》ぬじゃアなし、関取がに逢って敵い討《ぶ》って目出度く帰《けえ》って来たら宜《え》えじゃアねえか」
多「それまア楽《たのし》みにするだが、あんた昨宵《ゆうべ》も人間は老少不定《ろうしょうふじょう》だなんていわれると心持よくねえからね」
母「これで別れましょうよ」
多「左様なら気い付けてね、初めから余《あんま》りたんと歩かねえようにしてねえ、早く泊る様にしなければなんねえ、寒い時分だから遅く立って早く宿へ着かなけんばいけませんぞ…アヽ押《おさ》ねえでも宜《え》え危《あぶね》えだ、前《めえ》は川じゃアねえか、此処《こゝ》へ打箝《ぶちはま》ったらどうする…何卒《どうぞ》大事《でえじ》に行って来てお呉んなせえましよ…なに笑うだ、名残い惜いから声かけるになんだ馬鹿野郎、情合《じょうええ》のねえ奴だ、笑やアがって……あれまア肥料桶《こいたご》担《かた》げ出しやアがった、桶《たご》をかたせ、アヽ桶を下《おろ》して挨拶しているが……あゝ兼だ新田《しんでん》の兼だ、御厄介《ごやっけい》になった男だからなア、あの男も……惣吉様|小《ちっ》せえだけんども怜悧《りこう》だから矢張《やっぱり》名残い惜がって、昨宵《ゆうべ》も己《おい》らは行くのは厭《いや》だけんども母様《かゝさま》が行くから仕方がねえ行くだって得心したが、後《うしろ》を振返《ふりけえ》り/\行く………見ろよ…………あゝ誰か大《でけ》え馬ア引出しやアがって、馬の蔭で見えなくなった、馬を田の畦《くろ》へ押付《おッつ》けろや…あれまア大え庚申塚《こうしんづか》が建ったな、彼《あ》れア昔からある石だが、あんなもの建てなけりゃアいゝに、庚申塚が有って見えやアしねえ、庚申塚|取除《かた》せ」
村方の者「そんなことが出来よかえ」
と伸上《のびあが》り/\見送って暇《いとま》を告げる者はどろ/\[#「どろ/\」に傍点]帰る。此方《こちら》は後《あと》に心が引かされるから振返り/\、漸々《よう/\》のことで渡を越して水街道から戸頭へさして行《ゆ》きます。すると其の翌年になりまして花車重吉という関取は行違《ゆきちが》いになりましたことで、毎年《まいねん》春になると年始に参りますが、惣次郎の墓詣《はかまいり》をしたいと出て来ましたが、取急ぎ水街道の麹屋へも寄らず、直《すぐ》に菩提所へ参りまして和尚様に逢うと、是《こ》れ/\といい、つい話も長くなりましたが、墓場に香花を沢山あげて、
花車「あゝお隅様情ない事になった、敵《かたき》を打つなれば私《わし》に一言《ひとこと》話をして呉れゝばお前|様《さん》にこんな難儀もさせまいに、今いうは愚痴だが、だが能くお前が死んで呉れた許《ばか》りで敵は安田一角という事が分りましたから、惣吉様に助太刀して屹度《きっと》花車がお前|様《さん》の恨《うらみ》を晴します、アヽ入違いになり上総の東金へ行《ゆ》きなすったか、嘸《さぞ》情ない事だと思いなすったろうが、私はこれから跡追掛てお目に掛り、何処《どこ》に隠れ住《すま》うとも草を分けても引摺り出して屹度敵を討たせますから」
と活《いき》ている者に物をいう様に分らぬ事を繰返し大きに遅れたと帰ろうとすると、ばら/\降出して来て、他《ほか》に行《ゆ》く処もないから水街道の麹屋へ行《ゆ》こうとすると、和尚様は
「少し破れてはいるがこれをさして、穿きにくかろうがこの下駄を」
というので下駄と傘を借りて、これから近道を杉山の間の処からなだれを通って、田を廻ってこう東の方へ付いて行《ゆ》くと、大きな庚申塚が建てゝ在《あ》って、うしろには赤松がこう四五本ありまして、前には沼があり其の辺《ほとり》に枯れ蘆《あし》が生えております、ずうッと見渡すばかりの田畑、淋しい処へばら/\降っかけて来る中をのそり/\やって来ると、突然《だしぬけ》に茂みからばら/\と出た武士《さむらい》が、皆面部を包み、端折《はしおり》を高くして小長《こなが》い大小を落し差しにしてつか/\と来て物をもいわず花車の片方《かた/\》の手を一人が押える、一人は前から胸倉を押えた、一人は背後《うしろ》から羽交責《はがいぜめ》に組付こうとしたが、関取は下駄を穿いており、大きな形《なり》で下駄穿《げたばき》だから羽交責|処《どころ》ではない、漸《ようや》く腰の処へ小さい武士《ぶし》が組付きました。
八十
花車は恟《びっく》りしたが、左の手に傘を持って居り、右の手は明いて居りましたが、おさえ付けられ困りました。
花車「なんだい、何をなさる」
武士「我々は浪人者で食方《くいかた》に困る、天下の力士と見かけてお頼み申すが、路銀を拝借したい」
花「路銀だって、あんた、私《わし》はお前さん角力取で金も何もありはしないが、困りますよ、そんなことして金持と見たは眼違いで、金も何もない、角力取だよ」
武「金がなければ気の毒だが帯《さ》して居る胴金《どうがね》から煙草入から身ぐるみ脱いで行って貰い度《た》い」
花「そんなこといって困りますよ、身幅《みはゞ》の広いこんな着物を持って行ったって役に立ちはしません、煙草入だって、こんな大きな物持って行ったって提げられやあせん、売ったって銭にもならぬに困りますよ、然《そ》う胴突《どうづ》いては困るよ/\」
といいながら段々花車は後《あと》へ下《さが》ると、後《うしろ》の見上げる様な庚申塚の処へこう寄り掛りました。前の奴は二人で、一人は右の腕を押《おさ》え、一人は胸倉を取って押える、後《うしろ》の奴はせつない、庚申塚と関取の間にはさまれ、
「もっと前に」
といっても同類の名をいうことが出来ない。此の三人は安田一角の廻し者、花車を素っぱだかにしてなぶり殺しに致すようにすれば、是《こ》れだけの手当を遣るということに疾《と》うより頼まれて居る処、出会って丁度幸い、いゝ正月をしようという強慾非道の武士三人、漸《やっ》と捕《とら》まいたが、花車は怜悧《りこう》ものだから、此奴《こやつ》らは悪くしたら廻し者だろうと思い、
花「まアそんなに押えられては困りますね、待ちなさい上げますよ、達《た》ってと云えば上げますよ/\」
武「呉れぬといえば許さぬ、浪人の身の上|切取《きりとり》強盗は武士の習い、云い出しては後《あと》へ引かぬからお気の毒ながら切り刻んでもお前の物は残らず剥《は》ぐぜ、遁《のが》れぬ事と諦めて出しな、裸体《はだか》はお前の商売だ、裸体で行《ゆ》くのは何《なん》でもないわ」
花「だから上げるけれども、待ちなさいよ」
と左の手に持って居た傘をぽんと投出し前から胸倉を取って押えて居る一人の帯を押えて、
花「お前さん、そう胸倉を押していては私《わし》は着物を脱ぐことが出来ぬから、胸倉を緩《ゆる》めて、裸体《はだか》になりますよ、私も災難じゃア、寒くはないから、私に裸体になれてえばなりますから、胸倉を押えていては脱げませんから緩めて」
前の奴のうっかり緩める処を見て、
花「なにをなさる」
といいながら一人の奴の帯を取ってぽんと投げると、庚申塚を飛越して、後《うしろ》の沼の中へ、ぽかんと薄氷《うすごおり》の張った泥の中へ這入った。すると右の手を押えた奴は驚きバラ/\逃げ出した。
花「悪い奴じゃ、こんな村境《むらざかい》の処へ出やアがって追剥《おいはぎ》をしやアがって悪い奴じゃ、今度《こんだ》此辺《こゝら》アうろ/\しやアがると打殺《ぶちころ》すぞ、いや後《うしろ》に誰《た》れか居やアがるな、此奴《こいつ》組付《くみつい》て居やアがったか」
武「誠にどうも恐入った」
花「誠にも糞もいらん、これ汝《てまえ》の様な奴が出ると村の者が難儀するから此の後《のち》為《し》ないか」
武「為《す》る処《どころ》ではござらぬ、誠にどうも」
花「悪いことするな、是からは為ないかどうだ此の野郎」
と押付けると、
武「うーん」
と息が止った。
花「野郎死にやアがったか、くたばったか、野郎|死《しん》だか、アヽ死にやアがった、馬鹿な奴だ」
と捻《ひね》り倒すと、尾籠《びろう》のお話だが鼻血が出ました。
花「みっともねえ面《つら》だなア、此奴《こいつ》も投込んで遣れ」
と襟髪《えりがみ》を取って沼へ投《ほう》り込み、傘を持ってのそり/\水街道の麹屋へ帰るという、角力取という者はおおまか[#「おおまか」に傍点]なもので。扨《さて》お話は二つに分れて此方《こちら》は惣吉の手を引き、漸々《よう/\》のことで宿屋へ着きましたなれども、心配を致しました揚句《あげく》で、母親がきり/\癪《しゃく》が起りまして、寸白《すばく》の様で、宿屋を頼んでも近辺に良い医者もございませんから、思う様に癒《なお》りません、マア癒るまではというので、逗留《とうりゅう》致して居りました。其の内に追々と病気も癒る様子なれども、時々きや/\痛み、固い物は食われませんから、お粥《かゆ》を拵《こしら》えてこれを食い、其のうち年も果て正月となり、丁度元日で、元日に寝ていては年の始め縁起が悪いと、田舎の人は縁起を祝ったもので、身体が悪いくせに我慢して惣吉の手を引いて出立致し、小金ヶ原《こがねがはら》へ掛り、塚前村の知己《しるべ》の処へ寄って病気の間厄介になろうと、小金の原から三里|許《ばか》り参ると、大きな観音堂がございますが、霙《みぞれ》がぱら/\降出して来て、子供に婆様《ばあさま》で道は捗取《はかど》りません、とっぷり日は暮れる、すると頻《しきり》に痛くなりました。
惣吉「母様《かゝさま》また痛いかえ」
母「アヽ痛い、あゝあのお医者様から貰ったお薬は小さえ手包の中へ入れて置いたが、彼処《あすけ》え上げて置いたが、あれ汝《われ》持って来たか」
惣「あれ己《おれ》置いて来た」
母「困るなア、子供だア、母様|塩梅《あんべえ》悪《わり》いだから、薬|大事《でいじ》だからてえ考《かんげ》えもなえで」
惣「だって、己もう宜《い》いてえから、よかんべえと思って何も持って来《き》なかった」
母「困ったなア、あゝ痛い/\」
惣「母様雪降って来た様だから、此処《こゝ》に居ると冷てえから、此の観音様の御堂に這入って些《ちっ》と己おっぺそう」
母「そうだなア、押してくれ」
惣「あい」
母「おゝ、大《でけ》え観音様のお堂だ、南無大慈大悲の観世音菩薩様少々|此処《こゝ》を拝借しまして、此処で少し養生致します。さア惣吉力一ぺえ押せよ」
惣「母様此処な処かえ」
母「もっとこっち」
惣「もっと塩梅《あんべえ》が悪くなると困るよう、しっかりしてよう、多助|爺《じい》やアを連れて来ると宜《よ》かった」
と可愛らしい紅葉《もみじ》の様な手を出して母の看病をして、此処を押せと云われて押しても力が足りません。
母「あゝ痛い/\、そう撫《なで》ても駄目だから拳骨で力一ぺえおっぺせよ、拳骨でよ、あゝ痛い/\」
八十一
女「何《なん》だか大層|呻《うな》る声が聞えるが……貴方かえ」
母「へえ、旅の者《もん》でござえますが、道中で塩梅《あんべえ》が悪くなりましてね、快くなえうち歩いて来ましたから、原|中《なけ》え掛って寸白が起って痛《いと》うごぜえますから、観音様のお堂をお借り申しました」
女「それはお困りだろう、お待ち、どれ/\此方《こっち》へ這入りなさい」
と観音堂の木連格子《きつれごうし》を明けると、畳が四畳敷いてございます。其の奥は板の間になって居ります、年の頃五十八九にもなりましょう、色白のでっぷりした尼様、鼠木綿の無地の衣を着て、
尼「さア此方《こちら》へお這入りさア/\擦《さす》って上げましょう憫然《かわいそう》に、此の子が小さい手で押しても、擦っても利きはしない、おゝ酷《ひど》く差込んで来る様だ」
母「有難うごぜえます、痛くって堪《たま》らねえでね、宿屋へ一寸泊りましたが癒らねえで」
尼「こう苦《くるし》むに子供を連れて何処《どこ》まで……なに塚前まで、是から三里ばかりで近くはない、薬はお持ちかえ」
母「はい、薬
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