、知らぬ土地で人を殺し、殊《こと》に大雨に雷鳴《かみなり》ゆえ、新吉は怖い一三眛《いっさんまい》、早く逃げようと包を脊負《しょ》って、ひょっと人に見られてはならぬと慄《ふる》える足を踏締めながらあせります。すると雨で粘土《ねばつち》が滑るから、ズルリ滑って落ちると、ボサッカの脇の処へズデンドウと臀餅《しりもち》を搗きまする、とボサッカの中から頬冠《ほゝかぶり》をした奴がニョコリと立った。此の時は新吉が驚きましたの驚きませんのではない。
新「ア」
と息が止るようで、後《あと》へ退《さが》って向《むこう》を見透《みすか》すと、向の奴も怖かったと見えて此方《こっち》を覗《のぞ》く、互《たがい》に見合いましたが、何様《なにさま》真の闇で、互に睨《にら》みあった処が何方《どっち》も顔を見る事が出来ません。新吉は電光《いなびかり》の時に顔を見られないようにすると、其の野郎も雷《らい》が嫌いだと見えて能《よ》く見る事も致しません。電光の後で闇《くら》くなると、
男「この泥坊」
と云うので新吉の襟を掴みましたが、是は土手下の甚藏《じんぞう》と云う悪漢《わるもの》、只今|小博奕《こばくち》をして居る処へ突然《いきなり》手が這入り、其処《そこ》を潜《くゞ》り抜けたが、烈しく追手《おって》が掛りますから、用水の中を潜り抜けてボサッカの中へ小さくなって居る処へ、新吉が落ちたから、驚いてニョコリと此の野郎が立ったから、新吉は又|怪物《ばけもの》が出たかと思って驚きましたが、新吉は襟がみを取られた時は、もう天命|極《きわ》まったとは思ったが、死物狂いで無茶苦茶に掻毟《かきむし》るから、此の土手の甚藏が手を放すと、新吉は逃げに掛る途端、腹這に倒れました。すると甚藏は是を追駈《おっか》けようとして新吉に躓《つま》づき向《むこう》の方へコロ/\と転がって、甚藏はボサッカの用水の中へ転がり落ちたから、此の間に逃げようとする。又|後《うしろ》から、
甚「此の野郎」
と足を取ってすくわれたから仰向に倒れる処へ、甚藏が乗掛って掴まえようとする処を、新吉が足を挙げて股を蹴《けっ》たのが睾丸《きんたま》に当ったから、
甚「ア痛タ」
と倒れる処を新吉が掴み付こうと思ったが、イヤ/\荷物を脇へ落したからと荷物を探す途端に、甚藏の面《つら》へ毟《むし》り付いたから、
甚「此の野郎」
と組付いた処を其の手を取って逆に捻《ねじ》ると、ズル/\ズデンと滑って転げると云う騒ぎで、二人とも泥ぼっけになると、三町ばかり先へ落雷でガラ/\/\/\/\ビューと火の棒の様なる物が下《さが》ると、丁度|浄禅寺《じょうぜんじ》ヶ淵辺りへピシーリと落雷、其の響《ひゞき》に驚いて、土手の甚藏は、体《なり》は大兵《だいひょう》で度胸も好《い》い男だが、虫が嫌うと見え、落雷に驚いてボサッカの中へ倒れました。すると新吉は雷よりも甚藏が怖いから、此の間《ま》に包を抱えて土手へ這上《はいあが》り、無茶苦茶に何処《どこ》を何《ど》う逃げたか覚え無しに、畑の中や堤《どて》を越して無法に逃げて行《ゆ》く、と一軒|茅葺《かやぶき》の家の中で焚物《たきもの》をすると見え、戸外《おもて》へ火光《あかり》が映《さ》すから、何卒《どうぞ》助けて呉れと叩き起しましたが、其の家《うち》は土手の甚藏の家《うち》、間抜な奴で、新吉再び土手の甚藏に取って押えられると云う。是から追々《おい/\》怪談になりますが、一寸一息つきまして。
二十四
一席引続きましてお聞《きゝ》に入れますは、累が淵のお話でございます。新吉は土手の甚藏に引留められ、既に危《あやう》い処へ、浄禅寺ヶ淵へ落雷した音に驚き、甚藏が手を放したのを幸い、其の紛れに逃延びましたが、何分《なにぶん》にも初めて参った田舎道、勝手を心得ませんから、たゞ畑の中でも田の中でも、無茶苦茶に泥だらけになって逃げ出しまして、土手伝いでなだれを下《お》り、鼻を撮《つま》まれるも知れません二十七日の晩でございますが、透《すか》して見ると一軒茅葺屋根の棟《むね》が見えましたから、是は好《い》い塩梅だ、此処《こゝ》に人家があったと云うので、駈下りて覗くと、チラ/\焚火《たきび》の明《あかり》が見えます。
新「ヘエ、御免なさい/\、少し御免なさい、お願いでございます」
男「誰だか」
新「ヘイ、私《わたくし》は江戸の者でございますが、御当地へ参りまして、此の大雨に雷鳴《かみなり》で、誠に道も分りませんで難儀を致しますが、少しの間お置きなすって下さる訳には参りますまいか、雨の晴れます間でげすがナ」
男「ハア大雨に雷鳴で困るてえ、それだら明けて這入りなせい、明《あけ》る戸だに」
新「ヘエ左様でげすか、御免なさい、慌《あわ》てゝ居りますから戸が隙《す》いて居りますのも夢中でね、ヘイ何《ど》うも初めて参りましたが、泊《とまり》で聞き/\参りました者で、勝手を知りませんから難儀致しまして、もう川へ落ちたり田の中へ落ちましたりして、漸々《よう/\》の事で此方《こちら》まで参りましたが、何うか一晩お泊めなすって下されますれば有難い事で」
男「泊めるたって泊めねえたって己《おれ》の家《うち》じゃアねえ、己も通り掛って雷鳴が嫌いで、大雨は降るし、仕様が無《な》えが、此処《こゝ》ナ家《いえ》へ駈込んで、主《あるじ》は留守だが雨止《あまや》みをする間、火の気が無《な》えから些《ちっ》とばかり麁朶《そだ》を突燻《つっくべ》て燃《もや》して居るだが、己が家《うち》でなえから泊める訳にはいきませんが、今|主《あるじ》が帰《けえ》るかも知んねえ、困るなれば、此処《こゝ》へ来て、囲炉裡《いろり》の傍《はた》で濡れた着物を炙《あぶ》って、煙草でも呑んで緩《ゆっく》り休みなさえ」
新「ヘエ貴方の家《うち》でないので」
男「私《わし》が家では無《な》えが、同村《どうそん》の者だが雨で仕様がねえから来ただ」
新「左様で、此方《こちら》の御主人様は御用でも有ってお出掛になったので」
男「なアに主《あるじ》は十日も廿日《はつか》も帰らぬ事もある、まア上りなさえ」
新「有難うございますが泥だらけになりまして」
男「泥だらけだって己も泥足で駈込んだ、此方《こっち》へ上りなさえ、江戸の者が在郷へ来ては泊る処に困る、宿を取るには水街道へ行がねえば無《ね》えからよ」
新「はい水街道の方から参ったので、有難うございます、実に驚きました、酷《ひど》い雨で、此様《こんな》に降ろうとは思いませんでした、実に雨は一番困りますな」
男「今雨が降らんでは作《さく》の為によく無《な》えから、私《わし》の方じゃア降《ふる》も些《ちっ》とはよいちゃア」
新「成程そうでしょうねえ、雷鳴《かみなり》には実に驚きまして、此地《こっち》は筑波《つくば》近《ぢか》いので雷鳴は酷《ひど》うございますね」
男「雷も鳴る時に鳴らぬと作の為によく無《な》えから鳴るもえゝだよ」
新「ヘエー、然《そ》うでげすか、此方《こちら》の旦那様は何時頃《いつごろ》帰りましょうか」
男「何時《いつ》帰《けえ》るか知れぬが、まア、何時帰ると私等《わしら》に断って出た訳で無《ね》えから受合えねえが、明けると大概|七《なゝ》八日《ようか》ぐれえ帰らぬ男で」
新「ヘエ、困りますな、何《ど》う云う御商売で」
男「何うだって遊人《あそびにん》だ、彼方《あっち》此方《こっち》二晩三晩と何処《どこ》から何処へ行くか知れねえ男で、やくざ野郎サ」
新「左様で、道楽なお方でございますので」
男「道楽だって村じゃア蝮《まむし》と云う男だけれども、又用に立つ男さ」
と悪口《わるくち》をきいて居る処へ、ガラリと戸を明けて帰って来たが、ずぶ濡《ぬれ》で、
甚「あゝ酷《ひど》かった」
男「帰《けえ》ったか」
甚「ムヽ今|帰《けえ》った、誰だ清《せい》さんか、今帰ったが、松《まつ》が賀《か》で詰らねえ小博奕《こばくち》へ手を出して打って居ると、突然《だしぬけ》に手が這入《へえ》って、一生懸命に逃げたが、仕様がねえから用水の中へ這入って、ボサッカの中へ隠れて居た」
清「己《おれ》は今通り掛《がゝ》って雨に遇《あ》って逃げる処がねえのに、雷様《らいさま》が鳴って来たから魂消《たまげ》てお前《めえ》らが家《うち》へ駈込んで、今囲炉裡へ麁朶ア一燻《ひとくべ》したゞ」
甚「いゝや何《ど》うせ開《あけ》ッ放《ぱな》しの家《うち》だアから、是は何処《どこ》の者だ、何《なん》だいお前《めえ》は」
清「此家《ここ》な主人《あるじ》で、挨拶さっせえ、是は江戸の者だが雨が降って雷鳴《かみなり》に驚き泊めてくれと云うが、己《おれ》が家《うち》でねえからと話して居る処だ、是が主人だ」
新「左様で、初めまして、私《わたくし》は江戸の者で、小商《こあきない》を致します新吉と申す不調法者、此地《こちら》へ参りましたが、雷鳴《かみなり》が嫌いで此方様《こちらさま》へ駈込んだ処が、お留守様でございますから泊《とめ》る訳にはいかぬと仰しゃって、お話をして居る処で、よくお帰りで、何卒《どうぞ》今晩一晩お泊め下されば有難い事で、追々夜が更けますから、何卒一晩|何様《どん》な処でも寝かして下されば宜しいので」
甚「好《い》い若《わけ》え者《もん》だ、いゝや、まア泊って行きねえ、何《ど》うせ着て寝る物はねえ、留守勝《るすがち》だから食物《くいもの》もねえ、鍋は脇へ預けてしまったしするから、コロリと寝て明日《あした》行きねえ、己と一緒に寝ねえ」
新「ヘエ、有難う存じます」
清「己《おら》ア帰《けえ》るよ」
甚「まア/\宜《い》いやな」
清「己ア帰るべい、何か、手が這入《へえ》ったか」
甚「困ったからボサッカの中へ隠れて居たので、お前《めえ》帰《けえ》るならうっかり往《い》っちゃアいけねえ、今夜ボサッカの脇に人殺しが有った」
清「何処《どこ》に」
甚「己がボサッカの中に隠れて居ると、暗くって分らぬが、きゃアと云う声がノウ女の殺される声だねえ、まア本当に殺される声は今迄知らねえが、劇場《しばい》で女が切殺される時、きゃアとかあれイとか云うが、そんな事を云ったってお前《めえ》には分らねえが、凄《すご》いものだ、己も怖かった」
清「怖《おっ》かねえ、女をまア、何《なん》てエ、人を殺すったって村方《むらかた》の土手じゃアねえか、ウーン怖かなかんべえ、ウーン何《ど》うした」
甚「何うしたって凄いやア、うっかり通って怪我《けが》でもするといけねえから、其の野郎は刀や何かで殺す程の者でもねえ奴で、鎌で殺しゃアがったのよ、女の死骸は川へ投《ほう》り込んだ様子、忌々《いめえま》しい畜生《ちきしょう》だ、此の村へも盗人《ぬすっと》に這入《へえ》りやアがるだろうと思うから、其の野郎の襟首《えりくび》を取って引摺《ひきず》り倒した、すると雷が落ちて、己はどんな事にも驚きゃアしねえが雷には驚く、きゃアと云って田の畔《くろ》へ転げると、其の機《はずみ》に逃げられたが、忌々しい事をした」
二十五
清「怖《おっ》かねえナ、然《そ》うか怖かなくて通れねえ」
甚「気を付けて行きねえ」
清「まだ居るかなア」
甚「もう居やアしめえ、大丈夫《でえじょうぶ》だ、美人《いゝおんな》なら殺すだろうが、お前《めえ》のような爺さんを殺す気遣いはねえ」
清「じゃア己《おれ》帰《けえ》る、エヽ、じゃア又|些《ちっ》とべえ畑の物が出来たらくれべえ」
甚「何か持って来て呉れても煮て食う間《ま》がねえから、左様なら、ピッタリ締めて行ってくれ、若者《わけえの》もっと此方《こっち》へ来《き》ねえ」
新「ヘエ」
甚「お前《めえ》江戸から来るにゃア水街道から来たか、船でか」
新「ヘエ渡《わたし》を越して、弘教寺《くぎょうじ》と云うお寺の脇から土手へ掛って参りました」
甚「此方《こっち》へ来る土手で能《よ》く人殺しに出会《でっくわ》さなかったな」
新「私《わたくし》は運よく出会しませんで
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