図にスックと立って透《すか》し見るに、真暗ではございますが、晃《きら》つく長いのを引抜いてこう透して居ります。
 惣「富や、おい富/\、何《な》んだかこそ/\して後《うしろ》にいるのは、富や/\」
 という声を当《あて》にして安田一角が振被《ふりかぶ》る折から、向《むこう》の方から来る者がありますが、大きな傘を引担《ひっかつ》いで、下駄も途中で借りたと見えて、降る中を此処《こゝ》に来合わせましたは、花車重吉という角力取《すもうとり》でござります。是からは芝居なればだんまり[#「だんまり」に傍点]場でございます。

        六十四

 引き続きお聞《きゝ》に入れまするは、羽生村の名主惣次郎を山倉富五郎が手引をして、安田一角と申す者に殺させます。是は富五郎が惣次郎の女房お隅に心底《ぞっこん》惚れておりましても、惣次郎があるので邪魔になりますから、寧《いっ》そかたづけて自分の手に入れようという悪心でござりますが、田舎にいて名主を勤めるくらいであるから惣次郎も剣術の免許ぐらい取って居ります。富五郎は放蕩無頼で屋敷を出る位で、少しも剣術を知りませんから、自分で殺す事は出来ません、茲《こゝ》で下手でも安田一角という者は、剣術の先生で弟子も持っているから、丁度お隅に惚れているのを幸い、一角を*おいやって惣次郎を殺し、惣次郎の歿《な》い後《のち》にお隅を無理に口説いて江戸へ連れて行って女房にしようという企《たくみ》を考え、やま[#「やま」に傍点]で嚇《おど》して上手に見えるが田舎廻りの剣術遣だから、安田一角が惣次郎より腕が鈍くて、若《も》し惣次郎が一角を殺すような事になれば、此の企は空しくなるというので、惣次郎が常に帯《さ》して出ます脇差の鞘を払って、其の中へ松脂《まつやに》を詰めて止めを致して置きました、実に悪い奴でございます。惣次郎は神ならぬ身の、左様な企を存じませんから富五郎を連れて、彼《か》の脇差を帯して家を出て、丁度弘行寺の裏林へ掛りますと、富五郎がこそ/\匐《は》って行《ゆ》くようですから、なぜかと思って後《うしろ》を振り返える、とたんに出たのは安田一角、面部を深く包み、端折《はしょり》を高く取って重ね厚《あつ》の新刀を引き抜き、力に任せてプスーリ一刀《いっとう》あびせ掛けましたから、惣次郎もひらりと身を転じて、脇差の柄に手を掛け抜こうとすると、松脂をつぎ込んでから一日たって居るので粘って抜けない、脇差の抜けませんのにいら立つ処を又《ま》た一刀《ひとかたな》バッサリと骨を切れるくらいに切り込まれて、向《むこう》へ倒れる処を、又|一刀《ひとかたな》あびせたから惣次郎は残念と心得て、脇差の鞘ごと投げ付けました、一角がツと身を交《かわ》すと肩の処をすれて、薄《すゝき》の根方《ねがた》へずぽんと刀が突立《つった》ったから、一角は血《のり》を拭いて鞘に収め、懐中へ手を入れて三十両の金を胴巻ぐるみ盗んで逃げようとすると、向の方から蛇の目の傘を指《さ》し、高足駄《たかあしだ》を穿いて、花車重吉という角力が参りました時には、一筋道《ひとすじみち》で何処《どこ》へも避《さ》けることが出来ません、一角は狽《うろた》えて後《あと》へ帰ろうとすれば村が近い、仕方がないからさっさっと側の薄畳の蔭の処へ身を潜め、小さくなって隠れて居ります。此方《こちら》は富五郎はバッサリ切った音を聞いて、直《すぐ》に家《うち》へ駈けて行《ゆ》く、其の道すがら茨《いばら》か何かで態《わざ》と蚯蚓腫《みみずば》れの傷を拵《こしら》えましてせッ/\と息を切って家《うち》へ帰り
*「けしかけるおだてるそゝのかす」
 富「只今帰りました」
 という。処が富五郎ばかり帰ったから恟《びっく》りして、
 隅「おや富さんお帰りかい何《ど》うかおしかえ」
 富「ヘエもう騒動が出来ました、あの弘行寺の裏林へ掛ったら悪漢《わるもの》が十四五人ででで出まして、二人とも懐中の金を出せ身ぐるみ脱いで置いて行《ゆ》けと申しましたから、驚いて旦那に怪我をさせまいと思いまして、松の木を小楯《こだて》に取りまして、不埓至極な奴だ、旦那を何《なん》と心得る、羽生村の名主様であるぞ、粗相をすると許さんぞというと、大勢で得物《えもの》/\を持って切って掛るから、手前も大勢を相手に切り結び、旦那も刀を抜いて切り結びまして、二人で大勢を相手にチョン/\切結んでおりましたが、何分多勢に無勢旦那に怪我があってはならぬと思って、やっと一方を切り抜けて参りました、此の通り顔を傷だらけにして…早くお若衆《わかいしゅ》早く/\」
 と誠しやかにせえ/\息を切っていいますから、お隅は驚いて、それ早く/\というので、村の百姓を頼んで手分《てわけ》をして、どろ/\[#「どろ/\」に傍点]押して参りましたが、もう間に合いは致しません、斬った奴は疾《とう》に家《うち》へ帰って寝ている時分、百姓|衆《しゅ》が大勢行って見ると、情ない哉《かな》惣次郎は血に染って倒れておりますから、百姓衆も気の毒に思い、死骸を戸板に載せて引き取り、此の事を代官へ訴え、先《ま》ず検視も済み、仕方なく野辺送りも内葬の沙汰で法蔵寺へ葬りました。是程の騒ぎで村の者は出掛けて追剥《おいはぎ》の行方を詮議致し、又四方八方八州の手が廻ったが、殺した一角は横曾根村に枕を高く寝ておりまするので容易に知れません。惣次郎と兄弟分になった花車重吉という角力は法恩寺村にいて、場所を開こうという処へ此の騒ぎがあるのに、とんと悔《くや》みにも参りませんから、母も愚痴が出て
 母「あゝ家《うち》の心棒《しんぼう》がなくなれば然《そ》うしたもんか、情ないもの」
 と愚痴たら/″\。そうこうすると九月八日は三七日《みなのか》でござります、花車重吉が細長い風呂敷に包んだ物を提げて土間の処から這入って参りまして、
 花「はい御免なせい」
 多「いやお出でなさえまし」
 花[#「花」は底本では「多」]「誠に大分《だいぶ》御無沙汰致しました」
 多「家《うち》でもまア何《ど》うしたかってえねえ、一寸知らせるだったが、家がまア忙《せわ》しくって手が廻らないだで、まア一人で歩いてることも出来なえから誠に無沙汰アしましたが、旦那様ア殺された事は貴方《あんた》知って居るだね」
 花「誠にまア何《なん》とも申そう様《よう》はございません、知って居りましたが旦那と私《わし》とは別懇の間柄だから、私が行って顔を見ればお母様《っかさま》やお隅さんに尚更|歎《なげ》きを増させるような者だから、夫故《それゆえ》まア知っていながら遅くなりました、多助さん、飛んだ事になりましたね」
 多「飛んだにも何《なん》にも魂消《たまげ》てしまってね、お内儀様《かみさん》はハア年い取ってるだから愚痴イいうだ、花車は内に奉公をした者で、殊に角力になる時前の旦那様の御丹精もあるとねえ、惣次郎とは兄弟じゃアねえか、それで此の騒ぎが法恩寺村迄知んねえ訳ア無《ね》え、知って来ないは不実だが、それとも知んねえか、江戸へでも帰《けえ》った事かとお内儀《かみ》さんあんたの事をば云って、ただ騒いでいるだ、どうか行って心が落ち着くように気やすめを云って下さえ、泣いてばいいるだからねえ」
 花「はい、来たいとは思いながら少し訳があって遅く参りました、まア御免なせえ」
 多「さア此方《こっち》へお這入り」
 というので風呂敷包を提げたなり奥へ参ります。来てみると香花《こうはな》は始終絶えませぬから其処《そこ》らが線香|臭《くそ》うございます。
 多「お内儀さん法恩寺の関取が参りましたよ」
 母「やア花車が来たかい、さア此方《こっち》へ這入っておくんなせえ」
 花「はい、お内儀さん何《なん》とも此の度《たび》は申そう様もございません、さぞ御愁傷様でございましょう」

        六十五

 母「はい只どうもね魂消《たまげ》てばいいます、お前も知っている通り小《ちい》せえ時分から親孝行で父様《とっさま》アとは違って道楽もぶたなえ、こんな堅い人はなえ、小前《こまえ》の者にも情《なさけ》を掛けて親切にする、あゝいう人がこんなハア殺され様をするというは神も仏もないかと村の者が泣いて騒ぐ、私《わし》もハア此の年になって跡目相続をする大事な忰にはア死別《しにわか》れ、それも畳の上で長煩《ながわずら》いして看病をした上の臨終でないだから、何《なん》たる因果かと思えましてね、愚痴い出て泣いてばいいます、それにお隅は自分の部屋にばい這入って泣いて居るから、此間《こねえだ》もお寺へ行ったら法蔵寺の和尚様ア因果経というお経を読んで聴かせて、因果という者アあるだから諦めねばなんねえて意見をいわれましたが、はアどうも諦めが付かなえで、只どうも魂消てしまって、どうかまアこういう事なら父《とッつ》アんの死んだ時一緒に死なれりゃア死にたかったと思えますくらいで」
 花「はい、私《わし》もねえお寺詣りには度々《たび/\》参ります、それも一人で、実は人に知れない様に参りました、是には深い訳のあることで、私が不実で来ないと思って定めて腹を立てゝお出でなさるとは知っていますが、少し来ては都合の悪い事があって来ませぬ、お前さん私は今まで泣いたことはありません、又大きな身体《なり》をして泣くのは見っともねえから、めろ/\泣きはしませんけれども、外《ほか》に身寄兄弟もなし、重吉手前とは兄弟分となって、何《な》んでもお互に胸にある事を打ち明けて話をしよう、力になり合おうといっておくんなさいました、其のお前さん力に思う方に別れて、実に今度ばかりは力が落ちました、墓場へ行って花を上げて水を手向《たむ》けるときにも、どうも愚痴の様だけれども諦めが付かないでついはア泣きます、まア何んともいい様がありません、嘸《さぞ》お前さんには一《ひ》と通りではありますまい、お察し申しております、お隅さんも嘸御愁傷でしょう」
 母「はい私《わし》の泣くのは当り前のことだが、あのお隅は人にも逢わなえで泣いてばいおるから、そう泣いてばいいると身体に障るから、些《ちっ》と気い紛《まぎ》らすが宜《え》え、幾ら泣いても生返《いきけえ》る訳でなえというけれども、只|彼処《あすこ》へ蹲《つくな》んで線香を上げ、水を上げちゃア泣いてるだ、誠にハア困ります」
 花「はいお隅さんを一寸|茲《こゝ》へお呼びなすって下さい」
 母「お隅やちょっくり此処《こゝ》へ来《こ》うや、関取が来たから来うや」
 隅「はい/\」
 母「さア此処《こけ》へ来《き》や、待ってるだ」
 隅「関取おいでなさい」
 花「はいお隅さんまア何《な》んとも申そう様はありません、とんだことになりました、嘸《さ》ぞお力落しでございましょう」
 隅[#「隅」は底本では「花」]「はい、もうね毎日お母《っか》さんと貴方の噂ばかり致しまして、どうしておいでなさいませんか、何かお心持でも悪いことがありはしまいか、よもや知れない事もあるまいが、何か訳のある事だろうと、お噂を致しておりましたが実に夢の様な心持でございましてねえ、それは貴方とは別段に中が好《よ》くってねえ、旦那が毎《いつ》も疳癪《かんしゃく》を起しておいでなさる時にも、関取がおいでなさいますと、直《すぐ》に御機嫌が直って笑い顔をなさる、こうやって関取が来ても旦那様がお達者でいらしったら嘸お喜びだと存じまして、私は旦那の笑顔が目に付きます」
 母「これ泣かないが宜《え》え、そう泣かば病に障るからというのに聞かなえで、彼《あ》の様に泣いてばいいるから、汝《われ》が泣くから己《おら》がも共に悲しくなる、泣いたって生返《いきけえ》る訳エなえから諦めろというだ、ねえ関取」
 花「ヘエ、御愁傷の処は御尤でございますが、お隅さん、旦那をば何者が殺したという処の手掛《てがゝり》は些《ちっ》とはございますか」
 隅「もう関取の処へ早く行《ゆ》き度《た》いというのが、御用があって二日ばかり遅くなりましたから、是から富五郎を供に連れて関取にお目に掛りに参ると仰しゃるから、今日は大分《だいぶ》遅いから明日《あす》になすったら好《よ》かろう
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