といっても、是非今日はといって、何《ど》ういう事か大層|急《せ》いてお出でになりました、処が丁度弘行寺の裏林へ通り掛りますと、十四五人の狼藉者《ろうぜきもの》が出まして、得物/\を持って切り付けましたから、旦那はお手利《てきゝ》でございますから直《すぐ》に脇差を抜いて向うと、富五郎も元は武士で剣術も存じておりますから、二人で十四五人を相手に切り結んだけれども、幾ら旦那が御手練《ごしゅれん》でも向《むこう》は大勢《たいぜい》でございますから、仕方なく、富五郎が旦那にお怪我をさしてはならぬとやっと切り抜け駈け付けて来ました、直《すぐ》に村の若い衆《しゅ》も大勢《おおぜい》参りましたけれども、其の甲斐もなくもう間に合いませんで、誠に情ないことでございます」
 花「じゃア富五郎さんが一緒に附いて行って弘行寺の裏林へ掛った処が十四五人狼藉者が出て取巻いたから、旦那も切結び、富五郎も切り合ったという処を誰も見た者はないので、富五郎が帰って其の事を話したのですね」
 隅「左様でございます」
 花「うん、富五郎という人は内におりますか」
 隅「お母《っか》さん、今日は富五郎は何処《どこ》かへ使いに参りましたか」
 母「今何まで使《つかい》に遣《や》ったゞ、何処まで行ったかのう、又水街道の方へ廻ったか知んなえ、じき横曾根まで遣ったがね」
 花「御新造さん、留守かえ、そんなら話をしますが、あの富五郎という奴は、べちゃくちゃ世辞をいう口前《くちまえ》の好《い》い人だね、実は私《わし》はね、人には云わないが旦那の殺されたばかりの処へ通り掛った処が、丁度廿五日で真暗《まっくら》だ、私がずん/\行《ゆ》くと、向《むこう》から頭巾を被《かぶ》った奴が来やアがる様子だから、はて斯《こ》んな林に胡散《うさん》な奴がおる、ことに依《よ》ったら盗賊かと思うたから、油断せずに透《すか》して見ると、其奴《そいつ》が脇道へ曲って、向《むこう》へこそ/\這入って行《ゆ》くから、何《なん》でもこれは怪しいと思うて、急いで来ると、私の下駄で蹴付《けつ》けたのは脇差じゃ、はて是は脇差じゃが何《ど》うして此処《こゝ》に在《あ》るかと思うて、見ると向からワイ/\とお百姓が来まして、高声《たかごえ》上げて、あゝ情ないもう少し早かったらこんな事にはならぬ、無惨なことをした、情ないことをしたというから、こいつしまった、そんなら頭巾を被った奴が旦那を殺したと思って、其の事を皆の中で話をしようかと思ったが、旦那と私と深い中のことは知って居るし、若《も》し角力が加勢をすると思って、遠く逃げてしまわれたら手掛りはないから、是は知らぬ積りで家《うち》へ帰ったが好いと思うて、其の脇差を提《さ》げて帰ってからは何処《どこ》へも出ず、外《ほか》の者にも黙ってろ知らぬ積りでいろといい付けて来ずにいましたが、今日は斯《こ》うして脇差を持って来ました」
 母「あれやまア、どうも不思議なこんだ、殺された処へ通り掛って脇差い拾ったって、其の斬った奴は何様《どんな》奴だかね」
 花「お隅さん、それはね此の脇差はどうしたのか知れないが、ちょっくり抜けない、私《わし》の力でもちょっくり抜けない、何《なん》でも松脂《まつやに》か何か附いてると見えて粘《ね》ば/\してるから、ひっついて抜けないが、これは旦那の不断差す脇差で私も能く知っております」
 母「あれやまアどうも、お前が知ってるのが手に這入るのは不思議だねえ」

        六十六

 隅「お母様《っかさん》、もう少し関取が早かったら助かりましたものを」
 花車「此の通り抜けない、抜けないから脇差を投《ほう》り付けたのを盗賊《どろぼう》が置いて行ったか、其処《そこ》は分らんが、今富五郎が私《わし》も切り合い旦那も切合ったが、相手が大勢で敵《かな》わんというので駈付けて来て知らしたというのは、それはどうも私は胡散なことと思う、仮令《たとえ》相手が多かろうが少なかろうが、旦那|様《さん》が危《あぶな》いのを一人|措《お》いて逃げて来るという訳はないねえ、然《そ》うじゃないか、大切な主人と思えばどこ迄も助けるには側にいなければならぬ、それを措いて来るとは、怖いから逃げたとしか思えない、旦那が脇差を抜いて切合ったというが抜けやしない、ねえ、どうしても抜けない刀を抜いて切合ったという道理がないから、どうも富五郎という奴が怪しい、という訳は、お隅さん、去年の秋大生郷の天神前で喧嘩を仕掛けた奴がお隅さんが麹屋に居た時分お前さんに惚れて居て冗談をいった奴がある、処がお隅さんは堅いから、いう事を聞かんで撥付《はねつ》けたのを遺恨に思うているということを知っている、事に依《よ》ったら安田一角が旦那を切って逃げやアしないかと考えた、就《つい》ては山倉富五郎という野郎は、口前は好《い》い奴だが心に情《なさけ》のない慾張った奴だから、事に依ったら一角にお出で/\をされて鼻薬を貰うて、一角の方に付いて、彼奴《あいつ》が手引をして殺させやアせんかと思う、それ此の通り抜けぬのに抜いて切合ったというのが第一おかしいじゃないか」
 母「あれやまア其処《そこ》らには気が付かんで、只まア魂消てばいいました、ほんにそうかもしんねえよ、其の頭巾|冠《かぶ》ったのはどんな恰好だっきゃア」
 花「それは暗《やみ》だから確《しっか》り分らんが、一角じゃないかと私《わし》の心に浮《うか》んだ、斯《こ》うしておくんなさい、私は黙って帰るが、富五郎が帰ったら、今日花車が悔《くや》みに来て種々《いろ/\》取《とり》こんだ事があって遅くなった、就《つい》ては他《わき》へ二百両ばかり貸したが、どう掛合っても取れないから、どうかして取ろうと中へ人を入れたが、何分《なにぶん》取れないが、若《も》し富五郎さんが間へ這入ったら向《むこう》の奴も怖いから返すだろう、若しお前の腕から二百両取れたら半分は礼に遣るが、どうか催促の掛合に往ってくれまいかと、花車が頼んだが行って遣らんかといえば、慾張《よくばっ》ているから屹度《きっと》遣って来るに違いない、法恩寺村の私の処へ来たら富五郎さん/\というて富五郎を側に寄せ、腕を押えてさア白状しろ、一角に頼まれて鼻薬を貰って、惣次郎さんを殺したと云え、どうだ/\いわなけりゃア土性骨《どしょうぼね》を殴《どや》して飯を吐かせるぞ、白状すれば、命は助けて遣るというたら、痛いから白状するに違いない、実は是れ/\/\/\であると喋ったら旨いもんで然《そ》うしたら富五郎はくり/\坊主にして助けても好《よ》し、物置へ投《ほう》り込んでも好《い》いが、愈々《いよ/\》一角と決ったらお隅|様《さん》は繊細《かぼそ》い女、お母様《っかさん》は年を取って居り、惣吉|様《さん》はまだ子供だから私が先へ行きます、一角の処へ行って、偖《さて》先生大生郷の天神前で、飛んだ不調法を致しましたが何卒《どうか》堪忍しておくんなさいと只管《ひたすら》詫びる、然《そ》うすれば斬ることは出来ぬからうっかり近寄る近寄ったら両方の腕を押えて動かさぬ、さア手前《てめえ》が惣次郎を殺した事は富五郎が白状した、敵《かたき》を取るから覚悟をしろと腕を押えた処へ、お前|様《さん》が来て小刀《こがたな》でも錐《きり》でも構わぬからずぶ/\突《つッ》ついて一角を殺すが好《い》いどうじゃ」
 隅「本当に有難いこと、嘸《さぞ》旦那様が草葉の蔭でお喜びでございましょう、関取私は殺されてもいゝから旦那様の敵《かたき》を取って」
 母「何分にもよろしくねがえます」
 花「余り敵/\と云わないがいゝ、私《わし》は先へ帰りますから」
 と脇差を元の如く包んで帰りました。後《あと》へ入《い》り替って帰りましたのは山倉富五郎、
 富「ヘエ只今帰りました」
 母「富や、大層|帰《けえ》りが遅かったね」
 富「なに帰り掛けに法蔵寺様へ廻りまして、幸い好《い》い花がありましたからお花を手向《たむ》けましたが、お墓に向いましてなア、実に残念でございまして、何《なん》だか此間《こないだ》まで富/\と仰しゃったお方がまアどうも、石の下へお這入りなすったかと存じましたら胸が痛くなりまして、嫌な心持で、又|家《うち》へ帰って貴方がたのお顔を見ると、胸が裂《さ》ける様な心持、仏間に向って御回向《ごえこう》致しますると落涙《らくるい》するばかりで、誠にはや何《な》んとも申そう様はありません」
 母「まア能く心に掛けて汝《われ》が墓参《はかめえ》りするって、嘸《さぞ》草葉の蔭で喜んでいるベエ」
 富「どうも別に御恩返しの仕方がありませんから、お墓参りでもするより外《ほか》仕方がありません、仏様にはお念仏や花を手向けるくらいで、御恩返しにはなりませんが、それより外に仕方がありません、ヘエ」
 隅「あの富さん先刻《さっき》花車関が悔みに参りましたよ」
 富「おや/\/\左様でござりましたか、ヘエ成程|何《ど》うなすったか、御存じないのかと思いましたが」
 母「ナニ知ってたてや、知ってたけれども早く来て顔を見せたら、深《ふけ》え馴染の中だで思出《おめえだ》して歎《なげ》きが増して母様《かゝさま》が泣くべえ、それに種々《いろ/\》用があって来《き》ねえでいたが悪く思ってくれるなって、大《でか》い身体アして泣いただ」
 富「そうでげしょう、兄弟の義を約束した方でございますから嘸《さぞ》御愁傷でげしょうお察し申します」
 母「就《つい》てねえ、あの関取が他《わき》へ金え二百両貸した処が、向《むこう》の奴がずりい奴で、返さなえで誠に困るから、どうか富さんを頼んで掛合って貰《もれ》えてえ、富さんの口前で二百両取れたら百両礼をするてえいうだ、どうだい、帰《けえ》ったばかりで草臥《くたびれ》て居るだろうが、行って遣《や》ってくんろよ」
 富「ヘエ成程関取が用立った処が向の奴が返さんのですか、なに直《す》ぐ取って上げましょう、造作もありません、百両……百両……なアに金なんぞお礼に戴かぬでも御懇意の間でげすから直ぐに行って参ります」
 と止せばよいのに黒い羽織を着て、一本|帯《さ》して、ひょこ/\遣って来ましたのが天命。
 富「はい御免なさい、関取のお宅《うち》は此方《こちら》でげすか、頼みます/\」
 弟子「おーい此処《こゝ》だい」
 花「これ/\一寸此処へ来い、富五郎という人が来たら奥へ通して己が段々掛合いになるのだで、切迫《せっぱ》詰って彼奴《あいつ》が逃げ出すかも知れないから、逃げたらば表に二人も待ってゝ、逃《にげ》やがったら生捕《いけど》って逃がしてはならぬぞ、えゝ、初めは柔和な顔をして掛合うから」
 弟子「逃げたら襟首を押えて」
 花「こう/\そんな大きな声を、此方《こちら》へお這入りなさいといえ」

        六十七

 弟子「此方《こっち》へお這入んなせい」
 富「御免を蒙《こうむ》ります」
 花「さア富さん此方《こっち》へ、取次も何もなしにずか/\上《あが》って好《い》いじゃないか、さア此方へ来て下さい」
 富「えー其の後《ご》は存外御無沙汰を、えー毎《いつ》も御壮健で益々|御出精《ごしゅっせい》で蔭ながら大悦《たいえつ》致します、関取は大層評判が好《よ》うげすから場所が始まりましたら、是非一度は見物致そうと心得ていましたが、御案内の通りさん/″\の取込で、つい一寸の見物も出来ません、併《しか》し御評判は高いものでござります、昨年から見ると大した事で、お羨《うらやま》しゅう、実に関取は身体も出来て入《いら》っしゃるし、殊《こと》には角力が巧手《じょうず》で、愛敬があり、実に自力のある処の関取だから、今に日の下|開山《かいざん》横綱の許しを取るのはあの関取ばかりだといって居ます」
 花「余計な世辞は止して下せい、私《わし》は余計な世辞は大嫌いだから」
 富「いや世辞は申しません、これは譬《たと》えの通り人情で、好きなものは一遍顔を見た者には、知らぬ人でも勝たせたいと思うのが人間の情《じょう》でげしょう、況《ま》して旦那とは兄弟分でこうやって近々《ちか/″\》拝顔を得ますから、場
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