じゃアないかといいますから、宜いじゃアないかって、お前さんのいう事を聞いた上で先生の処へ妾に行《ゆ》けるか行けないか考えて御覧、富さん酔うにも程がある、冗談は大概におしよと云って居りましたら、終《しまい》には甚《ひど》く酔って来まして、短かいのを抜いて、いう事を聞かなければ是だと嚇《おど》し始めましたから、私も勃然《むっ》として、大概におしなさい、お前は腕ずくで強淫《ごういん》をする積りか、馬鹿な事をする怖い人だ、いやだよと云って行《ゆ》こうとすると、そうはやらぬと私の裾《すそ》を押えて離さない処へ、お兼《かね》さんやお力《りき》さんが出て参りまして取押える拍子に、お兼さんが指に怪我をするやら、金どんも親指に怪我をしまして、漸《ようや》くの事で宥《なだ》めて刄物を抉取《もぎと》ったんでございますが、全く先生の処から来たのなら、明日《あす》の朝先生が入らっしゃるであろう、其の上当人も酒が醒《さ》めるだろうから、まア縛って置くが好《い》いというので縛って置きました」
七十六
安「こりゃアどうも怪《け》しからん、白刃《はくじん》を振《ふる》っておどすなぞとは、えゝ貞藏」
貞「どうも怪しからん、彼奴《あいつ》はいけません、彼奴一体そういう質《たち》の奴でげす、何《ど》うも怪しからん、抜刀《ぬきみ》で口説くなんて、実に詰らん訳でげすなア、だから先生もう彼奴はお止しなすって家《うち》に置かぬ方が宜しい、何うもそういう……」
安「お隅、貴様はなにか主人に話をして来たか」
隅「はい何《なん》ともいいませんけれども、お力さんに頼んで置きまして、何しろ先生の御様子を聞かなければ分らない、誠に恥かしいことでございますけれども、先生の処へ行って御様子を聞いて、そうして先生に宥《なだ》めて戴き度《た》いと思って出て参りました」
安「左様か、雪の夜《よ》ではあるし、是から行《ゆ》くといっても大変だがあんな馬鹿にからかわないが[#「からかわないが」はママ]宜《い》いよ」
隅「なにもう明日《あした》でも宜《よ》うございますけれども、私は是から一人で帰るのは辛くって、参る時は一生懸命で来ましたが、帰るとなると怖くっていけませんが、どうかお邪魔様でも今夜一晩泊めて下さる訳にはいきますまいか」
安「うん、それは宜《よ》い、泊って往《い》くなら、なア貞藏」
貞「是は先生御恐悦でげすなア、お隅さんの方から泊って宜《い》いかと云うのは、こりゃア自然のお授かりでげすな」
安「なにお授かりな事があるものか、のうお隅、だが貴様には何《ど》うも分らぬことが一つある、というのは惣次郎の女房になって何ういう間違いかは知らんけれども、安田一角が惣次郎を殺害《せつがい》致したというので、私《わし》を夫の敵《かたき》と狙って、花車重吉を頼んで何処《どこ》までも討たんければならぬと云って、一頻《ひとしき》り私を狙って居るという事を慥《たしか》に人を以《もっ》て聞いたそう云う手前が心で居たものが、又《ま》た此処《こゝ》に来て、一角の女房になろうとは些《ちっ》と受取れぬじゃないか、のう貞藏」
隅「いゝえ、ねえ貞藏さん考えて御覧、羽生村に居るうちは義理だから敵を討つとか何《なん》とか云いましたけれども、なにもねえ元々私が麹屋に奉公をして居て、あの時分枕付ではありませんが、彼《あ》の名主に受出《うけだ》されて行って、妾同様表向の披露《ひろめ》をした訳でもなし、ほんの半年か一年亭主にしただけでございますから、母親《おふくろ》の前や村の人や角力取の前で義理を立って、敵を討つといいは云いましたが、よく/\考えてみた処が、貴方が屹度《きっと》殺したということが分りもしない、こんな的《あて》もないのに敵を討つといったっても仕方がない訳だから、寧《いっ》そ敵討《かたきうち》という事は止《や》めてしまおう、それにしては何時《いつ》までもべん/\としてもいられませんから、思い切って暇を貰って出たのでございますから、もう今になれば些《ちっ》ともそんな心は有りゃアしません、ねえ、貞藏さん」
貞「成程|是《こ》りゃア本当でげしょう、先生は人を殺す様な方でないし、只お前さんへ執心が有った処から角力取と喧嘩、ありゃア一体角力の方がいけないよ、変に力が有ってねえ、あれだけは先生|甚《ひど》く野暮《やぼ》になりますな」
安「詰らん疑念を受けて飛んだ災難と思ったが、此方《こっち》に居ては面倒だから暫く常陸へ行って居たんだが、手前全くか」
隅「本当でございますから疑りを晴《はら》して一献《ひとつ》戴きましょう」
安「手前飲めるか」
隅「はい、何《なん》だか寒くっていけません、跣足《はだし》で雪の中を駈けて来たもんですから、足が氷の様になっていますもの」
安「うーん中々飲める様になったのう」
隅「勤《つとめ》をして居て仕方なしに相手をするので上りましたよ」
安「ふん妙だのう貞藏」
貞「是は/\お隅さん貴方御酒を飲《あが》りますか、お酌を致しましょう」
隅「はい有難うございます」
と大杯《たいはい》に受けたのをグイと飲んで、
隅「貴方|何《なん》だか真面目でいけないから、私がお酌を致しましょう」
と横目でじっと一角の顔を見ながら酌をする。一角は素《もと》より惚れている女が酌をしてくれるから快く大杯で二三杯傾けると、下地の有った処でござりますからグッスリ酔《えい》が廻って来ます、貞藏も大変酩酊致しまして、
貞「私《わたくし》もう大層戴きました、お隅さん私《わたし》は御免を蒙《こうむ》りまして、長く斯《こ》ういう処にいるべきものでありませんから、左様なら先生御機嫌よう」
隅「まアお待ちなさいよ、先生がお酔いなすったから、おや/\次の方に床が取ってありますねえ」
貞「いゝえ私《わたくし》床を取って置いて、先生がぐっと召上ってしまうと直《すぐ》にお寝《やすみ》という都合にして置きました、えゝ誠に有難う」
隅「じゃア先生一寸貞藏さんを寝かして来ますからお床の中に居てねえ、寝てしまってはいけませんよ」
安「なに貞藏などは棄てゝ置けよ」
隅「いゝえ、そうで有りません、ひょっとして貴方が私の様な者でも娶《よ》んで下さいますと、禍《わざわ》いは下《しも》からといって、あゝいう人に胡麻を摺られると堪《たま》りませんからねえ」
安「なに心配せんでも宜《よ》い、じゃア己|此処《こゝ》に、なに寝やあせんよ、おゝ酔った、貞藏隅が送って遣るとよ」
貞「いや是は恐れ入ります、じゃア先生御機嫌よう、お隅さんようございます」
隅「いゝえ、よくないよ、そら/\危ない、何処《どこ》へ、彼方《あっち》がお台所《だいどこ》かえ」
と蹌《よろけ》る貞藏の手を取って台所《だいどころ》の折廻《おりまわ》った処の杉戸を明けると、三畳の部屋がござります。
隅「さ、貞藏さん此処《こゝ》かえ、おや/\お床が展《の》べてあるの」
貞「いゝえ私の床は参ってから敷《しき》っぱなしで、いつも上げたことはないから、ずっと遣るとこう潜り込むので、へえ有難う」
隅「恐ろしい堅そうな夜具ですねえ」
貞「えゝなに薄っぺらでげすが、此の上へ布団を掛けます、寒けりゃア富五郎のが有りますから其れを掛けてもいゝので、へえ有難う」
隅「さア仰向におなり、よく掛けて上げるから」
貞「是は恐れ入ります、へえ恐れ入ります、御新造に掛けて戴いて勿体至極もない」
隅「さ、掛けますよ、寒いから額まですっかり掛けますよ、そう見たり何かすると間が悪いわね、さ、襟の処《とこ》を」
貞「あゝ有難う」
隅「どうも重たいねえ」
貞「へえ有難う暖《あった》かでげす」
隅「何《なん》だか寒そうだこと、何か重い物を裾《すそ》の方に押付《おっつ》けると暖《あった》かいから」
というので台所を捜すと醤油樽がある、丁度|昨日《さくじつ》取ったばかりの重いやつを提《さ》げて来て裾の方に載せ、沢庵石と石の七輪を掻巻《かいまき》の袖に載せると、
貞「アヽ有難う、大層|暖《あった》かで、些《ちっ》と重たいくらいでげす」
といったが是は成程重たい訳、石の七輪や沢庵石や醤油樽が載っておりますから、当人は押付《おしつ》けられる様な心持。
貞「へえ有難う、暖《あった》かでげす」
といったぎりぐう/\と好《よ》い心持に寝付きました。
七十七
お隅はそっと奥の様子を見ると、一角が蹌《よろ》けながら、四畳半の床の上に横になった様子でございますから、そっと中仕切《なかじきり》の襖《ふすま》を閉《た》って、台所の杉戸を締め、男部屋の杉戸を静《しずか》に閉って懐中から出して抜いたのは富五郎を殺害《せつがい》して血に染まった儘《なり》の匕首《あいくち》、此の貞藏があっては敵討の妨げをする一人だから、先《ま》ず貞藏《これ》から片付けようというので、仰向に寝て居る貞藏の口の処へどんと腰を掛けながら、力任せに咽喉《のど》を突きましたから、
貞「ワーッ」
といったが掻巻と布団が掛って居りますから、苦《くるし》む声が口籠《くちごも》って外《そと》へ漏れませぬ。一抉《ひとえぐ》り抉ると足をばた/\/\とやったきり貞藏は呼吸《いき》が絶えました。お隅はほっと息を吐《つ》いて掻巻の袖で匕首の血を拭《ぬぐ》って鞘に納め、そっと杉戸を明けて台所へ来て、柄杓《ひしゃく》で水をぐっと呑み、はッはッという息づかい、もう是《こ》れで二人の人を殺しましたなれども、夫の仇《あだ》を討とうという一心でござりますから、顔色《かおいろ》の変ったのを見せまいと、一角の寝床へそっと来て、顔を横に致しまして、
隅「先生/\もうお寝《やす》みなすったか」
安「うーん貞藏は寝たか」
隅「はい能く寝ました、大層酔いましてねえ」
安「酔っても宜《い》いから、あんな奴に構うな、寝ろよ」
隅「寝ろって夜具がありません、私は食客《いそうろう》でございますから此処《こゝ》に坐っています」
安「そんな詰らぬ遠慮にはおよばぬ、全く疑念が晴れて、己の女房になる気なら真実可愛いと思うから、手前に楽をさして真実|尽《つく》すぞ」
隅「誠に有難いこと、勿体ないけれども、そんなら此の掻巻の袖の方から少し許《ばか》り這入りまして」
安「いや少し許りでなくって、たんと這入れ」
隅「それじゃア御免なさいまし」
と夜着《よぎ》の袖をはねて、懐中から出した匕首を布団の下に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《はさ》んで、足で踏んで鞘を払いながら、
隅「じゃア御免遊ばせ、横になりますから」
安「さア這入れ」
と一角が夜着の袖を自ら揚げる処を、
隅「亭主の敵」
と死物狂いに突掛《つっかゝ》るという。お話二つに別れまして麹屋では更に斯様《かよう》な事は存じません。暁方《あけがた》になってお隅がいない処から家中《うちじゅう》捜しても居ない、六畳の小間が血だらけになっているから掻巻を撥《はね》ると、富五郎が非業な死に様《よう》、傍《わき》の処に書置が二通あって、これにお隅の名が書いてあるから、亭主は驚きまして、直《すぐ》に是を開いて読んで見ると、富五郎の白状に依《よ》って夫の敵は一角と定まり、女ながらも富五郎は容易《たやす》く仕止めたから、直に一角の隠れ家交遊庵へ踏込《ふんご》んで、首尾よく往《い》けば立帰って参りますが、女の細腕、若《も》し返り討になりました時は、羽生村へ話をして此の書置を遣り、又関取へもお便りなすって、惣吉成人の後《のち》関取を頼んで旦那と私の敵を討たして下さい、証拠は富五郎の白状に依って手引をした者は富五郎、斬った者は一角と定まりました、夫故《それゆえ》に今晩交遊庵に忍び入ります、永々《なが/\》お世話様になりました、有難い。という重ね/″\の礼まで書残してあるから、それッというので、麹屋の亭主は大勢の人を頼んで恐々《こわ/″\》ながら交遊庵に参ったのは丁度|夜《よ》の暁方《あけがた》、参って見ると戸が半ば明いて居ります、何事か分
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