は有ったが惣吉《これ》がにいい付けて置いたら、慌《あわ》てゝ、包の中へ入れて置いたのを置いて参《めえ》りまして」
尼「薬がなくっては困ったもの、斯《こ》ういう時は苦い物でなければいけない、だらすけ[#「だらすけ」に傍点]が宜《い》いが、今此の先にねえ、あの榎《えのき》の出て居る家《うち》が有る、あれから左の方へ構わず曲って行《ゆ》くと、家が五六軒ある、其処《そこ》の前に丸太が立って、家根《やね》の上に葮簀《よしず》が掛って居て、其処に看板が出てあったよ、癪だの寸白|疝気《せんき》なぞに利く何《なん》とか云う丸薬で、*黒丸子《くろがんじ》の様なもので苦い薬で、だらすけ[#「だらすけ」に傍点]みたいなもので、癪には能く利くよ、お前ねえ、知れまいかねえ、行って買って来ないか、安い薬だが利く薬だが、先刻《さっき》通った時榎があって、一寸休む処《とこ》が有って、掛茶屋《かけぢゃや》ではないが、あれから曲って一町ばかり行《い》くと四五軒|家《うち》があるが、何《ど》うか行って買って来て、私が行って上げたいが手が放されないから」
*「漢方医の調剤する腹痛の丸薬。こくがんし」
惣「有難う」
尼「茲《こゝ》にお銭《あし》があるから是を持って行っておいで、心配せずに」
惣「じゃア母様《かゝさま》私《わし》が薬買って来るから」
母「よくお聞き申して早く行って来《こ》うよ」
惣「はい、御出家様お願《ねげ》え申しますよ」
尼「あいよ心配せずに行っておいで、憫然《かわいそう》に年もいかぬに旅だからおろ/\して涙ぐんで、いゝかえ知れたかえ、先刻《さっき》通った四五町先の榎から左に曲るのだよ」
惣「あい」
とおろ/\しながら、惣吉は年は十《とお》だが親孝心で発明な性質《うまれつき》、急いで降る中を四五町先を見当《みあて》にして参りました。先刻通りました処は覚えて居りまして、榎の所から曲ると成程四五軒|家《うち》がある、其処《そこ》へ来て、
惣「此辺《こゝら》に癪に利く薬でだらすけ[#「だらすけ」に傍点]という様な薬は何処《どこ》で売って居《おり》ますか」
と聞くと、
男「此辺に薬を売る処はない、小金《こがね》まで行かなければない」
惣「小金と云うのは」
男「小金までは子供で是からは迚《とて》も行かれない、其の中《うち》には暗くなって原中で犬でも出れば何《ど》うする、早くお帰り」
と云われ心細いから惣吉は帰って観音堂へ駈上《かけあが》って見ると情ないかな母親は、咽喉《のど》を二巻《ふたまき》程丸ぐけで括《くゝ》られて、虚空を掴んで死んで居る。脊負《せお》った物も亦《また》母が持って居た多分の金も引浚《ひきさら》って彼《か》の尼が逃げました。
惣「アヽお母様《っかさま》、何《ど》うして絞殺《しめころ》されたかねえ」
と頸《くび》に縛り付けてある丸ぐけを慄《ふる》えながら解いて居る処へ、通り掛った者は、藤心村《ふじごゝろむら》の観音寺の和尚|道恩《どうおん》と申しまして年とって居りますが、村方では用いられる和尚様、隣村に法事があって男を一人連れて帰りがけ、
和尚「急がんじゃアいかん」
男「何《なん》だかヒイ/\という声が聞える様に思うだ」
和「ヒイ/\と」
男「怖《おっ》かねえと思って、此処《こゝ》はね化物が出る処《とこ》だからねえ」
和「化物なぞは出やせん」
男「けれども原中でヒイ/\という声が訝《おか》しかんべえ」
和「何も出やアしない」
男「あれ冗談じゃアねえ、だん/\、あれ/\」
和「彼《あ》れは観音様のお堂だ、彼処《あすこ》に人が居るのではないか、暗くって見えはせん提灯《ちょうちん》出しな」
と提灯を引ったくって和尚様が来て見ると、縊《くび》り殺された母に縋《すが》り付いて泣いて居る。
和「どういう訳か」
と聞くと泣いてばかり居て頓《とん》と分りません。漸《ようや》くだまして聞くと是れ/\という。
和「飛んだ事だ」
と直《すぐ》に供の男を走らして村方へ知らせますと、百姓が二三人来て死骸と共に惣吉を藤心村の観音寺へ連れて来て、段々聞くと、便《たよ》る処もない実に哀れの身の上でありますから、
和「誠に因縁の悪いので、親の菩提の為、私《わし》が丹精して遣るから、仇《かたき》を討つなぞということは思わぬが宜《い》い、私の弟子になって、母親や兄《あに》さんの為に追善供養を吊うが宜い」
と此の和尚が丹精して漸《ようや》く弟子となり、頭を剃《そ》りこぼち、惣吉が宗觀《そうかん》と名を替えて観音寺に居る処から、はからずも敵《かたき》の様子が知れると云うお長いお話。一寸一息吐きまして。
八十二
扨《さて》一席申上げます、久しく休み居りました累ヶ淵のお話は、私《わたくし》も昨冬《さくふゆ》より咽喉加答児《いんこうかたる》でさっぱり音声が出ませんから、寄席《せき》を休む様な訳で、なれども此の程は大分咽喉加答児の方は宜《よ》うございますが、また風を引き風声《かざごえ》になりまして、風声と咽喉加答児とが掛持《かけもち》を致して居りますると云う訳でもござりませんが、何時《いつ》までもお話を致さずにも居《お》られませんから、此の程は漸《ようや》く少々よろしゅうございますから、申し残りの処を一席お聞きに入れます。さてお話が二つに分れまして、ちょうど時は享和《きょうわ》の二年七月廿一日の事でございまする。下総の松戸《まつど》の傍《わき》に、戸ヶ崎《とがさき》村と申す処がございまして、其処《そこ》に小僧弁天というのがありまするが、何《ど》ういう訳で小僧弁天と申しますか、敢《あえ》て弁天様が小さいという訳でもなし、弁天様が使いに往《い》く訳でもないが、小僧弁天と申します。境内は樹木が繁茂致しまして、頓《とん》と掃除などを致したことはなく、破《や》れ切れた弁天堂の縁《えん》は朽ちて、間から草が生えて居り、堂の傍《わき》には落葉《おちば》で埋《うず》もれた古井があり、手水鉢《ちょうずばち》の屋根は打《ぶ》っ壊れて、向うの方に飛んで居ります。石塚は苔の花が咲いて横倒《よこッたお》しになって居りまする程の処、其の少し手前に葮簀張《よしずッぱり》があって、住《すま》いではありません、店の端には駄菓子の箱があります、中にはお市《いち》、微塵棒《みじんぼう》、達磨《だるま》に玉兎《たまうさぎ》に狸の糞《くそ》などという汚《きた》ない菓子に塩煎餅がありまするが、田舎のは塩を入れまするから、見た処では色が白くて旨そうだが、矢張《やはり》こっくり黒い焼方の方が旨いようです。田舎の塩煎餅は薄っぺらで軽くてべら/\して居りまする、大きな煎餅壺に一杯這入って居りまする、それから鳥でも追う為か、渋団扇《しぶうちわ》が吊下《ぶらさが》り、風を受けてフラ/\煽《あお》って居りまする、これは蠅除《はえよけ》であると申す事で。袖無《そでなし》を着た婆《ば》アさまが塵埃除《ほこりよけ》の為に頭へ手拭を巻き附け、土竈《どぺッつい》の下を焚《た》き附けて居りまする。破れた葮簀の衝立《ついたて》が立ってあり、看板を見ると御休所《おんやすみどころ》煮染《にしめ》酒と書いてありまするのは、いかさま一膳飯ぐらいは売るのでござりまする。丁度其の日の申刻《なゝつ》下《さが》り、日はもう西へ傾いた頃、此の茶見世へ来て休んでいる武士《さむらい》は、廻し合羽《がっぱ》を着て、柄袋の掛った大小を差し、半股引の少し破《や》れたのを穿いて、盲縞《めくらじま》の山なしの脚半《きゃはん》に丁寧に刺した紺足袋、切緒《きれお》の草鞋《わらじ》を穿き、傍《かたわら》に振り分け荷を置き、菅《すげ》の雪下《ゆきおろ》しの三度笠を深く冠《かぶ》り、煙草をパクリ/\呑んで居りますると、門口から這入って参りました馬方は馬を軒の傍へ繋《つな》いで這入って来ながら、
馬「婆《ばア》さま、お茶ア一杯《いっぺえ》くんねえ、今の、お客を一人|新高野《しんこうや》まで乗《のっ》けて来た」
婆「おめえさまは何時《いつ》もよい機嫌だのう」
馬「いゝ機嫌だって、機嫌悪くしたって銭の儲かる訳でもねえから仕ようがねえのよ」
といいながら彼《か》の縁台に腰を掛けていたる客人を見て、
馬「お客さん御免なせえ、あんた何方《どちら》へおいでゝごぜえやすねえ、もうハア日イ暮れ掛って来やしたから、お泊《とまり》は流山か松戸|泊《どまり》が近くってようごぜえましょう、川を越してのお泊は御難渋《でけえ》ようだが、今夜は何処《どこ》へお泊りか知りやせんが、廉《やす》くやんべえかな」
士「馬は欲しくない」
馬「どうせ帰《けえ》り馬でごぜえやす、今ね新高野までお客ウ二人案内してね、また是から向《むこう》へ往《い》くのでごぜえやすが、手間がとれるから、鰭ヶ崎の東福寺《とうふくじ》泊《どま》りと云うのだが、幾らでもいゝから廉く遣るべえじゃアねえか」
士「馬は欲しくないよ」
馬「欲しくねえたって廉かったら宜《え》えじゃアねえか」
士「廉くっても乗り度《た》くないというのに」
馬「そんな事を云わずに我慢して乗ってッて下せえな」
士「うるさい、乗り度くないから乗らんというのだ」
馬「乗り度くねえたって乗ってお呉んなせえな、馬にも旨《うめ》え物を喰わして遣りてえさ、立派な旦那様、や、貴方《あんた》ア安田さまじゃありやせんか」
士「誰だ」
馬「おゝ先生かえ、誠に久しく会わねえ、まア本当に思えがけねえ、横曾根村にいた安田先生だね」
士「大きな声をするな、己は少々仔細有って隠れている身の上だが、突然《だしぬけ》に姓名をいわれては困る、貴様は誰だ」
馬「誰だって先生、一つ処《とこ》にいた作藏でごぜえやすわね」
士「なに作藏だと、おゝ然《そ》う/\」
作「えゝ誠にお久しくお目に懸りやせんが、何時《いつ》もお達者で若《わけ》えねえ、最早《もう》慥《たし》か四十五六になったかえ」
士「汝《てめえ》も何時も若いな」
作「己《おら》アもう仕様がねえ、貴方《あんた》実はね私《わし》も先刻《さっき》から見た様な人だと思ってたが、安田一角先生とは気が附かなかったよ」
士「己の名を云ってくれるなというに」
作「だッて、知んねえだから気イ附かずに云ったのさ、併《しか》し何《ど》うも一角先生に似て居ると思ったよ」
安「これ名を云うなよ」
作「成程|善々《よく/\》視《み》れば先生だ、何《なん》でも隠し事は出来ねえねえ、笠ア冠《かぶ》っているから知れなかったが安田先生だった」
安「これ/\困るな、名を云うなと云うに」
作「つい惘然《うっかり》いうだが、もう云わねえ様にしやしょう、実に思え掛けねえ、貴方《あんた》今|何処《どこ》にいるだ」
安「少し仔細あって此の近辺に身を隠しているが、汝《てめえ》何《ど》うして彼方《あっち》を出て来た」
作「仕様がねえだ、己《おら》アこんなむかっ腹を立てる気象だが、詰らねえ事で人に難癖え附けられたから、此所《こゝ》ばかり日は照らねえと思って出て来たのさ」
安「汝《てめえ》は慥《たし》か森藏《もりぞう》の宅《うち》に厄介になっていたじゃアねえか」
作「はい、森藏といっちゃア彼処《あすこ》では少しは賭博打《ばくちうち》の仲間じゃア好《い》い親分だが、何《なん》てってももう年い取ってしまって、親分は耄碌《もうろく》していやすから、若《わけ》え奴等もいけえこといやすから、私《わし》も厄介《やっけえ》になってると、金松《かねまつ》と云う奴がいて、其奴《そいつ》か[#「其奴《そいつ》か」はママ]毀《こわ》れた碌でもねえ行李《こり》を持っていて、自分の物は犢鼻褌《ふんどし》でも古手拭でも皆《みんな》其ん中《なけ》え置くだ、或時|己《おれ》が其の行李を棚から下《おろ》してね、明けて見ると、財布《せえふ》が這入《へえ》ってゝ金が一分二朱と六百あったから出して使ってしまうと、其奴がいうには、此の行李の中へ入れて置いた財布の金が無《ね》え、手前《てめえ》取ったろうというから、己ア取りゃア
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