さんの姉様《あねさん》豊志賀さんが来てね、たった一人の妹でございますから大事に思うが、こんな稼業《しょうばい》をして居り、家《うち》も離れているから看病も届きませんでしたが、お前さんが丹精して下すって本当に有難い、その御親切は忘れません、お前さんの様な優しい人を園の亭主に持《もた》し度《た》いと思いますとこう云ってね、お前の姉《あね》さんが、流石《さすが》は芸人だけあって様子のいゝ事を云うと思ったが、余程《よっぽど》嬉しかったよ」
園「いけませんネ、奥も先刻《さっき》お退けになりましたからお店へお出でなさいよ」
新「行きますよ、お園どん誠に私は本当に案じたがね」
園「有難うござますよ」
新「弁天様へ一生懸命に二十一日の間私が精進して山田様も本当に親切にしてくれたがね、私は真赤に酔っていますか」
園「真赤でございますよ、彼方《あっち》へお出でなさいよ」
新「そんなに追出さんでもいゝやね、お園どん、伊勢茂の番頭さんが、流山の滅法よい味淋をお前にと云うので私は口当りがいゝから恐ろしく酔った、私はこんなに酔った事は初めてゞ私の顔は真赤でしょう」
園「真赤ですよ、先刻《さっき》お店も退けましたから早くお出でなさいよ」
新「そんなに追出さなくてもいゝやね、お園どん/\」
園「何《なん》ですよ」
新「だがお園どん、本当にお前さんは大病で、随分私は大変案じて一時《ひとっきり》は六ヶ《むずか》しかったから、私は夜も寝なかったよ」
園「有難うございますが、そんなに恩にかけると折角の御親切も水の泡になりますから、余《あんま》り諄《くど》く仰しゃると、その位なら世話をして下さらんければいゝにと済まないが思いますよ」
新「そう思っても私の方で勝手にしたのだからいゝが、ねえお園どん/\」
園「何ですよ」
新「私の心持はお前さん些《ちっ》とも分らぬのだね、お園どん、本当に私は間が悪いけれどもね、お前さんに私は本当に惚れて居ますよ」
園「アラ、嫌《いや》な、あんな事をいうのだもの、お内儀《かみさん》に言告《いッつけ》ますよ」
新「言告るたって……そんなことを云うもんじゃアない、お前は私が来ると出て行け/\と、泥坊猫みた様に追出すから、迚《とて》もどう想ってもむだだとは思うが、寝ても覚めてもお前の事は忘れられないが、もう是からは因果と思ってふッつり女部屋へは来ませんが、けれども私を憫然《かわいそう》と思って、一晩お前の床の中へ寝かしておくんなさいよ、エお園どん」
園「アラ厭《いや》なネ、私とお前さんと寝れば、人が色だと申します」
新「イヽエ私もそれが知れゝば失敗《しくじ》って此家《こゝ》には居られないから、唯|一寸《ちょっと》並んで寝るだけ、肌を一寸|触《ふれ》てすうっと出ればそれで断念《あきら》める、唯ごろッと寝て直ぐに出て行《ゆ》くから」
園「そんな事を云ってごろりと寝て直ぐに出て行《い》くったって、仕様がないねえ、行って下さいよ」
新「そんな事を云わずに」
園「いやだよ、新どん」
新「お願いだから」
園「お願いだって」
新「ごろり一寸寝るばかりだ、永らく寝る目も寝ずに看病したろうじゃアないか、其の義理にも一寸枕を並べて、直ぐに出て行《ゆ》くから」
園「仕様がございませんね」
と云うが、永らく看病してくれた義理があってみれば無下《むげ》に振払う事も出来ず、
園「新どん唯一寸寝る許《ばか》りにしておくんなさいよ」
新「アヽ一寸一度寝るばかりでも結構、半分でもよろしい」
と云うのでお園の床へ這入りますると、お園は厭だからぐるりと脊中を向けて固くなっているから、此方《こっち》も床へ這入りは這入ったが、ぎこちなくって布団の外へはみ出す様、お園はウンともスンとも云わないから、何《なん》だか極りが悪いので酔《えい》も醒《さめ》て来て、
新「お園どん、誠に有難う、お前がそんなに厭がるものを無理無体に私がこんな事をして済まないが、其の代り人には決して云わない、私は是程惚れたからお前の肌に触れ一寸でも並んで寝れば私の想いも届いたのだから宜しいが、此家《こゝ》に居ては面目《めんぼく》なくて顔が合せられず、又顔を合せては猶更《なおさら》忘れられないし、こんな心では御恩を受けた旦那様にも済まないから、私は此家を今夜にも明日《あす》にも出てしまって、私の行方《ゆくえ》が知れなくなったら、私の出た日を命日と思って下され、もう私は思い遺《のこ》す事もないから死《しん》でしまいます」
とすうッと出に掛る。口説《くどき》上手のどんづまりは大抵死ぬと云うから、今新五郎は死ぬと云ったら、まア新どんお待ちと来るかと思うと、お園は死ぬ程新五郎が厭だから何とも申しませんで、猶|小衾《かいまき》を額の上までずうッと揺《ゆす》り上げて被《かぶ》ったなり口もきゝませんから、新五郎は手持無沙汰にお園の部屋を出ましたが、是が因果の始《はじま》りで、猶更お園に念がかゝり、敵《かたき》同士とは知らずして、遂に又お園に恋慕《れんぼ》を云いかけまするという怪談のお話、一寸|一息《ひといき》吐《つ》きまして、
十一
深見新五郎がお園に惚れまするは物の因果で、敵同士の因縁という事は仏教の方では御出家様が御説教をなさるが、どういう訳か因縁と云うと大概の事は諦めがつきます。
甲「どうしてあの人はあんな死様《しにざま》をしただろうか」
乙「因縁でげすね」
甲「あの人はどうしてあア夫婦中がいゝか知らん、あの不器量だが」
乙「あれはナニ因縁だね」
甲「なぜかあの人はあアいう酷《ひど》い事をしても仕出したねえ」
乙「因縁が善《い》いのだ」
と大概は皆因縁に押附《おっつ》けて、善いも悪いも因縁として諦めをつけますが、其の因縁が有るので幽霊というものが出て来ます。その眼に見えない処を仏教では説尽《ときつく》してございまするそうで、外国には幽霊は無いかと存じて居りました処が、先達《せんだっ》て私《わたくし》の宅へさる外国人が婦人と通弁が附いて三人でお出《いで》になりまして、それは粋《いき》な外国人で、靴を穿いて来ましたが、其の靴をぬいで隠《かくし》から帛紗《ふくさ》を取出しましたから何《なん》の風呂敷包かと思いますと、其の中から上靴を出してはきまして、畳の上へ其の上靴で坐布団の上へ横ッ倒しに坐りまして、
外「お前の家《うち》に百|幅《ぷく》幽霊の掛物があるという事で疾《とく》より見たいと思って居たが、何卒《どうぞ》見せて下さい」
という事。是は私《わたくし》がふと怪談会と云う事を致した時に、諸先生方が画《か》いて下すった百幅の幽霊の軸がございますから、是を御覧に入れますと、外国人の事でございますから、一々是は何《なん》という名で何という人が画いたのかと云う事を、通弁に聞いて手帖に写し、是《こ》れは巧《うま》い、彼《あ》れは拙《まず》いと評します所を見ると、中々眼の利いたもので、丁度其の中で眼に着きましたのは菊池容齋《きくちようさい》先生と柴田是眞《しばたぜしん》先生の画いたので、是は別して賞《ほ》められました。そのあとで茶を点《い》れて四方八方《よもやま》の話から、幽霊の有無《ありなし》の話をしましたが、
外「私は日本の語にうといから通弁から聞いて呉れ」
と云う。私《わたくし》も洋語は知りませんから通弁さんに聞くと、通弁さんの云うに、
通「お前の宅《うち》にこれだけの幽霊の掛物を聚《あつ》めるには、幽霊というものが有るか無いかを確《しか》と知っての上でかように聚めたのでございましょう」
と云う問《とい》でございました。所が有るか無いかと外国人に尋ねられて、私《わたくし》も当惑して、早速に答も出来ませんから、
圓「日本の国には昔から有るとのみ存じていますから、日本人には有るようで、貴方のお国には無いと云うことが学問上決して居るそうですから無いので、詰り無い人には無い有る人には有るのでございましょう」
と、仕方なしに答えましたが、此の答は固《もと》よりよろしくない様でございますが、何分無いとも有るとも定めはつきません。先達《せんだって》ある博識《ものしり》先生に聞きますと
「幽霊は有るに違い無い、現在僕は蛇の幽霊を見たよ」
と仰しゃるから、
圓「どういう訳か」
と聞くと、蛇を壜《びん》の中へ入れてアルコールをつぎ込むと、蛇は苦しがって、出よう/\と思って口の所へ頭を上げて来るところを、グッとコロップを詰めると、出ようと云う念をぴったりおさえてしまう。アルコール漬だから形は残って居ても息は絶えて死んで居るのだが、それを二年|許《ばか》り経って壜の口をポンと抜いたら、中から蛇がずうッと飛出して、栓を抜いた方の手頸《てくび》へ喰付いたから、ハッと思うと蛇の形は水になって、ダラ/\と落《おち》て消えたが、是は蛇の幽霊と云うものじゃ。と仰しゃりました。併《しか》し博識《ものしり》の仰しゃる事には、随分|拵事《こしらえごと》も有って、尽《こと/″\》く当《あて》にはなりませんが、出よう/\と云う気を止めて置きますと、其の気というものが早晩《いつか》屹度《きっと》出るというお話、又お寺様で聞いて見ますると気息《いき》が絶えて後《のち》形は無いが、霊魂と云うものは何処《どこ》へ行《ゆ》くか分らぬと申すこと、天国へ行《ゆ》くとか地獄極楽とか云う説はあっても、まだ地獄から郵便の届いた試しもなし、又極楽の写真を見た事もございませんから当にはなりませんが、併し悪い事をすると怨念《おんねん》が取付くから悪事はするな、死んで地獄へ行《ゆ》くと画《え》の如く牛頭《ごず》馬頭《めず》の鬼に責められて実にどうも苦《くるし》みをする、此の有様《ありさま》は如何《どう》じゃ、何と怖い事じゃアないか、と云うので、盆の十六日はお閻魔様《えんまさま》へ参詣致しますると、地獄の画が掛けてあるから、此の画を見て子供はおゝ怖い、悪い事はしまいと思う。昔は私共《わたくしども》も彼《あ》の画を見ると、もう決して悪い事はしまいと思いまして、女は子が出来ないと血の池地獄へ落ちて燈心で竹の根を掘らせられ、男は子が出来ないと提灯《ちょうちん》で餅を搗《つ》かせられると云う、皆恐ろしい話で、実に悪い事は出来ませんものでございます。又因縁で性《しょう》を引きますというは仏説でございますが、深見新左衞門が斬殺《きりころ》した宗悦の娘お園に、新左衞門の悴《せがれ》新五郎が惚れると云うはどういう訳でございましょうか、寝ても覚めても夢にも現《うつゝ》にも忘れる事が出来ませんで、其の時は諦めますと云って出にかゝったが、お園が何とも云わぬから仕方がない、杉戸《すぎど》を閉《た》てゝ店へ往って寝てしまいましたが翌日になって見ると、まさか死ぬにも死なれず、矢張《やっぱり》顔を見合せて居ります。其の中《うち》に土蔵《くら》の塗直しが始まり、質屋さんでは土蔵を大事にあそばすので、土蔵の塗直しには冬が一番|持《もち》がいゝと云うので、職人が這入ってどし/\日の暮れるまで仕事をして、早出《はやで》居残りと云うのでございます。職人方が帰り際には台所で夕飯時《ゆうめしどき》には主人が飯を喫《た》べさせ、寒い時分の事だから葱鮪《ねぎま》などは上等で、或《あるい》は油揚に昆布などを入れたのがお商人《あきんど》衆の惣菜でございます。よく気をつけてくれまするから、台所で職人がどん/\這入って御膳を食べ、香の物がないといって、襷《たすき》を掛けて日の暮々《くれ/″\》にお園が物置へ香の物を出しにゆきました。此の奥に土蔵が有ってその土蔵の脇は物置があり、其の此方《こちら》には職人が這入って居るから荒木田《あらきだ》があり、其の脇には藁《わら》が切ってあり、藁などが散《ちら》ばっている間をうねって物置へ往って、今香の物を出そうとすると、新五郎が追っかけて来たから、見ると少し顔色も変って何だか気違《きちがい》じみて居る。もっとも惚れると云うと、馬鹿気《ばかげ》て見えるものでございますが、
新「お園どん/\」
園
前へ
次へ
全52ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング