んの兄《あに》さん姉《あね》さんの敵と尋ねる剣術遣の安田一角は、五助街道の藤ヶ谷の明神山に隠れて居るという事は、妙な訳で戸ヶ崎の葮簀張《よしずッぱり》で聞いたのですが、敵を討ちたければ、其の相撲取を頼み、其処《そこ》へ往って敵をお討ちなさい、安田一角が他の者へ話しているのを私《わっち》が傍《そば》で聴いて居たから事実《たね》を知ってるのでございます、お賤、汝《てまえ》と己が兄弟ということを知らないで畜生同様夫婦に成って、永い間悪い事をしたが、もう命の納め時だ、己も今|直《すぐ》に後《あと》から往くよ、お賤宗觀|様《さん》にお詫を申し上げな」
賤「あい/\」
と血に染ったお賤は聴く毎《ごと》にそうであったかと善に帰って、よう/\と血だらけの手を合せ、苦しき息の下から、
賤「惣吉|様《さん》誠に済まない事をしました、堪忍して下さいまし、新吉さん早く惣吉さんの手に掛って死度《しにた》い、あゝ、お母《っか》さん堪忍して下さい」
と苦しいから早く自殺しようと鎌の柄に取り縋《すが》るを新吉は振り払って、鎌を取直し、我《わが》左の腹へグッと突き立て、柄《つか》を引いて腹を掻切《かきき》り、夫婦とも息は絶々《たえ/″\》に成りました時に、宗觀は、
宗「あゝ、お父《とっ》さんを殺したのはお前たち二人とは知らなかったが、思い掛けなくお父さんの敵が知れると云うのは不思議な事、また兄《あに》さんや姉《あね》さんを殺した安田一角の隠れ家を知らせて下され、斯《こ》んな嬉しい事はありませんから決して悪《にく》いとは思いません、早く苦痛のないようにして上げ度《た》い」
と云いながら後《うしろ》をふりかえると、音助はブル/\して腰も立たないように成って居ました。
宗「お父《とっ》さんや兄さん姉さんの敵は知れたが、小金原の観音堂でお母《っか》さんを殺した敵はいまだに分らないが、悪い事をする奴の末始終は皆|斯《こ》ういう事に成りましょう」
というのを最前から聞いていましたお熊比丘は、袖もて涙を拭《ぬぐ》いながら宗觀の前へ来て、
尼「誠に思い掛けない、宗觀|様《さん》お前《まい》さんかえ」
宗「へえ」
尼「忘れもしない三年跡の七月小金原の観音堂でお前《まい》さんのお母さんを縊《くび》り殺し、百二十両と云う金を取ったは此のお熊比丘尼でございますよ」
宗「エヽこれは」
と宗觀も音助も恟《びっ》くり致しました。絶え/″\に成っていました新吉は血《のり》に染った手を突き、耳を欹《たっ》て聞いております。
尼「私も種々《いろ/\》悪い事をした揚句、一度出家はしたが路銀に困っている処へ通り合せた親子連の旅人《りょじん》小金原の観音堂で病に苦しんで居る様子だから、此の宗觀|様《さん》をだまして薬を買いに遣った跡で、お母様《ふくろさん》を縊殺《くびりころ》したは此のお熊、私はお前|様《さん》のお母様《っかさん》の敵だから私の首を斬って下さい」
と新吉が持っていました鎌を取って、お熊比丘尼は喉を掻切って相果てました。其の内村の者も参り、観音寺の和尚様も来て、何しろ捨《すて》ては置かれないと早速此の由《よし》を名主から代官へ訴え検死済の上、三人の死骸は観音堂の傍《わき》へ穴を掘って埋め、大きな墓標《はかじるし》を立てました。是が今世に残っておりまする因果塚で、此の血に染った鎌は藤心村の観音寺に納まりました。扨《さて》宗觀は敵の行方が知れた処から、還俗《げんぞく》して花車を頼み、敵討が仕度《した》いと和尚に無理頼みをして観音寺を出立するという、是から敵討に成ります。
九十四
塚前村観音堂へ因果塚を建立致し、観音寺の和尚|道恩《どうおん》が尽《ことごと》く此の因縁を説いて回向を致しましたから、村方の者が寄集まって餅を搗き、大した施餓鬼《せがき》が納まりました。斯《か》くて八月十八日施餓鬼|祭《まつり》を致しますと、観音寺の弟子宗觀が方丈の前へ参りまして、
宗「旦那様」
道「いや宗觀か、なんじゃ」
宗「私はお願いがありますが、旦那さまには永々《なが/\》御厄介に相成りましたが、私は羽生村へ帰り度《と》うございます」
道「ウン、どうも貴様は剃髪《ていはつ》する時も厭がったが、出家になる因縁が無いと見える、何故羽生村へ帰り度《た》いか、帰った処が親も兄弟もないし、別に知るものもない哀れな身の上じゃないか、よし帰った処が農夫《ひゃくしょう》になるだけの事、実《じつ》何《ど》うしても出家は遂《と》げられんか」
宗「はい私は兄と姉の敵が討ちとうございます」
道「これ、此間《こないだ》もちらりと其の事も聞いたから、音助にも宜《よ》う宗觀にいうてくれと言附けて置いたが、敵討という心は悪い心じゃ、其の念を断《き》らんければいかん、執念して飽くまでも向《むこう》を怨むには及ばん、貴様の親父を殺した新吉夫婦と母親《おふくろ》を殺したお熊比丘尼は永らく出家を遂げて改心したが、人を殺した悪事の報いは自滅するから討つがものは無い、己《おのれ》と死ぬものじゃから其の念を断つ処が出家の修行で、飽く迄も怨む執念を断《き》らんければいかん、それに貴様は幾歳《いくつ》じゃ、十二や十三の小坊主が、敵手《あいて》は剣術遣じゃないか、みす/\返り討になるは知れてある、出家を遂げれば其の返り討になる因縁を免《のが》れて、亡なられた両親やまた兄|嫂《あによめ》の菩提を吊うが死なれた人の為じゃ、え」
宗「ハイ毎度方丈|様《さん》から御意見を伺っておりまするが、此の頃は毎晩/\兄《あに》さんや姉《あね》さんの夢ばかり見ております、昨夜《ゆうべ》も兄さんと姉さんが私の枕元へ来まして、新吉が敵の隠家《かくれが》を教えて知っているに、お前が斯《こ》う遣ってべん/″\と寺にいてはならん、兄さん姉さんも草葉の蔭で成仏する事が出来ないから敵を討って浮ばして呉れろと、あり/\と枕元へ来て申しました、実に夢とは思われません、してみると兄様《あにさん》や姉様《あねさん》も迷っていると思いますから、敵を討って罪作りを致しますようでございますけれども、どうか両人《ふたり》の怨みを晴して遣り度《と》うございます」
道「それがいかん、それは貴様の念が断《き》れんからじゃ、平常《ふだん》敵を討ち度《た》い、兄さんは怨んではせんか、姉さんも怨んではせんか、と思う念が重なるに依って夢に見るのじゃ、それを仏書に睡眠と説いて有る、睡は現《うつゝ》眠はねむる汝《てまい》は睡《ねむ》ってばかり居るから夢に見るのじゃ、敵討の事ばかり思うているから、迷いの眠りじゃ、それを避ける処が仏の説かれた予《かね》ていう教えじゃ、元は何も有りはせんものじゃ、真言の阿字を考えたら宜《よ》かろう、此の寺に居て其の位な事を知らん筈は無いから諦めえ」
宗「ハイ、何《ど》うしても諦められません、永らく御厄介に成りまして誠に相済みません、敵討を致した上は出家に成りませんでも屹度《きっと》御恩報じを致しますから、どうかお遣んなすって下さいまし、強《た》って遣って下さいませんければお寺を逃出し黙って羽生村へ帰ります」
道「いや/\そんならば無理に止めやせん、皆因縁じゃからそれも宜かろう、やるが宜かろうが、確《しっ》かりした助太刀を頼むが宜い、先方《さき》は立派な剣術遣い、殊《こと》に同類も有ろうから」
宗「はい親父の時に奉公をしたもので、今江戸で花車という強いお相撲さんが有りますから。其の人を頼みます積りで」
道「若《も》し其の花車が死んでいたら何《ど》うする、人間は老少不定《ろうしょうふじょう》じゃから、昨日《きのう》死にましたといわれたら何うする、人間の命は果敢《はか》ないものじゃが、あゝ仕方がない、往《い》くなら往けじゃが、首尾好く本懐を遂げて念が断《き》れたらまた会いに来てくれ」
と実子のような心持で親切に申しまする。
宗「これがお別れとなるかも知れません、誠にお言葉を背きまして相済みません」
道「いや/\念が断《き》れんと却《かえ》って罪障《つみ》になる、これは小遣に遣るから持って往《ゆ》け」
と、三年此の方世話をしたものゆえ実子のように思いまして、和尚は遣りともながるのを、強《た》ってというので、音助に言付け万事出立の用意が整いましたから立たせて遣り、漸《ようや》く五日目に羽生村へ着《ちゃく》致しましたが、聞けば家宅《うち》は空屋《あきや》に成ってしまい、作右衞門という老人《としより》が名主役を勤めており、多助は北阪《きたさか》の村はずれの堤下《どてした》に独身活計《ひとりぐらし》をしているというから遣って参り、
宗「多助さん/\、多助|爺《じい》やア」
多「あい、なんだ坊様か、今日は些《ち》とべえ志が有るから、銭い呉れるから此方《こっち》へ這入《へえ》んな」
宗「修行に来たんじゃアない、お前は何時《いつ》も達者で誠に嬉しいね」
多「誰だ/\」
宗「はいお前忘れたかえ、私《わし》は惣吉だアね、お前の世話に成った惣右衞門の忰の惣吉だよ」
九十五
多「おい成程えかくなったねえ、まア、坊様に成ったアもんだから些《ちっ》とも知んねえだ、能くまア来たあねえ」
と嬉し涙に泣き沈み漸々《よう/\》涙を拭いながら、
多「あゝ三年前にお前さまが宅《うち》を出て往《い》く時はせつなかったが、敵討だというから仕方がねえと思って出して上げたが後《あと》で思え出しては泣いてばかりいたが、作右衞門様の世話でもって、何《ど》うやら斯《こ》うやら取附いて此処《こゝ》にいやすが、お前様を訪ねてえっても訪ねられねえだが、お母様《ふくろさん》は小金原で殺されてからお前様が坊様に成ったという事ア聞いたから、チョックラ往きてえと思っても出られねえので無沙汰アしやしたが、能くまア来て下せえやした、本当に見違えるような大《でか》く成ったね」
惣「爺《じい》やア、私は和尚様に願い無理に暇《ひま》を戴いて、兄さんや姉さんの敵が討ちたくって来たが、お父様《とっさん》お母様《っかさん》の敵は知れました」
とお熊比丘尼の懺悔をば新吉夫婦が細《こま》やかに聞き、遂に三人共自殺した処から、村方の者が寄集まって因果塚を建立した事までを話すと、多助も不思議の思いをなして、是から作右衞門にも相談の上敵討に出ましたが、そういう処に隠れて泥坊をしているからには同類も有ろうから、私とお前さんと江戸へ往って、花車関を頼もうと頓《やが》て多助と惣吉は江戸へ遣って参り、花車を便《たよ》りて此の話を致して頼みました。此の花車という人は追々《おい/\》出世をして今では二段目の中央《なかば》まで来ているから、師匠の源氏山も出したがりませんのを、義に依《よっ》てお暇《いとま》を下さいまし、前に私が奉公をした主人の惣右衞門様の敵討をするのでございますからと、義に依っての頼みに、源氏山も得心して芽出度《めでたく》出立いたし、日を経て彼《か》の五助街道へ掛りましたのが十月|中旬《なかば》過ぎた頃もう日暮れ近く空合《そらあい》はドンヨリと曇っておりまする。三人はトットと急いで藤ヶ谷の明神山を段々なだれに登って参りますると、樹木[#「樹木」は底本では「樹本」]生茂《おいしげ》り、昼でさえ薄暗い処|殊《こと》には曇っておりまするから漸々《よう/\》足元が見えるくらい、落葉《おちば》の堆《うずも》れている上をザク/\踏みながら花車が先へ立って向《むこう》を見ると、破《や》れ果てたる社殿が有ってズーッと石の玉垣が見え、五六本の高い樹《き》の有る処でポッポと焚火《たきび》をしている様子ゆえ、彼処《あすこ》らが隠れ家ではないかと思いながら傍《わき》の方を見ると、白いものが動いておりまするが、なんだか遠くで確《しか》と解りません。
花「多助さん確《しっ》かりしなせえ」
多「もう参《めえ》ったかねえ、私《わし》はね剣術も何《なん》にも知んねえが此の坊様に怪我アさせ度《た》くねえと思うから一生懸命に遣るが、あんたア確かり遣って下せえ」
花「私《わし》イ神明様《しん
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