ではありませんよ」
 と云われ新吉は打萎《うちしお》れ溜息を吐《つ》きながらお賤に向い、
 新「何《ど》うだえお賤」
 賤「私も始めて聞いたよ、そんならお母《っか》さんお前がお屋敷へ奉公に上《あが》ったら、殿様のお手が附いて私が出来たといえば、其のお屋敷が改易にさえならなければ私はお嬢様、お前は愛妾《めかけ》とか何《な》んとか云われて居るのだね」
 尼「お前はお嬢様に違いないが、私は追出されてでも仕舞う位の訝《おか》しな訳でね」
 新「へい其の小日向の旗下とは何処《どこ》だえ」
 尼「はい、服部坂上の深見新左衞門様というお旗下でございます」
 といわれて新吉は恟《びっく》りし、
 新「エヽ、そんなら此のお賤は其の新左衞門と云う人の胤《たね》だね」
 尼「左様」
 新「そうか」
 と口ではいえど慄《ぞっ》と身の毛がよだつ程恐ろしく思いましたは、八年|前《ぜん》門番の勘藏が死際《いまわ》に、我が身の上の物語を聞けば、己は深見新左衞門の次男にて、深見家改易の前《まえ》に妾が這入り、間もなく、其の妾のお熊というものゝ腹へ孕《やど》したは女の子それを産落すとまもなく家が改易に成ったと聞いて居たが、して見ればお賤は腹違いの兄弟であったか、今迄知らずに夫婦に成って、もう今年で足掛七年、あゝ飛んだ事をしたと身体に油の如き汗を流し、殊《こと》には又其の本郷菊坂下へ捨児《すてご》にしたというのは、七年以前、お賤が鉄砲にて殺した土手の甚藏に違いない、右の二の腕に痣《あざ》があり、それにべったり黒い毛が生えて居たるを問いし時、我は本郷菊坂へ捨児にされたものである、と私への話し、さては聖天山へ連れ出して殺した甚藏は矢張《やっぱり》お賤の為には血統《ちすじ》の兄であったか、実に因縁の深い事、アヽお累が自害の後《のち》此のお賤が又|斯《こ》う云う変相になるというのも、九ヶ年|前《ぜん》狂死なしたる豊志賀の祟《たゝり》なるか、成程悪い事は出来ぬもの、己は畜生《ちくしょう》同様兄弟同志で夫婦に成り、此の年月《としつき》互に連れ添って居たは、あさましい事だと思うと総毛立ちましたから、新吉は物をも云わず小さくかたまって坐り、只ポロ/\涙を落して居りました。

        八十九

 尼「とんだ面白くもない話をお聞かせ申したが、まア緩《ゆっ》くりお休みなさい」
 新「実に貴方の話を聞いて、私《わっち》も若い時分にした悪事を考えますと身の毛がよだちますよ」
 尼「お前さん何をいうのです、若い時分などと云ってまだ若い盛りじゃアないか、是から罪を作らん様にするのだ」
 新「お母様《っかさん》、私《わたし》は真《しん》以《もっ》て改心して見ると生きては居られない程辛いから、私を貴方の弟子にして下さいな、外《ほか》に往き処《どこ》もないから、お前|様《さん》の側へ置いて下されば、本堂や墓場の掃除でもして罪滅しをして一生を送り度《た》いので、段々のお話で私は悉皆《すっかり》精神《たましい》を洗い、誠の人になりましたから、どうか私をお弟子にして下さいまし」
 尼「よくね、私の懴悔話を聞いて、一図《いちず》にアヽ悪い事をしたと云って、お前さんのような事を仰しゃるお方も有りますが、其の心持が永く続かないものですから、そんな事を云わなくっても、只アヽ悪い事をしたと思えば、其所《そこ》が善いので」
 新「お賤、お前とは不思義の悪縁と知らず、是まで夫婦になって居たけれ共、表向盃をしたという訳でもないから、夫婦の縁も今日限りとし、己は頭髪《あたま》を剃《す》って、お前のお母《っか》さんだが、己はお母さんとは思わない、己を改心させてくれた導きの師匠と思い、此のお比丘さんに事《つか》えて、生涯出家を遂《と》げる心に成ったから、もう己を亭主と思って呉れるな、己もまたお前を女房とは思わねえから、何卒《どうか》そう思って呉れ」
 賤「おい何をいうんだ、極りを云ってるよ、話を聞いた時には一図に悪い事をしたと思うが、少し経《た》つと直《じき》に忘れて仕舞うもの、一寸精進をしても、七日仕ようと思っても三日も経つともう宜かろうと喰《た》べるのが当前《あたりまえ》じゃアないか」
 新「今迄の魂の汚《よご》れたのを悉皆《すっかり》洗って本心になったのだから、もう己の傍《そば》へ寄って呉れるな」
 賤「おや新吉さん何をいうのだよお前どうしたんだえ」
 新「お前《めえ》はまア本当に………どうして羽生村なんぞへ来たんだなア」
 賤「新吉さん、お前《まえ》何をいうのだ、来たって、あゝいう訳で来たんじゃアないか、それが何《ど》うしたんだえ」
 新「お前《めえ》は何も解らねえのだ、アヽ厭《いや》だ、ふつ/\厭だ、どうぞ後生だから己の側へ寄ってくんなさんな」
 といわれてお賤は少しムッとした顔付になり、
 賤「あゝ厭ならおよしなさい、だが私もね、お前と二人で悪い事を仕度《した》くもないが、喰い方に困るものだから一緒にしたが、昨日《きのう》私が斯《こ》んな怪我をして、恐ろしい顔になったもんだから、他《ほか》の女と乗り替える了簡で、旨くごまかして、私を此寺《こゝ》へ押附《おっつ》け、お前はそんな事をいって逃げる心だろう」
 新「決してそういう訳じゃアないが、お前《まえ》どうして女に生れたんだなア」
 賤「何を無理な事をいうの、女に生れたって、気違じみ切って居るよ」
 新「お前に口を利かれても総毛立つよ」
 尼「喧嘩をしてはいけません、私もお賤の為には親だから死水《しにみず》を取って貰い度《た》いが親子でありながらそうも云われず、又お賤も私の死水を取る気はありますまい」
 新「まだ此のお賤は色気がある、此畜生奴《こんちきしょうめ》、本当にお前や己は、尻尾《しっぽ》が生えて四つん這になって椀《わん》の中へ面ア突込《つっこ》んで、肴《さかな》の骨でもかじる様な因果に二人とも生れたのだから、お賤|手前《てめえ》も本当にお経でも覚えて、観音さまへ其の身の罪を詫る為に尼に成り、衣を着て、一文ずつ貰って歩く気になんな、今更外に仕方がないからよ」
 賤「なんだね厭だよ、そんな事が出来るものか」
 新「そう側へ寄って呉れるなよ、どうか私の頭髪《あたま》を剃《す》って下さい」
 尼「まア/\三四日|此寺《こゝ》に泊っておいでなさい、又心の変るものだから、互に喧嘩をしないで、私はお経をあげに往ってくるから、少し待っておいでなさい」
 新「私も一緒に参りましょう」
 賤「おい新吉さんお前本当にどうしたんだえ、私は何《ど》うしてもお前の傍《そば》は離れないよ」
 新吉はもう誠に仏心《ぶっしん》と成りまして、
 新「お前はまだ色気の有る人間だ、己は真《しん》に改心する気に成った」
 賤「本当にお前どうしたんだよ」
 と云いながら取り縋《すが》るのを、新吉は突放《つきはな》し、
 新「此ん畜生奴、己の側へ来ると蹴飛すぞ」
 といわれお賤は腹の中にて、私の顔貌《かおかたち》が斯《こ》んなに成ったものだから捨てゝ逃げるのだと思うから油断を致しませんで、此寺《こゝ》に四五日居りまする中《うち》に、因果のむくいは恐ろしいもので、惣右衞門の忰惣吉が此の庵室を尋ねて参るという処から、新吉はもう耐《こら》え兼ねて、草苅鎌を以て自殺致しますという、新吉改心の端緒《いとぐち》でございます。

        九十

 偖《さ》て申し続きました深見新吉は、お賤を連れて足かけ五年間の旅中《たびちゅう》の悪行《あくぎょう》でございまする、不図《ふと》下総の塚前村と申しまする処の、観音堂の庵室に足を留《とめ》る事に成りました。是は藤心村の観音寺という真言寺《しんごんでら》持《もち》でございまして、一切の事は観音寺で引受けて致しまする。村の取附《とりつき》にある観音堂で、霊験《れいげん》顕著《あらたか》というので信心を致しまする者があって種々《いろ/\》の物を納めまするが、堂守《どうもり》を置くと種々の悪い事をしていなくなり、村方のものも困って居る処で、通り掛った尼は身性《みじょう》も善いという処から、これを堂守に頼んで置きました。是へ新吉お賤が泊りましたので、比丘尼《びくに》は前名《ぜんみょう》を熊と申す女に似気《にげ》ない放蕩無頼を致しました悪婆《あくば》でございまするが、今はもう改心致しまして、頭髪《あたま》を剃《そ》り落し、鼠の着物に腰衣を着け、観音様のお堂守をして居る程の善心に成りまして、新吉お賤に向って、昔の懴悔話をして聴かせると、新吉が身の毛のよだつ程驚きましたは、門番の勘藏の遺言に、お前は小日向服部坂上の深見新左衞門という御旗下の次男だが、生れると間もなくお家改易になったから、私が抱いて下谷大門町へ立退《たちの》いて育てたのだが、お家改易の時お熊という妾があって、其の腹へ出来たは女という事を物語ったが、そんなら七ヶ年|以来《このかた》夫婦の如く暮して来たお賤は、我が為には異腹《はらちがい》の妹《いもと》であったかと、総身《そうしん》から冷《つめた》い汗を流して、新吉が、あゝ悪い事をしたと真《しん》以《もっ》て改心致しました。人は三十歳位に成りませんければ、身の立たないものでございまする。お賤は二十八、新吉は三十になり、悪い事は悉《こと/″\》く仕尽した奴だけあって、善にも早く立帰りまして、出家を遂《と》げ、尼さまの弟子と思って下さい、夫婦の縁は是限りと思って呉れお賤|汝《てめえ》も能く考えて見ろ、今までの悪業《あくごう》の罪障消滅《つみほろぼ》しの為に頭を剃りこぼって、何《ど》の様な辛苦修行でもし、カン/\坊主に成って今迄の罪を滅《ほろぼ》さなくっちゃア往《い》く処へも往かれねえから、己の事は諦めて呉れとはいいましたが、汝は己の真実の妹だとはいい兼て居り、尼が本堂へ往けば、お熊比丘尼の後《あと》に附いて参り、墓場へ往けば墓場へ附いて往く、斎《とき》が有ればお供を致しましょうと出て参り、兎角にお賤の傍《そば》へ寄るを嫌いますから、お賤は腹の中にて、思いがけない怪我をして半面変相になり、斯《こ》んな恐ろしい貌《かお》に成ったから、新吉さんは私を嫌い、大方|母親《おふくろ》が此の庵主に成っているから、私を此処《こゝ》へ置去りにして逃げる心ではないかと、まだ色気がありますから愚痴|許《ばか》りいって苦情が絶えません。新吉の能く働きまする事というものは、朝は暗い内から起きて、墓場の掃除をしたり、門前を掃いたり、畠へ往って花を切って参って供えたり、遠い処まで餅菓子を買いに往って本堂へ供えたり、お斎が有るとお比丘さんの供をして参り、仮名振の心経や観音経を買って来て覚えようとして居りますのを見て、
 尼「誠に新吉さんは感心な事では有るが、一時《いちじ》に思い詰めた心はまた解《ほご》れるもの、まア/\気永にしているが宜《よ》い、只悪い事をしたと思えばまだお前なんぞは若いから罪滅しは幾らも出来ましょう」
 と優しくいわれるだけ身に応えまする。ちょうど七月二十一日の事でございまする、新吉は表の草を刈って居り、お賤は台所で働いて居りまする処へ這入って参りましたのは、十二三になる可愛らしい白色《いろじろ》なお小僧さんで、名を宗觀と申して観音寺に居りまする、此の小坊主を案内して来ましたは音助《おとすけ》という寺男で、二人|連《づれ》で這入って参り、
 音「御免なせえ」
 新「おいでなさい、観音寺様でございまするか」
 音「上《かみ》の繁右衞門《しげえもん》殿《どん》の宅で二十三回忌の法事があるんで、己《おら》ア旦那様も往くんだが、何《ど》うか尼さんにもというので迎《むけ》えに参《めえ》ったのだ」
 新「今尼さんは他《わき》のお斎に招《よ》ばれて往ったから、帰ったらそう云いましょう」
 音「能く掃除仕やすねえ、墓の間の草ア取って、跨《まて》えで向うへ出ようとする時にゃアよく向脛《むこうずね》を打《ぶ》ッつけ、飛《とび》っ返《けえ》るように痛《いて》えもんだが、若《わけ》えに能く掃除しなさるのう」
 新「お小僧さんはお小さいに能く出家を成さいましたね、お幾歳《いくつ》でございまする
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