訳があるのだよ」
 作「三十両|呉《くれ》るなら遣附《やっつ》けやしょう」
 新[#「新」は底本では「作」]「若《も》し與助の野郎が邪魔でもしたら、汝《てめえ》打擲《ぶんなぐ》ってくれなくっちゃアいけねえぜ」
 作「與助|爺《おやじ》なんざアヒョロ/\してるから川の中へ投《ほっ》ぽり込んで了《しま》うがそれも矢張《やっぱり》金づくだがね」
 新「強請事《ねだりごと》をいわずに遣って呉れ、其の代り首尾よく遣って利を見た上で汝《おめえ》に又礼をしよう」
 作「それじゃア三藏に貸してくれといっても貸さねえといえば礼はねえか、困ったな、じゃア後《あと》の礼の処は当《あて》にはならねえな」
 新「まア其様《そん》なものだが、多分旨く往《ゆ》くに違《ちげ》えねえ、若《も》しぐず/\して貸さねえなんどゝいったら、三藏與助の二人を殴《たゝ》っ殺して川の中へ投《ほう》り込んでしまう積りだ、己も安田の提灯持|位《ぐれ》えは遣る了簡だ」
 作「お賤さん新吉さんが彼様《あん》な事を云うぜ」
 賤「お前度胸をお据《す》え仕方がないよ、私も板の間稼ぎぐらいは遣るよ」
 作「アレマア彼様《あん》な綺麗な顔をしていながら、あんな事をいうのも皆《みんな》新吉さんが教えたんだろう、己はどうせ安田の同類にされたから、知れゝば首は打斬《ぶっきら》れる様になってるんだから仕方がねえ、やるべえ/\、おゝ婆《ばゞ》アが帰《けえ》って来やアがった」
 新「それじゃア手前《てめえ》馬を引いて早く往《い》け」
 作「ハイ、そんなら直《すぐ》に馬ア引いて新高野へ三藏を迎《むけ》えに参《めえ》りやしょう」
 と出て行《ゆ》きました。これから新吉お賤も茶代を払って其処《そこ》を立出《たちい》でました。其の内もう日はとっぷりと暮れましたが、葮簀張《よしずッぱり》もしまい川端の葦《よし》の繁った中へ新吉お賤は身を隠して待って居ると、向《むこう》から三藏が作藏の馬に乗って参りました。
 作「與助さん貴方《あんた》もう何歳《いくつ》になるねえ、まだ若《わけ》えのう、長く奉公してるが五十を一つ二つも越したかえ」
  與「そうでねえ、もう六十に近くなったから滅切《めっきり》年を取って仕舞った」
 作「羽生村の旦那ちょっくら下りてお呉んなせえ」
 三「なんだ」
 作「なんでも宜《い》いから」
 三「坂を上《あが》ったり下りたりするので己も余程|草臥《くたび》れたが、馬へ乗って少し息を吐《つ》いたが、馬へ乗ると又|矢張《やっぱり》腰が痛いのう」
 作「旦那誠に御無心だが、私《わし》はね、少し用があるのを忘れて居たが、実は此の先へ往って炭俵を六俵積んで来て呉れと頼まれてるんだが、どうしても積んで往《い》かねばなんねえ事があるだ、誠にお気の毒だが此処《こゝ》で下りて下せえな、もう此処から先は平《たいら》な道だから歩いても造作ねえんですが」
 三「それじゃア何《どう》でもいゝ汝《てめえ》が困るなら下りて歩いて往こう」
 と云いながら馬から下りる。
 作「私《わし》は少し急ぎますから御免なせえ」
 と大急ぎで横道の林の蔭へ馬を引込《ひきこ》みました。

        八十五

 日はどっぷりと暮れ、往来も止《とま》りますと、戸ヶ崎の小僧弁天堂の裏手の草の茂みからごそ/\と葦《あし》を分けながら出て来た新吉は、ものをもいわず突然《いきなり》與助の腰を突きましたから堪《たま》りません、與助は翻筋斗《もんどり》を打って、利根の枝川へどぶんと水音高く逆《さか》とんぼうを打って投げ込まれましたから、アッといって三藏が驚いている後《うしろ》から、新吉が胴金を引抜いて突然《だしぬけ》に三藏の脇腹へ突込《つきこ》みました、アッといって倒れる処へ乗掛り、胸先を抉《えぐ》りましたが、一刀《いっぽん》や二刀《にほん》では容易に死ねません、死物狂い一生懸命に三藏は起上り、新吉の髻《たぶさ》をとって引き倒す、其の内與助は年こそ取って居りまするが、田舎漢《いなかもの》で小力《こぢから》もあるものでございますから、川中から這い上《あが》って参りながら、短いのを引き抜き、
 與「此の野郎なにをしやアがる」
 と斬って掛る様子を見るよりお賤は驚き、新吉に怪我をさせまいと思い、窃《そっ》と後《うしろ》から出て参り、與助の髻を取って後の方へ引倒すと、何をしやアがるといいながら、手に障った石だか土の塊《かたま》りだか分りません、それを取って突然《いきなり》お賤の顔を打ちました。お賤は顔から火が出た様に思い「アッ」といって倒れると、乗《の》し掛り斬ろうとする処へ、馬子の作藏が與助の傍《わき》から飛び出して、突然《いきなり》足を上げて與助を蹴りましたから堪《たま》りません、與助はウンといって倒れました。新吉は刀を取直して又《ま》た一刀《いっとう》三藏の脇腹をこじりましたから、三藏も遂《つい》に其の儘息が絶えました。すると手早く三藏の懐へ手を入れ、胴巻の金を抜き取って死骸を川の中へ投げ込んで仕舞い、
 新「お賤/\」
 賤「アイ、アヽ痛い、どうも酷《ひど》い事をしやアがった、石か何か取って、いやという程私の顔を打《ぶ》ちやアがった」
 新「手出しをするからだ、黙って見ていればいゝに」
 賤「見て居《い》ればお前が殺されて仕舞ったのだよ、與助の野郎がお前の後《うしろ》から斬りに掛ったから、私が一生懸命に手伝ったのだが、もう少しでお前斬られる処だったよ」
 新「そうか、夢中でいたから、ちっとも知らなかった」
 賤「與助をよく蹴倒したのう」
 作「え、なに己だ、林の蔭に隠れていたが、危ねえ様子だから飛び出して来て、與助野郎の肋骨《あばら》を蹴折って仕舞った、兄い無心|処《どころ》じゃねえ突然《いきなり》に行《や》ったんだな」
 新「汝《てめえ》はもう帰《けえ》ったのかと思った」
 作「林の蔭に隠れていて、何《ど》うだかと様子を見ていたのよ」
 新「誰か人は来やアしねえか、汝《てめえ》気を附けて呉れ」
 作「大丈夫《でえじょうぶ》だ、誰も来る気遣《きづけえ》はねえが、割合《わりえゝ》を貰《もれ》え度《て》えなア」
 新「汝《てめえ》はよく嘘を吐《つ》く奴だな、三藏が高野へ納める祠堂金を持ってるというから、懐を探して見たが、金なんぞ持っていやアしねえ、漸《ようや》く紙入の中に二両か三両しかありゃアしねえ」
 作「冗談じゃアねえぜ、そんな事があるもんか」
 新「だって汝《てめえ》嘘を吐いたんだ」
 作「なに己が嘘なんぞ吐くものか、此の野郎殺して置いて其の金を取って仕舞ったに違《ちげ》えねえ、そんな事をいっても駄目だ」
 新「なに本当だよ」
 作「死骸《しげえ》はどうした」
 新「川の中へ投《ほう》り込んでしまった」
 作「嘘をいえ、戯《ふざ》けずに早くよこせよ、戯けるなよ」
 新「なに戯けやアしねえ」
 といわれ、作藏は少し怒気《どき》を含み、訛声《だみごえ》を張上げ、
 作「手前《てめえ》の懐を改めて見よう、己だって手伝って、姐《あね》さんを斬ろうとする與助を己が蹴殺して、罪を造っているんだ、裸体《はだか》になって見せろやい、出せってばやい」
 といいながら新吉に取縋《とりすが》る。
 新「遣るよ、遣るから待てというに、戯けるな、放せ」
 作「なんだ、人を欺《だま》して、金え出せよう」
 新「遣るから待てよ、遣るというに、お賤、その柳行李《やなぎごり》の中に少し許《ばか》り金が這入《へえ》ってるから出して作藏に遣んな、三藏の懐には無《ね》えんだから沢山《たんと》は遣れねえ、十両ばかり遣ろう」
 と気休めをいいながら隙《すき》を覘《ねら》ってどんと作藏の腰を突くと、どぶりと用水へ落ちましたが、がば/″\と直《すぐ》に上《あが》って参りまする処を見て、ずーんと脳を割附《わりつ》けると、アッ、といってがば/″\と沈みましたが、又這上りながら、
 作「斬りやアがったなア此の野郎」
 と云う声がりーんと谺《こだま》がして川に響きました。尚《なお》も這上ろうとする処を、また一つ突きましたから、仰むけにひっくりかえりましたが、又這上って来るのを無暗《むやみ》に斬り附けましたから、馬方の作藏は是迄の悪事の報いにや遂《つい》に息が止ったと見え、其の儘土手の草を攫《つか》んだなり川の中へのめり込んで仕舞いました。
 賤「お前まア恐ろしい酷《ひど》い事をするねえ」
 新「此の野郎はお饒舌《しゃべり》をする奴だから、罪な様だが五両でも八両でも金を遣るのは費《ついえ》だから切殺して仕舞ったが、もう此処《こゝ》にぐず/\してはいられねえ」
 賤「私はどうも殴《ぶた》れた処《とこ》が痛くって堪《たま》らないよ」
 新「何《な》んだか暗くって判然《はっきり》分らねえ」
 といいながら透《すか》して見ると、石だか土塊《どろ》だか分りませんが、機《はず》みとはいいながら打《ぶ》たれた痣《あざ》は半面紫色に黒み掛り、腫《は》れ上っていましたから、新吉がぞっとしたと申すは、丁度七年|後《あと》の七月廿一日の夜《よ》、お累が己を怨《うら》み、鎌で自殺をした彼《あ》の時に、蚊帳の傍《そば》へ坐って己の顔を怨めしそうに睨《にら》めた貌《かお》が、実に此の通りの貌だが、今お賤が思い掛ない怪我をして、半面|変相《へんそう》になるというのも、飽《あく》までお累が己の身体に附纒《つきまつわ》って祟《たゝり》をなす事ではないかと、流石《さすが》の悪党も怖気立《こわげた》ち、ものをも言わず暫くは茫然《ぼんやり》と立って居りましたが、お賤は気が附きませんから、
 賤「お前早く人の来ない中《うち》に何処《どこ》かへ往って泊らなくっちゃアいけない」
 といわれ、漸々《よう/\》心附き、これからお賤の手を取って松戸へ出まして、松新《まつしん》という宿屋へ泊り、翌日雨の降る中を立出《たちい》でて本郷山《ほんごうやま》を越し、塚前村にかゝり、観音堂に参詣を致し、図《はか》らずお賤が、実の母に出逢いまするお話は一息つきまして。

        八十六

 申続きました新吉お賤は、実に仏説で申しまする因縁で、それ程の悪人でもございませんでしたが、為《す》る事|為《な》す事に皆悪念が起り、人を害す様な事も度々《たび/\》になりまする。扨《さて》二人は松戸へ泊り、翌廿二日の朝立とうと致しますると、秋の空の変り易《やす》く、朝からどんどと抜ける程降りますから立つ事が出来ませんで、ぐず/″\して晴れ間を待っている中《うち》に丁度|午刻過《ひるすぎ》になって雨が上りましたから、昼飯《ひるはん》を食べて其処を立ちましたなれども、本街道を通るのも疵《きず》持つ脛《すね》でございまするから、却《かえ》って人通りのない処がよいというので、是から本郷山を抜け、塚前村へ掛りました時分は、もう日が暮れかゝり、又|吹掛《ふっか》け降《ぶり》に雨がざア/\と降って来ましたから、
 新「アヽ困ったもんだ」
 と云いつゝ二三町参りますと傍《かたわら》の林の処に小さい門構《もんがまえ》の家《うち》に、ちらりと燈火《あかり》が見えましたから、
 新「兎も角も彼処《あすこ》へ往って雨止《あまや》みをしよう」
 といいながら門の中へ這入って見ると、木連格子《きつれごうし》に成っている庵室で、村方の者が奉納したものか、丹《たん》で塗った提灯が幾つも掛けてあります。正面には正観世音《しょうかんぜおん》と書いた額が掛けてあります。
 新「お賤」
 賤「あい」
 新「こんな処に宿屋はなし、仕方がないから此の御堂《おどう》で少し休んで往こう、お賽銭《さいせん》を上げたらよかろう、坊さんがいるだろう」
 といいながら格子の間から覘《のぞ》いて見ると、向《むこう》に本尊が飾って有りまする。正観世音の像を小さいお厨子《ずし》の中へ入れてあるのですが、余り良い作ではありません、田舎仏師の拵《こしら》えたものでございましょう、なれ共金箔を置き直したと見え、ぴか/″\と光って居りまする、其の前に供えた三《み》つ具足は此の頃納まったものか、まだ新しく村名《むらな》が鏤《ほ》り
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