惣「何《なん》だ」
 多「関取がねえ奥に来ているだ、大きに心配しているだが、ちょっくら旦那にお目に掛りてえというが」
 惣「なに花車が、それは宜《よ》かった関取に詫をして貰おう、一寸」
 安「これ/\逃出す事はならぬ」
 惣「いえ逃げは致しませんが、主意を立てましてお詫を申上げます暫く御免を」
 というのでこそ/\と後《あと》にさがる。此の隙《ひま》に宇治の里の亭主手代なども交《かわ》る/\詫びますけれども一向に聞入れがありません。
 惣「関取は此方《こちら》かえ」
 花車「はい」
 惣「誠にどうも此処《こゝ》で逢うとは思わなかった」
 花「えゝ今皆聞きました、何しろ相手が悪いがねえ、何か是には仔細があってだアと鑑定しているが、何しろ筋の悪い奴で、是は私《わし》がねエなり代って詫びて見ましょう」
 惣「何卒《どうぞ》、関取なら愛敬を売るお前だから厭《いや》でもあろうが、先の機嫌を直す様に」
 花「案じねえでもいゝよ」
 多「私《わし》イ宿を出る時に間違えでも出かすとなんねえから、名前《なめえ》に掛るからってお内儀《かみさん》に言付かって汝《われ》行って詰らねえ口い利いて間違え出かしてはなんねえと、気い付けられたんだが、こうなっては私や出先で済まねえ事だから関取頼むぞえ」
 花「心配しねえでもいゝよ、私《わし》が請合った宜しい」
 と落着払って花車、齢《とし》は二十八でありますが至って賢い男、大形《おおがた》の縮緬《ちりめん》の単衣《ひとえもの》の上に黒縮緬の羽織を着て大きな鎖付の烟草入《たばこいれ》を握り、頭は櫓落《やぐらおと》しという髪《あたま》、一体|角力取《すもうとり》の愛敬というものは大きい形《なり》で怖《こわ》らしい姿で太い声の中に、何《なん》となく一寸《ちょっと》愛敬のあるものでのさり/\と歩いて参りまして、
 花「はい御免なさい、先生《しぇんしぇい》今日は」
 安「何《なん》だ、誰だい」
 花「はい法恩寺の場所に来ております花車重吉という弱い角力取で、何卒《どうぞ》お見知り置《おか》れて皆様御贔屓に願います」
 安「はい左様か、私《わし》は相撲は元来嫌いで遂《つい》ぞ見に往った事も無いが、関取|何《なん》ぞ用でござるかい」
 花「はい只今承りますれば、羽生村の旦那が、貴君方《あなたがた》に対して飛んだ不調法をしたと申す事だが、何分にもお聞済みがないので、私《わし》は馴染の事でもあるに由《よ》って、重吉手前は顔売る商売じゃ、なり代って詫びてくれいって頼まれまして、見兼て中に這入りましたがねえ、重々御立腹でもございましょうが、斯《こ》ういう料理屋で商売柄の処でごた/\すれば、此家《こちら》も迷惑なり、お互に一杯ずつも飲もうと思うに酒も旨うない、先生《しぇんしぇい》も旨うない訳だから、成り代ってお詫しますから、花車に花を持たせて御勘弁を願います」
 安「誠にお気の毒だが勘弁は致されんて、勘弁致し難《がた》い訳があるからで、勘弁しないというは武士の腰物《こしのもの》を女の足下《そっか》に掛けられては此の儘に所持もされぬから浄めて返せと先刻《さっき》から申して居《お》るのだ」
 花「それは然《そ》うでありましょう、併《しか》し出来《でけ》ない処を無理に頼むので、出来難《でけにく》い処をするが勘弁だア、然《そ》うじゃアありませんか」
 安「無理な事は聴かれませんよ、お前が仲に這入っては尚更《なおさら》勘弁は出来ぬではないか」
 花「はア私《わし》が這入って、なぜね」
 安「花車重吉という有名《なうて》の角力取が這入っては勘弁ならん、是が七十八十になる水鼻《みずっぱな》を半分クッ垂《たら》して腰の曲った水呑百姓が、年に免じて何卒《どうぞ》堪忍《かんにん》して下されと頭を下げれば堪忍する事も出来ようが、立派な角力取、天下に顔を売る者に安田一角が勘弁したとあれば力士に恐れて勘弁したと云われては、今井田流の表札に関わるから猶更勘弁は出来んからなあ」
 花「それは困りますねえ、それじゃア物に角が立ちます、先生《しぇんしぇい》私《わし》は天下の力士でも何《なん》でもないわ、まア長袖の身の上で、皆さんの贔屓を受けなければならん、裸体《はだか》で、お前さん取まわし一つでもってから大勢様の前に出て、まア勝つも負《まけ》るも時の運次第でごろ/\砂の中へ転がって着物を投《ほう》って貰い勝ったとか負けたとかいう処が愛敬じゃア、然《そ》うして見れば皆様《みなさん》の御贔屓を受けなければならん、貴方が勘弁して下されば、それ花車|彼奴《あいつ》は愛敬者じゃア、先生が勘弁|出来《でけ》ない処を花車を贔屓なればこそ勘弁したといえば、それで私は先生のお蔭で又売出します、然うじゃアございませんか、勘弁しておくんなさい」
 安「堪忍は出来ぬ」
 花「出来ぬでは困ります」
 安「イヤ勘弁出来ぬ、武士に二言はないわ」

        五十七

 花車「そんな事云うて対手《あいて》が武士か剣術遣なれば兎も角も、高が女の事だからよ、大概にしろよ」
 安田「大概にしろよとは何《なん》だ」
 花「これは言損《いいそこ》なった、これは角力取はこういう口の利きようでうっかり云った、勘弁しろよう」
 安「勘弁しろよとは何だ」
 花「ほいまた言損なった」
 安「勘弁しろよとは何だ、手前も大名|高家《こうけ》の前に出てお盃《さかずき》を頂く力士では無いか、挨拶の仕様を存ぜぬ事はない、大概にしろの勘弁しろよのという云い様があるか、猶更勘弁ならん、無礼至極不埓な奴だ」
 と側にある飲冷《のみざま》しの大盃《おおさかずき》を把《と》ってぽんと放ると、花車の顔から肩へ掛けてぴっしり埃だらけの酒を浴《あび》せました。
 花「先生《しぇんしぇい》お前さん酒を打掛《ぶっか》けたね、じゃアどうあっても勘弁|出来《でけ》ないと極めたか、それでは仕方がないが、先生|私《わし》も花車とか何《なん》とか肩書のある力士の端くれ、人に頼まれ、中に這入って勘弁ならん、はアそうでございますかと指をくわえて引込《ひっこ》む事は出来《でけ》ぬ、私は馬鹿だ智慧が足りねえから挨拶の仕様を知らぬ、何卒《どうか》こうせいと教えて下せえ、お前のいう通り行《や》りましょう、ねえ、どうなとお顔を立てようから斯《こ》うしろと教えて下せえ」
 安「これは面白い、予の顔を立てる、主意を立てるなれば勘弁致す、無礼を働いたお隅と云う女は不届至極だから、彼《あ》の婦人を惣次郎から貰い切って予に引渡して下さい、道場に連れて参って存じ寄り通りにする」
 花「それは出来《でけ》ない、彼《あれ》は御存知の水街道の麹屋の女中で、高い給金で抱えて置く女だ、今日一日羽生村の名主様が借《かり》て来たんだ、それを無礼した勘弁|出来《でけ》ないといって道場へ連れて行《ゆ》く、はいと云って遣られぬ、私《わし》にしても然《そ》うです、道場へ引かれゝば煮て喰うか焼いて喰うか頭から塩をつけて喰われるか知れねえものを、それは出来《でけ》ぬ、出来《でけ》ない相談、それじゃア仕様がねえわ」
 安「それじゃアなぜ主意を立てるといった、お前は力士、たゞの男とは違う、一旦云った事を反故《ほご》にする事はない、武士に二言はない、刀に掛けても女を貰いましょう」
 花「是は仕様がねえ、じゃア、まアお前さんが剣術遣だから刀に掛けても貰おうというだら私《わし》は角力取だから力に掛けても遣る事は出来《でけ》ぬと極めた、それより外《ほか》は出来《でけ》ませんわ」
 というと一角も額に青筋を張って中々聴きません。此の家《うち》へお飯《まんま》を喫《た》べに這入った人達も驚きましたが中には角力|好《ずき》で江戸の勇み肌の人も居りまして、
 客「どうだもう帰《けえ》ろうじゃアねえか、因業《いんごう》な武士《さむれえ》だ彼《あ》の畜生《ちきしょう》」
 客「ウム己達《おらっち》が彌平《やへい》どんの処へ来るたって深《ふか》しい親類でもねえが、場所中《ばしょちゅう》関取が出るから来ているのだが、本当に好《い》い関取だなア、体格《からだ》が出来て愛敬相撲だ一寸《ちょっと》手取《てとり》で、大概《てえげえ》角力取が出れば勘弁するものだが、彼奴《あいつ》め酒を打掛《ぶっか》けやアがって酷《ひど》い事しやアがる」
 客「相手の武士《さむれえ》は三人だ、関取がどっと起《た》って暴れると根太《ねだ》が抜けるよ」
 客「斯《こ》うしようじゃアねえか、折《おり》を然《そ》ういっても間に合うめえし残して往っても無駄だから、此の生鮭《なまじゃけ》と玉子焼とア持って行こう」
 などゝ横着な奴は手拭の上に紙を布《し》いて徐々《そろ/\》肴《さかな》を包み始めた。
 花「じゃア先生《しぇんしぇい》こうしましょう、此処《こゝ》の家《うち》でごたすたいった処が此の家へ迷惑かけて、外《ほか》に客があるから怪我でもさしてはなりません、戸外《おもて》に出て広々とした天神前の田甫《たんぼ》中でやりましょう、私《わし》も男だ逃げ隠れはしません」
 安「面白い出ろ」
 というので三人づんと起《た》った。
 客「喧嘩だア/\」
 と他《ほか》の客はバラ/\逃げ出したが、代を払って行《ゆ》く者は一人もない、横着者は刺身皿を懐に隠して持って行《ゆ》く者もあり、中には料理番の処へ駈込んで、生鮭を三本も持って逃出す者もあり、宇治の里では驚きましたが、安田一角は二人の助けを頼みとして袴の股立ちを取って、長いのを引抜き振翳《ふりかざ》したから、二人の武士も義理で長いのを引抜き三人の武士《さむらい》が長い閃《きら》つくのを持って立並んでいるから、近辺の者は驚きました。惣次郎は猶更心配でございますから、
 惣「関取お前に怪我をさせては親方に済まぬから」
 花「いゝよ、親方も何もない、お前さん彼方《あっち》へ行って下せえよ、己が引受けたからは世間へ顔出しが出来ませんから退《ひ》く事は出来ない、何卒《どうか》事なく遣る積《つも》りで、お前さんは心配をしねえでいゝよお隅さんを連れて構わず往って下さい、多助さんも行って下さい、旦那様が茲《こゝ》にいては悪いから帰って下さえ」
 惣次郎は帰れたッて帰られませんし、此の儘にはされず、怖さは怖しどうしようかとおど/\して居ると、花車はスッと羽織と単物《ひとえもの》を脱ぎましたが、角力取の喧嘩は大抵|裸体《はだか》のもので、花車は衣服を脱ぐと下には取り廻しをしめている、ウーンと腹を揺《ゆ》り上《あげ》ると腹の大きさは斯様《こんな》になります、飴細工の狸みた様で、取廻しの処へ銀拵《ぎんごしら》えの銅金《どうがね》の刀を帯《さ》し白地の手拭で向鉢巻《むこうはちまき》をして飛下《とびお》りると、ズーンと地響きがする、腕なぞは松の樹《き》の様で腹を立ったから力は満ちて居る、スーと飛出すと見物人は「ワアー関取しっかりしろ」という。安田一角は袴の股立を取って、
 安「サア来い」
 と長いのを振上げている、此の中へ素裸《すはだ》で、花車重吉が飛込むというところ、一寸一ト息吐きまして。

        五十八

 引続きまして角力と剣術遣の喧嘩で、角力という者は愛敬を持ちました者でございまして、只今では開けた世の中でございますから、見識を取りませんで、関取|衆《しゅ》が芸者の中へ這入って甚句《じんく》を踊り、或《あるい》は錆声《さびごえ》で端唄《はうた》をやるなどと開けましたが、前から天下の力士という名があり、お大名の抱えでありますから、だん/\承って見ますると、菅原|家《け》から系図を引いて正しいもので、幕の内と称《とな》えるは、お大名がお軍《いくさ》の時、角力取を連れて入らしって旗持《はたもち》にしたという事でございます、旗持には力が要りますので力士が出まする者で、お見附《みつけ》などの幕の内には角力取が五人ぐらいずつ勤めて居ります。其の幕の内に居たから幕の内という、お弁当を喫《つか》って居るのが小結という、然《そ》ういう訳でもありますまいが、見た処は見上げる様で、胸毛があって膏薬《こうやく》の痕《あと》なぞがあって怖
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