まだ、親が女郎を買って子が後生を願うと云う唄の通りだ、惣次郎様の様なあんな若旦那ア持ちながら、惣右衞門どんはいゝ年いして道楽するなどと村の者がいうから、鼻が高《たけ》えと思ったが、旦那殿が死んで仕舞って見ると、今ではお前《めえ》の身代だから、まア家《うち》の為え思ってお前も今迄骨折って呉れただが、去年あたりから大分《でえぶ》泊りがけに出かけるものだから、村の者も今迄は堅《かて》え人だったが、何《ど》う言う訳だがな泊り歩くが、役柄もしながらハアよくねえ事《こッ》たア年老《としと》った親を置いて、なんて悪口《わるくち》を利《き》く者もあるで、成《なる》だけ他人《ひと》には能く云わしたいが、是は親の慾だからお前の事だから間違《まちげ》えはなかんべえが、成たけまア帰《けえ》れるだら帰《けえ》って貰《もれ》えてえだ心配《しんぺい》だからのう」
 惣次郎[#「惣次郎」は底本では「惣二郎」]「イエなに、然《そ》う御心配なれば参らんでも宜しゅう、是非参り度《た》い訳ではありません、花車も来た事だから聊《いさゝ》かでも祝義も遣り度いと思いましたが、そういう訳なら参らんでも宜しいので、新右衞門《しんえもん》も同道する積りでしたが、左様なれば往《い》かないでも先方《むこう》で咎《とが》めるでもなし、怒《おこ》りもしますまい、それでは止《や》めましょう」
 母「そういえばハア困るべえじゃアねえか、行くなアとはいわねえが、出れば泊りがけの事も有るし、帰《けえ》らねえ事も有るから、それで私《わし》が案じるからいうので、行くなアとはいわねえ、行っても能《いゝ》から早く帰《けえ》って来《こ》うというのだ、お前《めえ》は今迄親に暴《あれ》え言《こと》をいい掛けた事はねえが、此の頃は様子が異《ちが》って意見らしい事をいえば顔色《かおいろ》が違うからいうだ、私は段々年を取り惣吉はまだ子供なり、役には立たねえから、お前も堅くって今まで人に云われる事もなかっただから、間違《まちげ》えはなかろうけれども、若《わけ》え者の噂にあんなハア美《うつ》くしい女子《おなご》があるから家《うち》へ帰《けえ》るは厭《いや》だんべえ、婆様《ばあさま》の顔見るも太儀《たいぎ》だろうなどという者もあるから、そんな事を聞くと心配《しんぺい》で成んねえもんだから、少しも能く思わせてえのが親の慾でござらア、行くなという訳ではねえ往ってもいゝから帰《けえ》れたら早く帰《けえ》って来《こ》うというと胆《きも》いれてそんたら往くめえなどと、年寄ればハア然《そ》うお前《めえ》にまでいわれて邪魔になるかと思って早くおっ死度《ちにて》えなどと愚痴も出るものでのう」

        五十五

 惣次郎「イエ左様なれば早く帰って参ります、思わず言過ぎて何《ど》うも悪いことを申しまして今夜は早く帰って参ります、大《おお》きに余計な御心配を懸けまして誠に済みません」
 母「然《そ》うなれば宜しい、機嫌を直して往《い》くがいいよ、これ/\多助《たすけ》や」
 多「ハイ」
 母「汝《われ》行くか」
 多「ヘエ、関取が出るてえから行って見ようと思って」
 母「汝口が苛《えら》いから人中へ入って詰らねえ口利いては旦那様の顔に障るから気イ付けて能く柔和《おとな》しく慎しんで往《い》てこうよ」
 多「ヘエ、畏《かしこま》りました、私《わし》が行けば大丈夫《でいじょうぶ》だ、そんなら往って参《めえ》ります、左様なら」
 と、惣次郎は是から水街道の麹屋に行って彼《か》のお隅を連れて、法恩寺村の場所に行こうと思ったが、今日は大《たい》した入りだというから、それよりは花車を他《ほか》へ招《よ》んで酒を飲ました方が宜しい、それに女連《おんなづれ》で雑沓《ざっとう》の中で間違でも有っては成らぬ、殊《こと》にお隅を連れて行くは心配でもあり役柄をも考えたから、大生郷の天神前の宇治の里という料理屋へ上《あが》り、此処《こゝ》の奥で一猪口《ひとちょこ》遣《や》っていると、間が悪い時は仕方のないもので、彼《か》のお隅にぞっこん惚れて口説いて弾《はじ》かれた、安田一角《やすだいっかく》という横曾根村の剣術家、自《みず》から道場を建てゝ近村《きんそん》の人達が稽古に参る、腕前は鈍くも田舎者を嚇《おど》かしている、見た処は強そうな、散髪を撫付《なでつ》けて、肩の幅が三尺もあり、腕などに毛が生えて筋骨|逞《たくま》しい男で、一寸《ちょっと》見れば名人らしく見える先生でございます。無反《むぞり》の小長《こなが》いのを帯《さ》し、襠高《まちだか》の袴《はかま》をだゞッ広《ぴろ》く穿き、大先生の様に思われますが、賭博打《ばくちうち》のお手伝でもしようという浪人者を二人連れて、宇治の里の下座敷で一口遣っていると、奥に惣次郎がお隅を連れて来ている事を聞くと、ぐッぐッと癪に障り、何か有ったら関係《かゝりあい》を付けようと思っている。此方《こちら》では御飯が済んだから帰り掛《がけ》に花車の家《いえ》に往《ゆ》こうというので急いで出る、お隅も安田が来ているのを認めましたから気味が悪く早く帰ろうと思うので、奥から出て廊下へ来ると、何《ど》うしても其処《そこ》を通らなければ出られないから、安田はわざと三人の刀の鐺《こじり》を出して置きますと、長い刀の柄前《つかまえ》にお隅が躓《つま》づきましたのを見ると、
 安「コレ/\待て、コレ其処へ行《ゆ》く者待て」
 惣「ヘエ/\私《わたくし》でございますか」
 安「手前|何処《どこ》の者か知らんけれども、人の前を通る時に挨拶して通れ、殊《こと》にコレ武士の腰に帯《たい》して歩く腰の物の柄前に足をかけて、麁忽《そこつ》でござると一言《ひとこと》の謝言《わびごと》も致さず、無暗《むやみ》に参ることが有るか、必定心有ってのことだろう」
 惣「ヘイ頓《とん》と心得ませんで…お前|疎忽《そこつ》だからいけない、お武家様のお腰の物に足をかけて何《なん》のことだね、ヘイ何《ど》うも相済みませんでございました、つい取急ぎまして飛んだ不調法を致しました、当人に成代りましてお詫《わび》を申上げます、何分御勘弁を願います」
 安「なに詫を申すなら何処の者か姓名も云わず、人に物を詫びるには姓名を申せ、白痴《たわけ》め」
 惣「ヘエ、手前は羽生村の惣次郎と申す何も弁《わき》まえませぬ百姓でございます」
 安「なに、羽生村の惣次郎、うむ名主だな、イヽヤ名主だ、羽生村にて外《ほか》に惣次郎と云う名前の者は無い様だ、名主役をも勤むる者が人の前を通る時には御免なさいとかお先《さ》きに参るとか何《なん》とか聊《いさゝ》か礼儀会釈を知らぬ事も有るまい、小前《こまえ》の分らぬ者などには理解をも云い聞けべき名主役では無いか、それが殊《こと》に武士《さむらい》の腰の物を足下《そっか》にかけて黙って行《い》くと云う法が有るか、咎《とが》めたらこそ詫もするが、咎めずば此の儘《まゝ》行《ゆ》き過ぎるであろう、無礼至極の奴、左様ではござらんか仁村《にむら》氏《うじ》」
 仁「是はお腹立の処|御尤《ごもっと》も是は何も横合から指出《さしで》て兎や角いうではないが、けれども斯《こ》ういう席だから、何も先生だって大したお咎をなさる訳でもあるまいが、今仰せの如く名主役をも勤むる者が、少しは其の辺の心得がなくては勤まらぬ、小前の者が分らん事でもいう時は、呼寄せて理解をも云い聞けべきの役柄だ、然《しか》るにずん/\行《ゆ》くという法はない、是は、イヤ先生御立腹御尤もだ是は幾ら被仰《おっしゃ》っても宜しい、お腹立御尤もの次第で」
 惣「重々御尤もで相済みません、御尤至極でござります、どうか御勘弁を願います」
 安「只勘弁だけでは済むまい、苟《かり》にも武士の魂とも云う大切の物、手前達は何か武士が腰に帯《たい》して居る物は人斬庖丁《ひときりぼうちょう》などゝ悪口《あっこう》をいうのは手前の様な者だろうが、人を無暗《むやみ》に斬る刀でないわ、えゝ戦場の折には敵を断切《たちき》るから太刀《たち》とも云い、片手|撲《なぐ》りにするから片刀《かたな》ともいい、又短いのを鎧通しとも云う、武士たるものが功名《こうみょう》手柄を致す処の道具、太平の御代に、一事一点間違を致せば直《すぐ》にも切腹しなければならぬ大切の腰の物じゃ、それを人斬庖丁など悪口をいいおるから挨拶もせずに行ったのだ、それに違いなかろう、ナア」
 連の男「是は先生至極御尤も、怪《け》しからんこと、何《なん》だ、え、何《ど》うもその、武士たるべき者の腰に帯《たい》するものを人斬庖丁などゝは以《もっ》ての外《ほか》だ、太平なればこそよいが、若し戦場往来の時是をエヽ、太刀とも唱える、片刀ともいう、今一つ短いのは何《なん》でしたッけ、うむ鎧通しともいう、一事一点間違があれば切腹致すべき尊《とうと》い処の腰の物、それを何《なん》だ無礼至極、どの様に仰しゃっても宜しい」
 惣「重々恐入りましたが何分御勘弁になります事なれば、どの様にお詫を致して宜しいか頓と心得ませんが」
 安「刀を浄《きよ》めて返せ、浄まれば許して遣《つか》わす」
 惣「どの様に致せば浄まります事か、百姓|風情《ふぜい》で何も存じませんで」
 安「知らんという事が有るか、浄めて返さんうちは勘弁|罷《まか》り相成らぬ」
 惣次郎もつく/″\困りましたが、お隅は平素《ふだん》から一角は酒の上が悪く我儘《わがまゝ》なのを知っております、また女が出ると柔《やわら》かになる事も存じているから、却《かえ》って斯《こ》う云う時は女の方が宜《よ》かろうと思って、後《あと》の方からつか/\と進み出まして、
 隅「先生誠に暫く」
 安「何《な》んだ」

        五十六

 隅「麹屋の隅でございますが、只今|私《わたくし》が旦那様のお供をして来て、つい例《いつも》の麁忽者《そこつもの》で駈出して躓《つまづ》きまして、足で蹴《け》たの踏んだのという訳ではありませんが、一寸《ちょっと》足が触りましたので、貴方と知っていれば宜しいのに、うっかり足が出ましたので、それ故先生様の御立腹で誠に私《わたし》がお供に来て済みませんから、不調法でございますが何卒《どうぞ》御勘弁なすって下さいな決して蹴たの踏んだのという訳でもなし、お供をして来て不調法が有っては、羽生村の旦那様に済みませんし、あの私《わたくし》の麁忽者《そゝッかしや》の事は先生も御存じで入らっしゃいますから、お馴染《なじみ》甲斐に不調法の処は重々お詫を致しますから御勘弁を」
 安「黙れ、なに馴染がどうした、馴染なら如何《いか》に無礼致しても済むと思うか、手前には聊《いさゝ》か祝義を遣わした事も有るが、どれ程の馴染だ、又拙者は料理屋の働女《はたらきおんな》に馴染は持たん、無礼を働いても馴染なら許して貰えると思うか、鼻を殺《そ》ぎ耳を斬って馴染だから御免とそれで済むか無礼至極な奴、女の足に刀を踏まれては猶更《なおさら》汚《けが》れた、浄めて返せ」
 仁「是は先生至極御尤、御尤もだが酒も何もまずくなったなア、是はどう云う身分柄か知らんが馴染だから勘弁という詫の仕様はないが、誰かあゝお隅か妙な処で出会《でくわ》したなア、先生/\麹屋の隅でございます、能く来たなア、え隅か、是は何《ど》うも詫《あや》まれ/\、重々何うも済まぬ、先生/\お隅でございます、貴公知らなんだ、あはゝゝゝどうも麁相《そそう》はねえ詫びるより外に仕方がない、詫びて勘弁ならんという事は無い、重々恐入ったと詫びろ、能く来た、あの先生、先生/\勘弁してお遣りなさいお隅でござる」
 安「な何を戯言《たわこと》、勘弁相ならん」
 と猶更額に筋を出して中々承知しませんから、惣次郎もまさか其の儘に逃出す訳には往《ゆ》かず、困り果てゝおりますと、奥の離座敷の方に客人に連れられて参って居たは花車重吉、客人は至急の用が出来て帰りましたから、花車は遥《はるか》に此の様子を聞いて、惣次郎とは固《もと》より馴染なり兄弟分の契約《かため》を致した花車でございますから心配しておりまする。
 多「もし旦那様/\
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