んでは困ります、ヘエ慥《たし》かに何時《いつ》幾日《いっか》と仰しゃいませんでは、私《わたくし》は斯《こ》ういう不自由な身体で根津から小日向まで、杖を引張って山坂を越して来るのでげすから、只出来ぬとばかり仰しゃっては困ります。三年越しになってもまだ出来ぬと云うのは、余《あんま》り馬鹿々々しい、今日《きょう》は是非半分でも頂戴して帰らんければ帰られません、何《なん》ぼ何でも余《あんま》り我儘でげすからなア」
 新「我儘と云っても返せぬから致し方がない、エヽいくら振ろうとしても無い袖は振れぬという譬《たとえ》の通りで、返せぬというものを無理に取ろうという道理はあるまい、返せなければ如何《いかゞ》いたした」
 宗「返せぬと仰しゃるが、人の物を借りて返さぬという事はありません、天下の直参《じきさん》の方が盲人の金を借りて居て出来ないから返せぬと仰しゃっては甚《はなは》だ迷惑を致します、そのうえ義理が重なって居りますから遠慮して催促も致しませんが、大抵|四月縛《よつきしばり》か長くても五月《いつゝき》という所を、べん/″\と廉《やす》い利で御用達《ごようだて》申して置いたのでげすから、ヘエ何うか今日《こんにち》御返金を願います、馬鹿々々しい、幾度来たって果《はて》しが附きませんからなア」
 新「これ、何《なん》だ大声を致すな、何だ、痩せても枯れても天下の直参が、長らく奉公をした縁合を以《もっ》て、此の通り直々に目通りを許して、盃《さかずき》でも取らすわけだから、少しは遠慮という事が無ければならぬ、然《しか》るを何だ、余《あま》り馬鹿々々しいとは何《ど》ういう主意を以て斯《かく》の如く悪口《あっこう》を申すか、この呆漢《たわけ》め、何だ、無礼の事を申さば切捨てたってもよい訳だ」
 宗「やア是は篦棒《べらぼう》らしゅうございます、こりゃアきっと承りましょう、余《あんま》りと云えば馬鹿々々しい、何《なん》でげすか、金を借りて置きながら催促に来ると、切捨てゝもよいと仰しゃるか、又金が返せぬから斬って仕舞うとは、余り理不尽じゃアありませんか、いくら旗下《はたもと》でも素町人《すちょうにん》でも、理に二つは有りません、さア切るなら斬って見ろ、旗下も犬の糞《くそ》もあるものか」
 と宗悦が猛《たけ》り立って突っかゝると、此方《こちら》は元来御酒の上が悪いから、
 新「ナニ不埓《ふらち》な事を」
 と立上ろうとして、よろける途端に刀掛《かたなかけ》の刀に手がかゝると、切る気ではありませんが、無我夢中でスラリと引抜き、
 新「この糞たわけめが」
 と浴せかけましたから、肩先深く切込みました。

        三

 新左衞門は少しもそれが目に入らぬと見えて、
 新「何《なん》だこのたわけめ、これ此処《こゝ》を何処《どこ》と心得て居《お》る、天下の直参の宅へ参って何だ此の馬鹿者め、奥方、宗悦が飲《たべ》酔って参って兎《と》や角《こ》う申して困るから帰して下さい、よう奥方」
 と云われて奥方は少しも御存じございませんから手燭《てしょく》を点《つ》けて殿様の処へ行って見ると、腕は冴《さ》え刃物は利《よ》し、サッという機《はずみ》に肩から乳の辺《あたり》まで斬込まれて居《い》る死骸を見て、奥方は只べた/″\/″\と畳の上にすわって、
 奥「殿様、貴方何を遊ばしたのでございます、仮令《たとえ》宗悦が何《ど》の様な悪い事がありましても別懇な間でございますのに、何《なん》でお手打に遊ばした、えゝ殿様」
 新「ナニたゞ背打《むねうち》に」
 と云って、見ると、持って居《い》る一刀が真赤に鮮血《のり》に染《そ》みて居るので、ハッとお驚きになると酔《えい》が少し醒《さ》めまして、
 新「奥方心配せんでも宜《よろ》しい、何も驚く事はありません、宗悦《これ》が無礼を云い悪口たら/\申して捨置き難《がた》いから、一打《ひとうち》に致したのであるから、其の趣を一寸|頭《かしら》へ届ければ宜しい」
 ナニ人を殺してよい事があるものか、とは云うものゝ、此の事が表向になれば家にも障ると思いますから、自身に宗悦の死骸を油紙《あぶらかみ》に包んで、すっぽり封印を附けて居りますると、何《なん》にも知りませんから田舎者の下男が、
 男「ヘエ葛籠《つゞら》を買って参りました」
 新「何《なん》だ」
 男「ヘエ只今帰りました」
 新「ウム三右衞門《さんえもん》か、さア此処《こゝ》へ這入れ」
 三「ヘエ、お申付の葛籠を買《と》って参りましたが何方《どちら》へ持って参ります」
 新「あゝこれ三右衞門、幸い貴様に頼むがな実は貴様も存じて居る通り、宗悦から少しばかり借りて居《お》る、所が其の金の催促に来て、今日は出来ぬと云ったら不埓な悪口を云うから、捨置き難いによって一刀両断に斬ったのだ」
 三「ヘエ、それは何《ど》うも驚きました」
 新「叱《し》っ、何も仔細はない、頭へ届けさえすれば仔細はない事だが、段々物入りが続いて居る上に又物入りでは実に迷惑を致す、殊《こと》には一時面倒と云うのは、もう追々月迫致して居《お》ると云う訳で、手前は長く正当に勤めてくれたから誠に暇を出すのも厭だけれども、何うか此の死骸を、人知れず、丁度宜しい其の葛籠へ入れて何処《どこ》かへ棄てゝ、然《そ》うして貴様は在処の下総《しもふさ》へ帰ってくれよ」
 三「ヘエ、誠に、それはまあ困ります」
 新「困るったって、多分に手当を遣《や》りたいが、何うも多分にはないから十金遣ろうが、決して口外をしてはならぬぞ、若《も》し口外すると、己《おれ》の懐から十両貰った廉《かど》が有るから、貴様も同罪になるから然う思って居ろ、万一この事が漏れたら貴様の口から漏れたものと思うから、何処までも草を分けて尋ね出しても手打にせんければならぬ」
 三「ヘエ棄てまするのはそれは棄ても致しましょうし、又人に知れぬ様にも致しますが、私《わたくし》は臆病で、仏の入った葛籠を、一人で脊負《しょ》って行くのは気味が悪うございますから、誰《たれ》かと差担《さしにな》いで」
 新「万一にも此の事が世間へ流布してはならぬから貴様に頼むのだ、若し脊負えぬと云えばよんどころない貴様も斬らんければならぬ」
 三「エヽ脊負います/\」
 と云うので十両貰いました。只今では何《なん》でもございませんが、其の頃十両と申すと中々|大《たい》した金でございますから、死人を脊負って三右衞門がこの屋敷を出るは出ましたが、何《ど》うしても是を棄てる事が出来ません、と申すは、臆病でございますから少し淋しい処を歩くと云うと、死人が脊中に有る事を思い出して身の毛が立つ程こわいから、なるたけ賑《にぎ》やかな処ばかり歩いて居るから、何うしても棄てる事が出来ません、其の中《うち》に何処《どこ》へ棄てたか葛籠を棄てゝ三右衞門は下総の在所へ帰って仕舞うと、根津七軒町の喜連川《きつれがわ》様のお屋敷の手前に、秋葉《あきは》の原があって、その原の側《わき》に自身番がござります。それから附いて廻って四五間参りますると、幅広の路次《ろじ》がありまして、その裏に住《すま》って居りまするのは上方《かみがた》の人でござりますが、此の人は長屋中でも狡猾者《こうかつもの》の大慾張《だいよくばり》と云うくらいの人、此の上方者が家主《いえぬし》の処へ参りまして、
 上「ヘイ今日は、お早うござります」
 家主女房「おや、お出《いで》なさい何か御用かえ」
 上「ヘエ今日は、旦那はんはお留守でござりますか、ヘエ、それは何方《どちら》へ、左様でござりますか、実はなア私《わたくし》は昨夜盗賊に出逢いましたによって、お届《とゞけ》をしようと思いましたが、何分《なにぶん》届をするのは心配でナア、世間へ知れてはよくあるまいから、どうもナア、その荷物が出さえすればよいと思うて居りました、実は私の嬶《かゝ》の妹《いもと》がお屋敷奉公をしたところが、奥さんの気に入られて、お暇を戴く時に途方もない結構な物を品々戴いて、葛籠に一杯あるを、何処《どこ》か行く処の定まるまで預かってくれえというのを預けられて、家《うち》に置くと、盗賊に出逢うて、その葛籠が無くなったによって、私はえらい心配を致しまして、もし、これからその義理ある妹へ何《ど》うしようと、実は嬶に相談して居りますると、秋葉の傍《わき》に葛籠を捨てゝ有りますから、あれを引取って参りとうござりますが、旦那はんが居やはらんければ、引取られぬでござりましょうか」
 女房「おや/\然《そ》うかえ、それじゃアね、亭主《うち》は居りませんが、總助《そうすけ》さんに頼んで引取ってお出《いで》なさい」
 上「ヘイ有難うござります、それでは總助はんに頼んで引取りを入れまして」
 と横着者で、これから總助と云う町代《ちょうだい》を頼んで、引取りを入れて、とう/\脊負って帰って来ました。

        四

 上「ヘエ只今總助はんにお頼み申して此の通り脊負《せお》うて参りました」
 家主女房「おや大層立派な葛籠ですねえ」
 上「ヘエ、これが無《の》うなってはならんと大層心配して居りました、ヘエ有難うござります」
 女房「何《ど》うして其処《そこ》に棄てゝ行ったのでしょう」
 上「それは私が不動の鉄縛《かなしばり》と云うのを遣りましたによって、身体が痺れて動かれないので、置いて行ったのでござりましょ、エヽ、ヘイ誠に有難いもので、旦那がお帰りになったら宜しゅうお礼の処を願います、ヘエ左様なら」
 とこれから路次の角から四軒目《しけんめ》に住んで居りますから、水口《みずぐち》の処を明けて、
 上「おい一寸手を掛けてくれえ」
 妻「あい、おや立派な葛籠じゃアないか」
 上「どうじゃ、ちゃんと引取りを入れて脊負《せお》うて来たのじゃから、何処《どこ》からも尻も宮も来《き》やへん、ヤ何《なん》でもこれは屋敷から盗んで来た物に違いないが、屋敷で取られたと云うては、家事不取締になるによって容易に届けまへん、又置いていった泥坊は私の葛籠だと云って訴える事は出来まへん、して見ればどこからも尻宮の来る気遣《きづかい》はないによって、私が引取りを入れて引取ったのじゃ、中にはえらい金目の縫模様《ぬいもよう》や紋付もあるか知れんから、何様《どのよう》にも売捌《うりさばき》が付いたら、多分の金を持って、ずっと上方へ二人で走ってしまえば決して知れる気遣はなしじゃ」
 妻「そうかえ、まあ一寸明けて御覧な」
 上「それでも葛籠を明けて中から出る品物がえらい紋付や熨斗目《のしめ》や縫《ぬい》の裲襠《うちかけ》でもあると、斯《こ》う云う貧乏長屋に有る物でないと云う処から、偶然《ひょっと》して足を附けられてはならんから、夜《よ》さり夜中に窃《そっ》と明けて汝《わぬし》と二人で代物《しろもの》を分けるが宜《えゝ》ワ」
 妻「然《そ》うだねえ嬉しいこと、お屋敷から出た物じゃア其様《そん》な物はないか知らぬが、若《も》し花色裏の着物が有ったら一つ取って置いてお呉れよ」
 上「それは取って置くとも」
 妻「若しちょいと私に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《さ》せそうな櫛《くし》笄《こうがい》があったら」
 上「それも承知や」
 妻「漸々《よう/\》運が向いて来たねえ」
 上「まあ酒を買《こ》うて」
 と云うので是から楽酒《たのしみざけ》を飲んで喜んで寝まする。すると一番奥の長屋に一人者があって其処《そこ》に一人の食客《いそうろう》が居りましたが、これは其の頃|遊人《あそびにん》と云って天下禁制の裸で燻《くすぶ》って居る奴、
 ○「おい甚太《じんた》/\」
 甚「ア、ア、ア、ハアー、ン、アーもう食えねえ」
 ○「おい寝惚けちゃアいけねえ、おい、起きねえか、エヽ静かにしろ、もう時刻は好《い》いぜ」
 甚「何を」
 ○「何をじゃアねえ忘れちゃア仕様がねえなア、だから獣肉《もゝんじい》を奢《おご》ったじゃアねえか」
 甚「彼《あ》の肉を食うと綿衣《どてら》一枚《いちめえ》違うというから半纒《はんてん》を質に置いてしまったが、
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