所中は、どうか関取がお勝になる様にと神信心をしていますよ」
花「それは有り難い、仮令《たとえ》虚言《うそ》でも日の下開山横綱と云って貰えば何《なん》となく心嬉しい、やア、お茶を上げろよ、さア此方《こっち》へ」
富「関取、さぞ御愁傷で」
花「やアお互のことで、嘸《さぞ》お前さんもお力落しでございましょう」
富「イヤ此度《こんど》は実に弱りまして、只もうどうも富五郎は両親《ふたおや》に別れたような心持が致しますなア」
花「然《そ》うでございましょう、私《わし》も実は片腕もがれた様だといいましょうか」
富「然うでげしょう、私も実に弱りましたね」
花「就《つ》いて富さん、お前さんが供に行ったのだとねえ」
富「左様」
花「どんな奴でございますえ、切った奴は」
富「それはもう何《な》んとも残念千万、弘行寺の裏林へ掛ると、面部を包んで長い物をぶち込んだ奴が十四五人でずっと取り巻いて、旦那が金を三十両持っているのを知って、出せ身ぐるみ脱いで置いてけというから、旦那に怪我をさせまいと思って、旦那を何《なん》と心得る、旦那は羽生村の名主様だぞ、若《も》し無礼をすれば引縛《ひっくゝ》って引くから左様《そう》心得ろというと、なに、と突然《いきなり》竹槍をもって突いて来るから、私も刀を抜いて竹槍を切って落し、杉の木を小楯に取ってちょん/\/\/\暫く大勢《たいぜい》を相手に切合いました、すると旦那も黙っている気性でないから、すらり引抜いて一生懸命に大勢《おおぜい》を相手にちゃん/\切合いましたから、刀の尖先《とっさき》から火が出ました、真に火花を散《ちら》すとはこの事でしょう、けれども多勢に無勢と云う譬えの通りで、迚《とて》も敵《かな》わぬから、旦那に怪我があってはならぬと、危うい処を切抜けて駈込んで知らせたから、そら早くというので大勢の若い衆《しゅ》がどっと来て見ましたが、間に合いません、実に残念で、どうも」
花「お前さん供をしたから、嘸《さぞ》残念だったろうねえ」
富「実にどうも此の上ない残念で」
花「そこで、何《な》んですかい、向は十四五人で、其の内一人か二人|捕《つか》まえるとよかったね」
富「処が向が大勢《おおぜい》でげすから、此方《こっち》が剣術を知っていても、大勢で刃物を持って切付けるから敵《かな》いません」
花「じゃア旦那が刀を抜いて切合った処をお前さんは見ただろうねえ」
富「そりゃア見ましたとも、旦那はお手利《てきゝ》でげすからちょん/\/\/\切合いました」
花「それに相違ないねえ」
富「相違も何もありません、現在|私《わし》が見ておったから」
花「うん然《そ》うかえ、富さん、もっと側へお出でなさい、今日は一杯[#「一杯」は底本では「一抔」]飲みましょう」
富「それは誠に有難いことで、時に何かお頼みがあるという事でげすが早速取立てましょう、なに造作もないことで」
花「それに付いて種々《いろ/\》話があるのだがもっと側へ」
富「じゃア御免を蒙《こうむ》って」
花「さて富さん、人と長く付合うには嘘を吐《つ》いてはいかないねえ」
富「それは誠に其の通り信がなくてはいけませぬねえ」
花「今お前のいったのは皆嘘と考えて居る、旦那様が脇差を抜いてちょん/\切合い、お前も切結んだと、そんな出鱈目《でたらめ》の事をいわずに正直なことをいってしまいねえ」
富「な何《な》んだ、これは恐入ったね、どうも怪《け》しからん事を、ど、どういう訳でな何んで」
花「やい、それよりも正直に、慾に目が眩《くら》んで一角に頼まれて恩人の惣次郎を私《わし》が手引で殺させましたといっちまいねえ」
富「これは怪しからん、怪しからん事があるものだね、関取外の事とは違います、私《わし》は一角という者は存じませぬ、知りもしない奴に仮令《たとえ》どの様な慾があっても、頼まれて旦那様を殺させたろうという御疑念は何等《なんら》の廉《かど》を取って左様なことを仰しゃる、と関取で無ければ捨置けぬ一言《いちごん》、手前も元は武士でござる、何を証拠に左様な事を仰せられるか、関取承りたいな」
花「嘘《そら》つくない、正直にいってしまいな、手前《てめえ》が鼻薬を貰って、一角に頼まれて旦那を引き出したといってしまえば、命|許《ばか》りは助けてやる、相手は一角だから敵《かたき》を打たせる積りだが、何処迄《どこまで》も隠せば、拠《よんどころ》なくお前《めえ》の脊骨を殴《どや》して飯を吐かしても云わせにゃならん」
富「これはどうも怪しからん、関取の力で打たれりゃア飯も吐きましょうが、ど、どういう訳で、怪しからん、なな何を証拠に」
花「そんなら見せてやろう、是は其の時旦那の帯《さ》して行った脇差だろう、これを帯して出た事は聞いて来たのだ、さどうだ」
富「左様どうして是を」
花「是は手前《てまえ》が刀を抜いてちょん/\切合ったという後《あと》で丁度其の側を通り掛って此の刀を拾うたが、些《ちっ》とも抜けない、此の抜けない脇差をどうして抜いて切合ったかそれを聴こう」
富「それア、それア私《わし》が転倒《てんどう》致した」
花「何が転倒した」
富「それは私《わし》は大勢を相手に切結んでおり、夜分でげすから能く分りませぬが、全く鞘の光を見て抜身と心得ましたかも知れませぬが、私が手引をして…是は怪《けし》からん事でげす、どうも左様な御疑念を蒙りましては残念に心得ます」
花「そら/\手前《てめえ》のいうことは皆《みんな》間違っていらア、鞘の光を見て抜身で切合ったと思ったというが、鞘ごと切れば鞘に疵がなけれアならねえ、芒尖《きっさき》から火花を散《ちら》したというが鞘ごと切合ってどうして火花が出るい」
富「じゃア全く転倒致したのでげす、全く向《むこう》同士ちょん/\切合って火花が出たのでげしょう、大勢の暗撃《やみうち》で向同士…どうも左様な手引をして殺したという御疑念は手前少しも覚《おぼえ》がございません」
花「なに云わなけりゃア脊骨を殴《どや》して飯を吐《はか》せても云わせるぞ」
富「アヽ痛い/\痛うござります、アヽ痛い、腕が折れます、ア痛い」
花「さ、云って了《しま》え、云わなければ殴すぞ」
富「アヽ痛うござります」
花「やい能く考えて見ろ、実は大恩があるのに済みませぬが、旦那は私《わし》が手引をして殺させました、其の申訳《もうしわけ》の為に私は坊主になって旦那の追善供養を致しますといえば、お内儀様《かみさん》に命乞《いのちごい》をして命だけは助けて遣るから、一角が殺したと云ってしまえよ」
富「云って了《しま》えと仰しゃっても、あゝ痛い痛うございます、だから私《わし》は申しますがね、あ痛い是はどうも恐入ったね、あゝ痛い、腕が折れます、あゝ申します/\、申しますからお放し下さい然《そ》う手をぐっと関取の力で押えられると骨が折れてしまいますから、アヽ痛いどうも情ないとんだ災難でげす、無実の罪という事は致し方がないなア、関取能くお考えください、私《わたし》は恥をお話し致しますよ、昨年夏の取付《とッつ》きでげしたが、瓜畑を通り掛りまして、真桑瓜を盗んで食いまして、既《すで》に縛られて生埋になる処を、旦那様が通り掛って助けて家《うち》に置いて下さるお蔭で以《もっ》て、黒い羽織を着て、村でも富さん/\といわれるのは全く旦那の御恩でげす、其の御恩のある旦那を、悪心ある者の為に手引をして殺させるという様な事は、どの様なことがあっても覚えはござりませぬが、アヽ痛《いた》たゝゝアヽ痛うござります、腕が折れてしまいます」
花「なに痛いと、腕を折ろうと脊骨を折ろうと己の了簡だ、己が兄弟分になった旦那を、殺した奴を捜して敵《かたき》を討たにゃならぬ、手前《てまえ》一人に換えられないから云わなけれア殺してしまう、それとも殺させたといえば助けて遣るが、云わないか此の野郎」
と松の木の様な拳《こぶし》を振上げて打とうと致しました時には、実に鷲《わし》に捕《つか》まった小鳥の様なもので、逃げるも退《ひ》くも出来ません、此の時に富五郎がどう言訳を致しますか、一寸一息つきまして。
六十八
富五郎が花車に取って押えられましたは天命で、己《おのれ》が企《たく》みで、惣次郎の差料《さしりょう》の脇差へ松脂を注《つ》ぎ込んで置きながら、其の脇差を抜いて惣次郎がちょん/\切合ったという処から事が顕《あら》われて、富五郎は何《なん》といっても遁《のが》れ難《がと》うございます。殊《こと》に相手は角力取り、富五郎の片手を取って逆に押えて拳を振上げられた時には、どうにもこうにも遁途《にげど》がありませぬ、表の玄関には二人の弟子《とりてき》が張番をしていて、若《も》し逃げ出せば頸《くび》を取って押えようと待っておりますから、此の時は富五郎が真青《まっさお》になって、寧《いっ》そ白状しようかと胸に思いましたが、其処《そこ》は素《もと》より悪才に長《た》けた奴。
富「関取、御疑念の程重々御尤も、もうこうなれば包まず申します、申しますからお放し下さい」
花「申しますと、云ってしまえばそれでよい」
富「云ってしまいます、是迄の事を残らずお話し致します、致しますが関取、そう手を押えていては痛くって/\喋ることが出来ません、こうなった以上は遁《に》げも隠れも致しませぬ、有体《ありてい》に申すから其の手を放して下さい、あゝ痛い」
花「云ってしまえばよい、さア残らず云ってしまえ」
と押えた手を放しますと、側に大きな火鉢がありまして、かん/\と火が起《おこ》っております。それに掛っている大薬鑵《おおやかん》を取って、
富「申上げまする」
といいながら顛覆《ひっくりかえ》しましたから、ばっと灰神楽《はいかぐら》が上《あが》りまして、真暗《まっくら》になりました。なれども角力取|等《ら》は大様《おおよう》なもので、胡坐《あぐら》をかいたなり立上りも致しません。
花「何をするぞ」
という内に富五郎は遁出《にげだ》しましたが、悪運の強い奴で、表へ遁げれば弟子《でし》が頑張っているから直《すぐ》に取って押えられるのでございますが、裏口の方から駈出し、畑を踏んで逃げたの逃げないの、一生懸命になってドン/\/\/\遁げましたが、羽生村へは逃げて行かれませぬから、直に安田一角の処へ駈込んで行って、
富「ハ、ハ、先生/\」
安「なんだ、サア此方《こちら》へ」
富「は…ア水を一杯|頂戴《ちょうだい》」
安「なんだ、ナニ水をくれと、どうしたんだ、喧嘩でもしたか」
富「いいえ、どうも喧嘩どこではございませぬ、脊骨をどやして飯を吐かせるて、実にどうも驚きました」
安「誰《だ》れが飯を吐いたか」
富「なに私《わし》が吐くので、先生運|好《よ》く此処《こゝ》まで逃げたが、もう此処にもおられぬので、直に私は逃げますから、路銀を二三十金拝借致し度《た》い」
安「どうしたか、そう騒いではいかない」
富「どうも先生、これ/\でげす」
と一部始終の話をしますると、相手は角力取ですから一角も不気味《ぶきび》でございますが、
安「然《そ》うか、驚くことはない、私《わし》が殺したという事を云いはしまい」
富「何《なん》で…それはいいませぬ、足下《そっか》とちゃんとお約束を致した廉《かど》がありますから、仮令《たとえ》脊骨をどやされて骨が折れてもそれは云わん、云わぬに依《よ》ってこんな苦しい目を致したから、可哀そうと思って二三十金ください、直に私《わし》は逃げますから」
安「何《な》んだ、何んにも怖いことはない」
富「怖いことはないと仰しゃるが、足下知らないからだ、何《ど》うも彼奴《あいつ》の力は無法な力で、只握られたばかりでもこんなに痣《あざ》になるのだもの」
安「じゃア貴公に路銀を遣るから逃げるがよい」
富「足下も早く、直に跡から遣って来ますよ」
安「遣って来ても云いさえせんければ宜しい」
富「理不尽に…」
安「幾ら理不尽でも白状せぬのに踏込《ふんご》
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