めいさん》や明神|様《さん》に誓《ちかい》を立てゝるから、私が殺されても構わねえが、坊様に怪我アさせ度《たく》ねえ心持だから、お前度胸を据《す》えなければいかんぜ」
多「度胸据えてる心持だアけんども、ひとりでに足がブル/\顫《ふる》えるよ」
花「気を沈着《おちつ》けたが好《え》え」
多「気イ沈着ける心持で力ア入れて踏張《ふんば》れば踏張る程足イ顫えるが、何《ど》ういうもんだろう、私《わし》イ斯《こ》んなに身体顫った事アねえ、四年前に瘧《おこり》イふるった事が有ったがね、其の時は幾ら上から布団をかけても顫ったが、丁度其の時のように身体が動くだ」
花「ハテナ、白い物が此方《こっち》へころがって来るようだが何《なん》だろう、多助さん先へ立って往きなよ」
多「冗談いっちゃアいけねえ、あの林の処《とこ》に悪漢《わるもの》が隠れているかも知れねえから、お前《めえ》さん先へ往ってくんねえ」
と云いながら、やがて三人が彼《か》の白い物の処《とこ》へ近附いて見ると、大杉の根元の処《ところ》に一人の僧が素裸体《すっぱだか》にされて縛られていまして、傍《わき》の方に笠が投げ出して有ります。
九十六
花「おい多助さん」
多「え」
花「憫然《かわいそう》に、坊様だが泥坊に縛られて災難に逢《あわ》しゃッたと見え素裸体だ」
多「なにしても足がふるえて困る」
花「そう顫えてはいけねえ」
と云いながら彼《か》の僧に近づき、
花「お前さん/\泥坊のために素裸体にされたのですか」
僧「はい、災難に逢いました、木颪《きおろし》まで参りまする途中でもって馬方が此道《こゝ》が近いからと云うて此処《こゝ》を抜けて参りますと、悪漢《わるもの》が出ましたものじゃから、馬方は馬を放り出した儘逃げて了《しま》うと、私は大勢に取巻かれて衣服《きもの》を剥《は》がれ、直《す》ぐ逃がして遣ると此方《こっち》の勝手が悪い、己《おい》ら達が逃げる間此処に辛抱していろと申して、私は此の木の根方へ縛り附けられ、何《ど》うも斯《こ》うも寒くって成りません、お前さんたちも先へ往くと大勢で剥がれるから、後《あと》へお返りなさい」
花「なにしろ縄を解いて上げましょう、貴僧《あなた》は何処《どこ》の人だえ」
僧「有難うございます、私は藤心村の観音寺の道恩というものです」
と聞くより惣吉は打驚き駈けて参り、
惣「え、旦那様か、飛んだ目にお逢いなされました」
道「おゝ/\宗觀か[#「宗觀か」は底本では「惣觀か」]、お前此の山へ敵討に来たか」
惣「はいお言葉に背いて参りました、多助や、私が御恩に成った観音寺の方丈様だよ」
多「え、それはマア飛んだ目にお逢いなせえやしたね」
道「酷《ひど》い事をする、人の手は折れようと儘、酷く縛って、あゝ痛い」
と両腕を摩《さす》りながら、
道「中々同類が多勢《おおぜい》居《い》る様子じゃから帰るが宜《よ》い」
花「なにしても風を引くといけないから、それじゃア斯《こ》うと、私の合羽に多助|様《さん》お前の羽織を和尚|様《さま》にお貸し申そう、さア和尚様、これをお着なさい、それから多助|様《さん》此処《こゝ》を下《お》りて人家のある処まで和尚|様《さん》を送ってお上げなさい」
多「己此処まで惣吉|様《さん》の供をして、今坊|様《さま》を連れて山を下りては四年五年|心配《しんぺえ》打《ぶ》った甲斐《けえ》がねえ」
花「惣吉|様《さま》が永らく御厄介に成った方丈様だから連れてって上げなさいな」
多「敵も討《ぶ》たねえで、己山を下りるという理合《りえゝ》はねえから己《おら》ア往かねえ、坊様に怪我アさせてはなんねえから」
花「そんな事をいわずに往っておくんなせえ」
惣「爺《じい》やア、どうか和尚様をお送り申してお呉れ、お前が往かなけりゃア私が送り申さなければならないのだから、往っておくれな」
多「じゃア何《ど》うしても往くか、己此処まで来て敵も討《ぶ》たずに後《あと》へ引返すのか、なんだッて此の坊様はおっ縛《ちば》られて居たんだナア」
とブツ/\いいながら道恩和尚の手を引いて段々山を下り、影が見えなくなると樹立《こだち》の間から二人の悪漢《わるもの》が出て参り、
甲「手前《てめえ》たちは何《なん》だ」
花「はい私共は安田一角|先生《しぇんしぇい》が此方《こちら》にお出《いで》なさると聞きまして、お目にかゝり度《た》く出ましたもので」
乙「一角先生などという方はおいでではないワ」
花「私共はおいでの事を知って参りましたものですが、一寸お目にかゝり度《と》うございます」
乙「少し控えて居ろ」
と二人の悪漢は、互に顔を見合せ耳こすりして、林の中へ這入って、一角に此の由を告げると、一角は心の中《うち》にて、己の名を知っているのは何奴《なにやつ》か、事に依ったら、花車が来たかも知れないと思うから、油断は致しませんで、大刀《だいとう》の目釘を霑《しめ》し、遠くに様子を伺って居りますと、子分がそれへ出て、
甲「やい手前《てめえ》は何者だ」
九十七
花「いえ私《わし》は花車重吉という相撲取でございますが、先生《しぇんしぇい》は立派なお侍さんだから、逃げ隠れはなさるまい、慥《たし》かに此処《こゝ》にいなさる事を聞いて来たんだから、尋常に此の惣吉様の兄《あに》さんの敵と名のって下せい、討つ人は十二三の小坊主|様《さん》だ、私は義に依って助太刀をしに参ったものだから、何十人でも相手になるから出てお呉んなせい」
といわれ、悪漢《わるもの》どもは、あゝ予《かね》て先生から話のあった相撲取は此奴《こいつ》だなと思いましたから、直《すぐ》に一角の前へ行きまして此の事を告げました。一角も最早観念いたしておりまするから、
安「そうか、よい/\、手前達先へ出て腕前を見せてやれ」
といわれ、悪漢どもも相撲取だから力は強かろうが、剣術は知るめえから引包《ひっつゝ》んで餓鬼諸共打ってしまえ、とまず四人ばかり其処《そこ》へ出ましたが、怖いと見えまして、
甲「尊公《そんこう》先へ出ろ」
乙「尊公から先へ」
丙「相撲取だから無闇にそういう訳にもいかない、中々油断がならない、尊公から先へ」
丁「じゃア四人一緒に出よう」
と四人|均《ひと》しく刀を抜きつれ切ってかゝる、花車は傍《かたわら》に在《あ》った手頃の杉の樹《き》を抱えて、総身《そうしん》に力を入れ、ウーンと揺《ゆす》りました、人間が一生懸命になる時は鉄門でも破ると申すことがございます。花車は手頃の杉の樹をモリ/\/\と拗《ねじ》り切って取直し、満面朱を灌《そゝ》ぎ、掴み殺さんず勢いにて、
花「此の野郎ども」
といいながら杉の幹を振上げた勇気に恐れ、皆近寄る事が出来ません。花車は力にまかせ杉の幹をビュウ/\振廻し、二人を叩き倒す、一人が逃げにかゝる処を飛込んで打倒《ぶちたお》し、一人が急いで林の中へ逃げ込みますから、跡を追って参ると、安田一角が野袴《のばかま》を穿き、長い大小を差し、長髪に撫で附け、片手に種ヶ島の短銃《たんづゝ》に火縄を巻き附けたのを持って、
安「近寄れば撃ってしまうぞ、速《すみや》かに刀を投出して恐れ入るか、手前《てめえ》は力が強くても此れでは仕方があるめえ」
と鼻の先へ飛道具を突き附けられ、花車はギョッとしたが、惣吉を後《うしろ》へ囲んで前へ彼《か》の杉の幹を立てたなりで、
花「卑怯だ/\」
と相撲取が一生懸命に呶鳴る声だから木霊《こだま》致してピーンと山間《やまあい》に響きました。
花「手前《てめえ》も立派な侍じゃアねえか、斬り合うとも打合うともせえ、飛道具を持つとは卑怯だ、飛道具を置いて斬合うとも打合うともせえ」
一角もうっかり引金を引く事が出来ませんから威《おど》しの為に花車の鼻の先へ覘《ねら》いを附けておりますから、何程力があっても仕様がありません、進むも退《ひ》くも出来ず、進退|谷《きわ》まって花車は只ウーン/\と呻《うな》っておりまする。多助は彼《か》の道恩を送っていきせき帰って来ましたが、此の体《てい》を見て驚きましてブル/\顫えております。すると天の助《たすけ》でございますか、時雨空《しぐれぞら》の癖として、今まで霽《は》れていたのが俄《にわ》かにドットと車軸を流すばかりの雨に成りました。そう致しますと生茂《おいしげ》った木葉《このは》に溜った雨水が固まってダラ/\と落《おち》て参って、一角の持っていた火縄に当って火が消えたから、一角は驚いて逃げにかゝる処を、花車は火が消えればもう百人力と、飛び込んで無茶苦茶に安田一角を打据《うちす》えました、これを見た悪漢《わるもの》どもは「それ先生が」と駈出して来ましたが側へ進みません、花車は傍《かたえ》を見向き、
花「此の野郎共|傍《そば》へ来やアがると捻《ひね》り潰すぞ」
という勢いに驚いて樹立《こだち》の間へ逃げ込んで仕舞いました。
花「サア惣吉|様《さん》遣ってお仕舞いなせえ、多助|様《さん》、お前助太刀じゃアねえか確《しっか》りしなせえ」
惣吉は走り寄り、
惣「関取誠に有難う、此の安田一角め兄《あに》さん姉《あね》さんの敵思い知ったか」
多「此の野郎助太刀だぞ」
と惣吉と両人《ふたり》で無茶苦茶に突くばかり、其のうち一角の息が止ると、二人共がっかりしてペタ/\と坐って暫らくは口が利けません。花車は安田一角の髻《たぶさ》を取り、拳を固めてポカ/\打ち、
花「よくも汝《われ》は恩人の旦那様を斬りやアがった、お隅|様《さん》を返討《かえりうち》にしやアがったな此の野郎」
といいながら鬢《びん》の毛を引抜きました。同類は皆ちり/″\に逃げてしまったから、其の村方の名主へ訴え、名主からまたそれ/″\へ訴え、だん/\取調べになると、全く兄《あに》姉《あね》の仇討《かたきうち》に相違ないことが分り、花車は再び江戸へ引返し、惣吉は十六歳の時に名主役となり、惣右衞門の名を相続いたし、多助を後見といたしました。花車が手玉にいたしました石へ花車と彫り附け、之を花車石と申しまして今に下総の法恩寺|中《ちゅう》に残りおりまする。是で先《ま》ずお芽出度《めでたく》累ヶ淵のお話は終りました。
(拠小相英太郎速記)
底本:「圓朝全集 巻の一」近代文芸資料複刻叢書、世界文庫
1963(昭和38)年6月10日発行
底本の親本:「圓朝全集巻の一」春陽堂
1925(大正15)年9月3日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号は原則としてそのまま用いました。同の字点「々」と同様に用いられている二の字点(漢数字の「二」を一筆書きにしたような形の繰り返し記号)は、「々」にかえました。
また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。
底本中ではばらばらに用いられている、「其の」と「其」、「此の」と「此」、「彼《あ》の」と「彼《あの》」は、それぞれ「其の」「此の」「彼の」に統一しました。
また、底本中では改行されていませんが、会話文の前後で段落をあらため、会話文の終わりを示す句読点は、受けのかぎ括弧にかえました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※注釈は底本では上部欄外に書かれています。
入力:小林繁雄
校正:かとうかおり
2000年4月18日公開
2008年10月14日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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