右衞門の処へ参って少しの間厄介に成って居りましたが、素《もと》より若気の余りに家を飛出したので淋しい田舎には中々居られないから、故郷|忘《ぼう》じがたく詫言《わびごと》をして帰ろうと江戸へ参って自分の屋敷へ来て見ると、改易と聞いて途方に暮れ、爰《こゝ》と云う縁類《えんるい》も無いから何《ど》うしたらよかろうと菩提所《ぼだいしょ》へ行って聞くと、親父は突殺され、母親は親父が斬殺《きりころ》したと聞きまして少しのぼせたものか、
 新五「これは怪《け》しからん事、何たる因果因縁か屋敷は改易になり、両親は非業の死を遂げ、今更世間の人に顔を見られるも恥かしい、もう迚《とて》も武家奉公も出来ぬから寧《いっ》そ切腹致そう」
 と、青松院《せいしょういん》の墓所《はかしょ》で腹を切ろうとする処へ、墓参りに来たのは、谷中《やなか》七面前《しちめんまえ》の下總屋惣兵衞《しもふさやそうべえ》と云う質屋の主人《あるじ》で、これを見ると驚いて刄物をもぎとって何《ど》う云う次第と聞くと、
 新五「これ/\の訳」
 というから、
 惣「それなら何も心配なさるな、若い者が死ぬなんと云う心得違いをしてはいけぬ、無分別な事、独身《ひとりみ》なれば何《ど》うでもなりますから私の家《うち》へ入らっしゃい」
 と親切に労《いた》わって家《うち》へ連れて来て見ると、人柄もよし、年二十一歳で手も書け算盤《そろばん》も出来るから質店《しちみせ》へ置いて使って見るとじつめい[#「じつめい」に傍点]で応対が本当なり、苦労した果《はて》で柔和で人交際《ひとづきあい》がよいから、
 甲「あなたの処《とこ》では良い若い者を置当てなすった」
 惣「いゝえ彼《あれ》は少し訳があって」
 と云って、内の奉公人にもその実《じつ》を言わず、
 惣「少し身寄から頼まれたのだと云ってあるから、あなたも本名を明してはなりません」
 と云うので、誠に親切な人だから、新五郎もこゝに厄介になって居ると、この家《うち》にお園という中働《なかばたらき》の女中が居ります。これは宗悦の妹娘で、三年あとから奉公して、誠に真実に能く働きますから、主人の気に入られて居る。併《しか》し新五郎とは、敵《かたき》同士が此処《こゝ》へ寄合ったので有りますが、互にそういう事とは知りません。
 園「新どん」
 新「お園どん」
 と呼合いまする。新五郎は二十一歳で、誠に何《ど》うも水の出端《でばな》でございます。又お園は柔和な好《よ》い女、
 新「あゝいう女を女房に持ちたい」
 と思うと何《ど》ういう因果因縁か、新五郎がお園に死ぬほど惚れたので、お園の事というと、能く気を付けて手伝って親切にするから、男振《おとこぶり》は好《よ》し応対も上手、其の上柔和で主人に気に入られて居るから、お園はあゝ優しい人だと、新どんに惚れそうなものだが、敵同士とはいいながら虫が知らせるか、お園は新五郎に側へ来られると身毛立《みのけだ》つほど厭に思うが、それを知らずに、新五郎は無暗《むやみ》に親切を尽しても、片方《かた/\》は碌《ろく》に口もききません。主人もその様子を見て、
 惣「お園はまことに希代《きたい》だ、あれは感心な堅い娘だ、あれは女中のうちでも違って居る、姉は何だか、稽古の師匠で豐志賀《とよしが》というが、姉妹《きょうだい》とも堅い気象で、あの新五郎は頻《しき》りとお園に優しくするようだが」
 と気は附いたけれども、なに両人《ふたり》とも堅いから大丈夫と思って居りまするくらいで、なか/\新五郎はお園の側へ寄付《よりつ》く事も出来ませんが、ふとお園が感冐《ひきかぜ》の様子で寝ました。すると新五郎は寝ずにお園の看病をいたします。薬を取りに行ったついでに氷砂糖を買って来たり、葛湯《くずゆ》をしてくれたり、蜜柑《みかん》を買って来る、九年母《くねんぼ》を買って来たりしてやります。主人も心配いたして、
 惣「おきわ」
 きわ「はい」
 惣「お園は何も大した病気でもないから宿へ下げる程でもなし、あれも長く勤めておることだから、少しの病気なれば、医者は此方《こっち》で、山田さんが不都合なら、幸庵《こうあん》さんを頼んでもいゝが、何《なん》だね、誠にその、看病人が無くって困るね」

        九

 きわ「私《わたくし》が折《おり》に園の部屋へ見舞に参りますと、直ぐ布団の上へ起きなおりまして、もうなに大《おお》きに宜しゅうございますなどゝ云って、まことに快《よ》い振《ふり》をして居るから、お前無理をしてはいけないから寝ておいでと申しましても、心配家《しんぱいか》でございますから私も誠に案じられます」
 惣「そりゃア誠に困ったものだ、誰《たれ》か看病人が無ければならん、成程|己《おれ》も時に行って見ると、ひょいと跳起《はねお》きるが、あれでは却《かえ》ってぶり返すといかんから看病人に姉でも呼ぼうか」
 きわ「でも仕合せに新五郎が参っては寝ずに感心に看病致します、あれは誠に感心な男で、店がひけると薬を煎じたり何か買いに行ったり、何も彼《か》も一人で致します」
 惣「なに新五郎がお園の部屋へ這入ると、それはいかん、それは女部屋のことはお前が気を附けて小言を云わなければなりません、それは何事も有りはしまいが」
 きわ「有りはしまいたって新五郎はあの通りの堅人《かたじん》ですし、お園も変人ですから、変人同士で大丈夫何事もありはしません」
 惣「それはいかん、猫に鰹節で、何事がなくっても、店の者や出入《でいり》の者がおかしく噂でも立てると店の為にならぬから、きっと小言を云わんければならぬ」
 きわ「それじゃア女中部屋へ出入を止《と》めます」
 と云って居る所へ、何事も存じません新五郎が帰って来て、
 新「ヘエ只今帰りました」
 惣「何処《どこ》へ往った」
 新「番頭さんがそう仰しゃいますから、上野町《うえのまち》の越後屋《えちごや》さんの久七《きゅうしち》どんに流れの相談を致しまして、帰りにお薬を取って参りましたが、山田さんがそう仰しゃるには、お園さんは大分|好《よ》い塩梅だが、まだ中々大事にしなければならん、どうも少し傷寒《しょうかん》の性《たち》だから大事にするようにと仰しゃって、今日はお加減が違いましたからこれから煎じます」
 惣「お前が看病致しますか」
 新「ヘエ」
 惣「お前の事だから何事もありますまいがネけれどもその、お前もそれ廿一、ね、お園は十九だ、お互に堅いから何事も無かろうが、一体|男女《なんにょ》の道はそういうものでない、私の家《うち》は極《ご》く堅い家であったけれども、やっぱりこれにナ許嫁《いいなずけ》が有ったが、私がつい何して、貰うような事で」
 きわ「何を仰しゃる」
 惣「だから堅いが堅いに立たぬのは男女の間柄、何事もありはしまいが、店の若い者がおかしく嫉妬《やきもち》をいうとか、出入の者がいやに難癖を附けるとか、却って店の示しにならぬからよろしくないいかにも取締りが悪い様だからそれだけはナ」
 新「ヘエ薩張《さっぱり》心付きませんかったが、店の者が女部屋へ這入っては悪うございますか、もうこれからは決して構いませんように心づけます、決して構いません」
 惣「決して構わんでは困ります、看病人が無いから決して構わんと云ってはお園が憫然《かわいそう》だから、それはね、ま構ってもいゝがね、少しそこを何《ど》うか構わぬ様に」
 何だか一向分りませんが少しは構ってもよいという題が出ましたから、新五郎は悦びながら女部屋へ往って、
 新「お園どん山田様へいってお薬を戴いてきたが、今日はお加減が違ったから、生姜《しょうが》を買ってくるのを忘れたが今|直《じき》に買って来て煎じますが、水も只では悪いから氷砂糖を煎じて水で冷して上げよう、蜜柑も二つ買って来たが雲州《うんしゅう》のいゝのだからむいて上げよう、袋をたべてはいけないから只|露《つゆ》を吸って吐出《はきだ》しておしまい、筋をとって食べられるようにするから」
 園「有難う、新どん後生《ごしょう》だから女部屋へ来ないようにしておくんなさい、今もおかみさんと旦那様とのお話もよく聞えましたが、店の者が女部屋へ這入ってきては世間体が悪いと云っておいでだから、誠に思召《おぼしめし》は有難いが、後生だから来ないようにして下さい」
 新「だから私が来ないようにしよう構わぬと云ったら、旦那が来なくっちゃア困る、お前さんが憫然《かわいそう》だから構ってやってくれと仰しゃったくらい、人は何といっても訝《おか》しい事がなければ宜しいから、今薬を煎じて上《あげ》るから心配しないで、心配すると病気に障るからね」
 園「あゝだもの新どんには本当に困るよ、厭だと思うのにつか/\這入って来てやれこれ彼様《あんな》に親切にしてくれるが、どういう訳かぞっとするほど厭だが、何《ど》うしてあの人が厭なのか、気の毒な様だ」
 と種々《いろ/\》心に思って居ると、杉戸《すぎど》を明けて、
 新「お園どんお薬が出来たからお飲みなさい、余《あんま》り冷《さま》すときかないから、丁度飲加減を持って来たが、後《あと》は二番を」
 園「新どん、お願いだから彼方《あっち》へ行って下さいな、病気に障りますから」
 新「ヘエ左様でげすか」
 と締めて立って行《ゆ》く。
 園「どうも、来てはいけないと云うのに態《わざ》と来るように思われる、何だか訝《おか》しい変な人だ」
 と思って居ると、がらり、
 新「お園どんお粥が出来たからね、是は大変に好《い》いでんぶを買って来たから食べてごらん、一寸《ちょっと》いゝよ」
 園「まア新どんお粥は私一人で煮られますから彼方《あっち》へ行って下さいよ、却って心配で病気に障るから」
 新「じゃア用があったらお呼びよ」
 園「あゝ」
 というので拠《よんどころ》なく出て行くかと思うと又来て、
 新「お園どん/\」
 とのべつに這入って来る。すると俗に申す一に看病二に薬で、新五郎の丹精が届きましたか、追々お園の病気も全快して、もう行燈《あんどん》の影で夜なべ仕事が出来るようになりました。丁度十一月十五日のことで、常にないこと、新五郎が何処《どこ》で御馳走になったか真赤に酔って帰りますると、もう店は退《ひ》けてしまった後《あと》で、何となく極りが悪いからそっと台所へ来て、大きい茶碗で瓶《かめ》の水を汲んで二三杯飲んで酔《えい》をさまし、見ると、奥もしんとして退けた様子、女部屋へ来て明けて見ると、お園が一人行燈の下《もと》で仕事をしているから、
 新「お園どん」
 園「あらまア、新どん、何か御用」

        十

 新「ナニ、今日はね、あの伊勢茂《いせも》さんへ、番頭さんに言付けられてお使にいったら、伊勢茂の番頭さんは誠に親切な人で、お前は酒を飲まないから味淋《みりん》がいゝ、丁度|流山《ながれやま》ので甘いからお飲《あが》りでないかと云われて、つい口当りがいゝから飲過ぎて、大層酔って間《ま》がわるいから、店へ知れては困りますが、真赤になって居るかえ」
 園「大変赤くなって居ます。アノお店も退け奥も退けましたから、女部屋へお店の者が這入っては、悪うございますから早くお店へ行ってお寝《やす》みなさい」
 新「エヽ寝ますが、まア一服呑みましょう」
 園「早くお店へ行って下さいよ」
 新「今行きますが一服やります」
 と真鍮《しんちゅう》の潰れた煙管《きせる》を出して行燈の戸を上げて火をつけようと思うが、酔って居て手が慄《ふる》えておりますから灯《ひ》が消えそう、
 園「消してはいけませんよ、彼方《あっち》へ行ってお呉んなさい」
 新「ハイ行きますよ、なに火が附きました、時にお園どん、お前の病気は大変に案じたが、本当にこう早く癒《なお》ろうとは思わなかった、山田さんも丹精なすったし私も心配致しましたが、実に有難い、私は一生懸命に池《いけ》の端《はた》の弁天様へ願掛《がんが》けをしました」
 園「有難うございます、お前さんのお蔭で助かりました、もうお店が退けましたから早くお出でよ、新どん」
 新「行きますよ、此の間ね、お前
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