んでどうこうという訳にはいかぬ」
 富「無法に打《ぶ》ちますよ」
 安「なに打たれはせぬ、仔細ない」
 富「仔細ないと仰しゃるが、私《わし》の跡を追掛《おっか》けて来て富五郎はいるか、慝《かく》まったろう、イエ慝まわぬ、居ないといえばじゃア戸棚に居ましょうというので捜しましょう、そうで無いにしても表で暴れて家を揺《ゆすぶ》ると家が潰れるでしょう、奴の力は大した者だから、やアというと家《うち》に地震が揺《い》って打潰《ぶっつぶ》されて了《しま》います、何《なん》にしても家《うち》にいると面倒だから迯《に》げて下さい、え、先生」
 安「じゃア路銀を遣るから先へ逃げな」
 富「迯げるなら一緒に迯げたいものです」
 安「一緒に迯げては人の目に立ってよくない、己が手紙を一本付けるから之《これ》を持って、常陸の大方村《おおかたむら》という処に私《わし》の弟子があるから、其処《そこ》へ行って隠れておれば知れる訳は無いから、ほとぼりが冷めたら又出て来い、私は一足|後《あと》から、ナニ暴れても仔細ない、逢い度《た》いといえば余義ない用事が出来て上総《かずさ》へ行ったとか、江戸へ行ったとか、出鱈目を云っておれば取り附く島が無いから仕方が無い、貴公は先へ行きな」
 富「じゃア路銀を頂戴、私《わし》はすぐ行《ゆ》きます」
 安「そう急がずに」
 と落着いて手紙一本書いて、路銀を附けて遣ると、富五郎は其の手紙を持って人に知れぬ様に姿を隠し、間道《かんどう》/\と到頭《とうとう》逃げ遂《おお》せて常陸へ参りました。安田一角も引続いて迯げる、花車重吉は、
 花「おのれ迯げやアがったか」
 と直《すぐ》に後《あと》を追掛けましたけれども、羽生村では此方《こっち》へは来ないというから、サテ怪しいと諸方を尋ねたが何分手掛りがありません。一角の様子を聞くと是は私用があって上総まで出たというので、頓《とん》と手掛りが無い、風を食《くら》って二人とも迯げてしまったから、もう帰る気遣いはないが、安田一角の家《うち》は其の儘になって弟子が一人留守番に残っている。どういう訳か分らぬが何《なん》でも怪しいから取《とっ》て押えんければならぬが、それには先《まず》第一富五郎をどうかして押えなければならぬと心得、
 花「残念な事をしました、これ/\これ/\で押えた奴を迯げられました」
 というと、お隅も母も残念がって歎きますけれども致方《いたしかた》がない。翌月《よくげつ》の十月の声を聞くと、花車は江戸へ参らなければならぬから、花車重吉が暇乞《いとまごい》に来て、
 花「私《わし》はこれ/\で江戸へ参りますが、何事があっても手紙さえ下されば直に出て来て力に成って上げますから、心丈夫に思ってお出でなさい」
 と二人にいい聞かして、花車重吉は江戸へ帰りました。跡方は惣吉という取って十歳の子供とお隅に母親と、多助という旧来此の家にいる番頭|様《よう》の者ばかりで、何《なん》と無く心細い。十一月の三日の事で、空は雪催しで、曇りまして、筑波|下《おろ》しの大風が吹き立てゝ、身を裂《さか》れるほど寒うございます。
 母「あゝ寒いてえ、年イ取ると風が身に泌《し》みるだ、そこを閉《た》ってくんろよ、何《な》んだか今年に成って一時《いちじ》に年イ取った様な心持がするだ、酷《ひど》く寒いのう、多助やぴったり其処《そこ》を閉ってくんろよ」
 多「なにあんた、そんなに年イ取った/\といわなえがいゝ、若《わけ》え者《もん》でも寒いだ、何《なん》だかハア雪イ降るばいと思う様に空ア雲って参《めえ》りました」
 母「其処《そこ》を閉って呉んろよ、お隅は何処《どこ》へか行ったか」
 隅「はい」
 と部屋から着物を着換え、乱れた髪を撫付けて小包を持って参りましたから、
 母「このまア寒いのに何処へか行《ゆ》くかイ」
 隅「はい、改めてお願いがござります」

        六十九

 隅「不思議な御縁で、水街道から此方《こちら》へ縁付いて参りました処が、旦那様もあゝいう訳でおかくれになりました、旦那がおいでならお側で御用を達《た》して、仮令《たとえ》表向の披露《ひろめ》はなくとも、私も今迄は女房の心持で働いておりましたけれども、斯様《こう》なって旦那のない後《のち》は余計者で、却《かえ》って御厄介になる許《ばか》りでございますし、江戸には大小を帯《さ》す者も親類でもございますから、何卒《どうか》江戸へ参り度《た》いと思いまして、私もべん/\と斯《こ》うやっても居《お》られません今の内なら、何《ど》うか親類が里になって縁付《かたづ》く口も出来ましょうと思いまして、私は江戸へ帰りますから、どうか親子の縁を切って、旦那はいなくっても貴方の手で離縁に成ったという証拠を戴きませぬと、親類へも話が出来ませぬから、御面倒でも一寸お書きなすって、誠に永々《なが/\》お世話さまになりまして」
 母「それアはア困りますな、今お前《めえ》に行かれてしまうと心細《こゝろぼせ》えばかりでなく、跡が仕様が無《ね》えだ、惣吉は年イ行かなえで、惣次郎のなえ後《のち》はお前《めえ》が何も彼《か》もしてくれたから任して置いて、己《おら》アまア家内《うち》の勝手も知んなくなったくれえだね、何《ど》うかまアそんなことを云わずに、どうかお前《めえ》がいてくれねえば困りますから」
 隅「有難う存じますけれども、どうも居《い》られませぬ、居たって仕方がありませんもの、ほんの余計者になりましたから、どうか御面倒でも…今日直ぐと帰ります、水街道の麹屋に話をして帰りますから」
 母「そりゃアハア間違った訳じゃアねえか、お前《めえ》は今迄まア外《ほか》の女と違って信実な者《もん》で、己《おら》ア家《うち》へ縁付《かたづ》いても惣次郎を大切《でえじ》にして、姑《しゅうと》へは孝行尽し、小前《こめえ》の者《もん》にも思われる位《くれ》えで、流石《さすが》お武家《さむれえ》さんの娘だけ違ったもんだ、婆様《ばアさま》ア家《うち》は好《い》い嫁え貰ったって村の者《もん》が誰も褒めねえ者《もん》はなえ、惣次郎が無《な》え後《のち》も僅《わず》かハア夫婦になった許《ばか》りでも、亭主と思えば敵《かたき》イ打《ぶ》たねえばなんなえて、流石|侍《さむれえ》の娘は違った者《もん》だと村の者《もん》も魂消《たまげ》て、なんとまア感心な心掛けだって涙ア溢《こぼ》して噂アするだ、今に富五郎や安田一角の行方は関取が探してどんな事をしても草ア分けて探し出して、敵《かたき》イ打《ぶ》たせるって是迄丹精したものを、お前《めえ》がフッと行ってしめえば、跡は老人《としより》と子供で仕様がなえだ、ねえ困るから何《ど》うか居てくんなよ」
 隅「嫌《いや》ですねえ、江戸で生れた者がこんな処に這入って、実に夫婦の情でいましたけれども、斯《こ》うなって見ると寂しくっていられませぬもの、田舎といっても宿場と違って本当に寂しくって居《い》られませんからねえ、何卒《どうか》直《すぐ》に遣って下さいな、此処《こゝ》に居たって仕方が有りません、江戸へ行《ゆ》けば親類は武士でございますから、相当な処へ縁付《えんづ》けて貰います、私も未《ま》だそう取る年でもございませぬから、何時《いつ》までもべん/\としてはいられませぬ、お前さんはどうせ先へ行《ゆ》く人、惣吉さんは兄弟といった処が元をいえば赤の他人でございますからねえ、考えて見ると行末《ゆくすえ》の身が案じられますから」
 母「じゃアどうあっても子供や年寄が難儀イぶっても構わなえで置いて行《ゆ》くというかい、今迄|敵《かたき》イ討《ぶ》つといったじゃアなえか、今それに敵イ討たなえで縁切になって行くとア訝《おか》しかんべい、敵イ討つといった廉《かど》がなえというもんじゃア無《な》えか」
 隅「初《はじま》りは敵《かたき》を討《う》とうと思いましたけれども、誰が敵だか分らぬじゃアありませんか、善々《よく/\》考えて見ますと、富五郎を押えて白状さして、愈々《いよ/\》一角が殺したと決ったら討とうというのだが、屹度《きっと》富五郎、一角ということも分らず、それも関取が附いていればようございますが、関取もいず、して見れば敵が分っても女の細腕では敵に返討《かえりうち》になりますからねえ、又それ程|何方《どなた》にも此方様《こちらさま》に義理はありません、漸《ようや》く嫁《かたづ》いて半年位のことで[#「ことで」は底本では「とで」]、命を捨てゝ敵を討つという程の深い夫婦の間柄でもありませんから、返討にでもなっては馬鹿/\しゅうございますから、敵討《かたきうち》はお止《やめ》にして江戸へ帰ります」
 母「魂消《たまげ》たなアまア、それじゃア何《なん》だア今迄敵イ討《ぶ》つと云ったことア水街道の麹屋でお客に世辞をいう様に、心にもなえ出鱈《でたら》まえをいったのだな、世辞だな」
 隅「いゝえ世辞ではない、関取を頼みにして大丈夫と思っていましたが、関取もいなければ私は厭《いや》だもの、そんな返討になるのは詰りませぬからねえ」
 母「呆れたよまア、何《なん》と魂消たなア、汝《われ》がそんな心と知んなえで惣次郎が大《でか》い金え使って、家《うち》い連れて来て、真実な女と思って魅《ばか》されたのが悔しいだ、そういう畜生《ちきしょう》の様な心なら只《たっ》た今出て行《ゆ》けやい、縁切状を書《きゃ》えてくれるから」
 隅「出て行かなくって、当り前だアね」
 多「お隅さんまア待っておくんなさえ、お内儀《かみ》さん貴方《あんた》人が善《い》いから直《じ》き腹ア立つがお隅さんはそんな人でなえ、私《わし》が知っているから、さてお隅さん、此処《こゝ》なア母様《はゝさま》ア江戸を見たこともなし、大生の八幡《はちまん》へも行ったことアなえという田舎|気質《かたぎ》の母様だから、一々気に障る事《こた》アあるだろうが、実はこういう事があって気色が悪いとか、あゝいう事をいわれてはならぬという事があるなら、私がに話いしておくんなさえ、まア旦那が彼《あ》アなってからは力に思うのはお前|様《さん》の外に誰もないのだ、惣吉|様《さん》だって彼《あ》の通り真実《ほんとう》の姉|様《さん》か母様《かゝさま》アの様に思って縋《すが》っているし、敵の行方は八州へも頼んでえたから、今に関取が出て来れば手分《てわけ》えして富五郎を押えて敲《たゝ》いたら、大概《たいがい》敵は一角に違《ちげ》えねえと思ってるくらいだから、機嫌の悪い事が有るなら私にそういって、どうか機嫌直してくださえ、ねえお隅さん」
 隅「何をいうのだね、お前は何も気を揉むことはないやね、お母《っか》さんも呆れて出て行《ゆ》けというから離縁状を貰っておくんなさい、私は仇打《あだうち》は出来ません、仕方なしに仇を打つと云ったので実は義理があるからさ、よく/\考えて見れば馬鹿げている、それ程深い夫婦でもありませぬからねえ」
 多「それじゃアお隅さん、本当に旦那の敵い打《ぶ》つてえ考《かんげ》えもなえ、惣吉さんもお母様《っかさま》も置いて行《ゆ》くというのかア」
 隅「左様さ」
 多「魂消たね本当《ほんと》かア」
 隅「嘘にこんなことがいえるものか、今日出て行《ゆ》こうというのだよ」
 多「呆れたなア、そんだら己えいうが」
 隅「何をいうの」

        七十

 多「旦那が麹屋へ遊びに行った時酌に出て、器量は好《えゝ》し、人柄に見えるが、何処《どこ》の者《もん》だというと、元は由《よし》ある武士《さむれえ》の娘で、これ/\で奉公しております、外の女ア皆《みんな》枕付《まくらつき》でいる中に私《わし》は堅気で奉公をしようというんだが、どうも辛くってならねえて涙ア澪《こぼ》して云うだから、旦那が憫然《かわいそう》だというので、金えくれたのが初まり、それから旦那が貰《もれ》え切ってくれべいといった時、手を合せて、誠に然《そ》うなれア浮びます助かりますと悦《よろこ》んだじゃアなえか、それに又旦那様ア斬殺《きりころ》されたというのも、早《はえ》え話が一角という奴がお前《めえ》に
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