ょ》の袋を忘れた」
と云いながら新五郎の受取《うけとり》に来る処を飛上って、
金「御用だ神妙にしろ」
と手を取って逆に捻伏《ねじふ》せられたから起《おき》る事が出来ません。
十四
金「手前《てめえ》は深見新五郎だろう、谷中の下總屋でお園を殺し、主人の金を百両盗んで逐電した大泥坊め」
新「イヤ手前は左様なものではござらん」
とは云ったが、あゝ残念なことをした、それでは此処《こゝ》の女房もぐる[#「ぐる」に傍点]であったと見える、刃物を仕舞われたから是はもう迚《とて》も遁《のが》れぬ。と思いました。いゝ悪党なれば、斯《こ》う云う時の為に懐にどす[#「どす」に傍点]といって一本|匕首《あいくち》をのんで居るが、それ程商売人の泥的《どろてき》ではありませんから、用意をいたしておりません。もう天命|究《きわ》まったと思うと、一寸指の先へ障りましたのは、先刻《さっき》ふと女房に聞いた柿の皮を剥く庖丁と云う鯵切《あじきり》の様な物が、これが手に障ったのを幸《さいわい》と、
新「左様な覚《おぼえ》はない、人違《ひとちがい》でござる」
と云って、起上《おきあが》りながらズンと金太郎の額へ突掛《つっか》けたから、
金「アッ」
と後《あと》へ下《さが》って傷口を押えると、額から血がダラ/\流れて真赤になり、真実《ほんとう》の金太郎の様になります。続いて逃《にげ》たらと隠れていた捕者の上手な富藏《とみぞう》と云う者が、
富「神妙にしろ、御用だ」
と十手を振上げて打って掛るやつを取って抉《えぐ》ったから、ヒョロ/\とひょろついて台所の竈《へっつい》でボッカリ膝を打って、裏口へ蹌踉《よろけ》出したから、しめたと裏口の戸をしめ、辛張《しんばり》をかって置いて表を覗《のぞ》くと人が居る様子だから、確《しっか》り鑰《かきがね》を掛けて燈光《あかり》を消し、庖丁の先で箪笥の錠をガチ/\やって漸《ようや》く錠を明け、取出した衣類を身に纒《まと》い、大小を差して、サア出ようと思ったが、迚《とて》も表からは出られませんから、屋根伝いにして逃げようと、階子《はしご》を上《あが》って裏手の小窓を開けて見ると、ずうっと棟割《むねわり》長屋になって物干が繋《つな》がって居て、一軒|毎《ごと》に一間ばかりの丸太がありそれへ小割《こわり》が打って物干竿《ものほしざお》の掛る様になっているから、此の物干伝いに伝わって行《ゆ》けば、何処《どこ》へか逃げられるとは思ったが、なか/\油断は出来ませんから、長物《ながもの》を抜いて新五郎が度胸をすえ、小窓から物干へ這出して来ます。すると捕手《とりて》の方も手当は十分に附いているから、もし此の窓から逃出したら頭脳《あたま》を打破《うちわ》ろうと、勝藏《かつぞう》と云う者が木太刀《きだち》を振上げて待って居る所へ、新五郎は斯《こ》う腹這《はらばい》になって頸《くび》をそうッと出した。すると、
勝「御用だ」
ピューッ[#「ピューッ」は底本では「ピュッー」]と来るやつを、身を退《ひ》き身体を逆に反《かえ》して、肋《あばら》の所へ斬込んだから、勝藏は捕者は上手だが物干から致してガラ/\/\どうと転がり落ちる。其の間に飛下りようとする。所が下には十分手当が届いているから下りる事が出来ません。すると丁度隣の土蔵が塗直しで足場が掛けてあって笘《とま》が掛っているから、それを潜《くゞ》って段々参ると、下の方ではワア/\と云う人声《ひとごえ》、もう然《そ》うなると、人が十人居ても五十人も居る様に思われますから、新五郎は窃《そっ》と音のしない様に笘を潜り抜けて、段々横へ廻って参り、此の空地《あきち》へ飛下り、彼方《あちら》の板塀を毀《こわ》して、向《むこう》の寺へ出れば逃《のが》れられようと思い、足場を段々に下りまして、もう宜《よ》かろう、と下を見ると藁《わら》がある。しめたと思ってドンと其処《そこ》へ飛下りると、
新「ア痛タ……」
と臀餅《しりもち》をつく筈《はず》です、其の下にあったのは押切《おしぎり》と云う物で、土踏まずの処を深く切込みましたから、新五郎ももう是までと覚悟しました。跛《びっこ》になっては、迚《とて》も遁《のが》れる事も出来ませんから、到頭《とうとう》縄に掛って引かれます。
新「あゝ因縁は恐しいもの、三年|跡《あと》にお園を殺したも押切、今又押切へ踏掛けてそのために己《おれ》が縄に掛って引かれるとは、お園の怨《うらみ》が身に纒《まと》って斯《かく》の如くになること」
と実に新五郎も夢の覚めた様になりましたが、是が丁度三年目の十一月二十日、お園の三回忌の祥月命日《しょうつきめいにち》に、遂に新五郎が縄目に掛って南の御役宅へ引かれると云う、是より追々怪談のお話に相成ります。
十五
引続きまして真景累が淵、前回よりは十九年経ちましてのお話に相成りますが、根津七軒町の富本《とみもと》の師匠|豐志賀《とよしが》は、年卅九歳で、誠に堅い師匠でございまして、先年妹お園を谷中七面前の下總屋と云う質屋へ奉公に遣《や》って置きました処、図らぬ災難で押切の上へ押倒され、新五郎の為に非業の死を遂げましたが、それからは稽古をする気もなく、同胞《きょうだい》思いの豊志賀は懇《ねんごろ》に妹お園の追福を営み、追々月日も経ちまするので気を取直し、又|矢張《やっぱり》稽古をする方が気が紛れていゝから、と世間の人も勧めまするので、押っ張って富本の稽古を致す様になりましたが、女の師匠と云う者は、堅くないとお弟子がつきません。彼処《あすこ》の師匠は娘を遣って置いても行儀もよし、言葉遣いもよし、真《まこと》に堅いから、あの師匠なら遣るが宜《い》い、実に堅い人だ、と云うので大家《たいけ》の娘も稽古に参ります。すると、男嫌いで堅いと云うから、男は来そうもないものでございますが、堅い師匠だと云うと、妙に男が稽古に参ります。
「師匠是は妙な手桶で、台所で遣《つか》うのには手で持つ処が小さくって軽くって、師匠などが水を汲むにいゝから、私が一つ桶屋に拵《こしら》えさして持って来た」
とか、又朝早く行って、瓶《かめ》へ水を汲んで流しを掃除しようなどと手伝いに参ります。中には内々《ない/\》張子連《はりこれん》などと申しまして、師匠が何《どう》かしてお世辞の一言《ひとこと》も云うと、それに附込んで口説落《くどきおと》そうなどと云う連中《れんじゅう》、経師屋《きょうじや》連だの、或《あるい》は狼連などと云う、転んだら喰おうと云う連中が来るのでありますから、種々《いろ/\》親切に世話を致します。時々|浚《さら》いや何か致しますと、皆《みんな》此の男の弟子が手伝いに参りますが、ふと手伝いに来た男は、下谷《したや》大門町《だいもんちょう》に烟草屋《たばこや》を致して居《お》る勘藏と云う人の甥《おい》、新吉と云うのでございますが、ぶら/\遊んで居るから本石町《ほんこくちょう》四丁目の松田と云う貸本屋へ奉公に遣《や》りましたが、松田が微禄いたして、伯父の処へ帰って遊んでいるから、少し烟草を売るがいゝと云うので、掴《つかみ》煙草を風呂敷に包み、処々《ところ/″\》売って歩きますが、素《もと》より稽古が好きで、閑《ひま》の時は、水を汲みましょうお湯を沸《わか》しましょうなどと、ヘエ/\云ってまめに働きます。年二十一でございますが、一寸|子※[#「てへん+丙」、第4水準2−13−2]《こがら》の好《よ》い愛敬のあると云うので、大層師匠の気に入り、其の中《うち》に手少なだから私の家《うち》に居て手伝ってと云うと、新吉も伯父の処に居るよりは、芸人の家《うち》に居るのは粋《いき》で面白いから楽《たのし》みも楽みだし、芸を覚えるにも都合がいゝから、豊志賀の処へ来て手伝いをして居ります。其の年十一月二十日の晩には、霙《みぞれ》がバラ/\降って参りまして、極《ごく》寒いから、新吉は食客《いそうろう》の悲しさで二階へ上《あが》って寝ますが、五布蒲団《いつのぶとん》の柏餅《かしわもち》でもまだ寒いと、肩の処へ股引などを引摺込《ひきずりこ》んで寝まするが、霙はざあ/\と窓へ当ります。其の内に少し寒さが緩《ゆる》みましたかして、夜《よ》が更けてから雨になりまして、どっとと降って参ります。師匠は堅いから下に一人で寝て居りますが、何《なん》だか此の晩は鼠がガタ/\して豐志賀は寝られません。
豐「新吉さん/\」
新「ヘエ何《なん》でげすね」
豐「お前まだ眼が覚めていますかえ」
新「ヘエ、私はまだ覚めて居ります」
豐「そうかえ私も今夜は何だか雨の音が気になって少しも寝られないよ」
新「私も気になって些《ちっ》とも寝られません」
豐「何だか誠に訝《おか》しく淋しい晩だね」
新「ヘエー訝しく淋しい晩でげすね」
豐「寒いじゃアないか」
新「何だかひどく寒うございますね」
豐「なんだね同じ様なことばかり云って、誠に淋しくっていけない、お前さん下へ下りて寝ておくれな、どうも気になっていけないから」
新「そうですか、私も淋しいから下へ下りましょう」
と五布蒲団と枕を抱えて、危い階子《はしご》を下りて来ました。
豐「お前、新吉さん其方《そっち》へ行って柏餅では寒かないかえ」
新「ヘエ、柏餅が一番|宜《い》いんです、布団の両端《りょうはじ》を取って巻付けて両足を束《そく》に立って向《むこう》の方に枕を据《す》えて、これなりにドンと寝ると、好《い》い塩梅に枕の処へ参りますが、そのかわり寝像《ねぞう》が悪いと餡《あん》がはみ出します」
豐「お前寒くっていけまい、斯《こ》うしておくれな、私も淋しくっていけないから、私のネこの上掛《うわがけ》の四布蒲団《よのぶとん》を下に敷いて、私の掻巻《かいまき》の中へお前一緒に這入って、其の上へ五布蒲団を掛けると温《あった》かいから、一緒にお寝な」
新「それはいけません、どうして勿体ない、お師匠さんの中へ這入って、お師匠さんの身体から御光《ごこう》が射すと大変ですからな」
豐「御光だって、寒いからサ」
新「寒うございますがね、明日《あした》の朝お弟子が早く来ましょう、然《そ》うするとお師匠さんの中へ這入って寝てえれば、新吉はお師匠さんと色だなどと云いますからねえ」
豐「宜《い》いわね、私の堅い気象は皆《みんな》が知って居るし、私とお前と年を比べると、私は阿母《おっか》さんみた様で、お前の様な若い子みたいな者と何《ど》う斯《こ》う云う訳は有りませんから一緒にお寝よ」
新「そうでげすか、でも極りが悪いから、中に仕切を入れて寝ましょうか」
豐「仕切を入れたって痛くっていけませんよ、お前|間《ま》がわるければ脊中合《せなかあわせ》にして寝ましょう」
と到頭|同衾《ひとつね》をしましたが、決して男女《なんにょ》同衾はするものでございません。
十六
日頃堅いと云う評判の豐志賀が、どう云う悪縁か新吉と同衾をしてから、不図《ふと》深い中になりましたが、三十九歳になる者が、二十一歳になる若い男と訳があって見ると、息子のような、亭主のような、情夫《いろおとこ》の様な、弟の様な情が合併して、さあ新吉が段々かわいゝから、無茶苦茶新吉へ自分の着物を直して着せたり何か致します、もと食客《いそうろう》だから新吉が先へ起きて飯拵《めしごしら》えをしましたが、此の頃は豐志賀が先へ起きてお飯《まんま》を炊くようになり、枕元で一服つけて
豐[#「豐」は底本では「新」]「さア一服お上《あが》りよ」
新「ヘエ有難う」
豐「何《なん》だよヘエなんて、もうお起きよ」
新「あいよ」
などと追々増長して、師匠の布子《どてら》を着て大胡坐《おおあぐら》をかいて、師匠が楊枝箱《ようじばこ》をあてがうと坐ってゝ楊枝を遣《つか》い嗽《うがい》をするなどと、どんな紙屑買が見ても情夫《いゝひと》としか見えません。誠に中よく致し、新吉も別に行《ゆ》く処も無い事でございますから、少し年をとった女房を持った心持でいましたが、
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