惚れていたのを此方《こっち》へ嫁付《かたづ》いたから、それを遺恨に思って旦那ア殺したんだ、して見れアお前《めえ》が殺したも同し事じゃアなえか、それを弁《わきま》えなえでお母様《っかさま》や惣吉さんを置いて出れば、義理も何も知んねえだ、狸阿魔《たぬきあま》め」
 隅「何《なん》だい狸阿魔とは、失礼な事をお云いで無い、そりゃア頼みもしましたから恩も義理もあるには違いないけれども、それだけの勤めをして御祝義を戴いたので当然《あたりまえ》の事だアね、それから私を貰い切って遣るから来い、諾《はい》といって来ただけの事だから、旦那が殺されたって、敵を討つ程の義理もないじゃアないか、表向|披露《ひろめ》をした女房というでもなし、いわば妾も同様だから、旦那がいなけりゃア帰りますよ」
 多「此の阿魔どうも助けられなえ阿魔だ、打《ぶ》つぞ、出るなら出ろ」
 隅「なんだい手を振上げてどうする積りだい、怖い人だね、さ打《ぶ》つなら打って御覧、是程の傷が出来ても水街道の麹屋が打捨《うっちゃ》っては置かないよ」
 多「ナニ麹屋……金をくれた事アあるけど麹屋がどうした」
 隅「此の間お寺へ行《ゆ》くといって、路銀を借りようと思って麹屋へ行って話をして、江戸へ行けば親類もありますから、江戸へ行きたいと思いますが、行くには少し身装《みなり》も拵《こしら》えて行きたいから、まア此処《こゝ》で、三年も奉公して行きますからお願い申しますといって、証文の取極めをして、前金《ぜんきん》も借りて来てあるのだから、是から行って麹屋で稼ぎ取りをして行こうと思うのだ、もう私の身体は麹屋の奉公人になっているのだから、少しでも傷が附けば麹屋で打捨っておかないよ、願って出たら済むまい、さ、打《ぶ》つなら打って御覧」
 多「呆れたア、此奴《こいつ》何《ど》うも、お内儀様《かみさん》此間《こねえだ》お寺へ墓参《はかめえ》りに行《ゆ》く振《ふり》いして麹屋へ行って証文ぶって来たてえ、此の阿魔こりゃア打《ぶ》てねえ、えゝ内儀様《かみさま》、義理も人情も、あゝこれエ本当に何うも打てねえ阿魔だ」
 母「やア、もう宜《い》いワイ、恩も義理も知んなえ様な畜生と知らずに、惣次郎が騙《だま》されて命まで捨《すて》る事になったなア何《なん》ぞの約束だんばい、そんな心なら居て貰っても駄目だから、さア此処《こけ》え来《こ》う、離縁状書えたから持たしてやれ」
 多「さア持ってけ、此の阿魔ア、これエ打てねえ奴だ」
 隅「持ってかなくってどうするものか」
 とお隅は離縁状を開《ひら》いて見まして、苦笑《にがわら》いをして懐へ入れ、
 隅「有難い、アヽこれでさっぱりした」
 多「ア、さっぱりしたと云やアがる、どうも悪《にく》い口い敲きやアがるなア此の阿魔」
 隅「なんだねえ、ぎゃア/\おいいでない、長々御厄介様になりました、お寒さの時分ですから随分御機嫌よう」
 多「えゝぐず/\云わずにサッサと早く行かなえかい」
 隅「行かなくって何《ど》うするものか、縁の切れた処にいろっても居やアしない」
 と悪口《あっこう》をいいながらつか/\と台所へ出て来ますと、惣吉は取って十歳、田舎育ちでも名主の息子でございますから、何処《どこ》か人品《じんぴん》が違います、可愛がってくれたから真実の姉の様に思っておりますから、前へ廻ってピッタリ袂《たもと》に縋《すが》って、
 惣「姉様ア、お母《っか》アが悪ければ己があやまるから居てくんなよ、多助があんなこと云っても、あれは誰がにもいう男だから、己があやまるから、姉《あね》さん居てくんなえ、困るからヨウ」
 隅「何《な》んだい、其方《そっち》へお出でよ、うるさいからお出でよ、袂へ取ッつかまって仕ようが無いヨウ、其方へお出でッたらお出でよ」
 多「惣吉さん、此方《こっち》へお出でなさえ、今迄|坊《ぼう》ちゃんを可愛がったなア、世辞で可愛がった狸阿魔だから、側へ行かないが好《え》え」
 母「惣吉や、此処《こけ》え来《こ》う、幾ら縋っても皆《みんな》世辞で可愛がったでえ、心にもない世辞イいって汝《われ》がを可愛がる振《ふり》いしたゞ、それでも子供心に優しくされりゃア、真実姉と思って己があやまるから居てくんろというだ、其処《そけ》えらを考えたって中々出て行かれる訳のものでアなえ、呆れた阿魔だ、惣吉|此処《こけ》え来い」
 多「此方《こっち》いお出でなさえ、坊《ぼう》ちゃん駄目だから」
 隅「来いというから彼方《あっち》へお出でよ、今までお前を可愛がったのもね、お母《っか》さんのいう通り拠《よんどころ》なく兄弟の義理を結んだからお世辞に可愛がったので、皆《みんな》本当に可愛がったのじゃアないよ、彼方へお出で、行っておくれ、行かないか」
 多「あれ坊《ぼ》っちゃんを突き飛《とば》しやアがる、惣吉さんお出でなさえ…此奴《こいつ》ア…又打てねえ…さっ/\と行けい」
 隅「行かなくってどうするものか」
 とお隅は土間へ下《お》り、庭へ出まして門《かど》の榎《えのき》の下に立つと、ピューピューという筑波|颪《おろし》が身に染みます。
 隅「あゝもう覚悟をして思い切って愛想づかしを云わなけりゃア為にならんと思って彼迄《あれまで》にいって見たけれども、何も知らない惣吉が、私の片袖に縋って、どうぞ姉《あね》さん私があやまるから居ておくれ、坊が困るといわれた時には、実はこれ/\と打ち明けて云おうかと思ったが、※[#「救/心」、294−13]《なま》じい云えばお母《っか》さんや惣吉の為にならんと思って思い切って、心にもない悪体《あくたい》を云って出て来たが、是まで真実に親子の様に私に目を掛けておくんなすった姑《しゅうと》に対して実に済まない、お母さん、其のかわり屹度《きっと》、旦那様の仇《あだ》を今年の中《うち》に捜し出して、本望《ほんもう》を遂《と》げた上でお詫びいたします、あゝ勿体ない、口が曲ります、御免なすってください」
 と手を合せ、耐《こら》え兼てお隅がわっと声の出るまでに泣いております。
 多「まだ立ってやアがる、彼処《あすこ》に立って悪体口をきいていやアがる、早く行け」
 隅「大きな声をするない、手前の様な土百姓《どびゃくしょう》に用はないのだ、漸《や》っとサバ/\した」
 と故意《わざ》と口穢《くちぎたな》いことを云って、是から麹屋へ来て亭主に此の話をすると、
 亭「能く思い切って云った、よし、己がどこ迄も心得たから、心配するな、先《ま》ず手拭でも染めて、すぐ披露《ひろめ》をするが好《よ》い、これ/\これ/\拵《こしら》えて」
 というので、手拭|等《とう》を染めて、残らず雲助や馬方に配りました。
 亭「今までとは違ってお隅は拠《よんどころ》ない訳が有って客を取らなくっちゃアならん、皆《みんな》と同じに、枕付で出るから方々へ触れてくれ」
 というと、此の評判がぱっとして、今までは堅い奉公人で、殊《こと》に名主の女房にもなった者が枕付で出る、金さえ出せば自由になるというので大層客がありまして、近在の名主や大尽《だいじん》が、せっせとお隅の処へ遊びに来ますけれども、中々お隅は枕を交《かわ》しません。お隅の評判が大変になりますると、常陸にいる富五郎が、此の事を聞きまして、
 富「しめた、金で自由になる枕附きで出れば、望みは十分だ」
 と天命とはいいながら、富五郎が浮々《うか/\》とお隅の処へ遊びに参るという、これから仇打《あだうち》になりまするが、一寸一息。

        七十一

 お隅は霜月の八日から披露《ひろめ》を致しまして、客を取る様になりました。なれどもお隅は貞心《ていしん》な者でございますから、能《い》いように切り脱《ぬ》けては客と一つ寝をする様なことは致しません、素《もと》より器量は好《よ》し、様子は好し、其の上世辞がありまするので、大して客がござります。丁度十二月十六日ちら/\雪の降る日に山倉富五郎が遣《や》って参りましたが、客が多いので何時《いつ》まで待ってもお隅が来ません、其の内に追々と夜《よ》が更けて来ますが、お隅は外の客で来ることが出来ませぬから、代りの女が時々来ては酌をして参り、其の間には手酌で飲みましたから、余程酒の廻っている処へ、隔《へだて》の襖《ふすま》を明けて這入った人の扮装《なり》はじゃがらっぽい[#「じゃがらっぽい」に傍点]縞《しま》の小袖にて、まア其の頃は御召縮緬《おめしちりめん》が相場で、頭髪《あたま》は達磨返しに、一寸した玉の附いた簪《かんざし》を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《さ》し散斑《ばらふ》の斑《ふ》のきれた櫛《くし》を横の方へよけて※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]しており、襟には濃《こっ》くり白粉《おしろい》を附け、顔は薄化粧の処へ、酒の相手でほんのりと桜色になっております、帯がじだらく[#「じだらく」に傍点]になりましたから白縮緬の湯巻がちら/\見えるという、前《ぜん》とはすっぱり違った拵《こしら》えで、
 隅「富さん」
 富「イヤこれはどうも、どうも是は」
 隅「私ゃアね富さんじゃないかと思って、内々《ない/\》見世で斯《こ》う/\いう人じゃアないかというと然《そ》うだというから、早く来度《きた》いと思うけれども、長ッ尻《ちり》のお客でねえ、今やっと脱《ぬ》けて来たの、本当に能く来たね」
 富「これはどうも、甚《はなは》だ何《ど》うも御無沙汰を、実は其の不慮の災難で御疑念を蒙むりました、それ故お宅へ参ることも出来ない、こんな詰らぬ事はないと存じて、存じながら御無沙汰を、只今まで重々御恩になりました貴方が、御離縁になって、此方《こちら》へ入らっしゃった事を聞いて尋ねて参りました、どうも妙でげすねえ、御様子がずうッと違いましたね」
 隅「お前さんも知ってる通りべん/\とあゝやっていたっても、先の見当《みあて》がないし、そんならばといって生涯楽に暮せるといった処が、あんな百姓|家《や》で何《なん》にも見る処も聞く事もなし、只一生楽に暮すというばかりじゃア仕様がないから、江戸へ行こうと思って、江戸には親類が有って大小を帯《さ》す身の上だから、些《ちっ》とも早く頼んで身を固め度《た》いと思って離縁を頼むと、不人情者だって腹を立って、狐阿魔だの狸阿魔だのというから、忌々《いま/\》しいから強情に無理無体に縁切状を取って出て来ましたの、江戸へ行くにも、小遣がないもんだから、こんな真似をして身装《みなり》も拵《こしら》えたり、金の少しも持って行き度いと思って、遂《つい》に斯《こ》んな処へ落ちたから笑っておくんなさい」
 富「笑う処か誠にどうも、なに必ず私は買いに来たという訳ではありませんから、決して御立腹下さるな、そんな失敬の次第ではないが、何《ど》ういう訳で羽生村をお出《で》遊ばしたかと存じて御様子を伺おうと思って参った処が、数献《すうこん》傾けて大酩酊《おおめいてい》」
 隅「まア是から二人で楽々と一杯飲もうじゃアないか、早く来て久振りで、昔話をしたいと思っても、長ッ尻のお客で滅多に帰らぬからいろ/\心配して、やっとお客を外して来たの、まア嬉しいこと、大層お前若くなったことね」
 富「恐入ります、あなたの御様子が変ったには驚きましたねえどうも、前とはすっかり違いましたねえ」
 隅「さお酌致しましょう」
 富「これはどうも、まア一寸一杯、左様ですか」
 隅「私は大きな物でなくっちゃア酔わないから、大きな物でほっと酔って胸を晴したいの、いやな客の機嫌|気褄《きづま》を取って、いやな気分だからねえ、富さん今夜は世話をやかせますよ」
 富「大きな物で、え湯呑で上りますか、御酒は些《ちっ》とも飲《あが》らなかったんですが、血に交われば赤くなるとか、妙でげすなア、お酌を致しましょう、これは妙だ、どうも大きな物でぐうと上れるのは妙でげすな、是は恐入りましたな」
 隅「私は酔って富さんに我儘な事をいうけれども、富さんや聞いておくれな」
 富「うゝんお隅さん必ず御疑念はお晴しなす
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