「アラ、びっくりした、新どん、何《なん》でございます」

        十二

 新「アノお園さん、私はね、此の間お前と枕を並べて一度でも寝れば、死んでも宜《い》い、諦めますと云いました」
 園「そんなことは存じませんよ」
 新「存じませんと云ったって覚えてお居《い》でだろう、だがネ私はきっと諦めようと思って無理に頼んでお前の床へ這入って酔った紛れに一寸枕を並べたばかりだが、私はお前と一つ床の中へ這入ったから、猶《なお》諦めが付かなく成ったがね、お園どん、是程思って居るのだから唯《たった》一度ぐらいは云う事を聴いてもいゝじゃアないか」
 園「何《なん》だネ新どん、気違じみて、お前さんも私も奉公して居る身の上でそんな事をして御主人に済みますか、其の事が知れたらお前さんは此の家《うち》を出ても行処《ゆきどころ》が無いじゃアありませんか、若《も》し間違があったならば、私は身寄も親類も無い行処の無いという事は何時《いつ》でも然《そ》う云っておいでだのに、大恩のある御主人に済みませんよ」
 新「済まないのは知って居るが、唯《たった》一度で諦めて是ッ切り猥《いや》らしい事は云う気遣《きづかい》ないから」
 園「アラおよしよ」
 新「お前こんなに思って居るのに」
 と夢中になりお園の手を取ってグッと引寄せる。
 園「アレお止し」
 と云ううち帯を取って後《うしろ》へ引倒しますから、
 園「アレ新どんが」
 と高声《たかごえ》を出して人を呼ぼうと思ったが、そこは病気の時に看病を受けました事があるから、其の親切に羈《ほだ》されて、若《も》し私が呶鳴《どな》れば御主人に知れて、此の人が追出されたら何処《どこ》へも行《ゆ》く処も無し気の毒と思いますから、唯小声で、
 園「新どんお止しよ/\」
 と声を出すようで出さぬが、声を立てられてはならんと、袂《たもと》を口に当てがって、
 新「此方《こっち》へお出で」
 と藁の上へ押倒して上へ乗掛《のりかゝ》るから、
 園「アレ新どん、お前気違じみた、お前も私もしくじったら何《ど》うなさる、新どん、新どん」
 ともがくのを、無理無体に口を押え、夢中になって上へ乗掛ろうとすると、
 園「アレ新どん/\」
 ともがいているうちに、お園がウーンと身を慄《ふる》わして苦しみ、パッと息が止ったから恟《びっく》りして新五郎が見ると、今はどっぷり日が暮れた時で、定かには分りませんが、側にある※[#「くさかんむり/切」、第3水準1−90−71]《すさ》が真赤に血だらけ、
 新「何うしたのか」
 と思って起上ろうとすると、苦し紛れに新五郎の袖に手をかけ、しがみ付いたなりに、新五郎と共にずうッと起《おき》たのを見ると真赤、
 新「お園どん何うしたのだえ」
 と襟《えり》に手をかけて抱起《だきおこ》すと、情《なさけ》ないかな下にあったのは※[#「くさかんむり/切」、第3水準1−90−71]《すさ》を切る押切《おしきり》と云うもの、是は畳屋さんの庖丁を仰向《あおむけ》にした様な実に能《よ》く切れるものでございますが、此の上へお園の乗った事を知らずに、男の力で、大声を立てさせまいと思い、口を押えてグックと押すから、お園はお止しよ/\と身体を※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《もが》くので、着物の上からゾク/\肋《あばら》へかけて切り込みましたから、お園は七転八倒の苦しみ、其の儘息の絶えたのを見て、新五郎は、
 新「アヽ南無阿弥陀仏/\/\、お園どん堪忍しておくれ、全くお前と私は何たる悪縁か、お前が厭がるのを知りながら私が無理無体な事を云いかけて、怖ろしい刃物のあるを知らずにお前を此所《こゝ》へ押倒して殺してしまったから、もう私は生きてはいられない、お園どん確《しっ》かりしておくれ、私が死んでもお前を助けるから」
 と無理に抱起《だきおこ》して見ましたが、もう事が切れて居る。
 新「ハア、もう是は迚《とて》もいかぬな」
 と夢の覚めた様な心持で只茫然として居りましたが、もう迚も此処《こゝ》の家《うち》には居られぬ、といって今更|何処《どこ》といって行《ゆ》く処も無い新五郎、エヽ毒喰わば皿まで舐《ねぶ》れ、もう是までというので、屎《くそ》やけになる。若い中《うち》にはあることで、新五郎は暗《やみ》に紛れてこっそり店へ這入って、此の家《うち》へ来る時差して来た大小を取出し、店に有合《ありあわせ》の百金を盗み取って逐電いたしましたが、さて行《ゆ》く処がないから、遥々《はる/″\》奥州《おうしゅう》の仙台へ参り、仙台様のお抱《かゝえ》になって居る、剣客者《けんかくしゃ》黒坂一齋と云う、元剣術の指南を受けた師匠の処へ参って塾に這入り、剣術の修業《しゅうぎょう》をして身を潜めて居りましたが、城中に居りましたから、頓《とん》と跡が付きません。なれども故郷忘じ難く、黒坂一齋の相果てゝからは、何《ど》うも朋輩《ほうばい》の交際《つきあい》が悪うございますから、もう二三年も経ったから知れやしまいと思って、又奥州仙台から、江戸表へ出て来たのは、十一月の丁度二十日でございます。先《ま》ず浅草の観音様へ参って礼拝《らいはい》を致し、是から何処《どこ》へ行《ゆこ》うか、何《ど》うしたらよかろうと考える中《うち》に、ふと胸に浮んだのは勇治《ゆうじ》と云う元屋敷の下男で、我が十二歳ぐらいの頃まで居たが、其の者は本所辺に居ると云う事で、慥《たし》か松倉町と聞いたから、兎も角も此の者を尋ねて見ようと思い、吾妻橋《あづまばし》を渡って、松倉町へ行《ゆ》きます。菅《すげ》の深い三度笠を冠《かぶ》りまして、半合羽《はんがっぱ》に柄袋《つかぶくろ》のかゝった大小を帯《たい》し、脚半甲《きゃはんこう》がけ草鞋穿《わらじばき》で、いかにも旅馴れて居りまする扮装《いでたち》、行李《こうり》を肩にかけ急いで松倉町から、斯《こ》う細い横町へ曲りに掛ると、跡からバラ/\/\と五六人の人が駈けて来るから、是は手が廻ったか、しくじったと思い、振返って見ると、案の如く小田原提灯が見えて、紺足袋《こんたび》に雪駄穿《せったばき》で捕者《とりもの》の様子だから、あわてゝ其処《そこ》にある荒物屋の店の障子をがらりと明けて、飛上ったから、荒物屋さんでは驚きました。
 女房「何ですねえ、恟《びっく》りしますね」
 と云うと、
 新「ハイ/\/\」
 と云ってブル/\慄《ふる》えながら、ぴったり後《うしろ》を締めて障子の破れから戸外《そと》を覗《のぞ》いて居ります。

        十三

 女「まア何処《どこ》の方です、突然《いきなり》人の家《うち》へ這入って、草鞋をはいたなりで坐ってサ、何《ど》うしたんだえ」
 新「是は/\何うも誠に相済まぬが、今間違で詰らぬ奴に喧嘩を仕掛けられ、私は田舎|武士《ざむらい》で様子が知れぬから、面倒と思って、逃ると追掛《おっか》けたから、是は堪《たま》らんと思って当家へ駈込みお店を荒して済みませんが、今覗いて見れば追掛けたのではない酒屋の御用が犬を嗾《けし》かけたのだ、私は只怖いと思ったものだから追掛けられたと心得たので、誠に相済みません」
 女「困りますね、草鞋を脱いで下さい、泥だらけになって仕様がございませんね、アレ塩煎餅《しおせんべい》の壺へ足を踏みかけて、まアお前さん大変|樽柿《たるがき》を潰したよ」
 新「誠に済まないが、ツイ踏んで二つ潰したから、是は私が買って、あとは元の様に積んで置きます、あの出刃庖丁は何《なん》でげすな」
 女「あれは柿の皮を剥《む》くのでございますよ、何《ど》うも困りますね、だが買って下さればそれで宜《よ》うございますが、けれども貴方草鞋をおとんなさいナ」
 新「何《ど》うか、樽柿は幾個《いくつ》でも買いますが、何うかお茶でも水でも下さい」
 女「お茶は冷《つめと》うございますが、ナニ沢山買って下さらないでも、潰れただけの代を下さればようございます」
 新「えゝ御家内|此処《こゝ》は何《なん》と云う処でございますえ」
 女「此処は本所松倉町でございます」
 新「あゝ左様かえ、少しお聞き申すが、前々《ぜん/″\》小日向|服部坂《はっとりざか》の屋敷に奉公を致して居った勇治と云う者が此の近処《きんじょ》に居りませんか、年は今年で五十八九になりましょうか、慥《たし》か娘が一人あって其の娘の夫は*※[#「操のつくり」、第4水準2−4−19]掻《こまいかき》と聞きましたが」
*「壁下地の小竹をとりつける職人」
 女「貴方は、なんでございますか、深見新左衞門様の若様でございますか」
 新「えゝ何あのお前は勇治を御存知かえ」
 女「ハイ私は勇治の娘でございますよ、春と申しまして」
 新「はあ然《そ》う」
 春「私はね、もうねお屋敷へ一度参った事がございますがね、其の時分は幼少の時で、まアお見違《みそれ》申しました、まだ貴方のお小さい時分でございましたからさっぱり存じませんで、大層お立派におなり遊ばしたこと、お幾才《いくつ》におなり遊ばした」
 新「今年二十三になります」
 春「まアお屋敷もね、何だか不祥《いや》な事になりまして、昨年私の親父も亡なりましたが、お屋敷はあゝなったが、若様は何《ど》うなされたかお行方が知れぬが、ひょっとして尋ねていらっしゃったら、永々《なが/\》御恩を受けたお屋敷の若様だから何《ど》んなにもして上げなければならん、と死際《しにぎわ》に遺言して亡なりましたが、貴方が若様なれば何うか此方《こちら》へ一晩でもお泊め申さんでは済《すみ》ませんから」
 新「やれ/\是は/\左様かね、図らず勇治の処へ来たのは何より幸《さいわい》で、拙者は深見新五郎であるが、仔細あって暫く遠方へ参って居たが、今度此方へ出て参っても何処《どこ》と云って頼る処も無し、何処か知れぬ処へ奉公住《ほうこうずみ》を致したいが、請人《うけにん》がなければならんから当家で世話をして請人になってくれんか」
 春「お世話どころじゃアございません、是非ともお世話を為《し》なければ済みません、まア能く入らっしゃいました、貴方それじゃアまア脚半や草鞋をお取りなすって、なに御心配はございません、今水を汲んで来ます、ナニその汚れた処は雑巾で拭きますから、まア合羽などはお取りなさいまし」
 と云うから新五郎はホット息を吐《つ》きます。すると、
 春「まア此方《こちら》へ」
 と云うので何か親切に手当を致し、大小は風呂敷に包み箪笥《たんす》の抽斗《ひきだし》へ入れてピンと錠を卸《おろ》し、
 春「貴方これとお着かえなさいましな」
 新「イヤ着換は持って居るから」
 と包の中から出して着物を着かえ、
 新「何うか空腹であるから御飯を」
 春「ハイ宜しゅうございます、貴方御酒を召上るならば取って参りましょう、此の辺は田舎同様場末でございますから何《なん》にもよいものはありませんが、貴方鰻を召上りますなら鰻でも」
 新「鰻は結構、私が代を出すから何《どう》か買って貰いたい」
 春「そんなら跡を願いますよ」
 と是からガラリ障子を明けて戸外《そと》へ出ました。すると此の女房は、実は深見新五郎が来たら是々と、亭主に言付けられているから、亭主の行って居る処へ行って話をする。此の亭主は石河伴作《いしかわばんさく》と云う旦那|衆《しゅ》の手先で、森田の金太郎と云う捕者の上手、かねて網を張って待っていた処だから、それは丁度|好《い》いと、それ/″\手配《てくばり》をしたが、併《しか》し剣客者《てしゃ》と聞いているから刃物を取上げなければならんが、何《ど》うしたものだろうと云うと女房が聞いて、刃物は是々してちゃんと箪笥の抽斗へ入れて錠を卸して仕舞って、鰻を誂《あつら》えに行《ゆ》くつもりにして来たと云う。
 金「そんなら宜しい」
 と云って直《すぐ》に鰻屋の半纏《はんてん》を引掛《ひっか》けて若者の姿で金太郎が遣《や》って来て、
 金「エヽ鰻屋でございます」
 と云うと、此方《こちら》は気が附きませんから、
 新「ハイ大きに御苦労」
 金「お誂えが出来ました、あゝ山椒《さんし
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