の上へ乗りました。
 隅「私は馬乗りに乗るわ」
 富「何をするのだ、息が出なくって苦しい、何をする、切ないよ」
 隅「本当に富さん不思議な縁だね」
 といいながら隠してあった匕首《あいくち》を抜いて、
 隅「惣次郎を殺したとは感付いていたけども、お前が手引で…一角の隠れ家まで…こういう事になるというのは神仏のお引合せだね」
 富「実に神の結ぶ縁だねえ」
 隅「斯《こ》ういう事があろうと思って、私は此の上ない辛い思いをして、恩ある姑《しゅうと》や義理ある弟に愛想尽《あいそづか》しを云って出たのも全くお前を引寄せる為、亭主の敵《かたき》罰当《ばちあた》りの富五郎覚悟しろ、亭主の敵」
 と富五郎の咽喉《のど》へ突込《つッこ》む。
 富「うーん」
 というのを突込んだなり呑口を明ける様にぐッぐッと抉《えぐ》ると、天命とはいいながら富五郎はばた/\苦しみまして、其の儘うーんと呼吸《いき》は絶えました様子。お隅はほっと息を吐《つ》き、匕首の血《のり》を拭《ぬぐ》って鞘に納め、
 隅「南無阿弥陀仏/\」
 と念仏を唱え、惣次郎の戒名を唱えて回向《えこう》を致します。お隅は沈着《おちつ》いた女で、直《すぐ》に硯箱《すゞりばこ》を取出し、事細かに二通の書置を認《したゝ》めて、一通は花車へ、一通は羽生村の惣吉親子の者へ、実は旦那の仇《あだ》を討ち度《た》い許《ばか》りで、心にもない愛想尽しを申して家《うち》を出て、麹屋へ参って恥かしい身の上になりましたが、幸いに富五郎が来て、これ/\の訳と残らず自分の口から申して、一角の隠家《かくれが》もこれ/\と知れましたから、女ながらも富五郎は首尾能く打留《うちと》めたから、今夜直ぐに一角の隠家へ踏込んで恨みを晴し、本望《ほんもう》を遂《と》げる積り、なれども女の細腕、若《も》し返り討になる様な事があったならば、惣吉が成人の上、関取に助太刀を頼んで旦那と私の恨《うらみ》を晴らして下さい、敵《かたき》は一角に相違ない事は富五郎の白状で定《きま》りましたという、関取と母親の方へ二通の書置を残して傍《そば》に掛っている湯沸しの湯を呑み、懐へ匕首を隠して庭の方の雨戸を明けると、雪は小降になった様でもふッ/\と吹っかける中を跣足《はだし》で駈出して、交遊庵という一角の隠家へ踏込みまするというお隅|仇打《あだうち》のお話を次回に。

        七十四

 申し続きまする累ヶ淵のお話で、お隅が交遊庵という庵室に隠れている一角の処へ斬り込みまするという、女ながらもお隅は一生懸命でござりまして、雪の降る中を傘もなしに手拭を冠《かぶ》りまして跣足《はだし》で駈けて参って、笠阿弥陀堂から右に切れると左右は雑木山でござります、此の山の間を段々と爪先|上《あが》りに登って参りますると、裏手は杉檜などの樹木がこう/\と生い茂って居りまする処へ、門の入口の処に交遊庵の三字を題しました額が掛っております。門の締りは厳重になっておりまするなれども、家へは近《ちこ》うござります、何処《どこ》か外《ほか》から這入口《はいりぐち》はなかろうかと横手に廻って見ても外に入口《いりくち》はない様子、暫《しばら》く門の処に立って内の様子を窺《うかゞ》っていると、丁度一角が寝酒を始めて、貞藏《ていぞう》という内弟子を相手にぐび/\と遣《や》りましたから、門弟も大分酩酊致しておりまする様子。
 隅「御免なさいまし、御免なさいまし、一寸|此所《こゝ》を明けて下さいまし、あの、先生は此方《こちら》にいらっしゃいますか」
 というと戸締りは厳重にしてあり、近いといっても門から家までは余程|隔《へだ》って居りますが、雪の夜《よ》で粛然《しん》としているから、遥《はるか》に聞える女の声。
 安「貞藏/\誰《たれ》か門を叩いている様子じゃ」
 貞「いや大分雪が降って参りました、私《わたくし》先程台所を明けたらぷっと吹込みました、どうして中々余程の雪になりましたから、此の夜中《やちゅう》殊《こと》に雪中《せっちゅう》に誰《たれ》も参る筈はございませぬ」
 安「でも、それ門を叩く様子じゃ」
 貞「いゝえ大丈夫」
 安「いや左様でない…それそれ見ろ…あの通り…それ叩くだろう」
 貞「へえ成程えゝ見て参りましょう、えゝ少々御免遊ばして、大層酩酊致しました、ひょろ/\致して歩けませぬ、えゝ少々…なに誰《だれ》だい、誰《たれ》か門を叩くかい…誰《だれ》だい」
 隅「はい、あの安田一角先生は此方《こちら》にいらっしゃいますか」
 貞「安田と、安田先生ということを知って来たのは誰だい」
 隅「はい私は麹屋の隅でございますが、一寸先生にお目に掛り度《た》いと存じまして、わざ/\雪の降る中を参りましたが、一寸|此処《こゝ》をお明け遊ばして下さいませんか」
 貞「あ、少々控えていな」
 とよろよろしながら一角の前へ来て、
 貞「へえ先生」
 安「来たのは誰だ」
 貞「麹屋のお隅が、先生にお目に掛ってお話し申し度い事があって、雪の降る中を態々《わざ/\》参ったといいます」
 安「隅が来たか、はて、うっかり明けるな、えゝ彼《かれ》は此の一角を予《かね》て敵《かたき》と附狙《つけねら》うことは風説にも聞いていたが、全く左様と見える、うっかり明けて、角力取《すもうとり》などを連れてずか/\這入られては困るから能く気を附けろ、えゝ全く一人か、一人なら入れたっても好《い》いが」
 貞「これ、お隅、何かえ、お前誰か同伴《つれ》がありますかい、大勢連れてお出でかい、角力取は来ましたのかい」
 隅「いゝえ私一人でございます、一寸《ちょいと》此処《こゝ》を明けて下さいませんか、お前さん貞藏さんじゃアありませんか」
 貞「なに貞藏、己の名を知ってるな、うん成程知ってる訳だ、私《わし》が水街道へ先生のお供にいった事があるから、今明けるよ、妙なもんだなア、おう好《よ》い塩梅にこれ雪が上って来た、大層積ったなア、おゝおゝ、ふッ、足の甲までずか/\踏み込む様だ、待ちな今明けるぞ、待ちな、閂《かんぬき》がかって締りが厳重にしてあるから、や、そら、おや一人で傘なしかい」
 隅「はい少しは降っておりましたが、気が急《せ》きましたから、跣足《はだし》で参りました」
 貞「おゝ/\私《わし》はやっと此処《こゝ》まで雪を渉《わた》って来たのだが、能く夜中《やちゅう》に渡しの船が出たねえ」
 隅「はい、あの、船頭は馴染でございますから、頼んで渡して貰って、漸《やっ》とのことで参りました」
 貞「それはえらい、さア此方《こっち》へ、先生たった一人で渡を渡って跣足で参ったと云うので」
 安「それは思い掛けない、なに傘なしで、それはそれは、雪中といい、どうも夜中といい、一人でえらいのう、誠にどうも、さア此方《こっち》へ」
 隅「先生誠に暫くお目に掛りませんで」
 安「いや誠にこれは、うーん己は無沙汰をしております、暫く常陸へ参った処が、彼方《あちら》で些《ちっ》と門弟も出来たから、近郷の名主庄屋などへ出稽古を致して、久しく彼方にいて、今度又|此方《こちら》へ来た処が、先《せん》に住《すま》った家は人に譲ったから、まア家の出来るまで、当期此の庵室におる積りで、だが手前能く尋ねて来たねえ」
 隅「誠にどうも御無沙汰を致しまして」
 安「此の夜中雪の降る中を踏分けて何《ど》うして来た」

        七十五

 隅「あの今日富五郎が来ましてね、何か先生に頼まれた事があると云って、私の処へ客になって来まして、お酒に酔って何《なん》だか種々《いろ/\》な事を云いますの、けれども其の様子がさっぱり分りませんから、其の事に付いて先生にお目に掛らなければ様子が分りませんから」
 安「それはどうも、富五郎が行ったかい、貞藏、富五郎が往ったって」
 貞「だから私が先生に申上げて置きました、彼奴《あいつ》は誠にあゝいう処ばかり遊びに参るのが好きでげす、全体道楽者でげすからなア、彼奴|余程《よっぽど》婦人|好《ずき》でげすよ」
 安「で、富五郎が往って何《ど》ういう話し振の、まア一杯[#「一杯」は底本では「一抔」]飲め」
 隅「有難うございます、まアお酌を」
 安「イヤ一杯[#「一杯」は底本では「一抔」]飲め」
 隅「左様でございますか、貞藏さん、お酌を、恐れ入ります」
 貞「いや久し振りでお酌をする、私《わし》の名を心得ているから妙でげすな、久しい前に一度先生のお供を致しましたが、其の時逢った一度で私の名まで覚えているというのは、商売柄は又別なものでげす、お隅さん相変らず美しゅうございますな」
 安「これお隅、手前名主の手を切って麹屋の稼ぎ女になったとか、枕附で出るとかいう噂があったが嘘だろうな」
 隅「いゝえ嘘ではございません、誠にお恥かしゅうございますけれどもべん/\とあゝ遣ってもいられませんから、種々《いろ/\》考えました処が、江戸には親類もありますから、何卒《どうぞ》江戸へ参り度《た》いと思いまして、故郷《こきょう》が懐かしいまゝ無理に離縁を取って出ましたが、手振り編笠《あみがさ》、姑《しゅうと》が腹を立って追出すくらいでございますから、何一つもくれませぬ、それ故少しは身形《みなり》も拵《こさ》えたり、江戸へ行《ゆ》くには土産でも持って行《ゆ》かなければなりませぬ、それには普通《たゞ》の奉公では埓《らち》が明きませんから、いや/\ながら先生お恥かしい事になりました」
 安「オヽ左様か、じゃア自《みずか》ら稼いで苦しみ、金を貯めてなにかい身形を拵えて江戸へ行《い》こうと云う訳か、どうも能く離縁が出たのう」
 隅「それが向《むこう》で出さないのを此方《こっち》から強情に取りましたので、先生誠に久し振でございますねえ」
 安「ウンそれは妙だなア」
 貞「これは先生妙でげすな、貴方の方でお呼び遊ばさぬのにお隅さんが此の雪の降る中を尋ねて来るなんて、自然にどうも貴方の…実に感服でげすなア」
 安「なにそう云う訳でもなかろう、何か是には訳があって来たんだろう、なにかい富五郎がどういう事を云ったい」
 隅「はい、富さんの云うには、べん/\とこんなア卑《いや》しい奉公をするよりも、一角先生の御新造にならないかといいますから、馬鹿なことをお云いでない、一旦名主の家《うち》へ縁付《かたづ》いたのだから、披露《ひろめ》はしないでも、今度|行《ゆ》けば再縁をする訳じゃアないか、それだから先生は決して御新造になさる訳はない、妾にすると仰しゃればまだしもの事だけれども、御新造にというのは訝《おか》しいじゃアないかというと、いゝえ全くお前さえよければ先生は御新造になさる思召《おぼしめ》しがあるのだから、お前がたって…頼みたいと思うなら、骨を折って宜《よ》いように執成《とりな》すから了簡を決めろといいますから、それは誠に思掛《おもいがけ》ない有難いこと、私の様な者を先生が仮令《たとえ》妾にでもなすって下さるなら、私は本当に浮ぶ訳で、べん/\とこんな処にいたくないから、屹度《きっと》執成《とりな》しておくれかというと、お酒が始まって、すると彼《あ》の人の癖で直《すぐ》に酔ってしまって、まア馬鹿らしいじゃアありませんか、先生に取持つ代りにおれの云う事を聞けといって口説き始めたんでございますよ」
 安「こりア怪《けし》からん奴だ、どうだい貞藏」
 貞「でげすから彼《あれ》は先生いけませぬ、先生は彼奴《あいつ》を御贔屓になさいますが、全体よくない奴で、そういう了簡違いな奴でげすからなア、一体先生が余り贔屓になさり過ぎると思っていましたが、どうも御新造に取持とうという者、いわば仲人《なこうど》が一旦自分のいう事をきかして、それから縁付《かたづ》けると、そんな事がありましょうか、だから彼《あ》れはもう、お置きなさらん方が宜《よ》い、お為になりませぬからなア、彼奴が来てから私は彼奴に使われるような訳で、先生もう彼奴はお止し遊ばした方がようございますよ」
 安「お隅、それからどうしたい」
 隅「それで、私が馬鹿な事をおいいでないと云うと、そんな詰らんことを云わんでも宜《い》い
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