のは、噂に聞けば去年の秋大生郷の天神前で、安田一角と花車重吉の喧嘩の起因《もと》はお隅から、よし彼奴《あいつ》を力に頼んでと是《こ》れからべら/\の怪しい羽織を着て、ちょこ/\横曾根村へ来て安田一角の玄関へ掛り、
富「お頼み申す/\」
六十二
門弟「どうーれ、何方《どちら》から」
富「手前は隣村《りんそん》に居《お》る山倉富五郎と申す浪人で、先生御在宅なれば面会致し度《たく》態々《わざ/\》参りました、是は此方様《こなたさま》へほんのお土産で」
門「少々お控えなさい、先生」
安田「はい」
門「近村の山倉富五郎と申す者が面会致し度《た》いと、是は土産で」
安「山倉とは知らぬが、此方《こちら》へお通し申せ」
門「此方へお通りなすって」
富「成程是は結構なお住居《すまい》で、成程是は御道場でげすな…ようがすな御道場の向うが…丁度是から畑の見える処が…是はどうもまた違いますな」
安「さア/\是へ、何卒《どうぞ》、是は/\」
富「えゝ、山倉富五郎と申す疎忽者《そこつもの》此の後《ご》とも御別懇に」
安「拙者が安田一角と申す至って武骨者此の後とも、えー只今はお土産を有難う」
富「いゝえ詰らん物で、ほんのしるしで御笑納下さい、大きに冷気になりましたが日中《にっちゅう》は余程お暑い様で」
安「左様で、今日《こんにち》はまた些《ちっ》とお暑い様で、よくお出《い》でゝ、えー何か御用で」
富「はい少々|内々《ない/\》で申し上げ度《た》い事が有って、彼《あ》の方は御門弟で」
安「はい」
富「少々お遠ざけを願います」
安「はい、慶治《けいじ》御内談があって他聞《たぶん》を憚《はゞか》ると仰しゃる事だから、彼方《あちら》へ行っておれ、えー用があれば呼ぶから」
慶「へえ左様で」
富「え、もうお構いなく、先生お幾歳《いくつ》でげす」
安「手前ですか、もういけません、何《なん》で、四十一歳で」
富「へえお若《わこ》うげすね、御気力がお慥《たし》かだからお若く見える、頭髪《おぐし》の光沢《つや》も好《よ》し、立派な惜しい先生だ、此方《こちら》に置くのは惜しい、江戸へ入らっしゃれば諸侯方が抱えます立派なお身の上」
安「何《なん》の御用か承り度《た》い」
富「手前打明けたお話を致しますが、只今では羽生村の名主惣次郎方の厄介になっておる者でござるが、惣次郎の只今女房という訳でない、まア妾同様のお隅と申す婦人、彼《あれ》は御案内の水街道の麹屋に奉公致した酌取女《しゃくとりおんな》、彼《あ》の隅なるものに先生|思召《おぼしめし》があったのでげすな、前に惚れていらしったのでげすな貴方」
安「これは初めてお出でゞ、他人の女房に惚れているなどといや挨拶の仕様がない、麹屋にいた時分には贔屓にした女だから祝儀も遣って随分|引張《ひっぱ》って見た事もあるのさ」
富「恐れ入ったね、それが然《そ》う云えぬもので恐入りました、其処《そこ》が大先生で、えーえらい」
安「何しにお出でなすった、安田一角を嘲哢《ちょうろう》なさりにお出でなすったか、初めてお出でゞ左様なる事を仰しゃる事がありますか」
富「御立腹ではどうも、中々左様な訳ではない、手前剣道の師とお頼み申し、師弟の契約をしたい心得で罷《まか》り出ましたので、実は彼《あ》のお隅と申すは同家《どうけ》にいるから、段々それまア江戸子《えどっこ》同士で、打明けた話をするとお前さん此処《こゝ》に長くいる気はあるまい、此処は腰掛だろう、故郷忘じ難かろう、私と一緒に江戸へ、というと、私も実は江戸へ行き度《た》い、殊《こと》に江戸には可《か》なりの親類もあり、仮令《たとえ》名主でも百姓の家《うち》へ縁付いたといわれては親類の聞《きこ》えも悪い、然《そ》うなればといって御新造《ごしんぞ》という訳ではなし、へえ/\云って姑《しゅうと》の機嫌も取らなければならんから実は江戸へ行《ゆ》き度いというから、然うなれば何故一角先生の処へいかぬ、向《むこう》は何《なん》でも大先生、弟子|衆《こ》も出這入り、名主などは皆弟子だから、彼処《あすこ》へ行って御新造になれば江戸へ行っても今井田流の大先生、彼処の御新造になれば結構だになぜ行かぬというと、夫《それ》には種々《いろ/\》義理もあって、親父の借金も名主惣次郎が金を出してくれた恩もあるから、先生の処へ行かれもしないというから、それなら先生が斯《こ》うと云ったらお前行く気があるかと云ったら、私は行き度いが、先生には色々綾があるから行《ゆ》かれないというから、然《そ》うなれば私《わし》が行って話し、私も江戸へ帰る土産に剣道を覚えて帰り度い、よい師匠を頼もうと思っていた処だというので、然うなればと頼まれて参ったので、先生|彼《あれ》を御新造になさい、どうでげす」
安「お帰んなさい、何《なん》だお前は、これ汝《てまえ》は何だ、惣次郎方の厄介になっている者なれば、惣次郎がどうかして安田を馬鹿にして遣《や》れというので来たな、初めて逢って他人の女房を貰えなどと、はい願いますと誰《たれ》がいう、殊《こと》に惣次郎には、去年の秋|聊《いさゝ》かの間違で互《たがい》に遺恨もあり、私《わし》も恨みに思っている、其の敵《かたき》同士の処へ来て女房に世話をしましょうなどと、はい願いますと誰《たれ》がいう、白痴《たわけ》め、帰れ/\」
富「成程是は至極御尤も、どうもお気分に障るべき事を申したが、まア」
安「騒々しい、帰れったら帰れ」
富「まア/\重々御尤も、是には一つの訳がある、ようがすか、手前が打明けた話を致しましょう、手前も武士で二言はない手前は本所北割下水で千百五十石を取った座光寺源三郎の用人山倉富右衞門の忰富五郎、主人は女太夫を奥方にした馬鹿ですから家は改易、仕方なし、手前は常陸に知己《しるべ》があるから参ったが、ふとした縁で惣次郎方の厄介、処が惣次郎人遣いを知らず、名主というを権《けん》にかって酷《ひど》い取扱いをするは如何《いか》にも心外で、手前は浪人でも土民《どみん》なぞにへえつくする事はない、残念に心得ているが、打明話を致すが、江戸に親類どもゝある身の上、江戸へ帰るにも何か土産がないが、実は今まで道楽をして親類でも採上《とりあ》げませんから、貴方の内弟子になってお側で剣道を教えて頂いて、免許目録を貰って帰ると、親類でも今まで放蕩をしても田舎へ行って、是々いう先生の弟子になってと書付《かきつけ》を持って帰れば、それが価値《ねうち》になって何処《どこ》へでも養子に行かれる、処が、御門人にといっても、月々の物を差上げる事も出来ません身の上でございますが、それを承知で貴方の弟子に取って下さるなれば、私《わたくし》は弟子入の目録代りに、御意《ぎょい》に適《かな》ったお隅を、御新造に、長熨斗《ながのし》を付けて持って来ましょう」
六十三
安田「是は面白いぞ、惣次郎という主《ぬし》のある者をどうして持って来られます」
富「惣次郎が有ってはいけませんが、惣次郎を一《ひ》ト刀《かたな》に斬って下さい」
安「黙れ、馬鹿をいうな、帰れ、帰れ、汝《われ》は惣次郎と同意して手前の気を引きに来たな、うゝん帰れ/\」
富「これは成程、至極御尤もですが、まア」
安「騒々しい行け/\」
富「じゃア有体《ありてい》に申します、正直なお話を致しますが、貴方の遺恨ある角力取の花車重吉が来て、法恩寺村の場所が始まるので、去年の礼というので、明晩になりますと、惣次郎が金《かね》三十両遣ると、ようがすか、用をしまうのは日の暮方まで掛りましょう、帳合《ちょうあい》などを致しますからな、用が終って飯を食ってはどうしても夜《よ》の六つ過《すぎ》になります、其処《そこ》で三拾両持って出掛ける、富五郎がお供でげす、ずうっと河原へ出て、それから弘行寺《ぐぎょうじ》の松の林の処へ出て黒門の処までは長い道でございますから其処へ出て来ましたら、貴方は顔を包んで芒畳《すゝきだゝみ》の影に隠れていて、手前が合図に提灯《ちょうちん》を消すと、途端に貴方が出てずぷりと遣り、惣次郎を殺すと金が三十両あるから持って宅《うち》へ帰り、構わず寝て入らっしゃい、まアさお聞きなさい、手前は面部へ疵《きず》を付けて帰って、今|狼藉者《ろうぜきもの》が十四五人出て、旦那も切合って私も切合ったが、多勢に無勢《ぶぜい》敵《かな》わぬ、早く百姓をというので大勢来て見ると、貴方は宅へ帰って寝て居る時分だから分らぬてえ、気の毒なといって死骸を引取り、野辺送りをしてしまってから、ようがすか、其の後《ご》は旦那様が入らっしゃりませんでは私がいても済みません、殊《こと》には彼《あ》アいう処へお供をして、旦那が彼アなれば猶更どうも思い出して泣く許《ばか》りでございますから、江戸表へという、惣次郎が死ねばお隅さんも旦那様がいなければ此の家《うち》にいても余計者だから私《わたくし》も江戸へ帰るという、江戸へ行《ゆ》くなれば一緒にというので、お隅を連れて来てずうっと貴方の処へ長熨斗を付けて差上げる工風《くふう》、富五郎の才覚、惚れた女を御新造にして金を三拾両只取れるという、是迄種を明《あか》してこれでも疑念に思召《おぼしめ》すか、えゝどうでげす」
安「成程是は面白い、それに相違ないか」
富「相違あるもないも身の上を明してかくお話をして、是をどうも疑念てえ事はない、宜しい手前も武士《さむらい》で金打《きんちょう》致します…今日はいけません…木刀を帯《さ》して来たから今日は金打は出来ませんが、外《ほか》に何《ど》の様なる証拠でも致します」
安「じゃア明晩|酉刻《むつ》というのか」
富「手前供を致します、彼処《あすこ》は日中《にっちゅう》も人は通りませんから、酉刻を打って参り、ふッと提灯を消すのが合図」
安「よろしい、相違なければ」
と約束して帰りました。安田一角は馬鹿でもない奴なれども、お隅にぞっこん惚れているから、全く然《そ》ういう了簡で連れて来るのではないかと思い、是から胸に包んで翌日|仕度《したく》をして早くから家を出て、諸方を廻って、夜《よ》に入《い》って弘行寺の裏手林芒畳へ蹲《しゃが》んで待っている事とは知りません、此方《こちら》は富五郎が、お隅を手に入れるに惣次郎が邪魔になりますが、惣次郎は剣術も心得ておりますから、自分に殺す事が出来ぬから、一角を欺《だま》して惣次郎を殺させて後《のち》、お隅を連出して女房にしようという企《たくみ》でございます、実に悪い奴もあるものでございます。富五郎は書物《かきもの》が分りませんから眼を通してと、惣次郎へ帳面を見せ、態《わざ》と手間取るから遅くなります。是から夜食を食べて支度をして提灯を点《つ》けて出かけようとする、何か虫が知らせるかして母親もお隅も遣《や》りたくない、
隅「何《なん》だか遅いから、明日《あした》先方《むこう》から参りますから今日はお止《や》めなさいな」
惣「なアに直ぐ帰るから」
隅[#「隅」は底本では「惣」]「そうでございますか、富五郎お前一緒にどうか気を付けておくれよ」
富「ヘエ大丈夫、どんな事があっても旦那様にお怪我をさせる様な事はございません、手前も剣道を心得ておりますから」
と空《そら》を遣《つか》って惣次郎の供をして出掛けましたが、笠阿弥陀を横に見て、林の処へ出て参りますと、左右は芒畳で見えませんが、左の方の土手向うは絹川の流れドウ/\とする、ぽつり/\と雨が顔にかゝって来る。
惣「富五郎降って来たようだ」
富「大した事もありません、恐れ入りましたが一寸|小用《こよう》を致しますから」
惣「小便《ちょうず》をするなれば提灯は持ていて遣る、これ/\何処《どこ》へ行《ゆ》く提灯を持って行っては困る」
という中《うち》富五郎はふっと提灯を吹消しました。
惣「提灯が消えては真暗《まっくら》でいかぬのう」
富「今小用致しますから」
という折から安田一角は大松《おおまつ》の蔭に忍んでおりましたが提灯が消えるを合
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