一寸、少しは有ろう、まア/\宗悦|此方《こちら》へ来な、却《かえ》って鯣《するめ》ぐらいの方が好《よ》い、随分酔うものだよ、さアずっと側へ来な、奥方頼みます」
 奥「宗悦ゆるりと」
 と云うので、別に奉公人が有りませんから、奥様が台所で拵《こしら》えるのでございます。
 新「宗悦よく来た、さア一つ」
 宗「ヘエ是は恐れ入ります、頂戴致します、ヘエもう…おッと溢《こぼ》れます」
 新「これは感心、何うもその猪口《ちょく》の中へ指を突込んで加減をはかると云うのは其処《そこ》は盲人でも感服なもの、まア宗悦よく来たな、何《なん》と心得て来た」
 宗「ヘエ何と云って殿様申し上げるのはお気の毒でげすが、先年|御用達《ごようだ》って置いたあの金子の事でございます、外《ほか》とは違いまして、兼が御奉公を致しましたお屋敷の事でございますから、外よりは利分《りぶん》をお廉《やす》く致しまして、十五両一分で御用達ったのは僅《わず》か三十金でございますが、あれ切《ぎ》り何とも御沙汰がございませんから、再度参りました所が、何分《なにぶん》御不都合の御様子でございますから遠慮致して居《お》るうちに、もう丁度足掛け三年になります、エ誠に今年は不手廻《ふてまわ》りで融通が悪うございます、ヘエ余り延引になりますから、ヘエ何《ど》うか今日《こんにち》は御返金を願いたく出ましてございます、ヘエ何うか今日は是非半金でも戴きませんでは誠に困りますから」
 新「そりゃア何うもいかん、誠に不都合だがのう、当家も続いて不如意でのう、何うも返したくは心得て居《い》るが、種々《いろ/\》その何うも入用が有って何分差支えるからもうちっと待てえ」
 宗「殿様え、貴方《あなた》はいつ上《あが》っても都合が悪いから待てと仰しゃいますがね、何時《いつ》上れば御返金になるという事を確《しっ》かり伺いませ
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