」
宗「はい十二に成ります」
九十一
新「十二に、善いお小僧さんだね、十一二位から頭髪《あたま》を剃《す》って出家になるのも仏の結縁《けちえん》が深いので、誠に善い御因縁で、通常《なみ》の人間で居ると悪い事|許《ばか》りするのだが、斯《こ》う遣って小さい内から寺へ這入ってれば、悪い事をしても高が知れてるが、お父様《とっさん》やお母《っか》さんも御承知で出家なすったのですか」
宗「そうじゃアありません、拠《よんどころ》なく坊さんに成りました」
新「拠なく、それじゃアお父《とっ》さんもお母さんも、お前さんの小さい中《うち》に死んで仕舞って、身寄頼りもなく、世話の仕手もないのでお寺へ這入ったという事もありまするが、そうですか」
音「なにそういう訳じゃアなえが、此のまア宗觀様ぐらえ憫然《かわえそう》な人はねえだ」
新「じゃアお父さんやお母さんは無いのでございますか」
宗「はい、親父《おやじ》は七年前に死にました」
といいながらメソ/\泣出しました。
音「泣かねえが宜《え》えと云うに、いつでも父様《とっさま》や母様《かゝさま》の事を聞かれると宗觀|様《さん》は直《すぐ》に泣き出すだ、親孝行な事だが、出家になるのは其処《そこ》を諦める為だから泣くなと和尚様がよくいわっしゃるが、矢張《やっぱ》り直《じき》に泣くだが、併《しか》し泣くも無理はねえだ」
新「へえ、それは何《ど》ういう因縁に成って居りますのです」
音「ねえ宗觀|様《さん》、お前の父様は早く死んだっけ」
宗「七年前の八月死にました」
音「それから此の人の兄様《あにさん》が跡をとって村の名主役を勤めて居ると、其処《そこ》へ嫁子《よめっこ》が這入《へえ》って何《な》んともハヤ云い様のなえ程心も器量も善《い》い嫁子だったそうだが、其所《そこ》に安田八角か、え、一角とか云う剣術|遣《つけえ》が居て其の嫁子に惚れた処が、思う様にならねえもんだから、剣術遣の一角が恋の遺恨でもってからに此の人の兄さんをぶっ斬って逃げたとよ、其奴《そいつ》に同類が一人有って、何《な》んとか云ったのう、ウン富五郎か、其の野郎が共謀《ぐる》になって、殺したのだ、すると此の人の宅《うち》の嫁子が仮令《たとえ》何《な》んでも亭主の敵《かたき》い討《ぶ》たねえでは置かねえって、お武家《さむれえ》さんの娘だけにきかねえ、なんでも仇討《かたきぶ》ちをするって心にもねえ愛想づかしをして、羽生村から離縁状を取り、縁切に成って出て、敵の富五郎を欺《だま》して同類の様子を聴いたら、一角は横堀の阿弥陀堂の後《うしろ》の林の中へ来ているというから、亭主の仇《かたき》を討《う》ちぶっ切るべえと思って林の中へ這入《へえ》ったが、先方《むこう》は何《な》んてッても剣術の先生だ女ぐれえに切られる事はねえから、憫然《かわいそう》に其の剣術遣えが、此の人の姉様《あねさま》をひどくぶっ切って逃げたとよ、だから口惜しくってなんねえ、子心にも兄さんや姉《あね》さんの敵が討《ぶ》ちてえッて心易い相撲取が有るんだ…風車か…え…花車、そうかそれが、力量《ちから》アえれえから其の相撲取をたのむより仕様がねえと、母親《おふくろ》は年い老《と》ってるが、此の人をつれて江戸へ往《い》くべえと出て来る途《みち》で、小金原《こがねっぱら》の観音堂で以てからに塩梅《あんべえ》が悪くなったから、種々《いろ/\》介抱《けえほう》して、此の人が薬い買《け》えに往った後《あと》で母親さんを泥坊が縊《くび》り殺し、路銀を奪《と》って逃げた跡へ、此の人が帰《けえ》ってみると、母様《かゝさま》は喉《のど》を締められておっ死《ち》んでいたもんだから、ワア/\泣《なえ》てる処へ己《おら》ア旦那が通り掛り、飛んだことだが、皆《みんな》因縁だ、泣くなと、兄《あに》さんと云い姉《あね》さんと云い母《かゝ》さままでもそういう死《しに》ざまをするというのは約束事だから、敵討《かたきうち》なぞを仕様といわねえで兎も角も己《おら》ア弟子に成って父《とっ》さまや母さまや兄さん姉さまの追善供養を弔《ともら》ったが宜《よ》かろうと勧めて、坊主になれといってもならねえだから、和尚様も段々可愛がって、気永に遣ったもんだから、遂《つい》には坊様になるべえとッて漸《ようや》く去年の二月頭をおっ剃《つ》ったのさ」
新「ヘエ、そうでございますか、何《な》んですか、此のお小僧さんのお宅《うち》は何方《どちら》でございますと」
音「え岡田|郡《ごおり》か……岡田郡羽生村という処だ」
新「え、羽生村、へえ其の羽生村で父《とっ》さんは何《なん》というお方でございます」
音「羽生村の名主役をした惣右衞門と云う人の子の、惣吉さまというのだ」
と云われ新吉は大きに驚いた様子にて、
新「えゝ、そうでございますか、是はどうも思い掛けねえ事で」
音「なんだ、お前《めえ》さん知ってるのか」
九十二
新「なに知って居やア仕ませんがね、私も方々旅をしたものだから、何処《どこ》の村方には何《なん》という名主があるかぐらいは知って居ます、惣右衞門さんには、水街道辺で一二度お目に掛った事がございますが、それはまアおいとしい事でございましたな」
というものゝ、音助の話を聞く度《たび》に新吉が身の毛のよだつ程辛いのは、丁度今年で七年前、忘れもしねえ八月廿一日の雨の夜《よ》に、お賤が此の人の親惣右衞門の妾に成って居たのを、己と密通し、剰《あまつさ》え病中に縊《くび》り殺し、病死の体《てい》で葬りはしたなれ共、様子をけどった甚藏|奴《め》は捨てゝは置かれねえとお賤が鉄砲で打殺《うちころ》したのだが土手の甚藏は三十四年以前にお熊が捨児にした総領の甚藏でお賤が為には胤違《たねちが》いの現在の兄を、女の身として鉄砲で打殺すとは、敵同士の寄合、これも皆因縁だ、此の惣吉殿のいう事を聞けば聞く程脊筋へ白刄《しらは》を当てられるより尚《なお》辛い、アヽ悪い事は出来ないものだと、再び油の様な汗を流して、暫くは草刈鎌を手に持ったなり黙然《もくねん》として居りました。
音「あんた、どうしたアだ、塩梅《あんべえ》でも悪《わり》いか、酷《ひど》く顔色が善《よ》くねえぜ」
新「ヘエ、なアに私はまだ種々《いろ/\》罪があって出家を遂《と》げ度《た》いと思って、此の庵室に参って居りまするが、此のお小僧さんの様に年もいかないで出家をなさるお方を見ると、本当に羨ましくなって成りませんから、私も早く出家になろうと思って、尼さんに頼んでも、まだ罪障《つみ》が有ると見えて出家にさせて呉れませんから、斯《こ》う遣って毎日無縁の墓を掃除すると功徳になると思って居りまするが、今日は陽気の為か苦患《くげん》でございまして、酷く気色が悪いようで」
音「お前さんの鎌は甚《えら》く錆びて居やすね、研《と》げねえのかえ」
新「まだ研ぎようを本当に知りませんが、此間《こないだ》お百姓が来た時聞いて教わったばかりでまだ研がないので」
音「己《おら》ア一つ鎌をもうけたが、是を見な、古い鎌だが鍛《きてえ》が宜《い》いと見えて、研げば研ぐ程よく切れるだ、全体《ぜんてえ》此の鎌はね惣吉どんの村に三藏という質屋があるとよ、其家《そこ》が死絶えて仕舞ったから、家は取毀《とりこわ》して仕舞ったのだ、すると己《おら》ア友達が羽生村に居て、此方《こっち》へ来たときに貰っただアが、汝《われ》使って見ねえか宜《よ》く切れるだが」
と云いながら差出す。
新「成程是は宜《い》い、切れそうだが大層古い鎌ですね」
と云いながら取り上げて見ると、柄《え》の処に山形に三の字の焼印がありまするから驚いて、
新「これは羽生村から出たのですと」
音「そうさ羽生村の三藏と云う人が持って居た鎌だ」
と云われた時、新吉は肝《きも》に応えて恟《びっく》り致し、草刈鎌を握り詰め、あゝ丁度今年で九ヶ年以前、累ヶ淵でおひさを此の鎌で殺し、続《つゞい》てお累は此の鎌で自殺し、廻り廻って今また我手へ此の鎌が来るとは、あゝ神仏《かみほとけ》が私《わし》の様な悪人をなに助けて置こうぞ、此の鎌で自殺しろと云わぬばかりの懲《こらし》めかあゝ恐ろしい事だと思い詰めて居りましたが、
新「お賤一寸|来《き》ねえ、お賤一寸来ねえ」
賤「あい、何《な》んだよ、今往くよ」
と此の頃|疎々《うと/\》しくされて居た新吉に呼ばれた事でございますから、心嬉しくずか/\と出て来ました。
新「お賤、此処《こゝ》においでなさるお小僧さんの顔を汝《てめえ》見覚えて居るか」
と云われお賤はけゞんな顔をしながら、
賤「そう云われて見ると此のお小僧さんは見た様だが何《な》んだか薩張《さっぱり》解らない」
新「羽生村の惣右衞門|様《さん》のお子で、惣吉|様《さん》といって七歳《なゝつ》か八歳《やッつ》だったろう」
賤「おやあの惣吉|様《さま》」
新「此の鎌は三藏どんから出たのだが、汝《てめえ》のめ/\と知らずに居やアがる」
と云いながら突然《いきなり》お賤の髻《たぶさ》を捉《と》って引倒す。
賤「あれー、お前何をするんだ」
というも構わず手元へ引寄せ、お賤の咽喉《のどぶえ》へ鎌を当てプツリと刺し貫きましたから堪《たま》りません、お賤は悲鳴を揚げて七顛八倒の苦しみ、宗觀と音助は恟《びっく》りし、
音「お前《めえ》気でも違ったのか、怖《おっ》かねえ人だ、誰か来て呉れやー」
と騒いで居る処へお熊比丘尼が帰って参り、此の体《てい》を見て同じく驚きまして、
尼「お前は此間《こないだ》から様子が訝《おか》しいと思ってた、変な事ばかりいって、少したじれ[#「たじれ」に傍点]た様子だが、何《な》んだって科《とが》もないお賤を此の鎌で殺すと云う了簡になったのだねえ、確《しっ》かりしないじゃいけないよ」
九十三
新「いえ/\決して気は違いません、正気でございますが、お比丘さん、お賤も私《わっち》も斯《こ》う遣って居られない訳があるのでございます、お賤|汝《てめえ》は己を本当の亭主と思ってるが、汝は定めて口惜しいと思うだろうが、汝一人は殺さねえ、汝を殺して置き、己も死なねばならぬ訳があるんだ、汝は知るめえが、あゝ悪い事は出来ねえものだ、此の庵室へ来た時にはお前さんの懴悔話を聞くと若《わけ》え時に小日向服部坂上の深見という旗下へ奉公して、殿の手がついて出来たのがお賤だと仰しゃったが、私《わたし》も其の深見新左衞門の次男に生れ、小さい時に家は改易と成ったので町家《ちょうか》で育ったもの、腹は違えど胤《たね》は一つ、自分の妹とも知らないで七年跡から互に深く成った畜生同様の両人《ふたり》、此の宗觀|様《さん》のお父様《とっさん》は羽生村の名主役で惣右衞門というお方でしたが、お賤を深川から見受けして別に家《うち》を持たせ楽に暮させてお置きなすったものを私は悪い事をするのみならず、申すも恐ろしい事だが、惣右衞門|様《さん》をお賤と私とで縊《くび》り殺したのでございます、さ、斯《こ》う申したら嘸《さぞ》お驚きでございましょう、誰も知った者はありません、病死の積りで葬って仕舞ったが、人は知らずとも此の新吉とお賤の心には能《よう》く知って居りまする、畜生のような兄弟が斯《こ》うやって罪滅しの為夫婦の縁を切って、出家を遂げようと思いました処へ宗觀|様《さん》がおいでなすって、これ/\と話を聞いて見れば迚《とて》も生きては居《お》られません、此の鎌は女房のお累が自害をし、私《わっち》が人を殺《あや》めた草苅鎌だが、廻り廻って私《わっち》の手へ来たのは此の鎌で死ねという神仏《かみほとけ》の懲《こらし》めでございまするから、其のいましめを背かないで自害致しまする、私共《わたくしども》夫婦のものは、あなたの親の敵でございます、嘸《さぞ》悪《にく》い奴と思召《おぼしめし》ましょうから何卒《どうぞ》此の鎌でズタ/\に斬って下さいまし、お詫びの為《た》め一《ひ》と言《こと》申し上げますが、お前《まい》さ
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