って、惣次郎さんを私が手引して殺させたというので花車の関取が私の背中をどやして、飯を吐《はか》せるというから、私は驚いて、あの腕前では迚《とて》も叶《かな》わぬから一生懸命逃げたんだが、あのくらい苦しいことはありませぬ、それ故御無沙汰になって、あなたが枕附で客をお取りになるという事を聞いて、今日口を掛けたのは相済みませぬが、実はどういう訳かと存じて只御様子を伺いたいというので参っただけで」
隅「まアそんな事は好《い》いじゃアないか、今夜私は酔うよ」
富「お相手をいたしましょう」
隅「お相手も何もいるものか」
と大きな湯呑に一杯受けて息も吐《つ》かずにぐっと飲んで、
隅「さア富さん」
富「私はもう数献《すこん》…えお酌でげすか、置注《おきつ》ぎには驚きましたね…それだけは…妙なものでげすな、貴方はお酒はもとから上りましたか」
隅「なに旦那の側にいる時分には謹んで飲まなかったんだが、此家《こゝ》へ来てから戴く様になりました」
富「へえ有難う、もう……お隅さんどうか御疑念をね…これだけはどうか…私は詰らん災難で、私が何《なん》ぼ何《なん》でも、一角は知らない奴、逢った事もない奴に何《なん》で此《かく》の如く、な、御疑念が掛るか、私も元は大小を帯《たい》した者、此の儘には捨置けぬと、余程《よっぽど》争いましたが、関取が無暗《むやみ》に打《ぶ》つというから、あの力で打たれては堪らぬから逃げると云う訳で、実に手前詰らぬ災難でげして……」
隅「好《い》いじゃ無いか、私に何も心配はありゃアしないやね、羽生に居る時分には、悔しい、敵打《かたきうち》をするというから私も連れて然《そ》ういったけれども、もう彼処《あすこ》を出てしまやア、何《なん》にも義理はないから私に心配はいらないが、只聞きたいのは富さん忘れもしない羽生にいる時、お前が酔って帰ったことがあったろう、其の時お前が旦那のいない所で私の手を掴まえて、江戸へ連れて行って女房にして遣ろう、うんといえば私が身の立つようにするが、江戸へ一緒に行って呉れぬかと云っておくれの事があったねえ、あれは本当の心から出て云ったのか、私が名主の女房になってたから、お世辞に云ったのか聞きたいねえ」
七十二
富「これは恐れ入りました、こりゃア何《ど》うも御返答に差支《さしつか》える……こりゃア恐入ったね、富五郎困りましたね…………おや/\またいっぱいになった、貴方そばから置き注ぎはいけません………余程《よほど》酔って居るからもう御免なさい……あれはお隅さん、貴方が恩人の内宝《ないほう》になっているから、食客《いそうろう》の身として、酔ったまぎれで、女房になれ……江戸へ連れて行こうといったのは実に済まない……済まないが、心にないことは云われん様な者で、富五郎深く貴方を胸に思っているから酔った紛れに口に出たので、どうも実に御無礼を致しました、どうか平《ひら》に御免を……」
隅「あやまらなくっても宜《い》いじゃアないか、本当にお前が心に思ってくれるといえば嘘にも嬉しいよ、富さん、私もね、何時《いつ》までもこんな姿《なり》をしていたくない……江戸へ知れては外聞が悪いからねえ……江戸へ行くったって親類は絶えて音信《いんしん》がないし、真実《ほんとう》の兄弟もないから何《なん》だか心細くって、それには男でなければ力にならぬが、こういう汚《けが》れた身体になったから、今更いけない、いけないけれどもお前がねえ、私の様な者でも連れて行って女房にすると云っておくれなら、私も親類へ行って、この人も元はこれ/\のお侍でございましたが、運が悪くってこういう訳になったからといって頼むにも、二人ながら武士の家に生れた者だから、親類へも話が仕好《しい》い、よう富さん、本当にお前、私がこういう処へ這入ったからいけないかえ……前にいったことは嘘かえ」
富「こりゃアなんとも恐れ入ったね……旨いことを仰しゃるなア……又一ぱいになった、そう注いじゃあいけない……えゝ…本当にそんな事をする気遣いは無いて…どうか御疑念の処は…私は困るよ……どうも理不尽に私を疑《うたぐ》って、脊骨をどやすというから、驚いて、言訳する間《ま》は無いから逃げたのだが、神かけて富五郎そんな事はないので……」
隅「そんな心配は無いじゃアないか、何《なん》だねえ、お前、私がこんな身の上になっていても、敵とか何《なん》とか云って騒ぐと思ってるのかえ、私は表向き披露《ひろめ》をした訳でもなし、敵を討つという程な深い夫婦でもない、それ程何も義理はないと思うから、悪体を吐《つ》いて出たのだもの」
富「そりゃア義理はありましょうが、私はあなたが、あんな愚痴|婆《ばゝあ》の機嫌を、よく取ってお在《い》でなさると思っていました。あなたがこれを出るのは本当でげす、御尤もでげすねえ」
隅「だからさ、お前がいやなら仕方がないけれども、本当なら、お前の為にどんな苦労をしても、いやな客を取っても、張合があると思っているのさ、それには、判人《はんにん》がないといけないから、お前が判人になって、そうして私が稼いだのをお前に預けるから、私を江戸へ連れて行っておくれな」
富「本当ですか」
隅「あら本当かって、私が嘘をいうものかね、悪《にく》らしいよ」
富「あゝ痛い、捻《つね》ってはいけない、そういう……又|充溢《いっぱい》になってしまった……いけないねえ……だが、お隅さん、本当に御疑念はお晴らしください、富五郎迷惑至極だてねえ」
隅「どうも、うるさいよ、未《ま》だ何処《どこ》まで疑《うたぐ》るのだね、そんなに疑るなら証拠を出して見せようじゃないか、そら、是が羽生村から取って来た離縁状と、是はお客に貰った三十両あるのだよ、お前が真実女房に持ってくれる気なら、此のお金と離縁状を預けるがお前も確《たしか》な証拠を見せておくれよ、富さん」
富「本当ですか、本当なら私だって、親類もあるから、お前さんと二人で行って、話しをすればすぐだね、そりゃア、小さくも御家人の株ぐらいは買ってくれるだろう、お隅さん本当なら、生涯嘘はつかないねえ」
隅「まア嬉しいじゃアないか、富さん本当かい」
富「そりゃア本当」
隅「有難いねえ、じゃア証拠を見せておくれな」
富「別に証拠はない」
隅「だから悪《にく》らしいよ」
富「悪らしいってあれば出すけどもないもの、じゃア外に仕方がないから斯《こ》うしよう、そう話がきまれば、此処《こゝ》に永く奉公さして置きたくないからね、どこまでも金の才覚をして早く江戸へ行こう、富五郎浪人はしていても、百や二百の金は直《すぐ》に出来るから」
隅「そう、そんなに入らないが、路銀と土産ぐらい買って行きたいねえ」
富「こう仕よう」
隅「だって急にお前に苦労させては済まないから、此処で私が二年も稼いでから」
富「なに宜《い》い、いゝから、斯《こ》うしよう、一角を騙《だま》して百両取ろう」
隅「おや一角さんは何処《どこ》にいるの」
富「うん、まあいゝや、お隅さん本当に御疑念の処は」
隅「又そんなことを、本当にお前は悪らしいよ、じゃアお前は一角となれあって殺したことがあるから、私がどこまでも仇《かたき》を狙っていると疑るのだろう、そんな疑りがあって、私を女房にしようというのは余程《よっぽど》分らない、恐い人だね、もう止しましょう、書付《かきつけ》まで見せて、生涯身を任して力になろうと思う人がそう疑ってはお金も書付も渡されないから。止しにしましょう」
富「そういう訳ではない、決して疑る訳ではない、決して疑る訳では無いがね」
隅「だからさ疑る心が無ければ、一角さんは何処《どこ》にいると云ったって好《い》いじゃないか、どうして騙《だま》して金を取るのか、それをお云いよ」
富「うーん、それは一角がお前に惚れているのだから」
隅「そうかい」
富「前から惚れてる、それだから一角の処へ行って、お前がこう/\でございますから貴方御新造にしてお遣りなさい、就《つい》ては内証《ないしょう》に百両借金がありますから、之を払って遣れば直《すぐ》に此処《こゝ》へ来られる訳だ、出して下さいといえば是非金を出す…いゝえ出るに極っているのだから、出したら借金を払ってお前と二人で、ねえ、江戸へ行こう、こいつが宜《い》いじゃないか」
隅「どうも嬉しいことねえ、一角さんは何処にいるの」
富「うーン、それ」
隅「おかしいねえ、もう夫婦になってお前は亭主だよ、添ってしまって、今夜一晩でも枕を交せば大事な生涯身を任せる亭主だもの、前の亭主の敵《かたき》といって、刄《やいば》が向けられますか、私も武士の娘、決して嘘はつきませぬよ」
七十三
富「こりゃア驚いた、流石《さすが》は武士の御息女、嬉しいな…又|充溢《いっぱい》になってしまった……こりゃア有難い、それじゃア云おうねえ、実は私は、お前にぞっこん惚れていたが、惣次郎があっては仕様がない、邪魔になるといっても、富五郎の手に負いない、所が幸い安田一角がお前に惚れているから、一角をおいやって[#「おいやって」に傍点]弘行寺の裏林で殺させて置いて、顔に傷を拵《こさ》えて家《うち》へ駈込んだが、あの通り花車が感付きやアがって、打《ぶ》つというから、此方《こっち》は殺されては堪《たま》らぬから、逃げてしまった、全く一角が殺しは殺したんだが、実は私がおいやって[#「おいやって」に傍点]遣らしたのだ」
隅「私もそう思ってたけれどもね、羽生にいる時は義理だから敵といっていたけれども、こう出てしまえば義理も糸瓜《へちま》もない他人だアね、あんな窮屈な処にいるのはいやだと思って出たんだが、富さんこうなるのは深い縁だねえ、どうしても夫婦になる深い約束だよ」
富「是は妙なもんだね、不思議なもので、羽生村にいる時から私が真に惚れゝばこそ色々な策をして、惣次郎を討《うた》せたのも皆《みんな》お前故だねえ」
隅「一角さんは何処《どこ》にいるの」
富「一昨日《おととい》の晩三人で来て前の家《うち》は策で売らしてしまったから、笠阿弥陀堂《かさあみだどう》の横手に交遊庵《こうゆうあん》という庵室《あんしつ》がありましょう、二間《ふたま》室《ま》があって、庭も些《ちっ》とあり、林の中で人に知れないからというので其処《そこ》を借りていて、今夜私に様子を見て来いというので、私が来たのだから、こう/\といえば、えゝというので百両出す、なに大丈夫だ、其れで借金を片付けて行って了《しま》やア彼奴《あいつ》は何《なん》ともいえない、人を殺した事を知って居るから何ともいえやアしないから、烟《けぶ》に巻かれてしまわア、追掛《おっか》けようといっても彼奴江戸へ出られる奴でないから大丈夫」
隅「そう、本当に嬉しいねえ、真底お前の了簡が知れたよ」
富「これ程お前を思ってるのに其れを疑ぐるということはない、誠に詰らぬこと…」
隅「此処《こゝ》で寝るといけないから彼方《あっち》へおいでよ、彼方に床が取ってあるから、さ此のお金と書付を」
富「やアそんなもの」
隅「落《おっ》ことすといけないからお出し」
と、金と書付を引《ひっ》たくって、無暗《むやみ》に手を引いて、細廊下の処を連れて行《ゆ》くと、六畳ばかりの小間《こま》がありまして、其処《そこ》に床がちゃんと敷いてある。
隅「さ、お寝と云ったらお寝、あら俯伏《つっぷ》しちゃいけないから仰向けにお成り」
と仰向に寝かし、枕をさして、
隅「さ、寒いから夜具《これ》を」
富「あゝ有難い、こっちイ這入って寝なよ」
隅「今寝るが、寒いから掻巻《かいまき》を」
富「好《い》いよ、雪は何《ど》うしたえ」
隅「なに雪は降っているよ、夫婦の固めに雪が降るのは縁が深いとかいう事があるねえ」
富「うーん、そりゃア深雪《みゆき》というのだ」
隅「富さん、私はいう事があるよ」
富「どう」
隅「あら顔を見られると恥かしいから被《かぶ》っておいでよ」
とお隅は掻巻を富五郎の目の上まで被せて其
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